2007年7月16日(月)掲載

◎ギリヤーク尼ケ崎公演/じょんがらなど熱い魂の踊り
 函館市生まれの国際的な舞踏家で、全国で青空舞踊を続けているギリヤーク尼ケ崎さん(76)の函館公演「祈りの踊り」が15日、同市松風町の大門グリーンプラザで開かれた。バラを持ったり、赤い長襦袢(じゅばん)姿で5曲を披露。雨が降る中、熱い魂の踊りで来場者を魅了した。

 ギリヤークさんは1957年、全日本芸術舞踊協会主催の全国合同公演で舞台デビューを果たし、ことしは50年の節目を迎えた。68年から青空舞踏を始め、来年は40年を迎える。これまで、ニューヨークの米同時多発テロ現場での公演や、関西では、朝日新聞阪神支局襲撃事件やJR福知山線脱線事故の犠牲者に鎮魂の踊りをささげている。函館公演は約20年間続けている。

 昨秋から体調を崩し、肺気腫と診断された。この日も開演前は具合は決してよくなく、最初の曲「夢」の出だしでもめまいがしたという。だが、3曲目の「じょんがら一代」が始まり、長い髪を振り乱す激しい踊りになると、逆に息が楽になったという。

 最後の「念仏じょんがら」はことし2月に亡くなった友人にささげた。地面を叩き、水をかぶり横たわるなど激しい動きを見せた。ギリヤークさんは「来年は青空舞踏40年という節目なので、元気な体になって函館に戻ってきます」とあいさつ。来場者は感動の涙を流し、大きな拍手を送った。(山崎純一)


◎北大水産学部の応援団復活
 部員減少により廃団の危機にひんしていた北大水産学部の応援団がことし、華々しく復活を遂げた。昨年は部員1人にまで減少して一時は存続が危ぶまれたが、これまでに3年生8人が入団し、約20年ぶりに往時のいきおいを取り戻しつつある。すでに同部の記念式典や練習船の出港時など、ハレの場面を盛り上げて学生の士気向上に一役買っており、さらなる飛躍を目指している。

 応援団は函館市内の大学では唯一の存在で、現在35代目(発足35年目)。渋沢伸英団長(3年)によると、約20年前の15、16代のころは2けた台の部員が在席したが、ここ数年は数人の年が続き、2年前の33代でついに1人になった。

 たった1人の33代だった高橋惇さん(ことし3月卒業)は、34代に当たる後輩の獲得に失敗。同学部の学生は、2年生の秋に札幌から函館のキャンパスに移ってくるため、35代の学生が来た昨年秋に最後の望みを託し、学生食堂の前で毎日発声練習するなど、体を張って勧誘した。

 この様子を目の当たりにして説得された渋沢団長らは、1月に入団。兼部も含めて入団者はさらに増え、どうにか格好が整った。渋沢団長は「校歌などを1人で頑張って歌う姿に感動して入ってしまった」と当時を振り返る。

 当時団長だった高橋さんの指導は、校歌や寮歌、手ぶり、団旗の上げ方など多岐にわたった。毎昼30分と週に2回の放課後練習は、決して楽ではない。しかし「厳しくも優しい指導のおかげで、やる気も起こった」(渋沢団長)。5月に開催された同学部100周年の記念式典に向け、行事の入場時などに歌う「逍遥歌(しょうようか)」を復活させる原動力となった。

 7月上旬に行われた同学部の練習船「おしょろ丸」の出港式では、学ラン姿で堂々と団旗をなびかせ、太鼓の音に校歌「永遠(とこしえ)の幸」をのせて、船出する学生を激励。集まった100人にのぼる関係者の気持ちを余すところなく伝えた。

 今後の目標は、ことしの基本方針として年度当初に皆で話し合って決めた、途絶えた演舞の復活だ。さらに10月には、2年生が函館のキャンパスにやってくる。「後輩を入部させ、目指せ部員2けた台!」と一同。さらなる発展を目指して結束を強めている。(小泉まや)


◎ロシア領事館復元・活用/市が年度内に構想案
 函館市は、旧ロシア領事館(同市船見町17)の復元と活用に向けた整備計画を進めている。西尾正範市長の公約に掲げられており、本年度内をめどに基本構想案を策定する。ロシア交流の拠点施設として活用し、復元した場合は在札幌ロシア総領事館函館事務所の移転も目指す方針。数億円の財源が必要とみられ、合併特例債の活用も検討する。

 市国際課によると、旧領事館はレンガ造り2階建てで、延べ床面積は約1300平方メートル。

1908(明治41)年、日本で活躍したドイツ人建築家が設計し、建築された。設計・建築は当時の最高水準で、歴史的・文化的にも極めて貴重な遺産と評価されている。

 建設から約100年、市立道南青年の家としての活用を終えて10年経過し、旧領事館の復元や再活用は長く課題となっている。決まった段階ではないが、市の新総合計画で、今後10年間に必要な建設事業に旧領事館の復元が盛り込まれ、事業費は概算で3億5000万円とされている。

 このため市は、事業費の負担が約3分の1で済む合併特例債の活用も検討。構想案ではまず、どのような形で領事館を活用していくかを示していく。方向性としては、観光客や市民の観覧施設としての利用や、函館とロシアの交流拠点として活用する考え。また、ロシア総領事館函館事務所の移転も、ロシアと日本の外務省に働きかける。

 旧領事館は1965年4月から99年6月まで、市立道南青年の家として活用された。青年の家の閉鎖後、総領事館函館事務所を開設する方向でロシアと協議していたが、日程の調整が合わず、暫定的に2003年9月、北海道国際交流センター(元町14)内に開設された。

 同課は「領事館内部のデザインや当時の技術は高く評価されているが、青年の家の活用で和室に改装した部屋もある。当時のデザインを復元することも検討課題となる。合併特例債を活用できるか、国や道の補助を受けられるかなども広い角度から検討したい」と話している。(高柳 謙)


◎新旧露総領事館事務所長夫人が入院中のロシア人の子ども見舞う
 ウソフ・アレクセイ前在札幌ロシア連邦総領事館函館事務所長の妻・エレナさんと、ブロワレツ・アンドレイ新所長の妻・ガリーナさんが14日、函館市石川町の函館新都市病院(青野允院長)を訪問し、入院中のロシアの子どもを見舞った。2人は子どもの両親を励まし、病院関係者に対してロシア人受け入れに感謝の意を伝えた。

 同病院はロシア・ユジノサハリンスクの市立病院など現地の3病院と医療提携。患者を受け入れ、治療している。子どもは先天性の脳疾患のオク・グワンミン君(2歳11カ月)で、11日に同病院に入院し、12日に脳の手術を受けた。

 エレナさんはしばしば入院中のロシア人を見舞っており、離日に合わせてガリーナさんと訪問した。2人は父親のセグさん、母親のリエンさんに「手術成功おめでとう。早く退院できるように」などと声を掛け、担当の岡真一医師に「ロシアとの医療連携はありがたい」と礼を言っていた。(原山知寿子)


◎勝山館跡で現地見学会
 【上ノ国】上ノ国町教委は14日、1979年から発掘を続けている勝山館跡(国指定史跡)で、本年度の調査成果を報告する現地見学会を開いた。地域住民ら約20人が学芸員の説明を聞きながら、遺構や遺物を興味深そうに見入っていた。

 勝山館は1470年前後に松前氏の祖先に当たる武田信広が築いた山城。1520年ごろが最盛期とみられている。

 本年度の調査では、空壕に囲まれた館の外側で、98年度の調査で確認された道路跡の延長部分を発掘。両側に側溝を備えた幅約3メートルの道路跡や建物の柱穴、柵(さく)跡などの遺構を確認。さらに、98年度に判明した道路跡の延長部分から約20メートル離れた西側の斜面沿いでも道路跡が見付かった。これらの道路は客殿や住居があった館の中心部を貫き、海沿いの地域と結んでいたとみられるが、2つの道路跡がどう結び付くのかは分かっていない。

 道路跡や周辺では、路盤や斜面を固めたとみられる敷石のほか、中世の陶磁器、鉄製品、焼け焦げた板材などの遺物約1000点も発掘した。周辺で見付かった多数の柱穴は、住居のほか館への出入りを監視する見張り小屋や門跡である可能性もあるという。町教委は「道路の結び付きや延長のほか、建物跡の性格なども今後の調査で確認したい」と話している。

 一方、中世の道路跡と重なり合うように、江戸時代に作られた道路跡も発掘した。この道路跡は98年度に一部を確認していたが、中世の道路跡に比べて、幅は4メートルと広く、側溝もより深いことが分かった。町教委は、江戸時代に入って松前藩主や名代を務める家臣が夷王山神社などを参拝するために作り直した参道であるとみている。(松浦 純)