2007年1月7日(日)掲載

◎宋代の硯使い書き初め…道立函館美術館
 道立函館美術館(函館市五稜郭町37)が収蔵する硯(すずり)を使った書き初めが6日、同館講堂で開かれた。参加者は中国・宋代(約1100年前)の貴重な品を手で触れ、墨をすり、新年への思いを文字に込めた。

 開催中の体験型展覧会「マジカル・ミュージアム・リターンズ」の関連事業。作品に直接触れ、美術への理解を深めてもらうのが狙い。市内・近郊の小学2年生から一般までの10人が参加した。

 使った硯は5面で、松前町出身の書家金子●亭(1906―2001年)の収集品。ワークショップでは函館書藝社の会員3人が講師として硯の歴史などを解説した。

 手で触れた参加者は一様に驚きの声が上がった。墨をする「岡」と呼ばれる部分をなでて「人肌みたい」と声を上げ、持ち上げると「どっしりとした重量感」。縁には装飾が施されていて「見るだけでも楽しい」と興味津々の様子。

 最後に新年への抱負を色紙や短冊に込めて筆を振るった。藤川迪彬(みちあき)君(函館日吉ケ丘小5年)は「墨が滑らかで、スッと筆が運べました」と笑顔。「進」の1文字を書き「来年は中学校へ進学するので、ことしは勉強を頑張りたい」と話していた。(佐々木 司)

●=おう。「歐」の右が鳥


◎レンタカー利用者にiPod貸し出し実証実験
 IT(情報技術)を利用して広域観光を提案する企画会社の函館ベンチャー企画企業組合(大久保彰之代表)は、レンタカーを利用する観光客にデジタル携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」を無料で貸し出す実証実験を行っている。ホンダレンタリース函館(栗谷川克昭社長)空港前営業所(函館市高松町569)の協力を得て実施。函館と七飯町・大沼の観光スポット情報を提供し、観光客から好評を博している。

 iPodの観光映像は、公立はこだて未来大学の学生らが制作。函館と大沼の観光スポットなど25カ所を取り上げている。「函館山」や「ベイエリア」などに分け、映像で紹介しながら、歴史や文化を紹介する。大沼のコンテンツでは、体験観光や自然など各テーマに沿って、ゆかりの人物が魅力を語る項目も。

 また、利用者を対象にアンケートを実施。「観光での予算は」「出発前での情報収集は」といった質問をはじめ、iPodについては「内容には満足したか」「レンタル料はいくらが妥当か」など計16項目を調査している。

 貸し出し用のiPodは10台を用意。20代の観光客が利用する姿が目立ち、昨年12月1日から25日まで開かれた「はこだてクリスマスファンタジー」のコンテンツが特に人気で、サービスに満足する人が多いという。

 ホンダレンタリース函館は、今後もサービスアイテムの一つとして導入を検討しており、寒沢隆専務は「実証実験は12月末までの予定だったが、好評なので2月まで期間を延長した。今後の観光事業には必要なサービス」と語る。

 大久保代表は「アンケート結果を今後に役立て、より良い観光サービスにつなげたい」と話している。(工藤康行)


◎桧山管内 新成人は480人
 【江差】桧山教育局のまとめによると、ことし20歳になる管内7町の新成人該当者(1986年1月2日―87年1月1日生まれ)は合計480人(男性239人、女性241人)で、昨年より110人(男性61人減、女性49人減)少ない。7町のうち5町で町主催の成人式は8月に行われ、1月の「成人の日」に行うのは2町だけで、“真夏の成人式”が主流になってきた。

 新成人該当者(2006年11月現在)の内訳は、江差町84人(男性40人、女性44人)、上ノ国町52人(男性31人、女性21人)、厚沢部町88人(男性45人、女性43人)、乙部町28人(男性13人、女性15人)、奥尻町42人(男性24人、女性18人)、今金町114人(男性55人、女性59人)、せたな町72人(男性31人、女性41人)。

 7町で異なる成人式参加対象者は男230人、女206人の計436人。町別では、江差町79人(男性34人、女性45人)、上ノ国町47人(男性29人、女性18人)、厚沢部町65人(男性34人、女性31人)、乙部町29人(男性12人、女性17人)、奥尻町28人(男性17人、女性11人)、今金町122人(男性71人、女性51人)、せたな町66人(男性33人、女性33人)。

 7町のうち、江差、上ノ国、厚沢部の3町は、学齢期の1986年4月2日―87年4月1日に生まれた人が式の参加対象。学齢期の先取りを採用する乙部、奥尻、今金、せたなの4町は、87年4月2日―88年4月1日に生まれた人が対象だ。

 各町の成人式は、厚沢部町が1月5日、江差町が同7日に実施する以外、対象者が参加しやすいようお盆の帰省シーズンに合わせて8月に実施する。住民からは「真夏なので振り袖姿が見られないのが少し寂しいかも」との声も聞かれる。(松浦 純)


◎数量は前年比で18%増…渡島支庁管内の06年漁業生産高見込み
 渡島支庁水産課は、2006年の漁業生産高見込みを発表した。管内関係漁協からの聞き取り調査によるもので、ホタテ、スケトウダラの水揚げ増により数量は前年比18%増の20万5000トンと増大したが、ホタテなどの単価が下がったため、金額は昨年を2%下回る456億円にとどまる見通し。

 主要魚種別では、水産物全体の数量で約5割、金額で約3割を占めるホタテが、数量9万4000トン(前年比45%増)と大幅に増加したものの、単価の下落により出荷額は130億円(同8%減)。コンブは数量6000トン、金額92億円で、ともに前年並み。スルメイカは日本海側以外が低調で、数量2万8000トン(同20%減)、金額63億円(同17%減)。スケトウダラは1―2月の漁獲が多かったため数量3万8000トン(同23%増)、金額41億円(同24%増)と好調。サケは数量が7000トンと前年並みだが、単価が上がり金額は24億円(同33%増)だった。マグロは数量500トン(同38%減)と落ち込んでいるが、単価が好調で金額は17億円(同6%減)にとどまっている。

 このほかの魚種では、ナマコが需要拡大により単価が上がり、数量で338トン(同5%減)、金額で8億7900万円(同42%増)と大幅な伸びとなった。(小川 俊之)


◎移住企画(4)長縄裕さん
 新しい土地には刺激がある―。長縄裕さん(62)は2年ほど前、妻フミエさん(56)とともに函館市と合併する前の旧南茅部町に移り住んだ。南茅部はタコ漁師の知人を訪ねて何度か来たことがある土地。その知人の漁に同行したのがきっかけでタコ漁に興味を持ち、移住を決めた。

 裕さんは大学時代に2年半ほど函館市内で過ごしたことがある。道央で生まれ育ったため、海との出会いは函館だった。大学卒業後、東京に本社がある水産関連の会社に勤め、ニュージーランドや米国シアトルで25年間の海外生活を送った。帰国後、「好きなことをやって生きていきたい」との思いから、定年を前に57歳で退社した。

 もともと同じ場所に住み続けるのを好まない裕さんは、海外勤務のときから引っ越しは多かったという。「同じところにいるのは飽きる」と、退社後も岩手県や沖縄県などに移り住んだ。

 団塊の世代について、裕さんは「企業に便利に使われ、仕事ばかりしてきたから、退職したら退屈する世代では」と指摘。今後の健康状態が気になる年齢でもあり、「移住者を呼び込むには、函館が社会福祉の充実をアピールできるかどうかが鍵になるのでは」と話す。

 裕さんの場合は、長年水産業とかかわってきたため、移住先の条件は「海のあるまち」。「タコ漁はその土地によって捕り方が違うのが面白いし、タコそのものが不思議な生物で興味がわく」。今はタコ漁に夢中の毎日だ。

 南茅部への移住を決めてから、船や住まいはすんなりと見つかった。フミエさんは初孫が生まれたこともあり、娘との間を行き来する生活だが、裕さんが移住を決めるたび、何も言わずついて来てくれたという。

 漁は裕さん一人で出る。午前4時前に起床し、おにぎりを作って同5時半には出港。午後2時半から3時ごろには帰港する。帰宅して漁具を修理した後は、翌日の天気予報を確認し、午後7時には床に就く。「移住後はタコだけの生活になった」と言いながらも充実した日々。漁のない日は恵山岬まで足を運び、温泉に入る。「南茅部は住民の人柄もいいし、一年中タコ漁ができる恵まれた環境でいいところ」と満足そうだ。

 しかし、このまま定住するつもりはないという。「好きなことをやって飯を食う“道楽生活”だから、ほかにやりたいことがあればやるし、行きたいところへ行く。ルーツは遊牧民族だったのかも」とほほ笑む裕さん。移住に迷いは必要ない。(宮木佳奈美)


◎企画 函館で歩む(3) 丸藤 競さん(42)
 函館市松風町で額縁や絵画などを販売する「トラヤ額縁店」の丸藤競代表(42)。仕事の傍らNPO法人(特定非営利活動法人)「NPOサポートはこだて」(奥平忠志理事長)の事務局長として、NPO(民間非営利団体)にできる街づくりの役割や活動方法などについて考えを巡らせてきた。4月にオープンする「地域交流まちづくりセンター」(同市末広町)で、「NPOサポートはこだてグループ」のセンター長として活躍する。

 高校まで函館で過ごし、大阪の大学を卒業後、東京で会社勤め。1997年、33歳の時、家業を継ぐため函館に戻った。活気に満ちているはずの大門地区が閑散としていた。「15年前に見ていた大門地区とは違う。函館が死んだように見えた」と振り返る。

 街を元に戻したい―。できることを探している中、地元FMラジオ局「FMいるか」の呼びかけに手を挙げた。「若い人で、街に対して何かをしたいが、何をしたらよいのか分からない人を集めていた」。自分にぴったりの内容だった。

 集まった人たちでイベントや祭りを開催。市民が訪れ、街は活気付いたように見えた。だが街は変わらない。「盛り上がりと、街づくりとは違う。当時はまだ、街づくりという言葉が浸透していなかった」

 その後、街の活性化を目指す団体が数多く誕生。現在、函館には福祉や街づくり関連のNPO法人で約40、NPO登録していない団体を含めると約300あると言われている。

 数は多いが、横のつながりが見られなかった。「札幌など、他地区のように核となる団体が必要ではないか」と、2005年にNPOをサポートする組織を発足。各団体がそれぞれのモチベーションを下げないようフォローしてきた。

 地元の大学生が積極的に街づくり活動に参加するようになってきた。「函館に街づくりという言葉が似合ってきたと思う。函館の良さを広めていきたい」。間もなく家業を閉じ、春からは街づくり支援に専念する。「無理だと思っていたこともやればできると分かってきた。気軽に市民が訪れ、函館の話題を交わせるような場所にしたい」。さらなる活躍に胸を躍らせる。