2007年7月1日(日)掲載

◎熱戦 舞台は全道大会へ…夏の高校野球
 甲子園につながる第89回全国高校野球選手権大会南北海道大会函館支部予選(道高野連など主催)は30日、函館市千代台町のオーシャンスタジアムで行われ、支部の代表3校が出そろった。雨が降るなど目まぐるしく変わる天候の中、力のこもった試合が展開された。

 久々に代表決定戦に進んだ奥尻が、夏の甲子園7度出場の函大有斗を相手に健闘するなど、高校野球ファンの目は熱戦にくぎ付けとなった。函工、知内、函大有斗の3校は、16日から札幌円山球場で開かれる南大会で甲子園を目指し、強豪校としのぎを削る。(岡部彰広)


◎分譲価格値下げへ…工業団地
 函館市は企業誘致の一環として、8月から臨空工業団地(鈴蘭丘町、東山町)と港町ふ頭分譲地(港町2)の分譲価格を値下げする。「臨空」は1平方メートル当たり1万7060円を41・4%値下げして同1万円に、同1万4600円の「港町」は、購入面積に応じて補正率を設け、最大25%値下げして同1万3870円―1万950円とする。市は価格見直しにより道内他都市との競争力を高めたいとしている。

 雇用創出や税収増に期待がかかる企業誘致は、道内だけでなく、東アジア地域も含めて競争が激化しており、価格の見直しが起爆剤になるとは言い難いのが現状。しかし、函館を含む道南地域は、北海道新幹線開業や新外環状道路、道縦貫道の整備などで交通アクセス向上による物流の促進など、企業進出が期待される要素も少なくない。

 道内の工業団地の価格は、石狩湾新港工業団地が1平方メートル当たり1万2000―1万5000円、苫小牧東部地区工業団地が同9300円―1万7000円、千歳臨空工業団地が同1万1583円などで、函館の工業団地は割高となっていた。

 「臨空」は1988年に整備を開始し、総面積は27万3000平方メートル。現在、製造業や精密機器メーカーなど9社が20万6000平方メートルを使用している。しかし、2000年度以降、新規の分譲はなく、04年度に整備した1区画約3000平方メートルを中心とした11区画3万8000平方メートルもまったく売れていない。

 値下げについては、分譲済みの企業からも団地の活性化や治安の観点からおおむね了承を得ているという。市商工観光部事業開発課は「地域間競争も激しく、値下げが直ちに企業誘致に結び付くわけではないが、積極的なPRに努めたい」と話す。

 一方、「港町」は約7万平方メートルを分譲中。区画設定はなく、立地企業が必要な面積を購入できるオーダーカット方式を採用している。市はコンテナヤードと連携した倉庫などの立地を期待し、企業と協議を続けているが契約には至っていない。

 現行の同1万4600円を基本価格に、5000平方メートルごとに5%ずつ割引率が加算され、2万平方メートル以上購入した場合、最大で25%引きの1万950円となる。市港湾空港部管理課は「割安感を高めることで、企業進出が進むことを期待したい」と話している。(今井正一)


◎「緑復活へ」広がる支援の輪…上ノ国
 【上ノ国】荒廃した日本海沿岸にカシワの実(ドングリ)を今後20年以上にわたり植え続けようという「日本海グリーンベルト構想」に取り組んでいる上ノ国町。今春の芽吹きは残念な結果に終わったが、構想に賛同した道南各地の住民から支援の苗が続々と届いている。町は支援の輪が広がりを見せる中、構想実現に向けて意欲を燃やしている。

 町が昨年秋に汐吹地区に植えたドングリ3000個のうち、今春芽吹いたのはわずか6個。ネズミなどの食害や暖冬に伴う土壌の乾燥などが原因とみられている。町はドングリを紙製ポッドで保護したり、種子の植え方を改良したりするなどの対応を検討中だ。

 こうした中、6月19日には事情を知った函館市の男性から「緑の復活に役立ててください」との手紙とともに、海岸沿いの強風や塩害にも強いなど、カシワに似た性質を持つミズナラの苗木1本が町役場に届けられた。

 続いて知内町の男性からも、自宅で栽培したというミズナラの苗150本を贈りたいとの申し出があり、町の担当職員が同町に出向いて苗を受け取った。約20センチの高さに育った苗木は、町農業指導センターで今秋の植樹に備えて大切に管理しているという。

 さらに道南でドングリを植え続けている七飯町の男性も、コナラやブナの苗木4本を携えて町役場を訪れた。緑の復活を目指す住民のネットワークが各地に広がりを見せている。

 相次いで寄せられる支援に工藤昇町長は「6本の芽吹きをきっかけに支援の輪が各地に広がっていることに感謝している。やはり6本の芽は『希望の芽』だった」と語り、構想推進に意を強くしている。(松浦 純)


◎祈念塔前で慰霊…第二次大戦中、収容所でなくなった英国人捕虜の遺族が初来函
 第二次世界大戦中に日本の戦争捕虜となり、1943年、函館の捕虜収容所で亡くなった英国人ジェームズ・ロバート・バターワースさん(享年34歳)の遺族5人が6月29日、函館を初めて訪れた。同30日はジェームズさんを含め、収容中に亡くなった英国人とオランダ人捕虜のための祈念碑前で、亡き父へ祈りをささげた。

 来函したのは、イギリス在住のジェームズさんの娘ジョイス・スヌークさん(66)と夫のブランドンさん(73)に、その娘と2人の孫の合わせて5人。

 ジョイスさんは87年、母親のエレンさん(8年前に84歳で他界)とともに、ジェームズさんが埋葬されている横浜の地を初めて訪問。その時から「いつか、父が亡くなった函館を訪れたい」と考えていて、ようやく実現にこぎつけた。

 当時、函館市台町にあった捕虜収容所は、現在跡地しか残っていないが、建物自体は永全寺(同市昭和2)に移築され、霊拝堂として使用されている。同寺の齊藤隆明住職は2001年、無念の死を遂げた捕虜を慰霊する「世界平和祈念塔」を霊拝堂内に建立。ジョイスさんらのために30日午後から慰霊祭を開くこととなった。

 霊拝堂を訪れたジョイスさんは、父の記憶を探るように建物内をじっくりと観察。祈念塔の横に犠牲者の名前が刻まれたプレートがあり、その中に父親の名前を確認すると、真剣な表情で見つめていた。齊藤住職によって追悼式が執り行われると、ジョイスさんは静かに手を合わせ祈念塔に深々と頭を下げていた。

 午前中、収容所跡地を訪れたジョイスさんは「跡地から海を見た時、父もあの景色を見たのかもしれないという気がして感慨深かった。函館に来たことで、父の当時の心境を思い浮かべることができて本当によかった」と話していた。

 ジョイスさんらは2日まで函館に滞在する。(小川俊之)


◎企画 20年目の歴史絵巻き 函館野外劇の歩み(2)
 市民創作「函館野外劇」誕生のきっかけは、1986年にさかのぼる。五稜郭周辺の商店街活性化について助言を求められたNPO法人(特定非営利活動法人)市民創作「函館野外劇」の会のフィリップ・グロード理事長は、故郷フランスで行われていた野外劇を紹介。古城と池を舞台に歴史物語を展開するこの劇が、まちづくりにも貢献していることを伝えた。

 同商店街関係者らは、世界的にも有名な同国の「ル・ピディフ野外劇」を視察。2年間の準備期間を経て、函館野外劇は88年、「五稜星(ほし)よ永遠(とわ)に」としてスタートした。

 草創期からスタッフ、キャストとして協力している市民団体「えぞ共和国」。副総裁の下田光彦さんは「みんなが初めてなので、本当に何から何まで手探りでのスタートだった」と振り返る。1年目はスタッフ、キャストとも人数不足に頭を抱えた。全員がスタッフとキャストを兼ね、全公演を何とか乗り切った。演出にミスがあったが、がむしゃらに突っ走った。下田さんは「全10回をやりきることで必死だった」としみじみ語る。

 市民ボランティアが作り、出て、そして見る。下田さんは「素人が感動を与えられるのはすごいこと。出た人、見た人の感動がなかったら、続かなかっただろう。市民手づくりで、みんなが気持ちを一つにする楽しみを覚えた1回目の感動が原点」と強調する。

 市民ボランティアによる運営では、演出や人材確保より重くのしかかるのは資金面。総事業費は約5000万円に上る。苦しい財源確保が続く中、演出のマンネリ化は避けられず、第10回を境に観客数は減少。入場料収入が最大の収入源だけに、存続の危機は第11回以降、急速に深まった。

 全国各地で野外劇が中止に追い込まれるのは、演出のマンネリが客足を遠のかせ、財政難に拍車がかかるケースが多い。富山県高岡市では、89年の市制施行100年を記念し、同市民文化振興事業団が主催し「越中万葉夢幻譚」(えっちゅうまんようむげんたん)を始めた。最後の数年間は、演出のマンネリ化でチケット販売は落ち込み、13年目の2001年を最後に休止。同公演では、総事業費約7500万円のうち4800万円を市が補助していた。

 函館野外劇はコンセプトを見直し、「函館の野外劇」から「日本の野外劇」とした。そんな中、野外劇を観劇した舞台照明の第一人者、沢田祐二さんはじめ、プロの演出家の協力を得ることに。第16回から沢田さんが加わり、演出部門を一新。「星の城、明日に輝け」としてリニューアルした。芸術性が高まったことなどから客足が戻り、現在は毎年1万人を集客するまでに成長した。

 とはいえ、資金面の苦労は解消されていない。同法人の輪島幸雄理事長代行は「特定の企業、団体から理解を得て協賛金が集まっているものの、すそ野まで広がっていない。企業にスポンサーになってもらえるようPRに力を注いでいる」と話す。


◎08年度中に見直し計画…健康はこだて21
 函館市は、市民の健康づくりの指針となる「健康はこだて21」の見直し計画を2008年度中に策定する。さまざまなデータを基に市民の健康に関する課題を分析し、目標値を定めて改善を図る。本年度はアンケート結果などを検証しながら見直し計画の策定に向け、本格的な協議を進める方針。

 国が策定した「健康日本21」を受け、市は03年3月に健康はこだて21を作成した。計画期間は02年度から10年度までの9カ年。策定時にさまざまな統計や市民アンケート(01年実施)の結果を分析し、年代別に目標数値を設定し、取り組みを進めている。

 計画では、0―14歳、15―39歳、40―64歳、65歳以上に分け、それぞれ健康指標を基に具体的な目標値を定めている。策定後、達成度の確認や目標数値の修正といった中間評価を行い、計画を見直すことが決まっていた。

 中間年に当たる06年度は、アンケート調査などを通じて中間評価を実施。この結果を受け、市民の健康づくりに関係する機関・団体などで構成する推進協議会が中心となって見直し作業を進める。同協議会は地域・学校(計14団体)、職域(計12団体)、保健・医療(6団体)の3部会で構成され、部会ごとや全体で協議した上で策定を進めていく。

 また、同計画を所管する市立函館保健所は10月ごろをめどに健康づくりの推進にかかわる組織を発足させる方針で、協議会と連携していく。

 この4月に公表された「健康日本21」の中間評価などを受け、メタボリック症候群など新たな項目への対応も検討される。同保健所健康増進課は「国の中間評価を踏まえながら見直していく。メタボリック症候群についても状況を分析し、対応項目として取り入れるかどうか検討していきたい」と話している。(鈴木 潤)