2007年12月25日(火)掲載

◎聖夜に満月 ツリーと“共演”
 函館の街がクリスマス一色で彩られた24日、上空にはきれいな満月が浮かんだ。月の光で街は明るく照らされ、地上のイルミネーションとともに、ロマンチックなムードに包まれた。

 クリスマスイブに満月となるのは1969年12月24日以来38年ぶり。函館では午後4時半ごろから東の空にオレンジ色の姿を見せ始めた。冬の月は夏よりも高く上がるため、同5時半ごろには市内の各地で見られるようになった。

 クリスマスファンタジーの会場では、多彩な色合いを見せる巨大なメーンツリーの近くに白く輝く満月が並んだ。「今日は満月だ」と気付いた人たちは美しい“共演”に見入っていた。(山崎純一)


◎クリスマスファンタジー、Natsukiさんライブ
 「第10回記念2007はこだてクリスマスファンタジー」(実行委主催)は24日、札幌在住のゴスペルシンガー「Natsuki」をゲストに迎えた「ファンタスティックイブ・クリスマススペシャルライブ」が行われ、イブの夜を熱く盛り上げた。

 開局15周年を迎えた「FMいるか」主催イベントで、公開生放送も同時に行われた。Natsukiさんは午後6時の点灯式から登場。連休最終日のクリスマスイブとあって数多くの観客が見守る中、「スリー、ツー、ワン、ゼロ」のカウントダウンに合わせてNatsukiさんが点灯スイッチを押すと、20メートルのメーンツリーがきらびやなイルミネーションに包まれた。

 続いて行われたライブでは、Natsukiさんが圧倒的な声量と透明で伸びやかな声質で「ジョイフル・ジョイフル」「グローリー・グローリー・ハレルヤ」などゴスペルの名曲を迫力いっぱいに披露。また「サンタが街にやってくる」「ザ・クリスマス・ソング」など、クリスマスの名曲をソウルフルなアレンジで歌い上げ、観客を魅了した。ステージと客席が歌声を掛け合う「コール&レスポンス」による「オー・ハッピー・ディ」では会場全体が歌声でひとつに包まれ、寒さを吹き飛ばす熱いステージが繰り広げられた。

 会場では観客がカメラ付き携帯電話などを手に、輝くツリーやステージを撮影する姿が目立った。

 クリスマスファンタジーは25日に最終日を迎え、同日午後8時のメーンツリー消灯式で25日間の幕を閉じる。(小川俊之)


◎秋山さんが28日から「凧展」
 道内をはじめ、日本各地の郷土凧(だこ)を収集すると同時に、和紙と竹、染料を使用した日本伝統の和だこづくりにも励んでいる函館市深堀町在住の秋山修世さん(78)の作品展「新春凧展(日本各地の郷土凧)」が、28日から同市旭岡町78の介護老人福祉施設「旭ヶ岡の家」で開かれる。秋山さんは「各地に伝わる郷土凧は形や絵柄など個性的なものが多い」と魅力を話している。来年1月末まで。(小橋優子)

 秋山さんは約35年前、東京で開かれていた工芸展を訪れた際に、初めて目にする色鮮やかな「土佐凧」に引かれ、それから収集を開始。次第に制作にも興味を抱き、市内在住の故太田比古象さんに30年間師事した。

 今回は、十二支をモチーフに制作した凧がメーン。商売繁盛を願った「大入り」を中心し、オリジナルのかわいらしい干支(えと)を添えた太田さんの「大入干支(かんし)凧」と、縦55センチ×横40センチの角凧に「寿」の文字と干支を描いた秋山さんの「干支寿賀凧」を計24点展示する。

 このほか、これまで収集した郷土凧約300点の中から厳選した作品も展示。中でも、赤と黒色で書かれた島根県出雲市の「大社凧」は、3年間掛けて収集したお気に入りで、「凧は普通左右対称だが、文字をかたどっているため形がばらばら。それでもしっかり天空を舞うのが魅力的」と語る。また、アイヌ文様をモチーフにした「カムイ凧」や、かもめと波で北海道をイメージした「そうらん凧」など、多種多様な作品を会場に並べる。

 秋山さんは現在、日本の凧の会函館支部長などを務め、日ごろから制作活動に取り組む傍ら、凧を通じて全国の仲間と交流を深めている。1998年には道知事が認定する「街の匠」で「和凧づくり」の登録も受けている。秋山さんは「個性的な郷土凧を見て楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。開場時間は午前9から午後6時まで。


◎故・岡村昭彦さん写真展始まる
 函館ゆかりの国際報道写真家、故・岡村昭彦さん(1929―85年)の活動を振り返る写真展「岡村昭彦の軌跡 十字街からベトナムへ。ホスピスへ。」(NPO法人はこだてフォトアーカイブス・はこだて写真図書館主催)が24日、函館市末広町の市地域交流まちづくりセンターで始まった。会場にはベトナム戦争など世界各地の戦場で撮影した兵士、農民らの様子をとらえた写真パネル150点が並び、訪れた人の目を引いている。来年1月12日まで。

 岡村さんは24歳のころから3年間、函館で生活した後、フリーの国際フォトジャーナリストとして活躍。「南ヴェトナム戦争従軍記」(1965年、岩波新書)の著者としても知られる。

 会場には、米国雑誌「LIFE」の表紙にもなった、地雷を逃れた直後に膝を付く南ベトナム政府軍兵士の呆然とした表情の作品をはじめ、兵士に拷問された農民青年や母親の死体を横に泣きじゃくる赤ん坊など、戦場の悲惨な実態を写し出した写真が並ぶ。岡村さんのルポと写真が掲載された1960年代当時の日本の雑誌、写真集などもあり、精力的な活動の数々を知ることができる。

 妻と訪れた市内の大家弘さん(78)は「学生のころ、函館市内の書店で働いていた岡村さんと知り合いだった。各地を飛び回り、命懸けで撮影された写真を、戦争を知らない若い人に見て欲しい」と話していた。

 写真展は午前9時―午後6時。12月31日―来年1月3日は休館。問い合わせは、はこだて写真図書館TEL0138・27・1018。(新目七恵)


◎道南の障害者雇用率、民間企業の半数が未達成
 函館公共職業安定所(函館市新川町)がこのほどまとめた渡島・桧山管内の民間企業の障害者雇用状況によると、調査対象171社のうち、法で定める一定の障害者雇用率を超えているのは87社で、残る84社(49・1%)が未達成だった。全国的にも障害者雇用はなかなか進まず、政府は24日までに、精神障害者を試用する企業に助成金を払う制度を新設する方針を固めた。関係機関によると、障害者雇用が進まない背景には、厳しい道南の経済状勢や障害特性と仕事のマッチングの難しさ、依然根強い障害への偏見などがあるとされている。(新目七恵)

 「障害者の雇用の促進等に関する法律」では企業や国・地方公共団体などに、一定割合以上の障害者を雇うよう義務付けており、民間企業(労働者56人以上)は雇用率(全従業員に占める障害者の割合)1・8%以上と定められている。

 同職安によると、6月1日現在の両管内企業の雇用率平均は1・97%で、全道平均(1・70%)、全国平均(1・55%)より高いものの、前年(1・98%)比0・01ポイント減となった。

 道が3月に策定した「道障害福祉計画」では、福祉施設から一般就労に移行する障害者数を2011年度までに年間420人までに増やすことが明記されている。全国、全道で障害者の雇用率は微増傾向にあるものの、道労働局によると道内でも52・1%の企業が未達成のままだ。

 こうした背景から、政府は特に、途中で退職するケースも多い精神障害者の就労の定着を図ろうと、新たな助成制度の創設を提案、2008年度の導入を目指している。

 今回の調査結果について、同職安は「道南の厳しい経済状勢のしわ寄せが障害者雇用にも影響している」とし、今後、未達成企業への指導を強化していく方針だ。


◎記者回顧(4)市政離れて新たな挑戦
 報道部に配属されて以来、3年近く取材を担当した函館市役所(市政)を6月中旬に離れ、転機を迎えた。初めての担当代えでは女性や育児の問題、文化・芸術などの分野を担当することになった。しかしそれもつかの間、わずか2カ月余で渡島支庁担当に異動。その1カ月後、改めて文化・芸術など現在の担当に落ち着いた。

 市政担当のときは普段から庁内の記者クラブ室に出入りし、職員と顔を合わせていたため、快く取材に応じてもらえることが多かった。ただ、取材慣れするにつれ、「市民感覚が麻ひしてないか」「行政の立場で物事を見てないか」と自問自答することも。担当代えは自分のこれまでの取材姿勢を検証するいい機会になった。

 今年は関心のある分野に少しずつ挑戦できた年で、道内唯一の自立援助ホーム「ふくろうの家」(函館市若松町)とのかかわりもその一つ。6月に同ホームを運営するNPO法人(特定非営利活動法人)「青少年の自立を支える道南の会」(藤田俊二理事長)の定期総会に顔を出したのがきっかけだった。

 同ホームは里親委託を解除されたり、児童福祉施設などを退所したりしても、保護者からの虐待や経済的な事情などで家庭に戻れない未成年者が共同生活する。ボランティアが心のケアと生活や就労を支援している。総会では1人でも多くの若者を助けたいという関係者の熱意とともに、運営費の財源が寄付や会員の会費などで賄われ、不安定なものだということも分かった。

 なぜ今、自立支援ホームが必要か。そんな疑問から同ホームを訪ねてみた。中学卒業と同時に就労すると、児童福祉施設を退所しなくてはいけない現制度や、里親委託の解除なども含め、何らかの事情で親元へ帰れない子どもたちの存在が背景にある。虐待経験、知的障害や発達障害など内面的な問題を抱えていると、なおさら未成年者が1人で社会を生き抜くのは厳しいだろう。「人間にとって帰れる家は大切。孤立感を深めている彼らが、何かあったときに相談できる存在がいなくては」。高橋一正ホーム長の言葉が胸に残る。

 設立3年目を迎えてもいまだ公的助成はなく、運営は厳しい。「ホームの必要性や、諸制度の狭間で支援を受けられない子どもたちについて伝えたい」と、高橋ホーム長にインタビューし、記事として掲載した。関心を持った読者から「連絡先を知りたい」と問い合わせがあり、1人でも多くの人に知ってもらいたいという思いが強まった。

 民間活動への取材を通じて、弱者の立場や市民感情を肌で感じる。これからも多くの人の話に耳を傾け、心を通わせていきたい。(宮木佳奈美)