平成15年7月


7月31日(木)

●函館野外劇が6公演を終え、後半に入った。10日間の公演中、毎年気になるのが天候と観客の入りだが…。雨で1回流れ、気温が低い夜続き。その影響もあるのか観客数は昨年を上回っているものの、期待レベルには今一つ。関係者の熱い思いは残り4日間に▼「函館の夏を彩る」の冠が最も相応しいと言わせる野外劇。今年はシナリオを一新、一段とドラマチックに生まれ変わったほか、舞台装置がより大掛かりになり、新たに誕生したテーマ曲も話題に。大きく広がったボランティアの輪が公演を支えている▼これまでに終えた5回の総観客数は2744人といい、1回平均549人。もっと入っていい、そんな思いもするが、昨年を上回る流れになっているのが救い。函館市外からの団体客が増えているのもうれしい。本紙によると、新舞台の評判も「総じて良」と出ているようだ▼「演出が良く新鮮な感じがした」「色彩的にも豊かになり面白かった」「話の内容が濃くなってバージョンアップしている」などの声を紹介したが、フィナーレで出演者と観客が感動を共有しあう光景はその証。残る公演はあと4日(31日、8月8、9、10日)▼観ないことにその良さは語れない。観に行こう、地元の人間として「野外劇、知りません」では恥ずかしい。どうしても都合がつかないなら、せめてテレビで。NHK教育テレビで8月2日午後9時55分から(同11時半まで)放送される。そして発信しよう、野外劇は素晴らしい、と。(A)


7月30日(水)

●デフレの時代だから7割引きの商品は珍しくもないが、こと住宅となると、話は別。「まさか」の気持ちが先に立つ。いくら売れ残りだからといって、建築後8年しか経っていないマンションである。まともに買わされた住民が怒るのも無理はない▼民間のことなら理解も出来る。このケースは東京都の住宅供給公社で、有名な多摩ニュータウンでのこと。2LDKで当時5100万円だった物件が、5年前に25%下げても売れず、やけくそか今回設定した価格は何と1300万円。65室に申し込みが殺到したのも頷ける▼空き室の管理費がかさむ事情はあろうが、公平感を考慮し、下げるにも限度があって然るべき。これでは「経営感覚のない官事業の典型例」と揶揄されても反論の余地がない。サン・リフレ函館もそうだが、今、雇用・能力開発機構が勤労者福祉施設を二束三文で処分して問題になっている▼本質は同じで、完成時に契約した入居者にとっては、それだけでも気分が悪いのに、資産価値まで下がるのだから踏んだり蹴ったり。その人たちの心情に思いを寄せるより、公社にあるのは採算を無視してでも売り終えたいといった姿勢だけ。気楽な稼業というしかない▼結果的に高く買った“旧住民”と安く買った“新住民”との間がしっくりいかなくなることが、無きにしも非ず。公社にその痛みを感じる神経がないのは分かっているが、責任論すら出ていないのには呆れるばかり。あの北海道住宅供給公社も、ここまではしなかったはずだが…。(N)


7月29日(火)

●「統計は世相を映し出す」と言われる。確かにその通りで、経済が疲弊している近年は、暗い気持ちを強いられる統計が圧倒的に多い。先日、警察庁が発表した自殺統計はその最たるもので、年々増えて、この5年は連続して年間3万人超え続き…▼それによると、昨年、自ら命を絶った人は3万2143人。10年前の1993年は2万1000人ほどだった。増える傾向は覗いていたが、それでも97年は2万4000人台。それが3万人を上回るようになったのは、雇用情勢がいっそう悪化し始めた98年から▼1日平均全国で88人は、あまりにも多い。この人数もさることながら目を向けなければならないのは、「経済・生活苦」が動機になった人、中高年の人が増えていること。引き続き「病気・健康問題」が半数ほどを占めてはいるが、増え方でみると「経済・生活苦」が際立つ▼昨年の場合でも25%を占める7194人。そのうち「負債」が4143人で、前の年に比べ600人余り増えているほか、「事業不振」が1098人、「失業」が100人以上増えて683人。その数字の裏に借金やリストラなど厳しい経済情勢が浮かび上がってくる▼それにしても辛いのは、家出人統計もそうだが、家族を抱える中高年の人が増えていることで、50歳以上は1万9581人と61%も占めている。「こんなにいるの…」。感想はともかく、データは紛れもない現実。ここまでくると、もはや個人の問題という域を超えている。(N)


7月28日(月)

●国会の“戦闘地域”は議長席や委員長席の周辺か。参院外交防衛委で質疑終了直後に委員長を守ろうとする与党議員と阻止する野党議員がもみ合った。髪をふり乱し、膝上10センチのスカートの縫い目がほぐれた女性議員。しかも机の上に乗っての“乱闘”▼そんな中、成立した「イラク復興特別措置法」の全文を読み返した。日本はイラク戦争を支持したのだから、医療、物資などの復興支援は国際的な責務。自衛隊だけではなく国・地方の公務員や民間人を復興支援職員として採用することも想定している▼米政府は「人道・復興支援、軍事的役割を促進する日本の決定を歓迎する」(毎日新聞)と言い、軍事的役割も期待している。問題は小泉首相が「分かるわけがない」と開き直った「自衛隊の活動地域は戦闘が行われておらず、活動期間中も戦闘が行われないと認められる非戦闘地域」▼バグダッド近郊では連日のように米軍がゲリラ攻撃を受け死者は開戦以降、160人を超えた。イラク武装集団幹部は「自衛隊が米軍に協力すれば攻撃対象になる。みんな殺してやる」と明言、米軍が去ったあとなら歓迎すると言っている。米軍の“尻ぬぐい法”では困る▼仏のテレビは与野党がもみ合う映像を流し「柔道と空手の合体。戦闘地域への部隊派遣に道が開けた」と報じた。今の基準では、イラクで近づいてくる人物が怪しいからといって発砲はできない。徹底的に現地を調査して、基本計画を策定すべきだ。自衛隊は九州の集中豪雨、宮城県の地震の災害地で救援活動に懸命だ。(M)


7月27日(日)

●悩ましげにお墓にもたれる若い女性。水仙の花を持って、赤とんぼが舞う長羽織。その裾から覗く黄八丈に黒衿。髪は大島田。かすかな風に線香の煙がなびく。空には眉のような細い三日月。明治30年代に「たけくらべ」の世界を描いた美人画「一葉女史の墓」▼樋口一葉の熱心なファンだった日本画の大御所、鏑木清方の口ぐせは「うまいものと言ったら鰻と天ぷら」。誕生日や土用の丑など、いつも鰻を食べていたという。鏑木にとって鰻は、小説のヒロインが作者の墓前を訪れるという実際にありえない奇妙な絵の筆力源だった▼7月はウナギの月。国内消費量は約15万トン。柳の葉っぱのような幼生から稚魚(シラス)に成長させるのが難しく、99%は日本や中国沿岸にたどり着いたシラスを取って養殖されている。東アジアのほか、フランスなどの欧州種、さらに米西海岸、オーストラリアからも入ってきている▼そんな中、先月下旬に中国産の冷凍ウナギの蒲焼から抗生物質を検出、約8200キロが回収された。微量で人体に影響はないようだが、蒲焼などは国産のウナギかどうか判別できないため、農水省はDNA鑑定に踏み切った。もちろん、安全な蒲焼提供のため原産表示の徹底が狙い▼ウナギは天然のジャポニカ種が一番。最近は薄くて丈夫で軽い皮から出来たウナギ・ジャケット(1着に200匹使用)もお目見え。水中で身をくねらせて垂直にのぼる「鰻登り」のように景気も回復してほしい。「たけくらべ」の日本美人と一緒にウナギを食べよう。きょう27日は「土用の丑の日」。(M)


7月26日(土)

●「夏はどこへいったんでしょうね」「ストーブをつけてますよ」「この時期なのにね」「農作物は大丈夫なんでしょうかね」。そんな会話があちこちで交わされる。8月を目前にした時期だというのに、函館・道南では気温は低いし、日照時間も少ない▼夏には夏、冬には冬の気象概念というのがあり、外れていると誰しも違和感を覚えるもの。その感じる度合いも人によってそう違うものでない。だから前段のような会話になるわけだが、この1カ月を振り返ると、それも頷ける。6月23日以来、夏日(25度以上)がない▼海水浴場がオープンし、港祭りも近づいてきた。だが、天気がこのままでは…。清涼飲料水やビール業者などの表情も曇りがち。農作物の生育も心配になってくる。この「おかしいぞ」は、ここばかりでない。本州の梅雨明けも遅れて沖縄などを除くと、まだ九州の南部だけ▼東京などでは8月へのずれ込みも予想されている。北海道上空に居座るオホーツク海高気圧が強すぎる影響と言われるが、実際に函館の7月上旬の平均気温は平年の17・9度に対し15・7度。中旬も17・1度(平年19・3度)までにしかならず、かなり低いレベルに▼さらに日照時間も少なく、7月上旬で平年の半分以下の20・5時間、中旬も34・5時間。雨や曇りの日が多かったことを端的に物語っている。25日午後は薄日が差し込んだが、きょう、あすは…。9月に入ると、急速に秋の気配が漂い始める。「夏らしい日よ早く」。そんな叫びが聞こえてくる。(H)


7月25日(金)

●永田町の論理が、またまた表面化した。自民党だけで勘弁してほしいのに野党からも。それは突然の、しかも政策を妥協しての民主党と自由党との合併。菅・小沢氏が政権交代を強調し、きれい事を並べているが、これほど露骨な政党合併も珍しい▼というのも、これまでの経緯がある故。自由党には自民党と連立を組んだ過去があり、小沢氏自身、過去に「政策の一致が前提」と繰り返してきた人。それが、今度だけは政権交代のためだからと強弁、一方の民主党も条件をのむならそこは問いません、というのだから▼しかも、今年1月には合併を白紙化し、5月末の段階でも無理と言っていたはず。とすれば、無理でなくなった理由を明確に説明すべきである。確かに選挙結果によって政権交代の可能性がないわけではないが、この一言がすべてというのでは説得力に欠ける▼8党会派が支えた細川連立政権に象徴されるが、55年体制が崩れた後、わが国は多党化の時代に。ただし、その後は離合集散を繰り返して、残してきたのは政治不信。政党不信という言葉とも重なるが、残念ながら今回の合併劇を払拭の流れと見る向きは少ない▼解散総選挙が差し迫っている。議員にとっては当選こそ至上命題。今まさに損得を考える時期であり、合併を押し切るには究極のタイミングだった。しかし、それはあくまで党内論理。党名、執行部ばかりか政策も民主党のままで変わらないから、をもってよしとするなら、選挙区調整の合併と揶揄されかねない。(N)


7月24日(木)

●辻元清美前代議士らが逮捕されて1週間。改めて秘書給与流用問題の根の深さを教えられる。何で今ごろ、という声も頷けるが、だからと言って責任を回避できるものでない。本人はもとより、所属していた社民党の土井たか子党首も含めて▼国会議員の金にまつわる疑惑が表面化して久しい。司直の手が入る度に、どれだけ逃げ口上を聞かされてきたことか。国会の場でそれを厳しく批判してきたのが社民党であり、ほかならぬ土井党首だった。テレビなどでの颯爽たる姿が国民の目に焼きついている▼なのに、1日遅れて行った記者会見は…。少なくとも自らに降りかかってくると、こうも違うものか、という思いを抱かせてしまった。映ったのは逃げと開き直り。説明責任の欠如を指摘されて当然であり、党の支部からは辞任を求める動きも。さらに追い込まれるのは目に見えている▼発覚後、辞めさせたとはいえ、長年にわたり秘書だった人物が逮捕されている事実はあまりにも重い。しかも鍵を握る立場の指南者を果たしていたことが明らかになっては。この場合、「知らなかった」は「記憶がない」と同意語。負い込まれた末の判断では晩節を汚しかねない▼紛れもなく歴史に残る政治家。三権の長である衆議院議長の座にまで就いた人である。「党の信頼回復に全力を挙げるのが私の天命」。この言葉が理解されるほど甘くないのは、誰よりも当人が承知しているはず。判断する時期を逸してほしくない。(A)


7月23日(水)

●きょう23日は1年で一番暑い二十四節気の「大暑」。列島全体の平均気温は過去100年に1度(都心はヒートアイランドで3度)上がっている。昨年の大暑の日の最高気温は京都の36・8度だったが、今年は梅雨明けもまだ。北海道は予報をよそに“冷夏”だ▼その冷夏でも夏の風物詩は花火と浴衣。本社主催の函館港花火大会は今年も奇跡的に上空の雲が薄れ、2分間に400発のデジタルスターマインなど見事だった。シックな色合いとレトロ柄の浴衣、マーガレットなど洋風花の浴衣、蝶結び、矢車結びの帯。下駄もミュールも似合っていた▼その浴衣姿の若い女性が「きゃー、タマヤ!」と一斉に歓声。シュル、シュルと上がって、星のかなたに吸い込まれる。札幌から来た友人も「真夏の夜の夢」に感激。このほど発見されたさそり座の130億歳といわれる最古の惑星からも「星空の映画館」は見えただろうか▼その夜空といえば、8月27日の火星接近が待ち遠しい。5万7540年ぶりに地球に大接近するからだ。5576万キロまで近づいて、現在の5倍、明るくなり、全天で一番輝く星になる。ネアンデルタール人以来の観賞か。今夏をのがしたら、次に観測できるのは2287年▼その火星に現在、砂嵐が発生しているという。01年の6月下旬に砂嵐が発生、約2週間で火星全体が覆われ観測不可能の記録があり、今回も心配だ。8月は「滅却心頭火亦涼」の日が続いてほしい。函館港まつりや、お盆、大接近する火星観察には、夏のおしゃれの浴衣姿で決めよう。(M)


7月22日(火)

●「地域に開かれた…」。この言葉がキーワードになっているのが大学。かつての時代、大学は地域にとって近寄り難い存在、特別な存在だった。いわば「開かれない」が当たり前。それが大学の威厳がごとく映りもしたが、地域が容認してきたのも事実▼だが、今の時代は…。徐々にその姿が変わってきている。大学が求められている「開かれた」も然り。大学には学生数が減少に転じ、将来的に学生の確保が厳しくなる、といった事情があり、逆に地域においては産業振興、生涯学習など大学に対する期待が増す傾向▼現実に地域と大学との連携事例は増えている。もちろん函館でも。国際水産・海洋都市構想を支える一翼を担っているほか、分かりやすいのは公開講座…。北大、道教大、函館大などで開設しているが、函館大谷短大が企画したロングランの講座が注目されている▼8月から来年3月まで全15回。「パソコン教室」「スキー教室」「エアロビ教室」から「高齢者の体にやさしいフランス料理」「老人介護の実技」「幼稚園児の悩み相談」「10代の法律相談室」「児童・生徒指導の課題と対応」「ストレス解消に音楽を」などまで幅広く▼公開講座は紛れもない地域貢献事業。訪れる機会の少ない大学で、学生気分にさせてもらえるのだから、学習意欲のある人にとっては堪らない。もし年間を通して展開されることにでもなれば、それは贅沢な生涯学習プログラム。大学が身近な存在になってきている。(A)


7月21日(月)

●採用、派遣などで民間と役所(公務員)という異なった環境を経験した人たちが、最も実感するのは「コスト意識」の違いだそう。先日発表された人事院の白書(国家公務員白書)が伝えているのだが、肌で感じた答え故に、ずしりとした重みが伴う▼白書が指摘するこの現実は、民間から採用された職員、逆に民間に派遣された職員の双方から聞き取ったものだが、それによると、違いのトップはそろってコスト意識。容易に想像がつくが、さらに民間に感心することとしては「仕事のスピード」「変化への対応力」など▼置かれた立場、社会的な位置付けなど、官庁と企業を同列に語ることは出来ない。だが、発想の転換が求められる今の時代、官により要求されているのは民の意識であり、民の手法なのも事実。そこに民間へ目を向ける背景があるが、取り組みは派遣ばかりでない▼例えば、社会人(中途)の採用。新規学卒者とは別に、民間で実務経験を数年積んだ人材を求める取り組みだが、国家公務員でこの5年間に採用したのは489人。そのほか弁護士など期間限定の採用者が144人。道のほか、道内でも一部市町村で試みられている▼「確かに変わりつつある」。そうした見方の一方で、厳しい指摘は依然と…。白書も同じ認識なのだろう、こう提言している。「キャリア制度下での誤った特権意識などの弊害を除去する点で、民間人の登用は有効」「機動的・重点的に政策を展開する上で、民間人をより基幹的な重要ポストに登用することが有効」。まったく異論がない。(N)


7月20日(日)

●東京ほど今の世相を映し出す都市はない。政治、経済、文化等々で中核を担っているから当然なのだが、数日前、目の当たりにしたのは両極端な光景。一つはあふれんばかりの中高年者の再就職面接会で、もう一つはプロ野球・阪神のタイガースショップ▼たまたまだった。飛行機の中で読んだ新聞で中高年に絞った面接会の開催記事を目にしたのは。雇用は社会問題化し、とりわけ中高年は頑としてままならない。所用まで時間があったので、この現実を確かめるべく会場に足を運んだのだが、そこで見たのは…▼外にまであふれる人の列だった。企業50社ほどに対し、駆けつけた求職者は実に1800人余。邪魔にならないよう会場内には入らなかったが、これほどまでの現実を見せられるとは予想外。翌日の新聞によると「混乱を避けるため2時間早く受け付けを終わらせた」と▼その翌日に訪れたのが、なんと新宿の百貨店内に開設されているタイガースショップ。前半戦の快進撃もあって大繁盛と聞いていた通りの人…。頼まれたのだろう、出張者と見られる人の姿も。品切れ品が出ているなど、ここばかりは消費不況を感じさせない雰囲気▼この2つは極端に異なる光景だが、突き詰めると、そうばかりとは…。今の経済環境と無縁でないと考えられるから。面接会は雇用情勢の深刻さを直に教えている、一方の阪神フィーバーの裏にあるのはあやかりたい気持ち。そこに共通するのは「すがる」という思いにほかならない。(A)


7月19日(土)

●放課後学習チューター調査研究事業。初めて聞く人が多かろうが、放課後の時間を使って大学生が児童・生徒の学習を支援する、いわば“補習”に近い試み。その意図は、狙いは…。そして成果が期待できるのか、教育関係者の間でも賛否の議論があるところ▼こうした取り組みが必要か否かは別にして、率直に覚えるのは、なぜ大学生なのか、といった疑問。ある識者もこう語る。「教職を目指す学生が先生になっても戸惑いがないように、という考えを出発点とした考えなら分かるが、もし、そうでないとしたら…」▼学生の負担が重過ぎはしないか、という見方とともに、先生の立場はどうなるのか、と…。受け止めようによっては「否定された」と映りかねない。仮に、この取り組みを必要と判断したにしても、担うべきは自分たち、と思って然るべき、というのである▼確かにどこの都市でも可能な事業ではない。教員を目指す学生がいることが前提となるし、学校の協力も不可欠。その点、函館には多くの教員を送り出してきた道教育大函館校があり、研究協力校を確保した市教委は早ければ2学期にも実施の方針を打ち出した▼研究事業だからそう目くじらをたてるべきでない、と言われれば、確かにそうだが、どうも老婆心が先にたつ。児童・生徒が望んでいるのならともかく、文部科学省の目先を変える政策としたら…。そんな思いが頭を掠める中、函館では小学校、中学校各3校で試みられる。(N)


7月18日(金)

●窓の外には夢がある/夢のとなりは自然がある/自然の上には空がある/空の上には星がある/星の向こうに未来がある/未来の向こうに愛がある/愛の中には心がある〜。優しい心の大切さを訴えた詩のCD「窓の外には」を買ってきた▼「汚い顔をみせるな」「あんたがいるとコンクールに勝てない」―5年前、高校の吹奏楽部でトロンボーンを吹き、アトピーのある横浜の小森香澄さんが、いじめを苦に自らの命を絶った。加害生徒から一度も謝罪はない。9歳の時、自分のワープロに打ち込んで創った詩が「窓の外には」だ▼愛があれば少年犯罪は起きない。亡くなる数日前には「やさしい心が一番大切だよ」のメッセージを残した。香澄さんの優しい心を広めようと、この詩に曲がつけられ、全国各地の音楽団体の演奏会で演奏されるようになった。ストリート・ミュージシャンも歌っている▼4歳の駿ちゃんにはハサミの傷跡もあった。12歳の中1少年は駐車場の屋上でいたずらしようとしたが抵抗され、自分が分からないようになり、頭から血を流して動かないのを見て怖くて逃げた。それでも日記で「駿ちゃんの先をなくして、ごめんなさい」と謝罪の気持ちを書いているが…▼東京の小6女児4人が赤坂のマンションで手や足に手錠をかけられて4日間、監禁されていた。側に男性の死体があった。「まどの外には」餌食の子供を巻き込むアンダーグラウンドが待っている。地域も学校も家庭も香澄さんの「愛の中には心がある」の環境を創出しなければ…。(M)


7月17日(木)

●「学校選択制度」。東京の品川区が2000年度から、区内を4分割する形で実施したのが記憶に新しい。子供(保護者)に通う学校の選択を認める制度だが、その動きは道内にも…。岩見沢市教委が先日、中学入学者に導入する方針を打ち出した▼函館もそうだが、義務教育の9年間、子供や親は、公立か私立かの選択肢こそ持つが、よほどの事情でもない限り公立間の選択権はなく、居住区域を原則に指定される学校に通わざるを得ない。その理由は「学校間の格差が生まれないように」という考え方だが…▼もちろん通学時間や手段の問題なども。だから今日まで受け入れられているわけだが、学力指導や部活動のあるなしなどを理由に、選択制度採用の要望があるのも現実。品川区が踏み切った背景には、児童・生徒の減少に伴う学校再編を迫られている事情もあったが…▼この品川区が一つの引き金になって、教育改革の名のもと、全国的に試みる動きが出始めている。道内でその先陣を切ったのが岩見沢市。原則自由とまで深く踏み込んだものではなく、それは従来の通学区域制度を堅持しながら、各校に区域外からの入学枠を設ける方式▼確かにまだまだ議論のあるところだが、岩見沢方式はいわば今の制度のさらなる弾力的な運用。表現を変えるなら、部分選択制とも言える緩やかな改革。注目されるのは保護者の反応だが、前向きな姿勢に基づく問題提起であることは確かであり、函館からも今後を注目したい。(N)


7月16日(水)

●「見てみたい 開けたみんなの その顔が」。何のことか分からないかもしれないが、言われてみると納得。実はこれ、UFJ信託銀行が募集した「遺言川柳」に応募された作品の一つ。「財をなし 挙げ句は税で なにもなし」という句なども▼いっこうに回復の流れが見えてこない景気。仕事は大変なのに、ボーナスは抑えられ、収入は減る一途。将来への不安が頭を掠め、凶悪事件が後を絶たないなど社会も殺伐としている。何か皮肉でも言わなければ気が滅入る、そんな世相を反映した現象かもしれない▼確かに川柳がもてはやされている。川柳流行(ばやり)という受け止め方もあるが、その火付け役を果たしたのは、すっかり有名になった第一生命の「サラリーマン川柳」。毎年、本になっているほどだが、さらに東京では「OL川柳」なども人気。それにしても「遺言川柳」とは▼遺言信託や遺産整理業務に対して認識を持ってもらう、いわば啓蒙活動なのだとか。どれだけ集まるか、といった心配をよそに、開けてみると、2カ月半ほどの間に5万句を超えて5万339句にも達したという。整理する人の苦労が読み取れるほど大変な数である▼“サラ川”もそうだが、入賞作品はいずれの場合も甲乙つけ難し。いつも作者の頭の柔らかさに感心するが、この選考作品でも。「何もない 揉め事無きよう 考えて」。この程度の駄作しか作れない一人としては、ただただ感心するばかり。それにしても「遺言川柳」とは…。(H)


7月15日(火)

●今年も函館に、五稜郭に野外劇の季節がやってきた。舞台や観客席などの設営もほぼ終えて、会場準備は最終の段階。18日の初演に向けて、出演者を含めスタッフも徐々に本番モード…。残る気がかりは天候だけ。幕開けは秒読みに入っている▼鮮烈なデビューを飾ったのは16年前。今日までの歩みはけっして平坦でなかった。市民の理解、運営費の確保…。苦難を背負いながらの歩みだったが、支えたのは「函館にふさわしい文化資産を」という関係者の熱き思い。それが今、全国的に知名度を上げて結実しつつある▼NHKテレビでの放映も実現する。さらに観劇ツアーのほか、修学旅行に組み込まれることにも。こうした“流れ”に応えなければ…。シナリオを一新した。題して「星の城、明日に輝け」。ドラマチックなストーリー、大掛かりな舞台にふさわしいテーマ曲も誕生した▼「たたかいに傷つき倒れ 立ち上がることも出来ない 大切な人の名前を 叫んでも声にならない いのちの歌を聞かせてよ 北の大地に輝く星よ 旅人よ 涙をふいて 愛を信じて 限りない平和を作るため さあ声たからかに おお函館 おお函館 明日に輝け 星のまち函館」▼歌詞の一部だが、漠然とながら舞台の情景が頭に浮かんで、観たい思いがこみ上げてくる。公演は8月10日の最終まで10回。フィナーレでは毎回、出演者と観客が感動を共有し合うに違いない。観に行こう。そしてびっしりと埋めよう、あの観客席を。飛躍の年にふさわしく…。(A)


7月14日(月)

●休 刊 日


7月13日(日)

●「一度は当たりたや宝くじ」。誰にも共通する思いだが、追い求めるのはそこに夢があるから。現実にジャンボの度に億単位の金を手にする人がいる。「当たらないと思うけど…」と口では言いながら、内心は「もしかして…」となるのも人間の心理▼確かに、抽せんが終わった直後こそ「駄目か、もう辞めるか」と気落ちもするが、再びジャンボの時期になると、足は売り場へと。給料は増えない、ボーナスもままならない、となれば、その気持ちを託したくもなる。確率はともかく、可能性はゼロでないのだから▼それにしても幸運の主はどんな人なんだろう。興味が沸くが、みずほ銀行が毎年出している「宝くじ長者白書」(02年度版)が示したモデル像は「購入歴10年以上で、血液A型の50歳代」なんだそう。初めての購入で射止めた人は少数派。やはり継続と忍耐が大事らしい▼もうちょっとデータを探って男女別でみると、こんな像が…。男性では「みずがめ座の会社員で、イニシャルはT・K」、女性では「うお座の主婦で、イニシャルはM・K」。これで俄然、張り切る人がいるかもしれないが、この像以外の人も意気消沈する必要はない▼覚えておこう。02年度で1000万円以上を受け取った人は実に1300人以上。そのうち「ジャンボしか買わない」という人が39%もいるのだから。宝くじのキーワードは「運」であり、それ故に売り場など購入の際のこだわりは人さまざま。さて、どうしよう、あすからサマージャンボが発売される。(H)


7月12日(土)

●1993(平成5)年7月12日午後10時17分。心身ともに安らぎを覚え、大人もそろそろ就寝を迎える時間だった。マグニチュード7・8の地震と津波が奥尻島を襲ったのは。突然。あっという間。島は目を覆いたくなるような惨状と化した▼燃え広がる火災、漁船などを破壊した津波…。なす術もなかった。テレビに映し出される悪夢のような光景は今も脳裏から離れないが、奥尻町が編集した記録書(1996年刊)によると、死者・行方不明者は198人、重軽傷者143人。被害総額は約664億円▼あれから早いもので10年。全国的な支援に支えられ、復興の足取りは速かった。海と島を分断する防潮堤が整備され、学校などの公共施設も整った。それは見間違えるほどに。観光客も帰ってきた。昨年度でほぼ地震前の水準まで持ち直し、空港の滑走路延長に期待が高まる▼豪華な家も目に飛び込んでくる。そんな光景を見ていると、すっかり息を吹き返し、明るさが島全体に蘇っているように思われるが、あくまでそれは表の表情。裏に隠れている心の傷は癒されてはいない。複雑に交錯する島民心理。それは本紙の企画からも伝わってきた▼科学がこれだけ発達した現在でも、地震や火山噴火の予知はまだまだ難しい分野。奥尻震災は“心と物の備え”を超えたレベルとも言われるが、教えてくれているのは、やはり日常的な備えの意識。きょう12日は犠牲になった人たちのご冥福を祈り、その意識を確かなものにする一日としたい。(A)


7月11日(金)

●何が中1少年を残忍な行為に走らせたのか。「児童」から「生徒」に変わる中学生は多情多感な思春期の入り口。学校で飼っている小動物の成長に命の大切さを知り、逆に命を絶つことによる悲劇も知った。子供と大人のはざ間で揺れる「12歳の心」▼無形の精神という大切なものがありて、心と身との二つの関係最も親密なものである。而して身体上に発現したる行為は法律の制裁をうけ、無形の精神的行為は宗教の制裁をうけねばならぬ―更生の心を説く明治期の教誨師の一節(須藤隆仙著「北海道刑務所宗教教誨史」復刻版)▼長崎の少年は「後悔しています。駿ちゃんのお父さん、お母さん、ごめんなさい」と反省しているようだが、どんな罰で償うのだろうか。当時の集治監には「勿論幼年囚なし。未丁年囚(未成年)も僅か四、五名に過ぎず」とあり、読書、習字、算術の3科を教授していたという▼少年は読書が好きで英語、数学、国語、社会が得意。期末テストは500点満点で465点という成績。「たまたま出会った子に声をかけた」と、無邪気な4歳児を連れ出し裸にしてビルから突き落とす―自我を失って「鬼の心」に振り回された。いたずらが目的ともいい、性癖が爆発した…▼両親の「中学生といえども極刑に処してもらいたい心境」もうなずけるが、また少年法を改正するのはイタチごっこ。まず被害者の親の悲しみを理解させなければ。昔からいわれているように、家庭、学校、地域が子供のサインを把握することが大事。今月は「社会を明るくする運動」月間。(M)


7月10日(木)

●社会に対する思いやりの第一歩は「小さな親切」。今の時代、ともすると際立った、大規模な取り組みを考えがちだが、大事なのは日常的に無理のない、自然体の気配り。その輪が広がった社会こそ豊かな社会という認識に立つと、残念ながら、まだその域には…▼「安心できる、助け合う社会を」。わが国に「小さな親切」運動が生まれたのは1963(昭和38)年。戦後の辛い時代を乗り越え、新しい歩みを始めた時代で、それは元祖ボランティアの提唱でもあった。企業の理解も得て、全国的にすそ野を広げて40年になる▼地域の清掃活動や善行者の表彰は知られる活動だが、それは北海道でも。1974(昭和49)年に発足した函館支部は、来年が節目の30周年。先日開かれた総会で、記念式典のほか、支部の歩みや表彰者一覧も掲載した記念誌の発行などの記念事業を決めた▼戦後、わが国は他国から賞賛されるほど、目を見張る経済発展を遂げた。それを支えたのは勤勉な国民の姿であり、背景にあったのは助け合いの精神。その一翼を担った運動の一つが、この「小さな親切」運動だが、文化を含めて世界の先進国と認められるまでに▼だが、ひと息ついてしまったか、犯罪やいじめの増加が象徴するように、現代は殺伐とした世と評される時代。「何かが欠けている」。改めて社会における思いやり、気配りが求められている。『「小さな親切」を大きなうねりに』。運動提唱の精神は今にも通じている。(H)


7月9日(水)

●「平成の大合併」―合併する市町村にどんなメリットがあるのだろうか。政府は2年後には全国の市町村を3分の1に減らそうとしているが、各地の合併は足踏み状態。そんな中、近く函館市と4町村の合併協議会が設置される▼合併すれば地方交付税が有利に受けられ、特例事業として巨額の財政支援を受けることができる。これを歌い文句に、道内では任意の合併協議会が9団体、法定協は3団体できた。渡島管内は6パターンが提示されたが、先ほど七飯町が鹿部町と任意合併協を発足させた▼機構改革などによるメリットは別にして、住民感情から新しい名前をどうするかが問題。「ふるさとは遠くにありて思ふもの」の望郷からすれば地名が消えるのは寂しい。伝統的建造物群保存地区を持つ全国56市町村は「合併後の新市・新町が保存を継続する」ことを申し合わせた▼山梨県の「南アルプス市」のように奇抜なカタカナ名も出てくる。渡島管内は6パターンにこだわる必要はない。南茅部町などは「縄文ロード」で結ばれ、城のある松前町は隠れキリシタンの福島町と手をとり、檜山管内の江差町と上ノ国町は「いにしえ街道」でつながってもよい…▼平成の合併には新しい観光要素も必要だから。函館市と4町村は「自由、対等に協議をつくり、初めに“合併ありき”ではなく、各市町村が自主的に同じ目的の中で進むべきだ」(市合併調査室)というように、自治意識高揚の好機とし、住民サービスに段差をつけない市町村合併を実現させよう。(M)


7月8日(火)

●書店の悩みは万引き。逃げた万引き少年が列車事故に遭って店を閉めざるを得なくなった話は記憶に新しいが、個人的に万引きが一つの要因となって閉店に追い込まれた事例も知っている。対策を講じているとはいえ、後を絶たない。それほどまでに多い▼そして今、新たな悩みが…。「デジタル万引き」。カメラ付き携帯電話による本の撮影だが、東京都内をはじめ、この1年ほど急増している現象。カメラ付きの爆発的な普及がもたらした余波とも言われるが、店頭で立ち読みして必要なページを撮影、本は買わないで帰るのだと▼特に撮影されるのがガイドブックの類という。犯罪に等しい行為。著作権にも触れかねない。「そうだよ、本代助かった」。撮影する側はそんな安易な気持ちなのだろうが、実際に撮影しているのか、メールを送っているのか、判別が難しい。客商売だけに気も遣う▼堪らず東京の書店商業組合は「店内で携帯電話の使用はご遠慮下さい」とのステッカーを張り出したそうだが、書店ばかりか日本雑誌協会も、電気通信事業者協会も放ってはおけない。今月からマナーを守るよう呼びかけるキャンペーンに乗り出したという▼便利なものほど想定しない使われ方をするが、この現象もその一例。それにしても「よくやるよ」という思いがこみ上げてくる。何か変。「これぐらいはいいんじゃないか」。自分に都合のいい解釈を正当化する風潮を、この問題が象徴しているようにも思えてくる。(N)


7月7日(月)

●最近、よく使われる言葉の一つに「癒やす」がある。国語辞典をひもとくと「病気、苦痛、飢えなどを治す」と説明されているが、精神的に疲れる現代を象徴するかのように、今や「心を和ませる」「気持ちを落ち着かせる」といった意味合いが強い▼時として「ゆとり」という言葉ともだぶるが、子供から大人まで、求められているのはホッと出来る時間なり場所。趣味を持つ、汗を流す、本を読むなど様々な過ごし方があるが、家の中では…。安らぎを覚える場はどこ、と聞いた時、どんな答えが返ってくるだろうか▼GEコンシューマー・クレジットが行った調査結果が興味深い。癒やされる場所の第1位は「風呂」で24%。続いて居間(14%)、自分の部屋(13%)、寝室(10%)、トイレ(7%)などの順。改めて風呂の存在の大きさを教えられるが、もちろん男女に共通して…▼この風呂を除いては男女で微妙な違いが。自分の部屋は男性が2位なのに対し女性では4位。男性で女性の10位内にない書斎が9位に、逆に女性で男性にない台所・キッチンが7位、ベランダ・バルコニーが9位にランクされている。これは分かりいいが、決定的な差は他に…▼それは女性で「子供といっしょならどこでも」、男性で「癒やされる場所はない」が10位内にあること。居間が男女とも上位なのが救いだが、「自分だけの世界に浸りたい」という思いの一方で、男性がより自分の居場所を探しあぐねている、そんな現実も垣間見えてくる。(Y)


7月6日(日)

●映画やテレビドラマに旅番組等々、函館はその舞台としてよく登場する。函館山からの眺望、元町界隈、ベイエリア、朝市などの光景に食…。街の宣伝経費に換算すると、その金額たるや莫大。何と恵まれていることか、他都市から羨まれて当然▼「黙っていても来てくれる」。そんな恩恵に預かっているのは、道内では他に札幌、小樽、富良野ぐらい。だからと言って、それ以外の地域も手をこまねいているわけでない。道のフィルム・コミッション(FC)に応じて、徐々に新鮮さを打ち出し始めている▼その“函館人気”も未来永劫に続くという保証があるわけではない。有難いという気持ちを形にしなければ。高を括ってはいられない。そのためにまず求められるのが受け皿、支援の体制づくりだが、ようやく現実に。本紙も報じたが、年内にFCを設立する計画という▼一昨年秋だが、当社もロケに社内を提供したことがある。記憶にあろう「パコダテ人」という映画。事前の打ち合わせに始まって、エキストラの手配など1本の映画を撮影する大変さを知ったが、同時に実感したのが地域の支援こそロケ地選択の要素になっているということ▼函館市で行われている撮影は年間で映画が1、2本、ドラマが5、6本ほど。名作の舞台にもなっている。そして近年増えているのが旅・食番組で、推定ながら60本余り。さらに将来を考えて、努力を重ねたい。その牽引役としての機能がFCに求められる。(A)


7月5日(土)

●急に降り出す俄雨、しとしとと降りつづく小糠雨、新緑に降りかかる緑雨、群れになって降る村雨、横なぐりに降る横時雨、穀物の成長を助ける瑞雨、雲がないのに細かく降る天泣、限られた地にだけ降る私雨、恋人をひき止めるやらずの雨…▼演歌などの4曲に1曲は「雨」が出てくる。七夕に降る雨は洗車雨(せんしゃう=陰暦7月6日)と酒涙雨(さいるいう=同7日)。天の川の織姫に会うため乗って行く牛車を洗う雨。1年に1度のデートを楽しんで、再び離れ離れになる愛別離苦や惜別の涙をそそぐのが酒涙雨▼数年前にイタリアに行った時、ローマ名物のにわか雨・アクワッツォーネに遭った。白昼が夜のように急に暗くなり、槍が束になって落ちてくるような豪雨。短時間でやみ、紺碧の空がすぐ戻ってくるが…。オードリー・ヘップバーン主演の映画のラストシーンも土砂降りだった。雨にもお国柄がある▼雨は生きとし生きるものを慈しんで降るのだが、涙をそそぐ酒涙雨は悲しい。長崎で4歳の男児が誘拐され殺され、ビルの屋上から投げ落とされた。上磯の海岸では頭部がもぎ取られた乳児の遺体が打ち上げられた。なんのために幼い命を奪うのだろうか。残忍さに涙腺がゆるむ▼自衛隊員を派遣するイラク復興特別措置法案が衆院を通過した。米英兵への襲撃が相次いでいるというのに、自衛隊員には安全という保障はない。ローマのアクワッツォーネのような“銃弾の雨”に遭わないよう祈るのみだ。瑞雨などは大歓迎だが、悲劇を生む酒涙雨はごめんだ。(M)


7月4日(金)

●依然として無駄遣いが多い。家計のことではない、国の予算執行の話である。先日、財務省が行った今年度の調査結果が発表されたが、改善の必要あり、と判断された事例は多々。厳しく見直しが指摘されている時代なのに、納税者は堪らない▼会計検査院からも毎年、あきれるほど指摘されるが、2回目の調査結果として今回、財務省が無駄の事例として公表したのは…。過大に整備されている在外公館、売上高に占める人件費比率が高すぎる施設運営、実勢価格より高い機器購入、機能していない入札等々▼構造改革でまず手をつけるべきは、事務事業の効率化と言われて久しい。確かに省庁の再編は進んだが、民間の目からみると、だぶついた組織実態も変わらなければ、求められている “官の発想”からの転換も、姿として見えてこない。変わった、の実感は伝わってこない▼人件費問題一つとっても旧態依然、コスト計算も甘い。現実は民間なら経営が成り立たない、放漫経営と言われて反論できないレベル。まさか「その旨みを享受させているのも“官の使命”と錯覚しているわけでない」と思うが、こうした調査結果を見せつけられると…▼歳入不足が深刻で、危機的な状況に陥っている国の財政。残念ながら、大変だ、という認識が次の行動に結びついていない。このままでは、省庁の幹部は民間から起用してはどうか、といった乱暴な話が出かねないばかりか、消費税の税率アップなどへの理解など望めない。(N)


7月3日(木)

●仏典を求めて天山山脈を越えインドに旅する玄奘法師は野生のリンゴで喉の渇きをうるほしたという。林檎は甘い果実に鳥(禽)が群がったことから名付けられた。原産地は西アジア。シルクロードを往来する旅人の荷に入って中国や朝鮮に渡った▼日本には江戸時代に中国から実の小さいリンゴが伝わった。七飯町の成田宏司さんが栽培しているスモモほどの大きさの「アルプスの乙女」がその子孫か。「体は小さいが気候に左右されず、手のかからない優等生」という。甘みと酸味の両方が味わえ、贈り物に人気が高い▼エデンの園の禁断の果実(知恵の木と生命の木)を食べたアダムとイブが楽園から追放された。大きい実のリンゴは明治初期に米国から入ってきた。高血圧や心臓病、がん予防、疲労回復、整腸作用、美肌効果など効能がいっぱい。まさに「1日に1個のリンゴは医者を遠ざける」▼石川啄木も「たへがたき渇き覚ゆれど、手をのべて林檎とるだにものうき日かな」(悲しき玩具)とリンゴを求めた。戦後、流行した「リンゴの歌」は復興に新しい活力を与えた。今秋には阪神大震災で芽生えた平和と希望を象徴する「希望りんご」がNYのグラウンド・ゼロに植樹される▼七飯といえばリンゴ。りんごパワーでマチを活性化させようというのが七飯の日(7月7日)。3年目の今年の「りんご七夕」は5、6日。ふれあい縁日などで七飯リンゴをPR。子供も大人も、リンゴ型の短冊に願いを書いて、年に一度デートする天の川の星に「平和な地球」を祈ろう。(M)


7月2日(水)

●鍵を握るのは「指導者」と「環境」。これだけでは何のことか理解しにくいかもしれないが、答えは子供の能力を引き出す上での不可欠な要因。学力にしても、スポーツにしても、際立った結果を残している背景には、共通項のようにこの二つが存在している▼「子供は恐ろしいぐらい潜在的な可能性を持っている。問題はどう導き出してあげるか次第…」。教育の専門家から以前、こんな話を聞いたことがある。確かに子供が秘めている可能性は無限であり、指導者によって才能が花開いた事例は枚挙に暇がない▼分かりいいのは高校などのスポーツ。今まさに甲子園を目指した野球の地区予選が各地で開かれているが、強豪と言われた学校が急に弱体化し、逆にめきめき頭角を現すといったことが珍しくない。その裏に必ず見え隠れするのが環境の変化であり、指導者の交代など▼とりわけ指導者に負うところが大。競技への見識、経験に始まり、能力を引き出す力、信頼を引き寄せる力…。その指導によって数年で実績を残すといったことは多々。全国大会出場を決めた函大柏稜の女子バスケット部も創部3年目である▼確かに学校の理解、父母の協力があったろうが、それに増して大きいのが伊藤修一監督の存在。指導者として輝かしい実績を持つ人だが、それにしても短期間に結果を出してしまうとは…。的確な指導が信頼という糸で結ばれた時、子供たちの潜在能力が見事に花開くことを教えてくれている。(H)


7月1日(火)

●農業などでは昔も今も不可欠だが、「気象」は日常生活で無くてはならない情報。ほとんどの人が1日に一度は新聞、テレビの気象情報を見ているはずで、依存度は高まるばかり。その期待にたがわず一段ときめ細かくなり、精度も上がっている▼今では市町村ごと、しかも時間ごとに予報が可能な時代。科学の進歩を感じるが、大きな役割を果たした、と言われるのが静止気象衛星の「ひまわり」。1977年に1号が打ち上げられて以来、5月22日に役目を終えた5号まで、貴重なデータを送り続けてきた▼ところが、後継機の打ち上げ失敗により、あとを託したのはアメリカの「ゴーズ9号」。不安視する向きもあるが、それはともかく高まる信頼は、こうした先端技術を駆使した体制があってのこと。わが国で気象観測が始まって130年。その先陣を切った都市こそ函館だった▼「函館で最初に気象観測したのは安政2年。ロシア人医師・アルブレヒトで、自宅に…」。中西出版の「新函館物語」に、こう記されているが、開拓使の許可を得て函館気候測量所が設置されたのは1872(明治5)年。気象庁の前身である東京気象台より3年前だった▼函館にしても、東京にしても、晴雨計、寒暖計がある程度だったそうだが、記録によると、天気予報が始まったのは1883年という。以来、当たり前のごとくいただいている。今、予報が途切れたとしたら、その影響は計り知れない。感謝しなければ…。きょう6月1日は「気象記念日」―。(A)


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