平成19年8月


8月31日(金)

●「ふ号兵器」というのが正式名だそうだ。通称は「風船爆弾」。太平洋戦争末期、日本軍がアメリカ本土を爆撃する目的で開発した▼日本本土にはB29爆撃機が編隊を組み、激しい空爆を繰り返していた。制空権を奪われ、航空機も破壊された日本にはアメリカに対する反撃の手段がない。そこで生み出されたのが風船爆弾だった。窮余の知恵と言えるだろう▼風船爆弾は和紙とコンニャクのりなどを使って作られた、その中に水素を充Gハ(じゅうてん)。直径10bの風船には15`爆弾、5`焼夷(しょうい)弾をつり下げた。福島県、茨城県、千葉県の計3カ所の海岸から放出され、偏西風に乗って太平洋を渡り米本土を目指した▼1944年11月から45年3月にかけ約9000個が放たれ、米本土には361個が到達。爆発して死者が出たことも報告されている。未確認も含め約1000個が米本土に届いたともいわれている。到着率を10%とすれば、バカに出来ない確率だ▼風船製造に駆り出されたのは、女学生や女子挺(てい)身隊と呼ばれた若い女性たちだ。東京では日本劇場(日劇)や宝塚劇場、両国国技館などの大型の建物が接収され、和紙はり合わせの仕上げ工場になった。これらの知識は、国技館に近い東京都墨田区の江戸東京博物館で開かれている「風船爆弾と勤労動員」展で学んだ▼会場にいた若い女性が「ありえない。バカだよ」と声を漏らした。その「ありえない」ことを62年前の日本は遂行した。風船は爆弾をつり下げるより子どもの手に握られるのが似合っている。 (S)


8月30日(木)

●ツチクジラは、国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象外の小型クジラだ。沿岸国が独自に捕獲枠を設定しており、道南でも揚がる。今年は6月に初水揚げがあり、函館市内のスーパーなどで新鮮なクジラ肉が売られた▼知床に近い根室管内羅臼沖で、クジラウオッチングの観光船が、ツチクジラ捕鯨船に近づき、捕獲作業を見守ったという。観光客の中からは「かわいそう」との声が上がったり、中には「気分が悪くなった」と話す外国人女性もいたと毎日新聞が伝えた▼クジラは大昔から世界各国で捕獲され、食用や鯨油などの資源として役立てられてきた。だが1970年代以降、捕鯨反対が盛り上がり、日本は88年に商業捕鯨から撤退した。それ以後は、調査名目の捕鯨が続いている▼いま調査捕鯨で捕獲されるクジラは冷凍で日本に入る。そのほか、沿岸で揚がるクジラは各地の市場で競りにかけられ店頭に並び、食卓に上る。クジラは中年以上なら味を知っていようが、若い世代や子供たちにはなじみが薄い▼まして外国人にとって食べるためにクジラを捕るというのは、知識として分かっていても見たくない光景だったのだろう。羅臼沖の海面にはクジラの血が漂い、生臭さも感じられたかもしれない。観光船の船内からは、ウオッチングを楽しむ雰囲気が失われたのだろうと思う▼食料としてクジラを追う捕鯨船と、見せ物として扱う観光船との接近遭遇は、羅臼の海を震源地に波紋を広げている。クジラを今後も食べ続けるか、諦めるか。そんなことを考えずにいられた時代はもう帰らない。(S)


8月29日(水)

●今年のサラリーマン川柳に「大相撲 地球儀回し国探す」というのがあった。ドルゴルスレン・ダグワドルジはモンゴル・ウランバートル市出身の横綱・朝青龍の本名。日本の国技の大相撲は外国人力士に依存する傾向が強くなったのも事実▼腰骨の疲労骨折などを理由に夏巡業への休場届を出しながらモンゴルに帰国しサッカーに興じていたのが7月25日。1週間後に日本相撲協会から秋場所と九州場所の出場停止、4か月間30%減俸などの処分を受けた。それ以来、顔を見せず、うつ病とか、急性ストレス障害とも▼最終的には解離性障害(耐えられない苦痛やストレスを受け、意識と感情と行動の各機能をまとめる自己同一性を失う神経症)と診断され、朝青龍関には一切の自発行動はなく、会話が成り立たず、昏迷状態が続いた。対戦相手を土俵にたたき付けた“憎たらしいほど強い”勇姿は影を潜めた▼最近は大相撲の世界でも規律が乱れがち。横綱にふさわしい力士には「心」「技」「体」の三拍子が不可欠。朝青龍関には「心」が足りなかったのか。「1人横綱として大相撲を支えていたのに…」という“おごり”もあったのか。協会指導者は「強さ」以外に必要なものがあることを教えなければ▼自宅などに立てこもってから約1月。日本相撲協会は「医師の診断に従って、朝青龍関は故郷・モンゴルで治療・療養することが最適」と判断、帰国を容認した。家族に囲まれて早く治療し「ストレスをはたいて来た」と土俵に復活してほしい。子どもに見せる朝青龍関の笑顔が何ともいえない。 (M)


8月28日(火)

●「隴西(ろうさい)の李徴は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった」▼中島敦の「山月記」の書き出しである。高校教科書の人気教材だから、漢文調のリズム感あふれるこの文章に親しまれた方も多いだろう。コラム子も、高校生のころに繰り返し読んだのをいまも覚えている▼中島敦は祖父が漢学者、父は漢文の教員をしていた。だから子供のころから漢文の素読をさせられたのだろう。漢籍に親しんだことが後の創作活動に影響していることは間違いない▼「山月記」は清朝の説話集を元に書かれた。代表作の「李陵」は、前漢の悲運の将軍を題材にしている。「李陵」は中島敦の遺稿の中から友人で「日本百名山」の著者・深田久弥が見つけ、題名も深田が付けたという▼中島敦に限らず、芥川龍之介も夏目漱石も漢籍に親しんだ。親しむといっても意味の解釈はせずに素読が中心だった。文字だけを音読することの効用は、ベストセラーになった「声に出して読みたい日本語」(齋藤孝・草思社)でも触れている▼齋藤さんは、暗誦(あんしょう)は頭を鍛えることでもあるという。なるほど脳の老化を防ぐには、文章を声に出して読み、覚えることが大切との意見が医者からも出るほどだ。子供は正しい日本語を身に着けるため、そして年配者は脳を活性化するため文章を声に出して読もう。漢籍の素読は難しくても、かめばかむほど味わい豊かな作品はある。(S)


8月27日(月)

●いまどき10円で買えるものを探そうと思っても見つけるのは難しい。小学生の小遣いだって100円単位だろう。だが、10円の引き上げが実に9年ぶりだと聞かされると、赤銅色の硬貨がひときわ輝いて見える▼時間当たりの道内最低賃金が前年度より10円上がり、10月から654円に改定される。引き上げは4年連続だが、10円以上は1998年度以来だという。厚生労働省の前年度資料では全国平均は673円。北海道は同年度644円だったから平均を下回る▼各都道府県とも改定するから10円上がっても平均には届かない。道内の最賃は、東北、九州・沖縄などより上だが、生活保護より低水準の問題は解決されない。働いても手取り月収が10万円程度では、憲法でうたう「健康で文化的な最低限度の生活」が営めるとは思えない▼実質賃金は、雇用情勢が悪い道内と景気拡大が続く首都圏や愛知県などで大きな開きがある。さらに道内でも都市部と地方との地域格差が目立ち、たとえば札幌と函館では、同じ仕事でも時給はかなり違う。これでは都市部への若年労働力の流出は避けられない▼ワーキングプアという言葉が一般にも知られるようになったのは、ここ1,2年のことだ。いまや派遣や契約、パートなどの非正規雇用が働く者の3分の1を占める。そうした低賃金の不安定雇用が、企業業績の急回復の陰画としてはめ込まれている▼10円のアップをどう評価すればいいのだろう。中小・零細が多い道内企業は、負担の重荷に頭を痛めるだろう。一方、働く者には不満が残る。考えれば悩ましい10円硬貨だ。(S)


8月26日(日)

●道南の中核都市である函館市は、何かとお金がかかる。市立病院を3院抱え、空港や港湾、教育機関、観光施設、福祉施設、夏はネット式海水浴場、冬はスケート場…。住民福祉や生活環境の向上にお金がいくらあっても足りない▼この、函館市が巨額を投じて整備している諸施設の恩恵は、市民と同じくらい周辺市町の住民も受けている。例えば救急車。近隣から市内へどんどん走る。官民の救急病院や夜間病院が充実している函館の存在が、近隣市町にとってどれほど心強いことか▼一方、商業施設での買い物や娯楽、遊技など、周辺市町のお金は函館に流れる。このため、利用者には便利だが、地域の商店街が衰退するといった側面もあり、地域経済にはマイナスになることも▼プラスとマイナス…考え合わせると、互いに持ちつ持たれつ。切っても切り離せない関係といえる。亡くなった道教育大名誉教授、奥平忠志さんは、道南の地域振興やまちづくりに情熱を注いだ▼函館と周辺市町の関係について「函館の後背地の住民には不安や不満材料が多い。後背地の崩壊は函館の崩壊を意味し、函館はその悲鳴を受け止める必要がある」と語っていた▼「辛口の批評で時には煙たがられたが、生まれ育った郷土を愛するがゆえの言葉だと思う」と、奥平さんと市民活動を共にした佐藤吉見さんは語る。道南の雄として、函館の存在の重みを語ったのだろう。奥平さんは市の総合計画策定に長年携わり、新計画の議決直前に逝った。図らずも、志半ばで残した願いは何か。新計画を読み直して合掌したい。(P)


8月25日(土)

●学歴の詐称は世の東西や時代を問わないらしい。日本では数年前、選挙の候補者が経歴を偽っていた例が相次いで明らかになった。当選した国会議員が公職選挙法違反で起訴され失職したり、辞職に追い込まれたこともあった▼これらは学歴を高く偽ったケースだが、最近はそうでもない。今年になって大阪市、横浜市などで学歴を低く偽って採用された市職員が多数いることが分かった。受験資格が高卒以下の職種に大学や短大卒が応募していた▼公務員になれば将来の安定が見込める。しかし大卒職種は、採用が厳しい。昇進や待遇の差には目をつむり、高卒以下の職種にとにかく潜り込む。1990年代の就職氷河期に卒業を迎えた団塊2世には、職にありつけるだけでもめっけものとの意識が強かった▼世の中の景気動向に振り回されて、なんだか気の毒だなあ、と同情していたら、お隣韓国では、有名人の学歴詐称が次々に発覚しているという。こちらは大学教授やタレントなどが実際よりも高く偽っていたらしい。これも日本以上に学歴社会の韓国の実相なのだろう▼日本私立大学連盟がまとめた「私立大学学生白書」によると大学に進むのは「学歴のため」と考える学生が、半分を超すそうだ。その一方、「専門知識を身につける」や「自分のしたいことを探す」はどちらも3分の1ほどだ▼日韓ともに学歴偏重に社会が振り回される。一時期、大企業経営者が唱えた学歴無用論は、もはやどこかに消えてしまった。高く偽るのも低く偽るのも学歴が人を測る重要な尺度にされている社会の一断面だ。(S)


8月24日(金)

●「赤いダイヤ」は、小豆(あずき)の先物取引を描いた梶山季之の小説だ。この小説には、天候によって激しい値動きをする小豆相場で一攫(いっかく)千金を狙う男たちが登場した。では「黒いダイヤ」は?▼実は、小説のタイトルではない。ナマコの異名なのだそうだ。価格が暴騰する小豆の連想から名づけられたのかどうか分からない。だが、ナマコ価格の高騰はなるほどこの名にふさわしいと思う▼中国で北海道産のナマコが高値で取引されていると朝日新聞が伝えた。「北海キンコ」と呼ばれる道産の乾燥ナマコは1キロ7、8万円もするそうだ。高級マツタケや松坂牛も真っ青の高値といってもいいだろう▼中国は経済発展が続き、富裕層が増加している。そうした事情が、干しアワビやフカヒレなどの超高級食材と並び道産ナマコの輸出増につながっていると紹介している。これは函館にとって大きな商機を生み出すかもしれない▼あまり知られていないが、市内浜町の戸井ウニ種苗センターでナマコの種苗育成試験がことし2年目を迎えた。親ナマコを水槽に入れ、採卵・採精を試みている。北大大学院水産科学研究院も生態解明や放流に適した海域の調査などで支援しているプロジェクトだ▼ナマコは、ぶよっとした質感と形状が災いしてか、ゲテモノ扱いされたこともあった。だが、コリっとした歯ざわりやコラーゲンが豊富なことから、若い女性も食するようになった。乾燥ナマコを戻して使う中国料理ももちろんうまい。ナマコは函館の「黒いダイヤ」に変身する可能性を秘めている。(S)


8月23日(木)

●西山火口から今も白い噴煙が上がっている。3人の死者を出した1977年8月の有珠山噴火から30年たち、洞爺湖ビジターセンターで開かれている「有珠山噴火回顧展」を見てきた。7年前の噴火でできた西山火口付近には国道や町道が走っていた▼西山は30年前と2回も噴火した。回顧展では噴火を至近距離から撮影した8ミリフイルムをDVDに変換して初公開。7日の噴火当日とその後の噴火の様子を克明にとらえたもの。子どもたちも雲を破って高く上がる噴煙に見入っていた。噴火の歴史を風化させないためにも貴重な資料▼防災対策は過去の災害を忘れないで、教訓を生かすことが大事。駒ケ岳も700人余が死亡した寛永の大噴火(1640年)をはじめ噴火を繰り返している。約2000人の死者を出した1741年の渡島大島の大噴火と津波の恐ろしさが語り継がれ、桧山10町の33・4%の住民が知っていた(江差測候所調べ)▼塩野七生さんの「ローマ人の物語」によると、ローマ帝国は地震など災害時の対策を確立していた。被害者には皇帝公庫から義援金を配る、近くの基地から軍団兵が駆けつけてインフラの復旧工事にあたる、元老院が調査団を出して税金の免除期間を決める、など▼災害時の対策は昔も今も変らない。「災害は忘れたころやってくる」と悠長なことは許されない。有珠山や駒ケ岳はまだ熱い。地下のマグマの放熱が続いているのだ。紀元79年の8月24日、イタリアのベスビオス火山が噴火、瞬時にポンペイが埋没した。これを受けて、24日を「大噴火の日」とし、警鐘を鳴らしている。(M)


8月22日(水)

●国土交通省北海道局の幹部が、ため息交じりに漏らした。「補助事業の減少分を補うため、直轄事業を上積みしなければならなかった」。小泉構造改革が叫ばれていた数年前、政府予算案が決まる12月末のことだ▼市町村が公共事業を行う国の補助事業は、地元負担が重荷になって抑制傾向が強まっていた。道も市町村に対し、要望を必要最小限にするよう指導していた。道自身が市町村への補助費をためらうほどの財政難に陥ったからだ▼来年度開発予算の補助事業要望額を道がやっと提出した。概算要求の締め切りは今月末である。空白だった金額欄がぎりぎりになって埋められた形だ。要望額は本年度当初予算費7%減の1960億円▼いつもなら概算要求は7月中には提出され、各自治体トップが事業の説明と予算付けを求めて政治家や中央省庁に陳情を繰り返す。ところが今年はそれ以前に補助事業の要望額を決められない異常事態が続いていた▼根っこに横たわるのは道財政の巨額の財源不足だ。試算では来年度、470億円の不足が見込まれるという。道路などのインフラ整備や疲弊している地域経済のてこ入れに公共事業をやりたくても「金がない」のが実態だ▼かつて公共事業王国と言われた面影はすでにない。全国の公共事業費の10%を占めていた「北海道シェア」は過去のものになった。だが公共事業に代わる新たな産業は育っていない。幹部氏は「事業量をある程度確保しないと、公共事業頼りの地域経済がもたない」と言った。来年度もまた直轄事業の割合が高まるのだろうか。(S)


8月21日(火)

●太宰治が「冬の花火」で主人公の女性に語らせている。「花火というのは、夏の夜にみんな浴衣を着て…西瓜(すいか)なんかを食べながら…」。花火と浴衣、西瓜は太宰がこの作品を書いた戦後すぐのころ、すでに夏の風物詩だったのだろう▼函館の夏は、先週末の湯の川温泉いさり火まつりとともに終わった。浴衣は来年の出番までたんすにしまわれる。気温が落ち着きを取り戻すと西瓜を口にする機会も減る。夏の終わりには、どことなく寂ばく感がただよう▼だが、学校にはにぎわいが戻った。道南の小中高校の多くは今週、2学期が始まった。夏を思う存分過ごした顔が、校舎に歓声をよみがえらせる。わが身を省みると、夏休みに遊びすぎて宿題を仕上げられず、始業式が恨めしかったこともあった▼とくに毎日の日記を書くことを怠け、まとめて書こうとして四苦八苦したなあ、などと夏の終わりのこの時期になると思い出す。同じような思いをしている子供たちが案外多いのかもしれない▼戦後62年目の夏は、本州を猛暑が襲った。74年ぶりに国内最高気温を更新し、うだるような暑さに熱中症による死者が各地で続出した。道南でも最高気温が30度を超す日が続き、寝苦しい夜は窓から入る風だけでは足りずエアコンの涼気が恋しくなった▼そうした暑さも過ぎてしまえば何のことはない。暑かったという皮膚の記憶は、朝夕の気温が下がるにつれて薄れていく。太宰は主人公に「冬の花火。ばからしくて間が抜けて…」と語らせた。浴衣の子供と一緒に楽しんだ花火も来夏までお蔵入りだ。(S)


8月20日(月)

●社会生活に適応するために必要な生活指導、職業訓練…。懸命に更生に励む少年たち。函館少年刑務所は、44年前に浦和刑務所に次いで作業所などに「BGM」を採用した。「エリーゼのために」や「美しき青きドナウ」のリクエストが多かった▼「単純化している作業への嫌悪や倦怠感が取り除かれ仕事への意欲が高まった」「さわやかなムードで感情が安定しケンカが少なくなった」「疲労感がとれて不眠症やノイローゼにかからなくなった」「心情が明るくなり文芸教室などに参加するようになった」(当時のアンケートから)▼先ほどの文科省の不登校調査速報によると、06年度の不登校は「35人に1人」と5年ぶりに増加した。中でも不登校のきっかけは非行や無気力など「病気以外に本人にかかわる問題」が31・2%と最も多く占めている。しかも不登校を続ける理由に情緒的混乱(31・7%)があり、気にかかる▼不登校は非行化につながるわけではないが、他の犯罪にも手を染め非行の入り口になる「万引き」による補導は今年1〜5月で375人(前年比82人増=道警調べ)。補導・逮捕者が増えたわけではないが、道内の刑務所・拘置所に入った収容者は6月末現在で7000人の大台を突破した▼函館少年刑務所は1125人。収容者増は全国各地からの移送が多いためだが、一方、職業訓練などに当る職員は減っており、心情・心身疾病や薬物中毒など「矯正科学」分野の強化が必要か…。函館は“刑務所のアイドル”でデュオのペペたちを招いて、少年たちを励ましているのが印象に残る。(M)


8月19日(日)

●「カランコロンの足音とともに…」。名人円朝が語ると、背後をすーっとよぎる冷たい風が感じられるかもしれない。お露の幽霊が恋しい新三郎のもとへ夜な夜な通ってくる。ご存知牡丹燈篭の怪談だ▼150年前に生まれて円朝の噺(はなし)を聞きたかった、と述懐しているのは、地域雑誌の編集をしていた森まゆみさんだ(「円朝ざんまい」平凡社)。森さんは、円朝が収集した幽霊画を谷中の全生庵で見たことがあるそうだ▼近代落語の祖とたたえられる円朝は、牡丹燈篭をはじめ四谷怪談、真景累ケ淵など幽霊が登場する噺で、独自世界を築いた。二葉亭四迷が「浮雲」で言文一致体を創出したとき、円朝の語り口を参照にしたというから、その影響は現代の文章にも及んでいる▼暑い夏、怪談話で涼もうかと、函館市中央図書館に出かけ、円朝や小泉八雲の作品を読みふけった。これらがすばらしくおもしろい。引き込まれて読んでいると、なにやら背筋がぞくっとするような…▼夏はお化け屋敷の人気も高かった。狭い暗がりを恐る恐る行くと、ぬぅーと一つ目小僧やお岩さんやガイコツが飛び出す。子供はキャーと叫び、若い女性は恋人にしがみつく。クーラーはなくてもひんやりと涼しさが味わえた▼道南でも夏祭りが各地で開かれた。だがお化け屋敷は、出没しなかったようだ。横文字のホーンテッド・マンションがディズニーランドの人気アトラクションになる時代だ。日本古来のお化けは肩身が狭いのだろう。円朝が没して107年目の夏は、酷暑の余韻を残して更(ふ)けていく。(S)


8月18日(土)

●洗面器やコップに水を張り、ドライアイスを入れる。ぶくぶくと音を立て、乳白色の“煙”がわき出てくる。空気より比重が重いため、洗面器やコップのへりをはうように広がっていく。その様が何とも不思議で、子どものころドライアイスが手に入ると浮き浮きして水を用意した▼ドライアイスが関係する破裂事故に注意するよう、国民生活センターは注意を呼びかけた。ペットボトルにドライアイスを入れてふたをすると、ボトルが膨張して破裂する。8月には大阪府で小学生2人に飛散した破片が当たり、大けがをしたという。扱いようによっては危険な爆発物になる▼ドライアイスを入れなくてもペットボトルは破裂することがある。炭酸飲料を飲み残し、キャップを閉めて約1カ月間放置。破裂して80代の女性が大けがを負った事例が、国民生活センターに報告されている。炭酸ガスが充満したのが原因らしい▼開栓後に飲み残したペットボトルには、条件次第では細菌が混入し、発酵するという。温度が上昇しやすい車内では発酵も進みやすく、ガスが充満して破裂の危険性がぐっと高まる。夏場は特に注意が必要だ▼ことしの夏は、8月中旬の猛暑で「暑かった」という印象が強い。函館では観測史上4番目に高い最高気温33・0度を記録(14日)。ラストスパートで夏休みの宿題を片付けようとしていた子どもたちには厳しい残暑だったろう▼函館市内の小中学生にとってあす19日の日曜は、夏休み最後の日。どんな休みだったか、家族で振り返ってみるのもいいかもしれない。(K)


8月17日(金)

●東京シューレは22年前、東京北区で産声を上げた。いまでいうフリースクールのはしりである。当時は登校拒否と呼んでいた子供たちが、好きな時間にやってきてボランティアの先生から勉強を教わったり、本を読んだり遊んだりして過ごしていた▼開設したのは、教諭だった奥地圭子さんである。奥地さんは、息子が登校拒否になったことをきっかけに、同じ悩みを持つ父母とアパートの一室でシューレを始めた。そうした経緯は「不登校という生き方」(NHKブックス)に詳しい▼学校に行けない子供たちと日々接してきた奥地さんは、不登校は学校に原因の大半があると指摘する。いじめなど子供同士の関係、先生との関係、勉強が分からないなどが不登校という形で現れる▼保健室への別室登校、時間を限っての朝だけ登校、給食だけ登校、放課後登校などもあるという。不登校を少しでも減らしたいという学校側の苦肉の策だ。奥地さんが講演に訪れた県で、教師の休暇理由のトップが「生徒の不登校の悩み」と聞かされたそうだから先生方のストレスも大きい▼文部科学省の学校基本調査で昨年度、病気や経済的理由以外で年間30日以上欠席した不登校の小中学生が5年ぶりに増加した。特に中学生は、35人に1人が不登校で過去最多の割合になった。理由としては、いじめ自殺が相次いだことから、学校を忌避する保護者が増えたことが挙げられている▼シューレは都内3カ所のほか千葉県にも教室を開いた。駆け込み寺のフリースクールの全国的な広がりは、病む学校を象徴しているのだろうか。(S)


8月16日(木)

●「地球温暖化って何だ」「夏はどうして暑いの」――小5孫娘の夏休みの自由研究。国内の最高気温は1933年に山形市で記録した40・8度だが、先日は音更町の36・2度を始め、新得と芽室で猛暑日。函館でも33度など道内120か所の観測地点で最高気温に▼「暑いのはラニーニャ現象が影響しているようだよ」。太平洋東側の海水が冷たい一方、暖かい海水が西側のフイリピン付近に集まるため、その上昇気流が日本に流れ込む。ラニーニャが発生した夏の8割までが猛暑になっている。気象台は「8月の北海道は猛暑になる」と予報していた▼「温暖化は地球環境を破壊するとまで言われているよ」。温暖化が進めば、南極やグリーンランドの氷山が融けて海面が最大59センチも上昇、日本の3大都市圏で最悪1000万人が居住地水没の危険にさらされる。現に南太平洋のツバルで海面が上昇し“国が水没”寸前だという▼「地球の人口も増えて、水不足になるとも言われているよ」。国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の温暖化が人類や生態系に与える報告書によると、平均気温が3度超上昇すると深刻な水不足に直面する人口は数億人増えると予測。札幌では火災報知機の誤作動が230件も起きた▼この猛暑の中、石屋製菓の「白い恋人」が賞味期限を改ざんされ、アイスクリームからは大腸菌群が見つかった。食中毒が心配だ。製品廃棄は資源の無駄遣い。温暖化防止は1人1人の省エネから。お盆も過ぎたのに、暑中見舞いには「残暑」でなく「熱中症にご注意」と書かねば。(M)


8月15日(水)

●坂本九が歌ってヒットした「見上げてごらん夜の星を」は、発表から40年後の2003年、平井堅がカバーしたことで再び脚光を浴びた。永六輔作詞のこの曲は、もともと定時制高校生を励ます歌として作られたという▼分かりやすい歌詞といずみたくの美しいメロディーが、九ちゃんの代表的なヒット曲を生み出した。にきび顔の初々しい九ちゃんが、笑顔で歌っている映像を思い浮かべる方も多いだろう。東京オリンピックを翌年に控え、建設ラッシュが続いていたころだ▼九ちゃんの歌は、最大のヒット曲「上を向いて歩こう」や「明日があるさ」にしても人生の応援歌と言っていい明るさがある。だから今でもCMに使用されたり、カラオケで歌い継がれたりしているのだろう▼九ちゃんが、日航ジャンボ機の墜落事故で亡くなってから今年は22年目の夏だ。亡くなる直前まで道内ローカルテレビの福祉番組に出演していた。それが縁で、葬儀とは別に障害者が集まった「偲ぶ会」が開かれたことはあまり知られていない▼九ちゃんの命日に当たる12日を挟み、ペルセウス座流星群が夜空の天文ショーを繰り広げた。好天に恵まれたことから夏休み中の子供とともに夜空を見上げた父母も多かったのではなかろうか▼九ちゃんの歌は「小さな星の小さな光りがささやかな幸せをうたっている」で1番が終わる。62年目の終戦記念日のこよいは、戦争で死んだ人々や、事故の犠牲者、亡くなった友人たちを思い浮かべて、星を見上げてみよう。小さな光が何かを語りかけてくれるかもしれない。(S)


8月14日(火)

●戦後の食糧難の時代。「生めよ増やせよ」で家族や親類が多く、子守が子どもたちの日課だった。遊びたい盛りの小学4年だった臥牛子も、1歳児の手を引いて、毎日子守。ひもじく、海に潜ってサザエやタコをとった▼62年前の長崎の「被爆した弟を背負う少年」。秋になって河川敷の「焼き場」の前に、幼児を背負った10歳ぐらいの少年が並んでいた。弟と思われる幼児は既に死んでおり、荼毘(だび)に付す順番を待っていた。焼かれる間、かみしめた少年の唇には血がにじんでいたという▼戦時中は「直立不動で最敬礼」の姿勢を取るよう教わった。少年も米従軍カメラマンのレンズが向けられた時、学校の教えを守ったのか。「涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔。背筋をぴんと伸ばして…」(カメラマンの述懐)。いつでも、どこでも子どもは戦争の犠牲に▼かつてイランがイラク軍の防衛線を破るため、何万人という小中学生の義勇兵を集め、地雷原に突入させた。「死ぬと神の国にいける」という殉教精神で洗脳して。今でも自爆テロに少年が動員されている。学徒動員による終戦直前の特攻隊も狂言的な自爆にほかならなかった▼「被爆した弟を背負う少年」(長崎「グラウンド・ゼロ」展で公開)を撮影したオダネルさんが先日、85歳で亡くなった。罪悪感から44年間封印していたネガを反核運動に触発されて現像、各地で原爆写真展を開催してきた。「核廃絶し戦争はやめよ」―鎮魂の夏に吹く風の葉音に聞く。15日は「終戦記念日」。(M)


8月12日(日)

●真夜中に空襲警報が発令され、疎開中の子供たちが先生の指示に従って宿舎の外へ逃げ出した。恐怖の中、じっと闇夜を過ごし、気が付いたら自分たちが居たのは花畑だった。畑の持ち主は語った。「花は駄目になったけど、みんなが無事で本当に良かったね」▼小学校時代、担任教師から聞いた体験談だ。人の命ほど大切なものはないことを、当時の子供たちは身をもって知ったという。昔の学校の先生はみな戦争体験者で、このようにさまざまな場で児童や生徒に話して聞かせたものだ▼1945年7月14日の函館空襲や戦争の体験者に取材を重ねたことがある。記憶を詳細に語ることができる最年少は、当時の国民学校3年生だった。今では70歳になる人たちだ。一つ一つの証言は重かった▼空襲で両親が重傷を負い、8歳の時に見た惨状を語り継いでいる女性は「ひもじいという言葉を、今の子供たちに伝えることが難しい」と語った。「ただ、それを知らないことも幸せなのかも」とも▼「機銃掃射する戦闘機のパイロットと目が合った」「出征する兵士に『生きて帰って』とは言えなかった」「連絡船で遺骨が到着すると、一般乗客には知らせず、駅長が白い手袋をはめて敬礼で迎えた。駅員の心は重かった」…▼長崎市へ派遣された函館市の平和大使6人も、被爆体験者の講話などを聞き、戦争と平和を考え、帰函した。見聞きした内容はきっと、中学生たちの心の奥底に突き刺さったことだろう。戦後62年。体験者がさらに高齢化する中、平和教育や語り継ぎが今後、一層大切になる。 (P)


8月11日(土)

●「気は優しくて力持ち」。その言葉を改めて思い出させる光景を道内巡業中の大相撲一行がかもし出している。お相撲さんたちのハートは、その体のように容量が大きいのは見ていてすがすがしい▼福島町の巡業では、子供を抱き上げてニコニコ笑顔を見せる新大関琴光喜や、子供たちの挑戦をひょうきんなしぐさでさばいた高見盛の姿が印象的だった。財政破綻した夕張市では、横綱白鵬をはじめ力士たちが市民を励まそうと気軽に握手やサインに応じていた▼土俵内外での心配りは、礼に始まり礼に終わる相撲道の真ずいを体得しているからだろう。国技館で伊勢ノ海親方(元関脇藤ノ川)に会ったとき日本人横綱の誕生を期待していると語ったのが記憶に残る。魁皇が次の場所に優勝すれば横綱昇進が確実視されている時期だった▼国際化が進む相撲界とはいえ、心技体の「心」で全力士の手本となるような日本人横綱がいてほしいというのは、おそらく相撲協会の総意だ。実力の世界だからずば抜けた強さがなければ横綱になれないのは当然だが、国技の最高位に日本人がいないのはやはり寂しい▼朝青龍の騒動は、「心」が伴わないから起きたととらえるのは性急に過ぎよう。朝青龍は大阪場所では関西弁で謝辞を述べるなどファンサービスを心がけ、茶目っ気もある横綱だ。3年半もの間、1人横綱として角界を背負ってきた功績はだれも否定できない▼巡業中の力士とファンとのふれ合いを見るにつけ、朝青龍の不在を残念に思う。まず、けがを治し、気持ちを安定させ、もう一度闘争心に火をつけてほしい。(S)


8月10日(金)

●「一銭けれ 一銭けれ 一銭もらって何するの 釣りザオ買って 針買って…ヨーイ ヨーイ」「どんでしゃろ どんでしゃろ 江差の祭りにきてみれば 白い浴衣に赤たすき 何でもかんでも よいとさっさ ヨーイ ヨーイ」。元気に山車を引く子どもたちの掛け声▼伝説に1447年創立と言われる江差の姥神大神宮。渡御祭は京都祇園祭の流れをくむ絢爛豪華な山車が熱狂する北海道で最古のお祭り。道指定文化財の「神功山」をはじめ、応仁の乱以前からある京都の船鉾をまねた「松寶丸」や「源氏山」など大半は京都など関西製で北前船で運ばれた▼ペルシャ産の金糸で織った龍や虎、ベルギー製のゴブラン織タペストリーなど見事だ。今年は建造30周年を迎えた加藤清正の武勇人形をいただく本町の「清正山」2代目を大改修。装飾の金具などの輝きが復活した。もちろん、渡御では豊作・豊漁・無病息災を祈願する▼山車13基は17の町内会で支えているが、江差も少子高齢化になって、神輿(みこし)の担ぎ手がいなくなり、最近はトラックに載せての行列。祭り期間中は子どもや孫など江差出身者がどっと帰郷し人口が3倍にもなり、「いにしえ街道」などの山車引きツアーには観光客も加わる▼この姥神大神宮祭は鴎島入り口の「開陽丸」や元山に広がる風力発電群と並んで江差の観光資源。宵宮で魂入れをすませた13基の山車は下町巡行(10日)、上町巡行(11日)を繰り広げる。「ニシン漁華やかな時代が蘇える」と山車を曳く古老。笛、太鼓、お囃子で江差に活気を呼ぼう。(M)


8月9日(木)

●アメリカではウインターバードと呼ぶそうだ。ニューヨークやボストン、シカゴなどの寒い冬を逃れて、フロリダやカリフォルニア、アリゾナなど気候が温暖な土地で数カ月を過ごす。そして冬が過ぎると東部の自宅に戻る▼渡り鳥の連想から名づけられたらしい。もう数十年来、アメリカの中産階級以上の引退者が好むライフスタイルとして定着している。慣れ親しんだ自宅のほかに気候温暖地にセカンドハウスを持つ人たちも多い▼ウインターバードにあやかってか、北海道開発局が道外からモニターを募り、夏の間北海道に暮らしてもらう事業を始めた。今夏は道南の伊達市のほか滝川市、上川支庁下川町の3カ所が受け入れる。流入人口を増やし、過疎に悩む地域に活力を取り戻したいとの狙いだ▼下川町には7月下旬、第一陣のモニターがやってきた。滞在期間は1週間か2週間。受け入れ窓口の町地域振興課の話では、愛知県、静岡県、神奈川県の3組8人が10日まで町が地域交流施設として開設したセンターハウスに滞在している▼同町は、森林療法や林業体験など森林資源を生かしたまち興しを進めてきた。植林や間伐など森林の育成・管理に当たっている町森林組合は、従業員の半数がI・Uターン組だそうだ。そこにさらに新たな人材が加わることを町は期待する▼北海道は、本州に暮らす人々にとって住んでみたい魅力にあふれている。その魅力を伝え、受け入れ態勢を整備する。道開発局の新たな施策は、日本版ウインターバードの提案と、その先の定住へ展望を開くきっかけになるかもしれない。(S)


8月8日(水)

●東京江東区の埋立地「夢の島公園」。その一角に都立第五福竜丸展示館がある。展示されているのは第五福竜丸の船体と関連資料だ。開館から31年になる▼1954年3月1日、マグロ漁船の第五福竜丸は太平洋マーシャル群島付近で操業中、ビキニ環礁でアメリカが実施した水爆実験で、多量の死の灰を浴びた。乗組員23人のうち無線長久保山愛吉さんが半年後に亡くなった▼第五福竜丸は、東京水産大の練習船に改装されて使用されたが1967年、老朽化したため廃船になり、夢の島に打ち捨てられた。それを都の職員が見つけ、保存運動が始まって展示館開設にこぎつけた。修学旅行でもよく訪れる施設だ▼展示館に行ったときショップで一冊の写真集を買い求めた。土門拳の「ヒロシマ」である。土門が「世界にひとつしかない病院が、日本の広島にある。それは原爆病院である」と書いているように写真は原爆病院の患者を中心に撮影された▼ケロイドの植皮手術、首のがんのぽっかり空洞ができた患部、白血病で亡くなった男児などをありのままにモノクロ画面に焼き付けた。原爆小頭症の少女や顔にケロイドの後遺症を持つ夫婦と子供たちの写真もある。事実を記録しようとする土門の執念が伝わる写真集だ▼その写真集をアメリカ人の大学教師にプレゼントした。彼がどう受け止めたか感想は聞かなかった。だが原爆投下を「しょうがない」と発言した前防衛相とは違う反応だったことは、彼の食い入るように写真を見つめるまなざしから感じ取れた。広島に続きあすは長崎原爆忌だ。(S)


8月7日(火)

●元本割れのリスクを説明しないで売ったのだから原野商法並みと批判されても抗弁できないだろう。「あなたも国有林のオーナーになれます」。そんな口上で出資を募り、いざ満期になって損切りを強いる▼そりゃないよ、と出資者が怒るのはもっともだ。林野庁が鳴り物入りでPRした「緑のオーナー制度」が実は、ハイリスク投資だったとは、あいた口がふさがらない。環境保全に果たす森林の役割は大きいのにこれじゃ信頼を地に落とす▼しかも伐採した木が入札ではさばけず、価格を下げて随意契約で売ったケースでも落札と称していた。オーナーや国民に正しい情報を開示する姿勢があるのか疑いを抱かせる。国土緑化の一助にと協力した人たちの善意を踏みにじる行為だ▼道南でも昨年、知内町と乙部町のスギ林が入札にかけられた。50万円出資して戻ってきたお金は、知内が28万円、乙部が22万円だ。約20年寝かせておいた虎の子が、利子を生むどころか半分に減ったことになる▼林野庁は木材価格がこれほど下がるとは想定していなかった、と弁解する。確かに立木価格は20年間にヒノキやマツが3分の1、スギは5分の1に下落した。安い外材が入ってきて、国産材の市況が長期低落を続けているのは事実だ▼それにしても緑のオーナーの9割以上に損害を与えているのだから、責任は重い。「国がやることだから安心だ」「子や孫に資産が残せる」と応募した方も多いだろう。道森林管理局によると道内には延べ3600人のオーナーがいるそうだ。教訓=国が後ろ盾でも信用するな。情けないなぁ。(S)


8月6日(月)

●「どうして生き残ったのか」「幸せになっちゃいけないのか」。広島で被爆し父と妹を失って、生きていることの罪悪感に悩む。原爆症が重くなり死が近づく…。2人の女性を通じて原爆の恐ろしさを描いた映画「夕凪の街 桜の国」を観て来た▼日本は原爆を投下した米国にスイスを通じて厳重に抗議している。「国際法および人道の根本原則を無視し無差別爆撃をしてきた。新型爆弾は人類文化に対する新たな害悪。即時、使用を放棄すべきだ」と。こんな経緯を無視してか、原爆投下を「しょうがない」との前防衛相の発言は言語道断▼投下1か月後に、爆心地近くの学校で遺体を焼却するなど悲惨な光景を収めた動画(戦時中のニュース映画)にも胸が痛む。原爆詩人の峠三吉は先ほど見つかった「予言のうた」の中で「これらのうたは心に刻まるべきでない悲しみの叫び」と赤字で書いている▼1羽1羽に平和への願いを込めて、函館港小学校の児童たちが3万羽の千羽鶴を完成させた。ピアノ教室のアカシア会の子供たちも3千羽を折り上げた。長崎の祈念式典に出席する中学生6人に託す。「生きて、核兵器なんか捨てて生きのびて」。鶴の一声が聞こえてくる▼旧約聖書を解読したニュートンは「2060年には世界の終末がくる」と予言しているが、原爆や水爆がさく裂すると「世界の終わり」はもっと早まる。広島、長崎に散った30万の精霊たちは千の風になって「核兵器さようなら、世界平和こんにちは」と訴えている。6日は広島、9日は長崎の原爆祈念日。(M)


8月5日(日)

●横綱北の湖は、憎らしいほど強かった。組んだらまず敗れない。1970年代の全盛期には年数回、平幕相手に金星を献上したが、突き押し相撲に焦ったり、足を滑らせたりしたのがほとんど。少し極端だが、四つ相撲で横綱を破るのは横綱しかいなかった▼「輪湖時代」の横綱は輪島。がっぷり組んだ両者の動きが止まり、ある瞬間、北の湖が崩れ落ちた。呼吸に合わせ、輪島の「黄金の左」が決まった。「北若時代」は2代目若乃花。立ち合いから若乃花が両前みつを取り、一気に押し出した▼さて、朝青龍はどうか。北の湖の年間最多勝記録を更新し、1人横綱で3年半、大相撲を支えた。驚異的な足腰の強さを持つが、それでも北の湖の安定性、輪島の投げ、若乃花の柔軟さなどを見れば、簡単には朝青龍に軍配が上がらないように思う▼北の湖は相手を豪快に突き出しても、相手が土俵に戻るとき、手を貸さなかった。冷たい横綱と映ったが、「負けた力士に手を貸せば、さらにみじめな思いをさせる」との理由があった。実は高潔で温かい▼朝青龍は、終わった相撲でもさらにダメを押すような一番があった。それこそ負けた力士に失礼で、まげをつかんで横綱史上初の反則負けをしたこともある。車のミラーを壊したかと思えば、今度はけがを理由に夏巡業の休場を届け、母国でサッカーだ▼2場所出場停止の処分は賛否両論がある。ただ、土俵の外でも横綱は品格が求められる。体と技だけでなく心がそろっていた元横綱たちはいま、やんちゃな外国人横綱の素行をどう思っているのだろうか。(P)


8月4日(土)

●ねぶたの起源は、坂上田村麻呂の故事にさかのぼるという。蝦夷(えぞ)征伐に勇躍してやってきた田村麻呂を恐れてか、蝦夷はこもったまま出てこない。そこで田村麻呂は人形灯篭(とうろう)をこしらえ、はやしておびき出し蝦夷をやっつけた▼一計を案じた田村麻呂の機転に来歴を持つとされる青森ねぶたが、函館の街を練り歩いた。港まつりへの2年ぶりの参加は「青函ツインシティ」の電光掲示が示すように、新幹線時代を見据えた海峡都市の連携を象徴する▼港まつりは、「ワッショイはこだて」に繰り出す市民の熱気で最高潮を迎えた。イカ踊りに興ずる人々とそれを沿道で迎える人々とが、一緒になって盛り上げる。短い夏を心ゆくまで楽しむ人々の渦が街を活気付ける一大イベントだ▼グリーンプラザに出ている露店を見て歩いた。綿菓子売り、焼き鳥、たこ焼き、おもちゃ屋…。金魚すくいでは、お父さんが子どもよりも熱心に挑戦していた。1匹すくっては喜び、紙が破れては残念がる。おそらく幼い日がよみがえっていたのだろう▼作家の円地文子さんが「夏祭」という随筆の中で「子供のころののびやかだった時代への郷愁」と書いている。祭りのざわめきには、大人を子供時代にいざなう秘密の扉が隠されているのかもしれない。だから熱気の陰に懐かしさが秘められているのだろう▼港まつりはあすで終わる。宴の後には、いちまつの寂しさが漂う。そして広島、長崎の原爆忌、終戦記念日と死者を追悼する日がやってくる。〈斯(か)にかくに祭りも戦さも赫(あか)かった〉(平吹史子)


8月3日(金)

●石川さゆりが歌った「津軽海峡・冬景色」の歌碑は、青森港と旧三厩村(みんまやむら、現外ケ浜町)の2カ所にある。青森港の歌碑除幕式に出席した作詞家阿久悠さんが、うちの村にも造りたいと村長から求められ、了解したことから建立されたという▼阿久さんが初めてレコード大賞を受賞した「また逢う日まで」は、当初ルームエアコンのコマーシャルソングとして書かれた。それが売れず、「三度目のお色直し」にまったく別の歌詞を書いて尾崎紀世彦が歌い、大ヒットに結びつけた▼「愛すべき名歌たち」(岩波新書)に阿久さんが紹介しているエピソードだ。阿久さんは「なぜか売れなかったが愛しい歌」(河出書房新社)で、北原ミレイの「棄てるものがあるうちはいい」を「僕の好きな歌である」と述べている▼大ヒットした歌、あまり売れなかった歌、阿久さんは生涯に5000曲以上を作詞したという。演歌やポップス調、バラードなどまで、カバーしたジャンルは幅広い。世に送り出した歌手も数え切れないだろう▼作家としても優れた作品を書いた。映画にもなった「瀬戸内少年野球団」は、淡路島出身の阿久さんの自伝的小説が原作になった。戦後すぐのころ、まともな道具もない島の子どもたちが野球に打ち込む姿がすがすがしかった▼阿久さんが残した作品の言葉には、心にしみてくる深さがあったように思う。今夜はなじみの店に出かけ、「津軽海峡・冬景色」を歌おうか、それとも「北の宿から」にしようか。趣を変えて「勝手にしやがれ」か「熱き心に」もいいな。 (S)


8月2日(木)

●「あたしの海をまっ赤に染めて…あの夏の光と影はどこへ行ってしまったの」。石川セリのけだるげな声が、映画にぴったり合っていた。藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」は、1970年代初めの湘南海岸を舞台に無軌道な若者たちを描いた▼ベトナム反戦や大学闘争に挫折した若者たちが目標を見失い、せつな的な快楽を求めて漂う。日本の社会が騒乱の一時期を経て、次の時代に向かう過渡期だったからか、若者たちは奔放さの陰に不安なまなざしを宿していた▼黒澤明監督の「八月の狂詩曲」は、米人気俳優リチャード・ギアを起用したことで話題を集めた。映画が取り上げたのは、長崎の原爆である。ハワイから訪ねてきた甥(おい)におばあちゃんが、核兵器の恐怖について語って聞かせる場面が、印象深い▼海、若者、祭りそして原爆、敗戦、お盆。8月は躍動と静ひつさとが行き交う月かもしれない。函館では港まつりが始まり、街ににぎわいと華やぎがあふれている。市民の心を奮い立たせるきらめきの日々だ。久しぶりの帰省で、友人たちと再会を楽しむのもこの季節だ▼だが北国の盛夏は短い。祭りの熱気も数日間だ。その余韻が引くころには、忍び寄る秋の気配を朝夕に感じるようになる。お盆が過ぎると夏の名残も急速に薄れてゆく▼映画の巨星の訃報が相次いだ。スウェーデンのイングマル・ベルイマン監督に続き、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニ監督が亡くなった。藤田、黒澤の両監督も鬼籍に入っている。8月は死者を悼む月でもあることを改めて思う。(S)


8月1日(水)

●「小学6年生以上の旗行列、商工連合会他55団体約5000名の提灯行列」。函館市史が記している1922年8月26日の様子だ。その日、函館公園で市制施行祝賀式が行われた。祝賀行事は翌27日も続き、花電車が運行された▼85年前のきょう、函館市は北海道函館区から函館市に生まれ変わった。当時の人口は14万6855人。当初、6月に予定されていた市制施行は、7月上旬に皇太子の来道が決まったため延期されたという▼市史は「市と改められた函館が殿下を御迎へ申上ぐることは、最も結構なことと思って居りました」と新聞記事を引用して、延期を残念がる市民の気持ちを紹介している。だが、2カ月遅れたとはいえ、函館は札幌、小樽、室蘭、旭川、釧路とともに道内初の市になった▼いま道内17市のうち函館の人口は札幌、旭川に次いで第3位。若者の流出などの影響で人口は30万人を切るが、歴史と伝統が織りなす観光資源など地域の潜在力は高い。日本経済新聞が実施した「北海道の街イメージ調査」でも函館は北海道を代表する街の2位に入った▼訪れたい街では、札幌を抑えて堂々の1位である。同紙は「景色、食べ物、観光施設がそれぞれ5割を超える支持を得ており、観光地としての人気が安定している」と述べている▼函館は道内でもっとも早く開けた。海産物が代表するおいしい食べ物と温泉、歴史や文学のスポット、国内外と結ぶ航空路など他都市に比べ、恵まれた条件を備えている。それをどう生かすか。85歳の誕生日、函館の前途を仲間と語り合う日にしよう。(S)


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