2007年12月22日(土)掲載

◎はこだてスウィートキャンドルプロジェクト 函館・横浜同時点灯式
 2009年に開港150周年を迎える函館と横浜の連携を図ろうと、各事業に取り組む「はこだてスウィートキャンドルプロジェクト」(函館港促進協議会主催)は21日、結婚する横浜市在住の太田信夫さん(39)と宮寺弘美さん(31)を招き、はこだてクリスマスファンタジー会場内(同市豊川町)にある巨大ツリーの点灯式を行った。大勢の観客が祝福する中、会場は色鮮やかな電飾と温かな愛に包まれていた。

 22日に函館市内で結婚式を挙げる2人は、トナカイの電飾を施す巨大なソリに乗ってステージに登場。サンタクロースに扮(ふん)した司会者が「結婚式を函館で挙げるきっかけは」と問うと、太田さんは「旅行で何度も来ているが、港町の美しさに毎回感動し、魅力あるまちで記念日を迎えたかった」と語った。横浜会場と同じキャンドルを1000個使用し、メッセージを書いて灯すイベントも行われた。

 点灯式を終えた宮寺さんは「多くの人に祝福され、一生の思い出になった」と目に涙を浮かべて話していた。同会場では22日まで、函館の美しい港の風景を紹介する「みなとフォトアルバム」(函館開発建設部主催)を開催している。時間は午後5時から同9時まで。(小橋優子)

 【写真解説】緊張した面持ちでステージに立つ太田さん(右)と宮寺さん


◎市が監査請求結果 旧検疫所「決定できず」合議整わず、異例の形
 函館市監査委員は21日、旧函館検疫所台町措置場の建物賃貸借契約と、介護付き有料老人ホーム建設をめぐる2件の住民監査請求の監査結果を出した。検疫所については「監査委員の合議が整わず、監査結果を決定できない」という異例な形となり、福祉施設問題については「理由がない」として棄却した。市監査事務局によると、市の監査請求に対し合議に至らなかったのは、監査が始まった1955年以降初めて。

 旧検疫所の問題は、市が公募で選定した札幌市のNPO法人(特定非営利活動法人)との賃貸借契約を、開業が当初予定より遅れているなどの理由で2006年9月に解除。その直後に同法人の理事を務め、運営に関与していた埼玉県内の会社役員の男性と随意契約を結んだ。これらの経緯が男性への便宜供与に当たり違法性があると、道南市民オンブズマンの大河内憲司代表ら9人が監査請求した。

 監査委員は審議を重ねたが意見が分かれ、最終的に一致しなかった。地方自治法では監査、勧告の決定は「監査委員の合議によるもの」とあり、この合議は「最終的に全員の意見の一致が必要」と解釈されている。

 監査結果には、参考意見として「新たな契約者となる資格を欠くとまでは言えず、市としての損害発生の恐れもない」「男性の資金提供の約束不履行が当初契約の解除につながった。公序良俗に反し、新たな契約者となる資格がない」などとする双方の見解を添えた。

 大河内憲司代表は「住民側に再び問題を投げ返したという意外な結果。監査委員の機能を果たしていないのではないか」と話し、住民訴訟の準備を進めるとしている。

 福祉施設建設をめぐる問題で監査請求をしたのは、市内在住の不動産業の男性(55)。問題となった介護付き有料老人ホーム建設を計画していた会社の役員を務めた。市が不当に有料老人ホームの建設を妨害したため、施設整備により得られる固定資産税などの収入が入らなくなり市に損害を与えたとし、責任者だった西尾正範助役(当時)に支払われた退職金の一部1000万円の返還などを求めた。

 監査委員は、施設建設の妨害があったかなど、市の行政手続きに関する内容は「財務会計上の行為に該当せず、措置を請求できる対象ではない」と一括して退けた。西尾助役への退職金支給は法令に基づいた行為で、固定資産税収入は、施設がないため損害の発生原因がなく、損害が生じたと判断できないとした。

 男性は「訴訟を検討することも考えている」と話している。(今井正一、高柳 謙)


◎国立病院附属看護学校が2011年3月末で閉校
 函館市川原町の独立行政法人国立病院機構函館病院附属看護学校(石坂昌則校長)が、2011年3月末で閉校することが21日までに分かった。運営する同機構(東京)によると、入学希望者の減少や実習先の確保が困難なことなどが閉校の理由。学生募集は来年4月の入学生を最後に停止する。函館、札幌などの地域の医療機関を支える人材育成を担ってきた同校は、31年間で歴史を閉じることになった。(新目七恵)

 同校は1980年4月、国立函館病院附属看護学校として同病院の隣接地に開校。3年課程の看護師養成校で、2004年4月、設置主体の変更に伴い校名を変更した。

 定員は1学年40人で、現在は114人が在籍している。今春までに1711人が卒業し、同機構の函館病院や北海道がんセンター(札幌)、八雲病院など道南、道内を中心とした医療現場に人材を送り続けてきた。

 閉校について、同機構は「学生確保に苦慮していることや、院外講師の確保が困難になっていることなどを総合的に判断した」(広報文書課)と説明している。

 一方、同病院自体も患者減などから累積赤字が昨年度末で約24億円に上る厳しい経営状況にある。しかし、同機構では「経営の自立に向けて病院が一丸となって取り組んでおり、地域の医療ニーズに応えるためにも運営は続ける」(同)としている。

 同機構が運営する看護学校は、同校含め道内に3校あるが、このうち道北病院附属看護学校(旭川)は来年3月末に閉校。残る西札幌病院附属札幌看護学校は継続する。

 同校では現在、最後の学生を募集中。出願受付期間は来年1月4―11日で、募集に関する問い合わせは同校TEL0138・51・6129。同校では「閉校まで、責任を持って教育していきたい」と話している。


◎戸井マグロ 家庭でも味わって 直売店が23日にオープン
 戸井産の天然本マグロの直売店「まぐろ屋」が23日、函館市高松町505に開店する。東京・築地市場などで高値で売買され、地元では手に入りにくかったが、今後は家庭でも味わえるようになる。同店を運営するヤマカ運輸水産部の菅藤孝雄社長(49)は「多くの市民に食べてもらい、お土産としても親しんでもらえれば」と話している。

 戸井マグロははえ縄漁法で釣り上げ、船上で素早くせき髄の神経と血を抜く独自の処理で鮮度を保ち、味に定評がある。90%以上が築地市場を中心とする本州方面で流通し、300キロを超える大物なら数百万円で取り引きされ、青森の大間マグロをしのぐ勢いで評価が高まっている。

 菅藤社長は「戸井マグロはなぜ地元で味わえないのか」という声を耳にし、「地元の人や観光客にも戸井マグロを味わってもらいたい」と出店を計画。戸井漁協に所属し、マグロ漁に従事する義兄、境隆義さん(49)の協力を得て、今春から開店準備を進めてきた。直売所は函館空港に近く、大きなマグロの看板を掲げて観光客にもPRする。

 販売するのは赤身や中、大トロが主で200―250グラムに切り分けて真空パックにし、冷凍状態で提供する。価格は赤身で100グラム1100円から。7―12月の漁期には予約すれば生の状態でも購入できる。また、道内では珍しく胃袋や心臓など内臓も販売するほか、要望に応じてカマ(えらの部分)やハチ(頭)、ホホも提供できるという。

 23日はオープニングイベントで午前11時からマグロの解体ショーを行う。営業時間は午前10時―午後5時。来年4月末まで月曜定休。問い合わせは同店TEL0138・59・1905。(宮木佳奈美)


◎せたな町でBSE発生
 【せたな】厚生労働省などは21日、せたな町の農場で飼育していた黒毛和牛1頭が、BSE(牛海綿状脳症)と診断されたと発表した。桧山管内でのBSE発生は2例目。国内での発生は34例目。道BSE対策本部は同日、この農場と10月まで問題の牛を飼育していた日高管内新冠町の農場に対して、家畜伝染病予防法に基づき、同じ農場内で飼育している牛の移動制限を指示した。

 死亡牛の肉や内臓は焼却処分されるため市場に流通することは無い。

 対策本部によると、死亡牛は15歳4カ月になる黒毛和種の雌。1992年7月に島根県で生まれ、93年からは新冠町の農場が繁殖用に飼育。ことし10月23日から、せたな町の農場で飼育していた。今月19日に食肉処理され、八雲食肉衛生検査所(八雲町)のBSE検査で陽性反応が出た。

 北大と帯広畜産大で行った確認検査でも陽性となり、同省の「牛海綿状脳症の検査にかかる専門家会議」の委員がBSEと確定診断した。

 同本部は、せたな町と新冠町の農場に対して、問題の牛と同居していた約80頭の牛について移動制限を指示。桧山支庁も21日、BSE防疫対策本部(本部長・亀谷敏則支庁長)を設置。22日からせたな町の農場で、約35頭の同居牛について、BSEの疑いがないか調べる。

 桧山管内では2006年5月、今金町で飼育されていた乳牛1頭が初めてBSEと診断されている。(松浦 純)


◎記者回顧(1)田中
 初夏の木古内―。沿道で鮮やかに咲くピンク色のアルメリアに目を奪われた。近くの民家の庭先で宴会を楽しむ町民にこの花の取材の趣旨を伝えると、「まずはご飯食べていきな」と手招きされた。言われるままに座り込むと、「木古内の話は俺に任せろ。何かあれば連絡するからな」と肩を強くたたかれた。

 6月から渡島西部の木古内、知内、福島、松前の4町担当になった。それまでは8カ月間、函館市で町会などを取材していた。高齢者と接する機会が多く、担当を代わる際には「どこにいっても頑張りなさい」「いつでも遊びにおいで」という優しい言葉に胸を打たれた。感謝の気持ちでいっぱいになった。

 現在担当する各町でも、日々の出会いが貴重な財産になっている。その日の取材スケジュールは前夜までに大まかに決めるが、当日その通りに動けることはほとんどない。車を運転しながら、興味を覚える光景や人物に出会うたびに、すぐ飛び込んで取材してしまうからだ。

 真夏の福島。峠道で三度笠をかぶり、風変わりないでたちで歩く20人を見掛けた。本州から訪れ、徒歩で道内一周を目指し、ことしは函館から日本海側ルートで稚内を経由して紋別まで行くという。早速記事化した。1カ月後に「無事到着!道内一周まで残り半分」という“紋別発”の記事と写真が全国紙に載った。真っ黒に日焼けした見覚えのある笑顔。「来年、函館にゴールする時も取材したい」と思う。

 秋の松前では歴史的風景をキルト生地で表現するお年寄りに出会った。「城下町に住む誇りと、豊かな自然を形にできれば」。ひたむきな姿に心を打たれた。これまで松前に足を運ぶ機会はなく、授業で学んだ歴史の深いまちという漠然としたイメージだけだったが、そこに暮らす人と接するうちに、その土地の魅力に引き付けられた。「またあの人たちに会いたいな」。函館から片道2時間の距離も、それほど苦ではなくなった。

 雪が舞い始めたころ、知内で児童らが共同生活をしながら学校に通う教育事業を取材した。「相手を思いやる協調性などをはぐくむきっかけになれば。知内を代表する事業にしたい」と話す町教委社会教育係主事の小林亮さん(34)の情熱に圧倒された。「楽しみながら、真剣に仕事をする大人の姿を見せることが、子どもたちの将来の夢を膨らませるよね」。小林さんの言葉にうなづいた。

 さまざまな出会いから楽しみを見いだし、それを読者に伝えようと走り回っている。来年はどんな出会いがあるのだろう。ささいな話題でもどん欲に取材したい。人間同士の一層の交流も深めたい。そうした中から、読者の心に響く記事を書きたいと強く思う。(田中陽介)

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 ことしも残すところあと10日を切った。明るい話題から暗いニュースまで、さまざまな出来事が紙面を飾った。その都度、記者が現場で取材に当たり、その様子を報じてきた。担当記者がそれぞれの思いで「あの時」「この1年」を振り返る。(10回連載)