2007年11月30日(金)掲載

◎心に残る映画黄金期 あす映画の日…旧函館日活劇場支配人・田口さん 映写技師・潟端さん
 テレビもゲームも普及していなかった昭和30(1955)年代、映画は庶民の唯一の楽しみだった。函館市内の映画劇場もピーク時には25館を数え、特に繁華街だった大門地区はその半数が建ち並ぶ“激戦区”としてにぎわった。日本映画界を支えた製作会社「日活」の直営劇場「函館日活劇場」も85年まで営業していたが、その場所は今、函館競輪場の松風町サービスセンター(函館市松風町)に生まれ変わっている。市内に住む同劇場の最後の支配人、田口敏孝さん(78)は、市内の映画館業界の移り変わりを見詰め続けてきた一人だ。同劇場の映写技師だった市内の潟端啓一さん(75)とともに、「昔は劇場に行列ができる良い時代だった」と静かに振り返る。あす12月1日は「映画の日」―。

 吹き抜け3階建ての場内には約540席の椅子が所狭しと並び、正面には巨大スクリーン…。「大門シネマ」を前身に59年、函館日活劇場となった建物は、“日活カラー”のえび茶色の外壁が輝くモダンな劇場だった。

 田口さんと潟端さんは高校卒業後、47年と50年にそれぞれ入社。田口さんは映写技師として約25年間過ごし、その後閉館するまでの約8年間は支配人を務めた。潟端さんは当初、ほかの劇場にフィルムを自転車で運ぶ「かけ持ち」の仕事を務めた後、映写技師として最後まで働いた。

 入場料は4円99銭。戦後間もない時代で電力事情が悪く、上映は1日おきの夕方だけ。「始まる1、2時間前から人が列を作っていた」と田口さんは懐かしむ。

 当時は日活の現地社員が撮影の応援として駆り出され、田口さんも小林旭、浅丘ルリ子主演で大ヒットした「渡り鳥シリーズ」第1作目の函館ロケなど、さまざまな撮影を手伝った。

 故・石原裕次郎が主演した「夕陽の丘」(64年)の函館ロケでは撮影スタッフに同行。函館駅前の現・函館ハーバービューホテル付近での撮影で、悪役の野呂圭介が殺され海に落ちるシーンを撮り終えた後、寒さに震える姿を見た裕次郎が「野呂を殺す気か」とスタッフを一喝したことを今でも覚えているという。「面倒見が良く、大した役者だと感心した」。田口さんの思い出は尽きない。

 一時は劇場関係者が街中をパレードしたり、野球部を結成するほど市内の映画館業界も盛り上がったが、カラーテレビが普及し、娯楽が多様化する中、映画館は減り続け、同劇場も閉館の日を迎えた。

 当時は日活の現地社員が撮影の応援として駆り出され、田口さんも小林旭、浅丘ルリ子主演で大ヒットした「渡り鳥シリーズ」第1作目の函館ロケなど、さまざまな撮影を手伝った。

 潟端さんと田口さんは、半世紀を同劇場でともに過ごした仲間。現在は松風町サービスセンターの裏手にある駐車場で一緒に働いている。2人は「職場が無くなったのは寂しいが、これも時代の流れ。あんな時代はもう二度とこないだろう」と話す。

 「映画の日」は、社団法人映画産業団体連合会(東京)が、日本の映画産業発祥の記念日として56年に定めた。(新目七恵)


◎地域発展に寄与 決意新たに…本紙創刊10年記念式典
 函館新聞社(小笠原金哉社長)の本紙創刊10年と日本新聞協会加盟を記念した祝賀パーティーが29日、函館国際ホテルで開かれた。来賓の西尾正範函館市長、読売新聞グループ本社の内山斉社長、日本新聞協会(北村正任会長)の鳥居元吉理事事務局長、十勝毎日新聞社の林光繁社長、小笠原金悦本社会長らをはじめ、各界から約500人が出席。小笠原社長は「瞬く間の10年だった。本日を契機にさらに支持される紙面を作り、地域の発展に寄与するよう、社員一同決意を新たにまい進する」と誓った。

 函館新聞は1997年1月、「地域の応援紙」を理念に創刊し、地域密着と読者本意を基本理念とした紙面作り、事業展開を進めている。小笠原社長は、9月5日に日本新聞協会に加盟したことを受け「責任の重さを改めて認識し、身の引き締まる思い」と述べた。

 来賓代表の祝辞では、西尾市長が「市民が活躍し、元気な街をつくるには応援紙がなくてはならない」と激励、内山社長は「この10年間で地域に定着し、認知される新聞になった。市民の支援があってこそ」と述べた。

 また、鳥居理事事務局長は「新聞業界は大きな変革期を迎えているが、新聞が果たしてきた役割は時代が変わろうと不変。地域の読者の信頼と期待を礎とし、発展を祈念する」とした。

 続いて、函館商工会議所副会頭の沼崎弥太郎エスイーシー社長の発声で乾杯した。

 祝賀会では、本紙題字を揮毫(きごう)した創玄書道会理事、千葉軒岳さんをはじめ、函新文化講座や本紙連載で貢献した7人に小笠原社長から感謝状が贈られた。

 他の受賞者は次の通り。(敬称略)

 ▽沖田和風(書家、北城会会長)▽小林澄(華道家元池坊全国大会名誉顧問)▽藤間喜知華(藤間流師範)▽おおた美登利(漫画家)▽佐藤政五郎(かすみ園会長)▽渡辺儀輝(市立函館高校教諭) (今井正一)


◎あす「函館チェス大会」…全日本選手権3連覇・小島さん参戦
 函館チェスサークル(山田明弘代表)は12月1日午前9時半から、市地域交流まちづくりセンターで(末広町4)で「第2回函館チェス大会」を開く。函館では唯一の日本チェス協会(JCA)公認大会。同サークルで腕を磨く子どもたちや、全日本チェス選手権3連覇中の小島慎也さん(東京)など有段者が出場する。観戦は自由で、関係者は競技としてのチェス普及の足掛かりになることを期待している。

 函館は函館チェスクラブの高佐一義代表が精力的に子どもや愛好家を指導しているほか、気軽に出場できる大会も多く、チェスが盛んな街となっている。

 同サークルでは国際オリンピック委員会(JOC)公認種目であるチェスについて、競技として学ぶ子どもが増えることを願っており、子どもたちに本格的な雰囲気を知ってもらおうと昨年からこの大会を始めた。昨年は16人が出場したが、ことしは初出場10人を含め25人が出場予定。JCA競技会規定を適用する。

 同サークルには、ことし7月に東京で行われたチェスの全日本小学生選手権で優勝した函館北日吉小6年の田中春行君(12)が所属。ライバルが多い東京や海外で鍛錬し、英才教育を受けている出場者を相手につかんだ栄冠だけに、函館のチェス水準の高さが全国から注目を浴びる形になった。

 さらに今回は小島さんが参戦することで、子どもたちには大きな刺激になることが期待されている。山田代表は「チェスは英語を含め国際人として通用するマナーを身に付けることができる。遊びにとどまらず、競技として学ぶ子どもが増えてほしい」と話す。

 同大会は一定のチェスの技術があれば、当日にJCA会員となって出場することができる。問い合わせは山田代表TEL0138・53・1028。(山崎純一)


◎突然の別れ惜しむ…柳沢勝さん告別献花式
 21日に65歳で死去した函館商工会議所副会頭で、魚長食品社長の柳沢勝さんをしのぶ告別献花式が29日、ホテル函館ロイヤル(函館市大森町16)で行われた。政財界関係者など大勢の市民らが弔問に訪れ、あまりにも突然すぎた別れを惜しんだ。

 式では、生前に市水産物地方卸売市場でせりに参加したり、シンガポールとの友好親善に尽力する姿などをスクリーンに映し出した。西尾正範市長や函館国際観光コンベンション協会の沼崎弥太郎会長らが弔辞を述べると、参列者からはすすり泣く声が漏れた。

 遺族を代表して、柳沢さんの長男で2代目社長に就任した政人さんが「生涯、あきんど魂を貫いた先代の遺志を引き継ぎ、おもてなしの心を忘れることなく、すべての人々との出会いを大切にしていきたい」と述べた。参列者は笑顔の遺影が飾られた祭壇に花をたむけ、手を合わせていた。(浜田孝輔)


◎新五稜郭タワー あすオープン1周年
 五稜郭タワー(函館市五稜郭町43、中野豊社長)のアトリウムで12月1、2の両日、新タワーグランドオープン1周年を記念したイベントが開かれる。

 1日は午後2時から、2005年の第41回江差追分全国大会の優勝者で、乙部町出身の寺島絵里佳さんが自慢の歌声を披露。同2時半からは、同社が函館在住の職人に発注していた星形の手回しオルガンが初公開される。同3時45分からはヤマハ音楽教室の講師によるジャズコンサートが行われる。

 2日は午後1時から日本航空(JAL)の客室乗務員でつくるハンドベル隊「べルスター」、同3時からは函館本通中学校吹奏学部がそれぞれ出演する。

 また、新タワーのグランドオープンと同時に誕生したキャラクター「GO太くん」が1日午後2時45分からと、2日同1時半から登場し、輪投げなどのゲームを来場者と楽しむ。ゲーム参加者にはオリジナルグッズを用意している。

 このほか、アトリウム1階のファストフード店で正午から、パンを2個購入すると、あん入りクロワッサンを進呈。2階の喫茶では通常1杯250円のコーヒーを100円で提供する。

 問い合わせは同タワーTEL0138・51・4785。(浜田孝輔)