2007年11月21日(水)掲載

◎2人で支え合い40年…スナック喫茶「ミス潤」経営・川上さん夫妻
 函館市宝来町22のスナック喫茶「ミス潤」を経営する川上昌さん(68)と光枝さん(67)は、市内でも老舗喫茶店の看板を夫婦でずっと守り続けてきた。昌さんの実父で、初代経営者の故・淳作さんの集めたレコードなど、開業した昭和初期からの思い出の品々が並ぶ店内では、常連客らの楽しげな会話が飛び交う。結婚後に淳作さん夫婦から店を継ぎ、“2人3脚”で歩んできた約40年間を振り返り、2人は「けんかもしたけれど、店のために気持ちを合わせてやってきた。これからも健康なうちは続けたい」と話している。あす22日は「いい夫婦の日」―。

 「ミス潤」は1932(昭和7)年、札幌から函館に移り住んだ淳作さん、みやさん夫婦が市内の蓮来町(現・宝来町)で開業。「潤」は淳作さんの「じゅん」にちなんで付けた。34年の函館大火で全焼したり、戦時中の強制立ち退きなどの苦難もあったが、淳作さんは店を続け、終戦後、現在地に新築した。

 開業当初はコーヒー1杯10銭という時代。「函館ではモダン喫茶のはしり。着物や割烹(かっぽう)着姿のガール(従業員)を置き、学生たちが集ったようだ」と、昌さんは昔の店の写真を見ながら説明する。

 青函連絡船「洞爺丸」が沈没し、多数の犠牲者を出した54年の洞爺丸台風の時は、昌さんは高校生。建てたばかりの店に被害はなかったが、近くにあった2階建てのスーパーの2階部分が丸ごと吹っ飛んだのを今でも覚えているという。

 長男だった昌さんは市内の函館有斗高(現函大有斗高)卒業後、函館や札幌の店でバーテンとして修行。その際、光枝さんと出会い、67年に結婚した。2年後、親から「ミス潤」を任され、昌さんがマスター、光枝さんがママに。「当時の西部地区は活気があり、黙ってても人が入った。忙しかったけれど楽しかった」と光枝さんは目を細める。店では昌さん手作りの軽食やさまざまなカクテルを出し、深夜まで若者らでにぎわった。

 店を継いで以来、2人は定休日の日曜以外はほとんど休みなく働き、夜の憩いの場を提供してきた。昌さんは「短いようで長い40年だった」と振り返る。この間に函館の街並みも変わり、繁華街は大門から五稜郭へと移った。光枝さんは「今は居酒屋がはやり、若い人の飲み方も変わった」と少し寂しげ。

 店とともに歩んできた結婚生活―。昌さんは「2人で1人前。お互い自由にするのが長く続くコツかな」と笑う。光枝さんは「先代の時代に来た人のお子さんが来てくれたりと、良いお客様に恵まれたことにも感謝しています」と話している。

 店には開業初期に購入した国産蓄音器があり、今でも昭和の歌謡曲やクラシック音楽を響かせている。夫婦から夫婦へ、受け継がれた店の灯は、きょうも“十字街”の一角にある。(新目七恵)


◎動の時代生々しく…24日、戦中〜戦後 函館で少女時代送ったオリガさん招く
 両親がロシア人で、戦中から戦後にかけて少女時代を函館で過ごし、現在はキューバ在往のオリガ・ズヴェーレヴァさん(67)を迎えた特別報告会「函館で生まれ育ったロシア人 オリガさんを迎えて」が、24日午後1時半から同4時半まで市地域交流街づくりセンター(函館市末広町4)で開かれる。函館の古き良き時代を知るとともに、父親がスパイ容疑で逮捕され獄中死するなど、まさに時代に翻弄(ほんろう)されて生きてきた一人のロシア人女性。主催する函館日ロ交流史研究会の長谷部一弘世話人代表は「激動の時代、函館を見ていた人物。思い出だけにとどまらない貴重な話を聞くことができる」とし、来場を呼び掛けている。

 同研究会は1993年に発足。定期的にロシアとかかわりのある人を招き、報告会などを開いている。2003年に開いた創立10周年記念シンポジウムでは、オリガさんの姉で、33年から43年までの10年間を函館で過ごしたガリーナ・アセーエヴァさん(ロシア在往)を招いた。

 オリガさんの父は、ロシア革命(1917年)を逃れ亡命してきたクジマー・ズヴェーレフさん。クジマーさんは「北海道亡命露人協会」の代表として極東地方から逃れてきたロシア人を救っていた。オリガさんは40年、母ダーリアさんとの間に6人きょうだいの末っ子として生まれた。クジマーさんは43年、スパイ容疑で逮捕され、翌年獄中死した。

 一家は松風町で喫茶店を営んでいた。オリガさんは大谷幼稚園、旧大森小学校、遺愛女学校に通学。54年、14歳のとき東京へ移った。以後、ロシアの大学でキューバ人と知り合い64年に結婚、現在に至っている。

 オリガさんはガリーナさんよりも函館にいた期間は長く、現在でも日本語を話せる。当時繁栄していた大門地区のにぎわいぶりも記憶に残っている一方、あの時代ならではの苦労もした。長谷部さんは「函館の変化に加え、自身の生々しい話がされる。オリガさんを知る人に限らず、当時の函館や時代背景を知るには良い機会になると思う」と話している。

 会場ではオリガさんの所蔵品を含めた写真や資料のパネル展も開催。参加は資料代として500円。事前申し込みは不要で、直接来場する。(山崎純一)


◎目指せ52年ぶり事故死ゼロ!…桧山管内
 【江差】桧山管内7町を管轄する江差、せたな両署管内では19日現在、ことしの死亡交通事故が1件も発生していない。両署管内で年間通して死亡事故がゼロだったのは1955年以来。このまま無事故が続けば52年ぶりの快挙となる。21日に始まる全道一斉の冬の交通安全運動(30日まで)に先駆け、江差署は20日、半世紀ぶりの記録達成に向けて出動式を行い、重点取り締まりや官民を挙げた安全運動を開始した。

 道警のまとめによると、両署管内では記録が残る54年以降、死亡事故が無かったのは55年のみ。桧山南部と奥尻町を管轄する江差署単独でも55年、91年の2年だけとなっている。

 両署管内では70年、73年に最悪の16人が交通事故死したが、2000年以降は昨年の7人を最高に死者数は年間3―6人で推移。江差署管内でも00年以降は死者数が1―3人という状態が続いている。

 52年ぶりの記録達成を目指す江差署は同日、重点的な交通取り締まりと、パトカーや赤色回転灯を装備した町役場の公用車、民間車両を沿道に配置し、ドライバーに安全運転を促す「レッド作戦2007」を開始した。

 芳賀政男署長は交通安全団体の役員ら約30人が参加した出動式で「高齢者や歩行者の事故防止に協力して欲しい」と訓示。江差地区安全運転管理者協会の前田憲男会長も「事故死全国ワーストワンを甘受せず、安全運転を肝に銘じよう」とあいさつ。27台の赤色灯装備車両は沿道での警戒に続々と出動した。(松浦 純)


◎贈答用スモークサーモン作り盛ん…知内の工場
 【知内】知内町元町9の三洋食品知内工場(本社、千葉県市川市)では、クリスマスや年末年始に向けたスモークサーモンづくりがピークを迎えている。くん製の香りが立ちこめる工場内では、210人の従業員が手を休めることなく作業に当たり、一日平均で約10トンの製品を出荷している。このフル稼働は年末まで続くという。

 同社は全国のホテルやレストランなど業務用のほか、百貨店やスーパー向けのスモークサーモンを主に製造。同社製品の国内占有率は約35%に上る。

 毎年12月はクリスマス料理や贈答用として需要が高まるため、稼働時間を通常より延長して対応している。原料は、ノルウェーやカナダなどから輸入したキングサーモンやアトランティックサーモンを中心に、道内で捕れた秋サケも使う。

 徹底した衛生管理のもとで、洗浄、調味液漬け、乾燥、くん煙などの一連の工程を、流れ作業で進めている。片寄喜博工場長(52歳)は「食材のうま味を生かした独自のくん製方法だからおいしい。実際に食べてもらえれば一番分かる」と自信を見せる。(田中陽介)


◎函館でも指紋登録…改正入管法が施行
 入国審査で外国人に指紋採取と顔写真登録を義務付ける改正出入国管理・難民認定法が20日施行され、全国の空港や港で運用が開始された。函館空港には同日、韓国・ソウルから大韓航空の定期便1便と、台湾・台北からのチャーター便1便が同空港に到着し、計約290人が入国。札幌入国管理局函館港出張所によると、システム上のトラブルなどはなく、大きな混乱はなかった。

 同法は、テロリストの入国を水際で防止する目的で昨年5月に成立。特別永住者や外交官などを除き、16歳以上の外国人に指紋などの個人識別情報の提供を義務づけた。

 函館空港ではこの日、午後零時10分に大韓航空機が乗客約160人を乗せて到着したほか、同3時35分には、乗客約130人のマンダリン航空のチャーター便が到着。乗客らは専用のスキャナーで指紋を登録し、写真撮影を行った。

 審査時間も1人1分ほどで、指紋採取を拒否するなどのトラブルはなかった。(今井正一)