2007年1月5日(金)掲載

◎移住企画「新天地 函館で」(2)伊藤浩一さん(54)敬子さん(55)
 夫婦で自営業に従事し、念願だった50代での移住を実現させてから、間もなく1年半を迎える。函館を「一生住もうと思って決断した街」とする夫の伊藤浩一さん(54)は、妻の敬子さん(55)と互いの趣味ややりたいことを尊重し合いながら、悠々自適の生活を送る。

 浩一さんは大学在学中、おじが営む酒店を手伝っているうちに自営業に興味を抱いた。一方、ホテルに勤めていた敬子さんは「違う分野にチャレンジしたい」との思いがあった。2人は知人の紹介で知り合い、結婚を機に浩一さんの実家がある千葉県内で酒店を開業した。

 午前6時には仕入れに向かい、閉店は午後11時という慌ただしい日々を過ごし、30代後半に差し掛かったころ、2人で取り決めたのが“50代での定年”。「精根尽き果ててからでは、やりたいことはできない。一度きりの人生だから」と浩一さんは、夢をかなえるため仕事に汗を流した。

 浩一さんは2000年に母、03年には15年間にわたって店を手伝ってくれた父を亡くす。同時に、両親への孝行をまっとうしたと感じた夫妻は、長年の夢だった50代での定年を果たし、夏の猛暑、梅雨の厳しい都会に別れを告げた。

 移住先については、おいしい食事と、上ノ国町出身である敬子さんのことを考慮。「かみさん孝行ですよ」とおどける浩一さんに、敬子さんは笑みを浮かべる。函館のロケーションの良さに引かれ、「都会と田舎の要素がある。ゆっくり時間をかけて探そうとウイークリーマンションを借りたが、とんとん拍子で決まった」。選んだのは市内の新興住宅地だった。

 浩一さんは釣りのほか、家庭菜園やバラの栽培に没頭。一方の敬子さんは、ショッピングが楽しみの一つで、「気の毒になるくらい新鮮な食料品が安くて」と、今ではイカをさばくのもお手の物となった。今後は「食事や日帰り旅行に行ける友人も作りたい」と話す。

 充実した日々を送る中、昨年の冬は除雪に追われ、「大変だった」。移動手段としていたバスが遅れ、困惑した日もあったが、プラス思考で運動不足解消にと歩くことを日課とした。

 「話題には事欠かない」とする2人の間には、笑顔が絶えない。「健康で楽しく暮らせるのが何より。だって、こういった生活に長年あこがれてきたんですよ」と互いに顔を見合わせると、より和やかな雰囲気が広がった。(浜田孝輔)


◎函館で歩む(1)大江流さん(75)
 北海道の歴史を、約50年間研究してきた。「私の歴史研究は目的がしっかりしており、筋金入り。すべて市民、道民のためです」と話す函館市美原の大江流(りゅう)さん(75)。ことしは約40年前に興味を抱いた松前藩初代藩主・松前慶廣(よしひろ)について、5年前から研究し、昨年書き上げた歴史小説「慶廣と家康」の自費出版を目指す。「長年の集大成。発刊し、皆さんに慶廣の偉大さを知ってもらいたい」と話す。

 1954年、同志社大学卒業後、自衛隊に入る。55年、第7師団情報部(千歳)に所属。62年、キューバ危機の中、旧ソ連と対岸にある北海道の防衛について思索した。「日本の国土である北海道の歴史を、道民が理解することから防衛が始まる」と考え、自ら道の歴史研究を始めた。

 84年、函館で退官。さらに北海道の歴史研究を究める道を進んだ。「北海道の歴史は、第2次世界大戦の中で抹殺されたものもあり、戦前のものは神話とされるところがある。隠れた歴史もよく学ぶことで、広く全般的に北海道を見ることができる」と説く。

 そんな大江さんが以前から興味を持っていたのは慶廣。「安東家の官領が藩主となり、徳川幕府とかかわりを持つようになったのは謎」と、これまで未解明の慶廣の生涯、家康とのかかわりを解くことを考えていた。

 7年前、松前藩の初期の記録である「新羅之記録」を入手。そのほか、さまざまな人から譲り受けた資料、歴史書を調べ、慶廣と家康の親交や、慶廣の出世の過程などを5年がかりで調べた。慶廣が諸外国と密かに行っていた貿易で財産を築き、家康と関係を持てたことを解明した。

 史書が抜けているところはフィクションでつなげ、原稿用紙約340枚の小説として書き上げた。「評論でもない。歴史に基づいた小説。今は原稿用紙のままだが、なんとか広く知ってもらえるように本にできれば」と話す。

 「北海道や函館が日本に果たした役割の謎はたくさんある。函館で歴史、文学に取り組む人が少ないのは、『自分には時間がないから』とする人が多いが、それは違う。苦労して知り、残そうとする努力・執念を出さないだけでは」―。今後も道南、函館について解き明かされていない部分の究明を目指す。

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 函館で生き、歩んできた道をさらに奥深く進む人、新たな道を作ろうとする人。それぞれが、これまで函館で培った活躍と、函館へ抱く思いを紹介する。(山崎純一)



◎「パブリックコメント」本格導入向け要綱検討
 各種条例や計画策定に当たり、市民から意見を求める「パブリックコメント」を試行している函館市は、体系的な導入に向けた要綱の策定を検討している。市民意見の把握のほか、行政の公平性や透明性の向上、市民と行政の情報共有化などを目的としており、他都市の条例や要綱などを参考にしながら作業を進める。

 市は2004年度、男女共同参画推進条例や次世代育成支援行動計画など4件の策定に当たり、市民から意見を募集した。寄せられた意見は、条例や計画策定に活用している。

 市行政改革課によると、本年度は屋外広告物に関する条例、文化芸術の振興に関する条例、水産振興計画、国民保護計画など6件でパブリックコメントを募集している。新年度以降も導入を促進していく。

 農林水産部が実施した水産振興計画の意見募集では、応募者4人の住所、氏名を伏せてホームページにコメントの要旨と市の考え方を紹介している。提言に対し関連する記載があることなどから計画素案の修正はなかったが、政策的な提言は個々具体に検討していくことを伝えている。

 他都市の事例でも、寄せられた意見について、何を取り入れたか、取り入れなかった意見はなぜ見送ったかなどを公表している。市民からより多くの意見を集め、計画策定に反映させていくことも課題となりそうだ。

 行政改革課は「他都市では意見に対して総体的な返事をしたり、似たような意見を分類し、返答するなどしている事例がある。さまざまな例を参考にしながら、マニュアルや要綱の策定を検討したい」と話す。

 パブリックコメントの導入は、市の行財政改革後期5カ年計画(2005―09年度)に盛り込まれ、本年度内を検討期間としている。全国の中核市では横須賀、金沢、鹿児島などで条例を制定している。(高柳 謙)


◎銭亀町でフノリ漁
 函館市銭亀町の海岸では、新春の風物詩「フノリ漁」が盛んに行われている。銭亀沢漁協から許可を得た漁師たちが防寒具に身を包み、潮の加減を見計らいながら漁に励んでいる。

 磯の風味満点のフノリは、紅藻スギノリ目の海藻。冬から春にかけて、波の荒い外海の岩などに繁茂する。黒みを帯びた赤色で、円柱状や枝分かれになっているのが特徴。漁は昨年12月20日に解禁され、春先まで続く。

 4日朝に同海岸に入った同町の女性(76)は「親せきやお世話になった人に食べさせてあげたいと思うと、寒さも忘れる」と声を弾ませ、軍手をはめて丁寧に摘んでいた。採ったフノリは丁寧に海水で洗い、みそ汁の具や酢の物、サラダなどで味わうと格別という。

 また、この日は午前7時半から同9時半までウニ(キタムラサキウニ)漁が行われた。昨年12月21日に解禁され、5日に開かれることしの初競りに向けての漁。同町の加藤綱栄(つなえい)さん(79)は、家族5人で水揚げされたウニの出荷作業に大忙し。「今日は大漁で、身も良い」と作業に追われていた。漁は2月ごろまで行われる。

 同漁協の外崎正専務理事は「好天と凪(なぎ)の良い日が続いてるので、フノリ、ウニとも好漁が期待できます」と話していた。 (田中陽介)


◎五稜郭タワーの搭乗者100万人突破
 昨年4月に建て替えられた五稜郭タワー(函館市五稜郭町43)の搭乗者が4日午前、開業から9カ月余りで年間目標の100万人を突破した。予想を上回るペースで客足が伸び、3カ月早い達成。年間100万人の大台を超えたのは1964年の創業以来初めて。

 00万人目は札幌市豊平区月寒東2、会社員田中武司さん(70)。長女夫婦ら家族5人で来場した。搭乗前にセレモニーが行われ、中野豊社長から花束や毛ガニなどの記念品が贈られた。

 3年ぶりに観光で函館市を訪れた田中さんは「タワーに上るのは初めてだが、(100万人目とは)びっくりした。正月早々いいことがありそう」と喜んでいた。

 同タワーの展望台は高さ86メートルと90メートルの二層構造で、昨年3月末で営業を終えた旧タワーの2倍。国の特別史跡・五稜郭跡の全景を見渡せるようになり、観光客だけでなく市民の来場も増加した。

 中野社長は「100万人達成は、地元客の力が大きかった。今後にどうつなげていくか、皆さんに喜んでもらえる方法を考えていきたい」と話していた。 (宮木佳奈美)