平成20年8月


8月31日(日)

●毎年、終戦記念日が近づくと新聞やテレビは、戦争を取り上げた企画を展開する。本紙も8月9日付から5回連載で、函館市内の戦争体験者の話に焦点を当てた企画「あの日を伝えたい―戦争体験者を訪ねて」を1面に置いた▼どの社も、あの過ちを二度と繰り返さないために、戦争の悲劇を語り継いでいかなければならないと考え、地道に終戦企画を続けている。平和を希求する報道機関として、それは“使命”ともいえる取り組みだ▼原爆の惨禍を知る市民は63年たった今でも8月が近づくと眠れなくなる。部隊所属の男性は「日本の若者は死を運命付けられる消耗品のようなものだった」と振り返り、函館空襲で攻撃された青函連絡船の乗組員を父に持つ女性は「安らかに眠ってほしい」とただ願う。戦闘を体験した男性は死んだ仲間への鎮魂として、戦場の絵を描いている▼戦争の記憶を持つ市民の話を記録し、次代にその愚かさを伝えていく作業は、体験者の高齢化とともに難しくなっていく。だから一人でも多くの体験者の声に、愚直に耳を傾け続けたい▼取材記者のもとにはさまざまな反響が寄せられている。「次世代と次々世代に記したり、語ったりしていくのが我々年金世代の責務と考えています」との手紙も届いた▼北京五輪に沸いた8月…。その最中にグルジアとロシアが戦闘状態に入った。平和を願いながら、今年も夏は過ぎ去った。(H)


8月30日(土)

●〈農家の子供たちに名前を覚えられ、よく「イトー、アクスウバセ」(写真とって)と声を掛けられます。このように言ってくれるのは私のことをある程度覚え、信用してくれているのではないかと思っています〉▼アフガニスタンで武装グループに拉致され死亡した伊藤和也さん(31)が、ペシャワール会報に寄せた文章だ(中村哲編「丸腰のボランティア」・石風社)。使命感に燃えて活動している若者の姿が目に浮かぶようだ▼試験農場で小麦やトウモロコシの栽培を指導し、かんがい用水路の建設にも携わった。会報の別の号では、用水路の測量で水準点にペンキでマークを付ける作業をしたときのことを次のように書いている▼〈マークを踏みそうな子供に「このマークが消えると水が来ないぞ」と言うと慌(あわ)てて足を引っ込めたりと、小さい子まで水が来るのを待っているんだな〉。伊藤さんの文章には子供たちとの交流がよく登場する▼アフガニスタンは、紀元前にアレクサンダー大王が建設した都市も残る古い歴史に彩られた国だ。かつては豊かな緑に恵まれていた。だが、部族間の対立やソ連軍の侵攻、タリバンの支配と米軍の空爆などで国土の荒廃が進んだ▼伊藤さんは、そんなアフガニスタンを緑豊かな国に戻す手伝いをしたい、とペシャワール会を志望したという。志半ばで非業の死を遂げた伊藤さんの遺体は、きょう両親の元に帰る。(S)


8月29日(金)

●「鬼の出入りする方角として忌み嫌う」。鬼門についての日本語大辞典(講談社)の説明だ。他に「相性の悪い人」の使い方もあるそうだ。政治家にとって農水省は、巨大な鬼門らしい▼福田改造内閣で就任したばかりの太田誠一農相の政治団体が、秘書官の自宅を事務所として届け、事務所費を計上していた問題は、霞が関の鬼門を改めてクローズアップした。まじめに仕事をしている職員にはさぞ迷惑だろう▼昨年、3人の農相がカネの問題を追及された。松岡利勝氏は自殺、赤城徳彦、遠藤武彦の両氏は更迭された。太田氏は「問題があるとは思っていない」と強弁しているが、実態のない事務所に多額の経費を計上したことでは松岡、赤城両氏の事例と似ている▼入閣候補には、事前に「身体検査」が行われる。カネの問題や本人、家族の不祥事などが調べられる。大臣に就任してから問題が発覚しては、首相の任命責任が問われかねないからだ▼昨年の参院選で自民党が大敗した原因の一つは、農相を巡る政治とカネの問題が有権者の反発を招いたからだ。こう立て続けに問題大臣を抱えては、農水省幹部は鬼門よけのお祓(はら)いでも受けたい気持ちでなかろうか▼本館玄関の「農林水産省」の看板は、現省名に改められた当時の中川一郎初代農相が揮毫した。「北海のヒグマ」とあだ名された中川氏は、不祥事続きの後輩大臣を苦々しく見ているかもしれない。(S)


8月28日(木)

●“北のひめゆり”と呼ばれた樺太の電話交換手たち。先の大戦終結後の63年前の8月20日、旧ソ連軍の攻撃を受けながら「早く引揚船へ」などと叫び、住民を避難させた(テレビドラマ「霧火―樺太真岡郵便局に散った9人の乙女たち」)▼旧ソ連は、ポツダム宣言を受け入れて戦争・戦闘行為を放棄した日本に攻撃の手をゆるめず、南樺太を次々と占領。最後まで死守していた真岡郵便局の少女「やまざくら隊」は、青酸カリを飲んで次々と自決。その悲劇の2週間後、9月4日に北方四島も占拠された▼不法占拠が63年も続いている北方領土。ロシアはクリル列島社会経済発展計画と銘うち約800億円の巨費でインフラ整備を急いでおり、択捉島には2つ目の飛行場も建設。火山など売り物に観光事業にも力を入れている▼残念なことに、その北方領土の位置を正確に把握している日本人は7割に満たないという。特に道外の29歳以下の若者の5割以上は以北のウルップ島周辺と勘違いし、中には奥尻島や利尻・礼文島を選んだ人もいた(内閣府調査)。四島返還運動に焦慮感が募るばかり▼道内ではビザなし交流や北方墓参団に若者の参加が目立ってきた。先ほどの墓参団には13歳の少年も参加。五稜郭公園では渡島支庁の若い職員が返還要求の署名運動。今月は北方領土返還強調月間。「北方四島を早く日本に」と叫ぶ“真岡の乙女”たちの声がこだまする。(M)


8月27日(水)

●7年前に亡くなったフレッド和田氏は、東京五輪の実現に功績を残した日系2世だ。青果業で成功した和田氏は、フジヤマノトビウオと言われた古橋広之進選手や橋爪四郎選手が米に遠征したとき自宅に泊めて世話した▼食糧難が生活を苦しめていた1949年のことだ。日本の水泳チームにとっては戦後初の海外派遣だった。全米選手権の自由形で世界記録を連発した古橋、橋爪両選手の活躍の陰には和田氏の手厚いもてなしがあった▼水泳チームの後も和田氏は米に遠征する各競技選手団を親身に世話した。そうした実績と顔の広さを頼りにされ、和田氏は東京五輪の準備委員会委員に委嘱される。それからの和田氏は私財を使って中南米を行脚、東京開催を訴えて回った▼東京五輪が決まったのは1959年のIOC(国際オリンピック委員会)総会だ。東京の当確には、和田氏が根回しした中南米各国のIOC委員の票が大きく寄与したことが語り伝えられている▼64年に開かれた東京五輪は、日本に経済成長と生活の変革をもたらすきっかけになった。新幹線が開通し、高速道路網の建設が進んだ。欧米の豊かさに憧れ「進歩は善」という価値観が信じられた時代だ▼熱狂のうちに終わった北京五輪にも、44年前の東京と同じような高揚感があったに違いない。五輪旗はロンドンに引き継がれた。その次の2016年を再び東京が狙う。開催地が決まるのは来秋だ。(S)


8月26日(火)

●NHK大河ドラマ「篤姫」が人気だ。24日放送「公家と武家」では、孝明天皇の妹、和宮が江戸幕府第14代将軍、徳川家茂に嫁いだ。公武合体の政略結婚で、開国を迫られ揺れる政情の中で尊皇攘夷(じょうい)論が高まっていく▼攘夷の「夷」とは、えびす、外国人、未開人や蛮族、という意味である。「尊皇攘夷」は、すなわち天皇尊崇と外国人排斥。ちなみに邪馬台国を記した『後漢書東夷伝』は中国から見て「東の蛮族伝」との意味合いを持つ▼こうした考えは中華思想に基づく。自国の文化が最高で、周辺の国は未開であるという思想で、別名「華夷思想」ともいう。つまり「中華」とは世界の中心。「中国人はプライドが高い」と言われるゆえんだ▼しかし、中華思想は日本にもあった。初代征夷大将軍の坂上田村麻呂は「夷を征伐する大将軍」だ。この夷は東国の蝦夷(えぞ)で、奈良や平安朝廷にしてみれば、自身が「中華」。東国や南国に蛮族がいた▼「夷」は字面だけ見ると、「蛮」や「狄」(てき)などといった漢字から連想される侮蔑的なイメージはないものの、排他的な冷たさを感じる。漢字の意味や響きは重い▼中華の本家・中国は、五輪競技でも力を見せ付けた。金メダル獲得数はアメリカを抜いて堂々の1位。心配されたテロや事故もなく、五輪は無事に終了した。ただ、世界の民族問題は終わらない。人間や民族には本来、華も夷もない。(P)


8月25日(月)

●金メダルに輝いたソフトボール、残念ながらメダルを逃した野球は、どちらも日米の人気スポーツだ。ソフトボールは、最後に強豪の米を倒して悲願を果たした。野球は逆に、米に銅メダルを奪われた▼この両種目が次のロンドン五輪では競技種目から消える。両種目の除外は3年前の国際オリンピック委員会の総会で決まった。国際的な広がりが乏しいとの理由だが、愛好者が多い日本から見ると寂しい結論だ▼実況中継された北京五輪の各競技のうちでも両種目は茶の間のファンをテレビの前に釘付けにしたろう。特にソフトボールの上野由岐子投手は、決勝トーナメントの3試合を一人で投げ抜き新たなヒロイン伝説を誕生させた▼最終日のマラソンでケニアのワンジル選手が優勝したのもうれしいニュースだ。高校生のとき仙台に留学したワンジル選手は「がまん、がまん」を教わったとインタビューで答えていた。厳しい練習と忍耐が花開いた金メダルだ▼多くの名場面を残し、北京五輪が幕を閉じた。「中国の17日間」は、過剰な警備や開会式でのヤラセ発覚などの話題を集めた。だが、主役のアスリートたちの熱い戦いは、感動と興奮の心地よい余韻をもたらした▼次は2012年のロンドンだ。野球、ソフトボールはなくなっても日本が期待できる多くの種目は残る。閉会式ではサッカーのベッカム選手が登場してロンドン五輪へキックオフした。(S)


8月24日(日)

●ちょっと寝苦しい夜、何年ぶりかに1匹の蚊を見つけた。子どもの頃、もえぎ色の蚊帳の中で眠った。部屋の四隅からつり下げた蚊帳の中は海の底にいるようで不思議な気持ち。うちわで蚊を追い払ってサッと入るのがこつだった▼蚊帳は奈良時代から使われはじめ、素材は絹や木綿から室町時代に麻になった。蚊帳の中で家族が一緒に眠れることができて、親子の絆が深まるという利点もあった。しかし、昭和40年代にサッシ網戸などの普及で姿を消した▼今、その蚊帳が見直されている。赤道に近いアフリカ諸国でマラリア予防の切り札になっており、マラリアの病原虫を媒介する蚊を防ぐのに役立っているからだ。マラリアの感染者は世界で数億人といわれ、年間100万人以上が死亡。半数以上が5歳以下の子ども▼また、海外旅行から帰国の男性が西ナイルウイルスに感染したのは米国で蚊に刺されたことが原因というケースもあった。そこで、日本のメーカーは糸に殺虫成分を練り込み、5年間は虫を寄せ付けない“魔法の蚊帳”を作り、日本政府がアフリカに供与している▼ユニセフによると、1000万張の蚊帳があれば62万人の乳幼児が救えるという。今の蚊帳は寝ている乳児にすっぽりかぶせるベビー用など多様化しており、マラリアから守るにはもってこい。蚊帳の中にホタルを放った頃が懐かしい。「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」(加賀千代女)(M)


8月23日(土)

●夜の勤務を終え、外に出るとワイシャツの袖口から湿っぽく冷えた空気がはいのぼってきた。車のフロントガラスに水滴が着いている。月の光の青白さが増したのは、大気が澄んできたからだろう▼夜のとばりが開ける時刻も遅くなった。面白い本に出合ったり、深夜テレビを見て、つい寝そびれても空の明るみに気づくのは午前4時ごろだ。夏至のころと比べると1時間近く夜が長くなった▼北国の短い夏の終わり。函館は数日来のぐずつき気味の天候の後、気温は上がらない。25度を超す夏日は、この先あったとしてもわずかだろう。夏掛けのタオルケットをしまい、毛布を用意する時節だ▼夏休みが終了し、学校に子どもたちの歓声が戻ってきた。遊び過ぎたツケで、宿題が終わっていなかったり、書くことを怠った日記の記載に冷や汗を流したのは、大人になっても忘れ得ない記憶だ▼もっとも最近は心身のリフレッシュが大切との思いやりが教育現場にも浸透したからか、過剰な宿題は出さないらしい。だが夜更けの学習塾近くで見かけた生徒たちは、夏休みも受験勉強に励んだのだろう▼道北では昨日の最低気温が1・5度まで下がった。暑さが峠を越えるきょうの処暑を前に道内各地は、秋の澄明な空が忍び寄っている。半そでシャツが用済みになるのも近い。高値に泣かされた灯油価格が落ち着くよう願いながら、暖房器具を準備する日がまもなく来る。(S)


8月22日(金)

●〈私はいまでも離着陸のときは平静ではいられない。まわりを見廻(まわ)すと、みなさん平気な顔で坐(すわ)っているが、あれもウサン臭い〉。脚本家向田邦子さんの「ヒコーキ」と題した随筆だ▼まさか予期していたわけではあるまい。台湾へ取材旅行に出かけた向田さんが、航空機事故で急死したのは27年前のきょう22日だ。売れっ子脚本家で直木賞作家の51歳での事故死は、大きな衝撃となって伝えられた▼向田さんの名を高めたのは1970年代にTBS系で放映されたテレビドラマだ。下町の銭湯が舞台の「時間ですよ」と、石屋を営む頑固親父が主役の「寺内貫太郎一家」は、どちらも高い視聴率を稼いだ▼ホームドラマが人気を集めた時代だ。懐かしい場面や流行になったせりふを思い出す中年世代も多かろう。どちらのドラマも名物プロデューサーだった久世光彦さんの演出で世に送り出された▼久世さんが「触れもせで」(講談社)に向田さんが乳がんになったときのことを書いている。向田さんはすぐに病院に入らなければならないから「寺内貫太郎一家」最終回の台本を「あなた書いて」と頼んだという▼その時の向田さんは「怒っている」ように見えたと久世さんは記している。向田さんは「昭和」という時代の手触りをいとおしみながら言葉に紡いだ。昭和のいとおしさをドラマによみがえらせた久世さんも2年前の春に没した。(S)


8月21日(木)

●100分の1秒速く、より1センチ高く、アキレス腱痛で棄権…。終盤を迎えた北京五輪。「ロンドンでは金メダルを取りたい」「シューズをはくことはないと思う」。力を出し切った日本選手団の勝者も敗者も次々帰国▼各競技場で一糸乱れぬ「文明拉拉隊(ラーラートイ)」の応援風景が目を引いた。「拉」には「引っ張る」などの意味があり、日本では応援団やチアリーダーを指す。赤い帽子と黄色のスティックバルーンに隊名ロゴのTシャツ。模範的マナーで応援をリード▼約20万人が養成され、中国選手を応援するが、中国選手が出ない試合は負けている選手・チームの応援が原則とか。中には「競技を見るのは初めて。ただで五輪が見られる」という中高年の団員も。一方、自転車ロードレースの宮沢崇史選手の応援はただ1人だった▼小1で父親をなくした宮沢選手は母親に女手一つで育てられた。高校卒後、肝硬変で倒れた母親の生体肝移植で「家族だから当然」と自分の肝臓の半分を提供した。体力はすぐには戻らなかったが、海外で自分を鍛え直して五輪切符を手にし、全長245キロに挑んだ▼母親は万里の長城一帯を周回するゴール近くで応援した。86位に終わったが、家族愛の物語を残した。努力しても報われないこともあるが、努力なくして何も始まらない。悲喜こもごものドラマと感動を繰り広げる北京五輪。寝不足だが“模範的マナー”で応援しよう。(M)


8月20日(水)

●イライラ戦争と陰で言ったものだ。戦端を開いてから8年、いら立たしいほどの消耗戦をイラン、イラク両国は戦った。国連安保理の決議を受け入れ、停戦が発効したのは20年前のきょう20日だ▼日本から遠い両国は、一般にはなじみが薄い。歴史遺跡など多くの観光資源を持ってはいても、治安上の関係から観光客はあまり足を踏み入れない。隣国同士が険悪な関係にあることも関心事ではなかったろう▼その両国が戦争に突入したのは、1980年9月だ。きっかけは、石油積み出しの拠点となっていた国境線の川を巡る領有権争いだ。イラク軍がイランを急襲して戦争が始まった▼イランは前年、ホメイニ師が指導するイスラム革命が起き、国内が混乱していた。その好機を突いたのが、フセイン大統領率いるイラクだ。この戦争ではイラク軍が化学兵器を使用した▼両国の戦争に大国や周辺国もさまざまにかかわっていく。欧米や当時のソ連はイラクを支援、北朝鮮は逆にイランに武器や兵員を送ったとされる。また、イスラエルもイランを援助した。各国の思惑が不安定な中東地域に噴き出し、戦乱を長引かせた▼日本ではイラン在留邦人の脱出が大問題になった。自衛隊機の派遣は法律上不可能、民間機の派遣も困難だった。そのとき、200人以上の邦人を救ったのがトルコ航空機だ。親日国トルコに感謝する見出しが躍った新聞を思い出す。(S)


8月19日(火)

●函館市内のなじみの風呂屋に行ったら、入浴料金が30円上がって420円になっていた。道が審議会の答申を受けて上限額の引き上げを告示したのは今月1日。予想していたとはいえ、券売機の前で一瞬戸惑った▼これまでは汗を十分かいた後、ビン入り牛乳を飲んでも500円のワンコインで10円のお釣りがあった。風呂上りの冷たい牛乳をこれからは慎もうか、なんていじましい考えにとらわれる▼大きな湯船にゆったりつかれる公衆浴場は、手軽なリフレッシュの場だ。風呂なしアパートに暮らす学生や若者ばかりでなく、家風呂がある家族連れや年配者にもファンが多い。特に函館は、公衆浴場でも温泉が楽しめるから風呂好きにはパラダイスだ▼そんな庶民のささやかな楽しみに冷水を浴びせる値上げだが、経営の厳しさに直面する風呂屋の事情を知ると、我慢しなくちゃ、とも思う。値上げの最大の要因は燃料の重油の高騰だ。この1年で50%以上も上がり、1リットル100円を超す▼昔の風呂屋は「釜番のおじさんが毎日どこかの普請場に行って、オガクズや木片がギッチリと山のようにつまった荷車を曳(ひ)いて帰って」焚(た)いていた。東京銀座生まれの芸者・中村喜春さんの随筆の一節だ▼いまはそんな悠長な風呂屋はない。簡単便利な重油焚きの釜が普及して以来、原油市場の動向に経営が揺さぶられる。湯につかった気持ちよさが、つい冷め加減になった。(S)


8月18日(月)

●「曲がった松の木をどうすれば真っすぐに見ることができるか」。中国思想史の研究で知られた福永光司さんは幼少期、母親にこう問われた。母の答えは「曲がった木を曲がった木として、そのまま眺めれば真っすぐに見える」▼著書『荘子』(中公新書)のあとがきで述べている。福永少年はあっけに取られたが、言葉は深く脳裏に焼き付いた。そしてこのやり取りが、自身と荘子の結び付きを約束したようなものだと回想している▼福永さんが研究した老子や荘子は、無為自然を説く教え。自然に身を任せ、自由に生きる概念だ。人の評価も貧富も美醜もあるがまま受け入れ、死さえも解放する▼北京五輪開会式のアトラクションで、民族衣装に身を包み、中国国旗を手にして入場行進した「56民族の子供たち」の大半が漢民族だったことが分かった。「中国ではよくあること」(北京五輪組織委)らしい▼なぜ「56民族」と紹介したのか、との質問には「細かすぎる指摘だ。各民族の象徴だ」と答えた。開き直りにも聞こえる。歌を歌った少女の口パクや、足型を模した花火の映像の一部がコンピューター画像だったことも判明している▼だが、どんな過剰演出も「それが中国という木なのだ」と見ると、彼の国の演出や主張も少しは真っすぐに見えるような気がする。漢族に民族衣装を着られ、融和を演出されたチベット族らの無念さは察して余りあるが…。(P)


8月17日(日)

●いつも行くセルフのガソリンスタンドで、1万円を機械に入れて給油したら、つり銭がまったく出なかった。給油メーターは約57リットルを指している。レギュラーの価格は約176円だった▼燃料タンクがほぼ空だったとはいえ、1万円が一回の給油で飛んで行くのは初めてだ。間違ってはいないのか、その場で計算してみた。機械に誤りがないことを確かめるとため息が出た▼ガソリンの暫定税率が失効していた4月、同量を入れても7千円でお釣りが来た。そのころの価格から5割も値上がりしている。頭では分かっていても、財布の1万円が消えてしまったのは驚きを通り越して腹立たしかった▼ほぼ一本調子で上がっていた原油価格は、ニューヨーク先物市場で1バレル(約159リットル)145ドルを付けたのをピークに最近は120ドルを割り込むまで反落している。それがまだ末端価格に反映していない▼一時期軒並み180円を超えていた価格は、夏場の行楽シーズンを迎えて少し下がった。それでも高すぎるというのがユーザーの実感だろう。車が日常の足になっている道内では、家計にも痛い出費増だ▼2002年から5年以上も続いた景気拡大は、大手の製造業に大きな利潤をもたらした。しかし、その恩恵は、報酬引き上げの形で家計に回ることはほとんどなかった。そして日本は景気の後退局面に入ったらしい。薄い財布からさらに悲鳴がほとばしる。(S)


8月16日(土)

●ポ〜ニョ ポニョ 青い海からやってきた〜 デブっていてメタボな女の子・ポニョは「人間になりたい」とクラゲに乗って家出してきた。孫に「夏休みの宿題に書きたい」とせがまれてアニメ映画「崖の上のポニョ」を観てきた▼頭をジャムの瓶に突っ込んで漂着したところを5歳の少年に助けられた。「海からやってきた」というけれど、赤と白の単純な色の組み合わせと、ふわっとした体形は、どう見ても金魚。ポニョは妹たちの力を借りて人間に変身する父親の魔法を盗んだ▼少年と少女、愛と責任、海と生命がテーマ。施設で余生を送る高齢者を励ますなど、観ていると「水から生まれた地球上の生命」の大切さが伝わってくるね。金魚のルーツは約1700年前、中国で発見された“黄金のフナ”▼金魚は14年前、6匹の和金が女性飛行士の向井千秋さんと一緒に宇宙に旅立って「宇宙酔い」の原因を探る実験対象に。帰還した和金から受精卵を作って、8万匹のふ化に成功、全国の学校やイベントなどに提供、勉学に貢献している▼作中のポニョは「お魚」だけど、発想は「金魚」。崖の上で愛をつかんだ“ポニョ”、スペースシャトルの実験に役立った“宇宙金魚”。ポニョも金魚も見ているだけで心が和む。今度は「青い地球からやってきた〜」と歌って、宇宙人にも『生まれてきてよかった』と叫んでほしいね。(M)


8月15日(金)

●敗戦から60年の節目の2005年、岩波新書が「子どもたちの8月15日」を出版した。各界で活躍する国民学校世代33人が執筆した記録集であり、子どもの目から見た8・15前後が生き生きと描かれた本だ▼そのころの日本は、飽食の現代からは想像できない食糧難に直面していた。〈腹を極限まで減らした八歳の子〉は、敗戦の玉音放送を聞きながら泣き声を上げる大人たちをよそに疎開先の寺の庫裏に入る▼狙ったのはつぼに保管してある梅干だ。イラストレーター、山藤章二さんが「八月十五日の盗人」と題した一文に〈厳重に括(くく)られた油紙のふたを外し…三つ四つと食べ続けた〉と書いている▼日々の食べ物をどうやって手に入れるか、大人も子ども飢えに苦しんだ。祖父母や父母といった身近な人たちの話から伝わってくるのは、野草や雑草まで口に入れて空腹をいやした惨めな記憶である▼戦後63年、戦争を知る世代は少なくなり、記憶の風化が言われて久しい。だが、次の世代へ伝え続けなければならない記憶もある。戦争体験者の証言を集めた本紙の連載「あの日を伝えたい」は、そんな願いから生まれた▼戦争の悲惨さを伝えることは、平和の尊さを考えるきっかけにもなる。戦争と原爆犠牲者を悼む8月。ゲームとアニメでしか戦争を知らない世代にも、かつての日本の戦争の実態と戦後の平和について思いを広げてほしい。(S)


8月14日(木)

●家電量販店に登場した「100円パソコン」を早速購入した。珍しい物や新しい物が大好きな性格。店内で実際に品物を見て、この衝撃的価格にあっさり飛びついた▼パソコン本体は超小型で、持ち運びには最適だ。通常価格は数万円するのだから、容量が少ないことを除けば機能的にも問題はない。液晶画面は小さいが、キーボードだってしっかりしている。100円玉と引き換えに手にしたパソコンの小ささ、軽さに大満足。さてそのカラクリは…▼簡単に言うと、「1円ケータイ(携帯電話)」のパソコン版。パソコンとモバイルデータ通信サービスをセット販売し、通信料をやや高めに設定することで、端末(パソコン本体)価格を極端に下げるという仕組みだ▼通信サービスの契約は2年間で、期間中に解約すると、残りの契約期間から算定した解除料が発生する。通信料の月額料金は数千円になるので、2年経てば相当の額になる。はたして100円は安いのか▼大和総研が早々に分析し、長期契約の優遇措置を端末購入割引や料金に反映させる各種プランの登場に期待を寄せているが、いわゆる「損得」には言及していない。それは本人が判断することなのだから当然だ▼さて、手元にあるパソコンをどう有効に使おうか。サービスエリア内ならどこでもネットを楽しめるが、エリアは限られている。本人次第で100円の価値が変わる。(H)


8月13日(水)

●お盆には多くの先祖がこの世に戻ってくる。どんな道を通って帰ってくるのだろうか。学生の頃、お盆に精霊を迎える珍皇寺(京都市)の「六道まいり」に出かけた。十万億土まで鳴り響いて精霊を招く「迎え鐘」をついた覚えがある▼平安初期に創建された寺で、平安京の東の葬送の地に向かう道筋にあって、死者はこの辺で野辺の送り。本堂横には歌人、小野篁(おののたかむら)が冥土へ通ったといわれる井戸がある。昼は朝廷、夜は閻魔(えんま)庁に仕えていた伝説の人物▼以来、珍皇寺周辺がこの世とあの世の境“六道の辻”といわれるようになり、高野槙(まき)の葉で水をかけると、その葉に乗ってこの世に帰ってくるという。篁は朝廷の同僚が他界した時、閻魔王に「この人は正直でいい人だ」と言って、生還させたとか▼ウランバナ(逆さに吊るされている状態)で、激しい飢餓に苦しめられている母親の姿を見た息子(日連)が修行僧を供養して母親を救ったのがお盆の始まり。「死後の世界はあるのか」「死んでも魂は残るのか」などと自問しながら、精霊を迎える…▼あるテレビ番組で、お墓参りで「線香、水、花、食べ物」の供え物をあげる順番を問うクイズがあった。北京の平和の祭典をよそに、遠い国・グルジアでは戦闘が激化、多くの人が冥土へ…。花、水、線香、食べ物も必要だが、先祖が求めているのは「平和・安心・安全」という供え物だ。(M)


8月12日(火)

●鎮魂の8月。原爆忌の次は日航機墜落事故だ。23回目の「8・12」。夕方の6時24分すぎ、524人を乗せたジャンボ機に突然の爆発音、尾翼が吹っ飛ぶ。6時46分には「もうダメかも」の交信。旋回しながら急速に降下…▼近づく御巣鷹山。「後を頼む。無念」「もう飛行機には乗りたくない。どうか神さま助けて下さい」。メモ紙に乗客の走り書き。下界では同じジャンボ機に乗っていた歌手・坂本九さんの「上を向いて歩こう…」の歌が流れていた▼その惨状を報道する地方紙のデスクが主人公の映画「クライマーズ・ハイ」を観た。原作は5年前に横山秀夫さんが書いた長編小説。NHKでテレビドラマにもなった。クライマーズ・ハイとは、山での興奮状態が極限にまで達し、恐怖感がマヒした状態をいう▼生存者は4人。ヘリで救出された女の子の下で幼い子が「痛い、痛い」と泣いていたが、やがてその声が消えたという証言もあって…。デスクは大スクープに対する葛藤(かっとう)、他社との報道合戦などで極限状態に追い込まれていく。緊張感と臨場感の1週間▼史上最大にして最悪の航空機事故。幼い女の子を抱いたまま立ちつくす救助隊の姿が涙を誘う。風化は決して許されない。手書きの原稿が想像を絶する事故の悲惨さを伝えていく。主人公がつぶやく「チェック、ダブルチェック」は飛行機など『整備・点検を怠らないように』とも訴えている。(M)


8月11日(月)

●9世紀前半、最後の遣唐使として中国に渡った比叡山の僧円仁は、中国史上最大規模の仏教弾圧とされる「会昌の廃仏」に遭う。道教をひとえに信仰した皇帝武宗は、仏教以外の宗教も禁止した▼円仁の旅行記には、武宗がマニ教の布教僧を殺す勅命を出した、との記述がある。「マニ教は廻鶻(かいこつ)の教えである」というのが理由。廻鶻とはモンゴル高原を支配したウイグル族を指す▼中国の歴史は、漢民族と異民族との戦いの歴史でもある。8―9世紀の唐王朝には廻鶻のほか、チベット高原を支配した吐蕃(とばん)などの対外勢力があり、それぞれが流血の惨を繰り広げた▼民族問題は根が深い。1100年以上も前から同じような歴史が繰り返されている。漢族支配が強まる中、今年に入りチベット族が自治権の拡大を求めて暴動を起こした。さらに新疆ウイグル自治区に飛び火し、独立を求める勢力がテロを決行した▼民族自決や独立問題は、中国だけの話ではない。中国と良好な関係を築くロシアは8日、南オセチアの独立をめぐり、グルジアと軍事衝突した。平和の祭典「北京五輪」の開幕日だ。世界の関心が北京に向く中で、何か不可解な思いがする▼祭典は厳重な警戒体制下で開幕した。中国は五輪を前にチベットやウイグル問題の沈静化を図り、開幕式では国内56の民族が中国国旗を手に入場した。融和がいっときの演出でないことを祈る。(P)


8月10日(日)

●1964年、アジアで初めて開かれた東京オリンピックには、94カ国から選手・役員合わせて約7500人が参加した。日本が獲得したメダル数は、金16、銀5、銅8の計29個である▼44年後の北京オリンピックは、東京の2倍以上の204カ国・地域から選手・役員約1万6000人が集って開幕した。北京から生中継された開会式の模様を昨日未明までテレビでご覧になった方も多かろう▼記録映画を見ると、東京オリンピックでは選手たちが整然と入場行進している。表情には緊張感もただよう。サンフランシスコ講和会議から13年、オリンピックはスポーツを通じて日本の国際社会復帰をアピールする絶好の機会になった▼東京の開会式と異なり、北京の入場行進はリラックスした雰囲気に包まれていた。ビデオやデジタルカメラを持った選手が目立つ。知り合いに開会式の模様を実況中継しているのか、携帯電話を手放さない選手もいた▼中国が威信をかけて開催するオリンピックである。チベット族など少数民族の反政府の動きを力で封殺して漕ぎ着けた開幕だ。各競技は、平和の祭典の名にはふさわしくない厳戒態勢の中で繰り広げられる▼ともあれ4年に一度のスポーツの祭典が始まった。日本からは26競技に339選手がエントリーしている。メダル獲得の有望種目も多い。24日の閉会式までの17日間、汗と涙、感動と友情のドラマを私たちも楽しもう。(S)


8月9日(土)

●イスラム教の国では、夜明け前に一日の始まりを告げるアザーンをスピーカーから流す。聖地に向かって礼拝を呼びかけるアザーンは、イスラムの国に来ていることを思い出させる朗詠の響きだ▼インドネシアを旅行したとき、アザーンを聞きながらまどろみから目覚めた。敬けんなイスラム教徒は早朝にモスクに行ったり、自宅でメッカの方角に礼拝することを知り、無信心の身を恥じたものだった▼インドネシアは世界最大のイスラム教国である。総人口の4分の3を超す約1億7000万人がイスラム教徒といわれる。そのインドネシアからにこやかな笑顔を浮かべて看護師と介護士の候補者がやってきた▼経済大国への期待と夢を抱いての来日だ。これから半年間、日本語や生活習慣の研修を受けた後、来年早々には老人ホームや病院などの施設で働く。待遇は日本人職員と同等というから、インドネシアの水準と比べると高給に相当する▼介護・医療分野は人手不足が深刻化している。仕事がきついことに加え、介護労働は低賃金が離職者の増大を招いている。そうした事態をいくらかでも改善したいと初めて外国人労働者に門戸を開いた▼だが、日本側の受け入れ基準が厳しく、応募者は低調だったそうだ。今回の来日は205人。60%を占める女性はイスラムを示すスカーフを着用していた。アザーンの流れない国でパイオニアたちの挑戦が始まった。(S)


8月8日(金)

●マスコットの福娃(フーワー)たちが「北京歓迎=ようこそ北京へ」と呼び掛ける。「北京奥林匹克(オリンピック)運動会」。2008年8月8日午後8時8分(現地時間)。開幕の日時も縁起がいいとされる「八」をずらり重ねた▼漢字文化圏での五輪開催は3度目。44年前の東京五輪の時、日本は高度経済成長期の真っただ中だった。20年前のソウル五輪も“漢江の奇跡”といわれた韓国経済の成長期。それから20年後の北京五輪もまた、目覚しい経済成長を走っている最中の開催▼スローガンは「同一個世界 同一個夢想(1つの世界、1つの夢)」。五輪は国力を誇示する場ではないが、豊かな国の総力をあげて選手をサポートする意味では心強い。「より速く、より高く、より強く」を目指し、日本から過去最多の339人が出場▼道産子アスリートは17人。柔道女子の上野雅恵選手(旭川市)と射撃の福島実智子選手(八雲町)、自転車ロードの沖美穂選手(清水町)はシドニーから3大会連続出場。今季世界ランク3位の競泳女子の種田恵選手(札幌市)、陸上短距離の福島千里選手(幕別町)ら▼平和の祭典を開くのに、メーン会場の「鳥の巣」をテロから守ろうと周辺に地対空ミサイルを配備するなど物々しいが、北京の地で築かれた巨大な「鳥の巣」は偉大な記録・成績をはぐくんでくれるだろう。道産子選手が熱く繰り広げる「金」のプレーを応援しよう。(M)


8月7日(木)

●子どものころ、夏休みが始まると読書感想文を書くための本を買いに親と本屋に行った。伝記や自叙伝を与えられ、「こんな人になりたい」とよく書いた▼最近、「コピペ病」が子どもから大人までに広がっている。コピペとは、インターネット上などにある文章をコピー(複写)し、ペースト(張り付け)すること。他人の文章を自分のものにしてしまうのである。これが子どもの読書感想文に用いられているという▼芥川龍之介などの本について子ども向けの読書感想文を紹介するサイトがある。そのまま使うも、加筆しても良いとしている。面倒な読書感想文はこれで済まし、夏休みをエンジョイしようとサイトに書かれている。文例集というより感想文代行である▼利用の注意事項には「ばれそうになったらオリジナルであることを言い張る」などとある。本当にこれを使って学校に提出するのであろうか▼大人のコピペ病は、他人の研究発表を用いて自分の論文にする大学生、本の一部を丸写しにして出典も示さない筆者など枚挙にいとまがない。当然、「盗用」とされ、見舞いではなく処罰を受けなけらばならない重病だ▼大人は書き間違えると修正液を使い、文章や履歴書までを直す。市内の習字作品展では、修正液で墨を塗り提出する子どもがいるという。子どもは大人を見ながら成長する。悪いところもすぐ真似することを忘れてはならない。(R)


8月6日(水)

●死の床で「トマトが食べたい」と言った妹が原爆で死んだ。母親が買って来るのを待たずに。小5の姉は「いもばっかりたべさせて ころしちゃった お母ちゃんは ないた…」と詩に母親の嘆きを書いた(「涙あふれるいのちの言葉」ポプラ社)▼鎮魂の夏。終戦を伝える1945年8月15日付の毎日新聞を読んでみた。1面トップに「四国宣言を受託 萬世の太平開かん 新爆弾・惨害測るべからず」の見出しで、有名な「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」などの詔書▼いわゆる昭和天皇の玉音放送で「他国の主権や領土の侵犯は私の意思ではなかった。一億国民の努力にもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、加えて原爆の破壊力のすさまじさに、このまま交戦を続ければ、ついに日本民族の滅亡を招く」とある▼この玉音放送の9日前に世界初の原爆が広島に投下された。想像を絶する威力、地球を破滅に導く悪魔の核兵器。その3日後には長崎に。一瞬のうちに血と炎の海と化した地獄絵は「はらわたを引き裂かれるような思い」(玉音放送)だった▼玉音放送は最後に「永遠の平和に踏み出そう」と呼びかける。ヒロシマとナガサキの悲惨な体験から「ノーモア核兵器・戦争・被爆者」の訴えが広がった。世界の子どもたちが悲しい詩を歌わないように、1羽の千羽鶴を折ろう。きょう6日は広島原爆記念日。(M)


8月5日(火)

●愛猫菊千代と並び、バンザイポーズで寝ている赤塚不二夫さんの写真を思い出す。菊千代は19年間赤塚さんに飼われた雄猫だった。名は黒沢明監督の映画「七人の侍」で三船敏郎が演じた役から取った▼菊千代は、CMの人気スターだった。その人気は飼い主の赤塚さんをしのぐほどで、出演料を管理する菊千代名義の通帳まで作ったそうだ。だが、稼ぎの大半は、赤塚さんが飲み代に使ったという▼東京青梅市にある赤塚不二夫会館を訪れたことがある。旧街道沿いの民家に映画看板が掲げられている。チャップリンの「モダンタイムス」や黒沢監督の「用心棒」などを見つけた。市内在住の看板絵師が描いた▼そんな昭和レトロが息づく街に2003年、会館はオープンした。正面には「天才バカボン」のパパが逆立ちした像がある。二階建ての内部には、「シェー」のポーズを取るイヤミの像や赤塚作品の原画、写真などが展示されていた▼赤塚さんのギャグ漫画は、ナンセンスな笑いの中にカラッとした天真らんまんさが宿っている。それが幅広い年代層に受けた理由だろう。「あしたのジョー」に憧れた1960、70年代の全共闘世代にも隠れたファンが多かった▼赤塚さんは98年に食道がんの手術を受けてからも酒とたばこを手放さなかった。みんなを笑わせるギャグは、酒のグラスと煙の中から生まれた。数々のエピソードを残し稀代の漫画家は旅立った。(S)


8月4日(月)

●渥美清さんといえば、だれもが映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんを思い浮かべる。シリーズは、1969年から27年間に48本が作られ、国民的人気映画の地位を不動にした▼〈わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い…〉と歯切れよく口上を述べる寅さんの声が耳に残る。映画はテレビでも繰り返し放映されたから、多くの方が何本かは見ているだろう▼渥美さんは、俳優森繁久弥さんを尊敬し、慕っていた。実は、まだ無名の渥美さんの才能を見抜いたのが森繁さんだったという。森繁さんの著書「もう一度逢いたい」(朝日新聞社)に次の記述がある▼〈黒柳徹子の後ろを、訳の分からぬ男が時々ニイッと笑って通り過ぎて行くのだが、これが渥美清であった。それが何とも言えぬおかしさを誘った〉。60年代にNHKテレビで人気があった青春コメディ「若い季節」の場面だ▼それがきっかけになって、渥美さんは森繁さん主演の映画に声がかかり、森繁劇団の旗揚げ興行にも出演した。渥美さんが寅さん役で人気者になる以前である。森繁さんは、渥美さんの役者人生を花開かせた恩人でもあった▼渥美さんは「風天」の俳号で俳句をたしなんだことでも知られる。その俳句を集めて「風天 渥美清のうた」(森英介著・大空出版)が最近刊行された。きょう4日は渥美さんの13回忌。あの世で一句ひねっているかもしれない。(S)


8月3日(日)

●「森町には駒ケ岳があり、営林署は防災面からも必要不可欠。大きな機関へ小さな機関を統合する行革は間違いで、中央はその機関が地域にどれだけ貢献しているかを見ていない」。森営林署の統廃合が懸念された1998年5月、森町の湊美喜夫町長が熱っぽく語った▼国有林野事業の抜本改革で、営林署を抱える渡島管内の町長は廃止に猛反対した。だが、訴えは届かず99年、森や木古内の営林署は廃止され、八雲町に新設された渡島森林管理署に統合される▼森町では2002年、火山観測に重要な測候所も廃止され、危機感が募った。しかし、地域の防災力は維持しなければならない。そうした背景で整備されたのが町消防防災センターだが、建設工事発注に絡み、町長が偽計入札妨害の疑いで逮捕された▼町長から容疑者へ。転落は一瞬だ。なぜ湊容疑者が東急建設と町内業者の共同企業体が落札できるよう指示したとされるのか、疑問も多い▼不正を働いたのであれば司直の手で、厳正な裁きを受けることになる。ただ、湊容疑者は全国でも先進的な火山防災対策を進めた点は特筆される▼周辺5町で1980年、駒ケ岳火山防災会議協議会を設立。全国でいち早く、噴火被災地域を記したハザードマップを作製した。小噴火で入山規制が続いているが、先日は2年目となる防災教育登山を実施した。町は揺れ動いても、こうした取り組みは継続が必要だ。(P)


8月2日(土)

●国会議事堂と道路を隔てた議員会館にランの鉢植えがあふれるときがある。ランの届け先は、大臣に任命された議員事務所。時には事務所内に入りきらず、廊下にまで鉢植えが並ぶ▼ランは一鉢3万円から5万円もする高価な花だ。それが数十も事務所や廊下を埋める光景は壮観だ。贈り主は、支援者や企業トップ。中には親しい芸能人からのランもまじり、議員の交遊関係の広さを物語る▼内閣改造が行われた1日、晴れて大臣に決まった議員の事務所は、ランの鉢植えが次々と運び込まれたろう。事務所にはお祝いに駆けつける人々が引きも切らず訪れ、電話も鳴り続ける。事情は地元事務所も同じだ▼特に待望久しい初入閣組には、人生で最も晴れがましい日だろう。大臣と呼ばれ、護衛の警視庁SPが付き添う日常がやってくる。今回の改造では5人の新大臣が誕生した。17閣僚のほぼ3分の1が新顔だ▼前内閣の閣僚を引き継いだ福田康夫首相にとっては初の自前内閣だ。だが、この時期に改造に踏み切った首相の意図については、さまざまな観測が流れている。「低迷する支持率アップを狙った」「解散総選挙を自らの手で行う意志を示した」▼政治の課題は山積している。後期高齢者医療制度、消えた年金、原油高と物価高騰など庶民の生活に密接にかかわる。ランに囲まれ、高揚感に包まれるのはほどほどにして、ぜひ仕事本位の「安心実現内閣」を。(S)


8月1日(金)

●〈挙句の果てに〉の意味で使われる〈とどのつまり〉のとどは、魚のボラのことだ。出世魚のボラは、オボコ、スバシリ、イナ、ボラと名が変わりトドで止めを指す▼変化する呼び名の中で、イナの背びれに似た髷(まげ)の結い方を〈いなせ〉と言った。魚河岸が日本橋近くにあった江戸時代、河岸で働く若者の髪型がカッコ良くて見栄えがしたことからほめ言葉に使うようになったという▼江戸っ子は、粋(いき)でいなせで気風(きっぷ)が良いのが、身上とされた。その江戸っ子気質(かたぎ)が最高に発揮されたのが、祭りどきである。神田祭、深川祭といった大きな祭りでは、肩で風切る若衆が主役になった▼祭りは、心が弾む一大イベントだ。それは江戸の昔も現代も変わりがない。子どもも大人も年配者も、祭りどきには、気持ちが浮き立つ。江戸っ子のように粋でいなせで気風が良くてとはいかなくても、参加の高揚感は味わえる▼函館に祭りの季節がやってきた。街に繰り出す山車が装いを整え出番を待つ。たんすに仕舞いこんだ浴衣を取り出し、親に着せてもらう子どもたちも多かろう。金魚すくいや輪投げ、飲食の露天のにぎわいも祭りに欠かせぬ点景だ▼作家の五木寛之さんが自ら編さんした随筆集の後書きに「祭りの記憶は…歳月を経るにつれて懐かしく、うつくしい」と書いている。開港から歴史を刻んで149年、港まつりが開幕した。(S)


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