2007年1月12日(金)掲載

◎吉田さん、マッチ棒で陽明門を制作「小さな美術館」で展示
 函館市桔梗2の吉田治美さん(57)が約30年前に約10万本のマッチ棒で制作した日光東照宮(栃木県)の陽明門が20日まで、函館市本町31の本町市場内「市場の中の小さな美術館」で展示されている。本物同様にさまざまな動物の彫刻が施された精巧な作り。吉田さんは「木でできたぬくもりを感じてもらえれば」と来場を呼びかけている。

 「青春の思い出」と銘打って出品。吉田さんは高校2年の時、修学旅行で見た陽明門に驚き、制作を決意。江戸文化の粋を集め、豪華精巧を極めて作られた門を再現するため、プラモデルを買い、細かい部分まで研究した。

 約800本入りの徳用マッチ箱を約130箱用意。約10年かけて完成させた。約500ある龍、馬、麒麟(きりん)、中国の聖人などの彫刻は、マッチ棒を束ね、洗濯ばさみや文鎮で固定し、木工ボンドで固めた後に彫った。「若いときに打ち込めるものがあって良かった」と話す。

 彫刻より苦労したのは屋根。中央が盛り上がり、両端が反り返る独特の曲線を忠実に再現するため、用意したマッチ棒の中から曲がっているものを選び出して使った。「最初から角度を計算しないと完成しなかった」と振り返る。

 何も塗らず、マッチ棒にあるろうだけでつやを出している。会場では回転する台に置かれ、横や裏など全容を見ることが可能。拡大鏡も用意され、精巧な作りをじっくり味わえる。終日眺めても飽きがこないとされた同門の別名「日暮門」を感じさせる出来栄えだ。(山崎純一)


◎3月22日から巡回展「ロマノフ王朝と近代日本展」
 ロシア国立図書館(サンクトペテルブルク)の収蔵資料を展示する、日露修好150周年記念「ロマノフ王朝と近代日本展」の函館巡回展(函館市、道立函館美術館など主催)の日程や内容が決まった。3月22日から4月5日まで同美術館で開催し、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の戴冠式や皇太子時代の極東外遊の写真、開港時の箱館の様子を伝える絵画や書籍などの一級資料約300点を展示する。

 同図書館収蔵品の海外展示は初めてで、昨年4月から長崎、新潟を巡回し、今年は静岡、函館、東京で開く。17世紀から20世紀初頭にかけての日本とロシアの交流関係資料を紹介する。

 絵画では、開設された箱館領事館の初代領事一行の軍人ナジモフによる原画「箱館―在日本ロシア領事館所在地」(1862年)や、A・Fモジャイスキーの原画「箱館の日本寺院の中庭」(57年)など、当時の箱館の姿を伝える貴重な作品が並ぶ。

 ハリストス正教会の読教者イワン・マホフが61年に箱館で作った、子供のためのロシア語の入門書「ろしやのいろは」は、市中央図書館も所蔵(市指定文化財)しており、函館展ではロシアと函館の両図書館の書籍が並ぶ。

 また、57年にサンクトペテルブルクで刊行され、函館にもたらされた「和魯通言比考」は、日本人の協力を得ながら作った和露辞典。これもロシア国立図書館蔵と市中央図書館蔵があり、双方が展示される。

 このほか19世紀末、皇太子時代のニコライ2世が極東に外遊し、鎌倉や東京、大津などを訪れた時の写真や、96年にモスクワで撮影された戴冠式の写真なども並ぶ。

 期間中、ロシアの民族衣装試着体験、函館市民オーケストラの管弦楽ユニットによるミュージアムコンサート、函館市の市制施行50周年を記念し旧ソ連時代の1972年、市民が「函館市民の船」でロシア極東を訪問した際の記録映像の上映などもある。

 観覧料は一般600円(前売り450円)、大学・高校生300円(同250円)、小中学生200円(同150円)。期間中の土・日曜は小中学生無料。

 主催する市は「函館とロシアの交流の深さをいろいろな角度から実感してもらいたい」と話し、来場を呼び掛けている。(高柳 謙)


◎不二家・函館市内の店舗も休業
 大手菓子メーカーの不二家が、埼玉工場で消費期限切れの牛乳を使用してシュークリームを製造していた問題で、函館市内にあるフランチャイズ店4店舗は11日朝から、店頭に当面の休業を知らせる張り紙を掲示し、閉店している。

 いずれの店舗も商品は、札幌工場(札幌市豊平区)で製造されたものを入荷して販売。同工場では今のところ問題はないが、同社は品質管理の徹底が図られるまで全洋菓子工場休業を決め、全国のチェーン店での営業自粛を通達した。

 函館市内の店舗前では、突然の休業を知らせる張り紙に見入る人の姿も。ある店舗の従業員は「常連の方から多くの励ましの言葉をいただき、心強い反面、今回の騒動を全体の問題として厳粛に受け止めたい」と話していた。(浜田孝輔)


◎道議選に七飯町役場の石田氏出馬へ
 【七飯】七飯町役場会計課長の石田廣紀氏(58)は11日、4月に行われる統一地方選挙の道議選渡島支庁区(定数3)に出馬する意向を明らかにした。石田氏は16日付で退職する。

 函館新聞社の取材に対して石田氏は「(出馬を)後押しする声に応え、決意を固めた。道南の発展のために微力ながら貢献したい」と述べた。退職後、後援会組織の発足に取り掛かり、自民党の推薦を得たい考え。

 石田氏は函館市生まれ。函館大学卒。1971年4月に七飯町役場入り。94年に商工観光課長となり、都市住宅課長、総務課長、企画財政課長などを務めた。(鈴木 潤)


◎景観形成住宅等建築奨励金制度を利用した一般住宅完成
 函館市の景観形成住宅等建築奨励金制度を利用した一般住宅がこのほど、完成した。2階建てで、2階が下見板張り風の外壁に縦長窓、1階が聚楽(じゅらく)風の塗り壁で格子窓を設けた和洋折衷住宅。持ち送りや胴蛇腹などの函館らしさを、現代風の要素を取り入れて再現した。家主の夫妻は「昔の技法のすごさを知りました。函館の魅力が集約されている地区。街並みになじんだ家を建てたかったので、満足です」と喜んでいる。

 同奨励金は、西部地区の都市景観形成地域で、街並みに配慮した住宅や店舗などを新築・購入する際、200万円を上限に助成する制度。設計には、市の景観アドバイザーとの協議が必要で、「函館らしい建造物」の技法を用いることが条件となる。市では2005年度から年3件分の予算を計上している。

 家主は01年に旭川から移住し、西部地区で生活を始めた。家を建てるに当たり、同地区に住むことを前提に、地道な土地探しや、家のデザインに夢を膨らませてきた。設計は市内の北海道ハウス(美原1)が担当。屋根下の持ち送りや額縁付きの縦長窓など景観アドバイザーの山内一男氏を交えて夫妻のこだわりを再現した。

 夫妻は「外観が出来上るたびに街並みに溶け込んでいくようでうれしかった。ここの場所は観光客も通るので、景観に配慮するのは使命みたいなものですね」と話す。

 市都市デザイン課では「歴史的要素を取り入れ地域になじんだ家となった。将来的には増改築時に利用できるよう制度に柔軟性を持たせることも検討したい」と話している。(今井正一)



◎桧山、スケトウダラ漁苦戦
 【江差】昨年11月に始まった桧山沿岸海域のスケトウダラの累計漁獲量は、同12月末現在で4939トン(前年同期比9・6%減)、水揚げ額は10億6797万円(同13%減)で、過去最低水準だった2005年を下回る漁模様だった。

 ひやま漁協(乙部町)の支所別に見ると、管内最大の水揚げがある乙部の累計水揚げ量は2387トン(5・5%減)、江差は1019トン(同29・1%減)、上ノ国394トン(同59・5%増)。熊石は1137トン(同10・3%減)。大成、瀬棚、奥尻の各支所では漁獲がない。

 同12月の水揚げ量は乙部329トン(同36・2%減)、江差120トン(同63・2%減)、上ノ国81トン(同14・8%増)、熊石141トン(同44・1%減)。

 累計水揚げ額は、乙部5億3598万円(同7・5%減)、江差2億371万円(同29・1%減)、上ノ国3943万円(同59・5%増)、熊石2億5094万円(同12・8%減)。

 同12月下旬の1キロ当たりの平均単価は、前年より16円高い256円。11月以降の平均単価は同8円安の216円。同11、12月の生鮮出荷は、国内向け7・7トン(同64・9%減)、韓国中心の輸出は1603トン(同9%減)の合計1612トン(同9・7%減)で、全漁獲量の32・6%を占めた。(松浦 純)



◎企画・函館で歩む(6) 水越政一さん
 後志、胆振地方を含め、道南唯一のカメラ修理専門店、水越カメラサービス(函館市松風町)。何種類もの工具を使い、ミリ、時にはそれ以下の単位の細かな作業を約40年続けてきた水越政一さん(67)。デジタルカメラの普及で仕事量はピーク時の約5分の1になったが、「店がなくなると困る人も多いでしょう」と黙々と工具を動かす。

 胆振管内豊浦町の畑作農家に生まれた。中学校卒業後、農家を継ぐのが嫌で、1人で函館に移り住んだ。定時制高校に通う傍ら、叔父からカメラ修理を教えてもらい、カメラ修理職人の道を選んだ。

 1969年、30歳の時に独立。当時は1本のフィルムで2倍写真が撮れるハーフカメラが全盛期。多い月には約250台を修理した。2年前までは2人のスタッフを抱えていた。基盤の溶接をこなし、足りないねじは自分で作った。だが、デジタルカメラの普及とともに修理台数は減り、今は一人で十分間に合う。

 デジタルカメラは、メーカーごとに露出などを測定する機械が異なり、何社もの機器を導入するには莫大な費用がかかる。また、銀塩カメラも電子部品が多くなり、基盤が合成樹皮のため溶接もできなくなった。部品もユニット交換式になり、1台のカメラの部品数は1けた減っているという。「職人芸が要らなくなりました」

 3年前までは月約150台に上った修理は今では約50台。「こつこつ集中する仕事は若い人には向かない。設備に費用もかかり、若い人に継げない仕事になった」。だが、変わらないのは修理を待っている人の期待に応えようとする情熱だ。

 旅行で函館山を訪れ、夜景を撮影していた人が「急にカメラが故障した。明日の朝、帰るまでに直して」という依頼にも徹夜で応えた。「観光客からお礼を言われると、この土地で仕事を始めた喜びを感じる」としみじみ語る。

 最近、持ち込まれるカメラは、20年以上前の型が珍しくなくなった。「親の形見などの品が増えているのかも。各家庭にとって愛着あるカメラ。使えるようにしてあげたい」と力を込め、「体の続く限り頑張りたい」と柔和な表情を見せる。