2007年8月18日(土)掲載

◎東日本フェリー「ナッチャンRera」初入港
 9月1日に函館―青森間で就航する予定の高速フェリー「ナッチャンRera(レラ)」が17日、函館港に初入港した。海の生物などをデザインした色彩豊かで壮大な船体が、そよ吹く“風”に導かれるかのように、無事着岸すると、関係者や居合わせた乗降客らから大きな拍手がわき起こった。

 同船は、オーストラリア・インキャット社製の双胴型高速船で、全長112メートル、幅30・5メートル、総トン数が約1万トン。最大で人員約800人、普通乗用車353台の計約1500トンを搭載でき、満積時には最高時速約67キロで同区間を約1時間45分で結ぶ。波浪による揺れを抑制する装置を備えているため、安定した航行が可能という。

 入港したのは、東日本フェリー(函館市港町3、古閑伸二社長)が導入する2隻のうちの1隻目で、1隻当たりの建造費は約90億円。現地で6月末に進水、7月末に引き渡しや水上試験を済ませた後、オーストラリア・ブリスベーンから約8000キロの距離を4・5日間かけて航海し、17日午後2時ごろ函館に到着。

 初入港を見届けた古閑社長は「念願だったので、涙が出るほどうれしい。これから、責任やみなさんに愛されるように頑張らなければという思いがひしひしとわいてくるはず。社員が胸を張り、夢を持てる事業となるよう、一丸となって取り組んでいきたい」と話していた。

 同船は21、22両日に試験航海を行った後、23―25日に函館、26、27両日に青森で、事前応募のあった約2万人の中から選ばれた計約4900人を乗せ、体験航海を行う。29―31日に最終チェックをし、9月1日から1日4往復する。

 予約に関する問い合わせ・申し込みは、同社予約センターのフリーダイヤルTEL0120・756・564。ホームページアドレスはhttp://www.higashinihon―ferry.com(浜田孝輔)


◎企画・都市エリア研究のいま(2)ガゴメ 特定条件で強い粘り
 第2テーマ「機能性成分の医・薬・工・食分野における利活用」

 都市エリア産学官連携促進事業の研究を通じ、ガゴメ(トロロコンブの仲間)を利用したサプリメントや食品など、関連製品が数多く生まれた。加工工程でガゴメの成分は失われているのか、その機能はどのように変化するのか。北大大学院水産科学研究院の佐伯宏樹教授(海洋応用生命科学部門)が中心となり、その解明を進めている。

 ガゴメ独特の粘り気は、加工時の水素イオン数値(pH)や熱、塩などの条件で大きく変化する。80度で抽出すると、ほぼ液状で粘りが少ないが、20度以下の低温では粘りがかなり強くなる。粘り気の違いは、粘性多糖の構造が変化しているためとみられる。さらに、免疫高進機能は、抽出条件でその効果が変わる可能性も出てきた。

 道立食品加工研究センター(江別市)の研究では、温度やpHなど抽出条件を変えて採取したフコイダンを利用し、ヒトの胃がん細胞に対する増殖抑制作用を検証した。その結果、ガゴメに含まれるフコイダンにも、一般的な抗がん剤と同程度の抗がん効果があった。抽出時に化学的影響をできるだけ与えない条件下では、その効果が高いことも判明した。

 佐伯教授は「免疫高進機能については分からない部分がたくさんあるが、徐々に明らかになりつつある」と話す。今後の実験で、新たな商品開発など産業利用の指標となるよう、抽出条件によるこれらの変化を体系化する。湿度や熱などと機能成分の関係が解明されれば、水揚げ後の適切な保存方法や加工方法が確立され、将来的にはクオリティーの向上や保障、食の安全性にもつながっていく。

 第2テーマの別グループ、道立工業技術センターの田谷嘉浩・装置技術科科長や函館工業高等専門学校の上野孝教授らの研究チームは、イカスミに含まれる色素を顔料や染料に利用する研究を進めている。

 一般型で成功した、酵素でイカスミ粒子を分解し、100ナノメートル(1ナノメートルは10億分の1)の大きさの顔料を作る技術から、さらに分解を進め、1y?単位の粒子を取り出して染料を開発することに力を注ぐ。染料は、混じりがよい性質を持ち、顔料より用途は広い。田谷科長は「顔料が毛玉なら、染料は繊維を1本ずつ取り出すようなもの」と話す。

 この研究過程で、顔料と染料の中間の大きさの粒子の安定精製も目指している。顔料と染料の両方の性質を持つ新たな粒子への期待は大きい。100ナノメートルの顔料、1ナノメートルの染料に加え、10ナノメートルの大きさを持つ粒子をオーダーごとに自在に精製する技術を確立すれば、イカスミ色素の幅はさらに広がる。

 合成メラニンと違い、可食性のメラニンには、さまざまな応用が期待される。例えば、楽器のマウスピースや子供用の玩具など、口に触れやすい物への利用が考えられる。また、メラニンのもつ紫外線を吸収する性質から、化粧品メーカーからの関心も高いという。田谷科長は「量産に向けたプロセスの開発を進め、事業化へのめども立ちつつある」と自信をのぞかせる。(今井正一)


◎「マツカワ」25万匹を放流…森や八雲など7漁港
 「幻の魚」とされるカレイの高級種「マツカワ」の大規模な放流事業が、ことしも函館市南茅部地域から日高管内えりも町までの太平洋で実施される。渡島管内では20日から順次、森や八雲など7漁港で昨年と同じ計25万匹を放流。2009年には昨年放流分の初の漁獲が見込まれる一方、成長途中の魚が採捕される懸念も。関係者は「繁殖できない全長35センチ未満のマツカワを釣り上げたら、海中に戻してほしい」と呼び掛けている。

 マツカワはヒラメ・カレイ類の中でも歯応えがよく、刺し身や煮付けなどで賞味される。かつては北海道全体で年数十トンの漁獲があったが、現在では10トンに満たず、渡島管内では「1トン足らず」(渡島支庁水産課)。一部の料理店に出回るだけの「幻の魚」となっている。

 高級魚を復活させ沿岸漁業活性化を狙うのが、函館市からえりも町までの自治体と漁協でつくる、えりも以西栽培漁業振興推進協議会(会長・菊谷秀吉伊達市長)。ブランド名を「王鰈(おうちょう)」と定めるなどしてPRを進めている。

 大がかりな放流事業は06年度からスタート。同年完成した道栽培漁業伊達センター(伊達市)、同えりもセンター(えりも町)で育成された稚魚を年間100万匹放流している。マツカワは成長が早いのが特徴で、3、4月に採卵した稚魚は7月には放流可能な8?ほどに育ち、各漁港から放流される。

 ことしも8月から9月上旬まで、渡島・胆振・日高管内で65万匹を放流。「年内に計100万匹の放流を完了する」(同協議会)。渡島管内では20日に森の尾白内沖と新川沖の計4万匹を皮切りに、9月7日の鹿部本別漁港の2万5000匹まで行われる。

 マツカワは浅瀬に寄りやすく、釣り人に捕獲されることが少なくない。放流地域の各海区漁業調整委員会は、全長35?未満はリリースするよう指示しているが、採捕を繰り返すなどして知事命令違反とならない限り罰則はないのが現状だ。

 渡島支庁水産課は「漁業資源保護のためにも、小さなマツカワを釣り上げたらすぐ海に戻して。標識がついている場合は、標識だけを取って魚を海に放ち、体長や採捕日時、場所などを最寄りの漁協に知らせてほしい」と呼び掛けている。(原山知寿子)


◎新潟へ保健師派遣…中越沖地震で
 【江差】7月16日の新潟県中越沖地震から1カ月。現地では仮設住宅への入居が始まったが、依然として約600人の住民が避難所生活を送っている。道は2日から全道の保健福祉事務所(保健所)から2人1組の保健師チームを派遣。21日には檜山保健福祉事務所(江差保健所)の佐藤博子主任保健師(52)が被災地に入り、長引く避難生活や猛暑で疲労がピークに達している被災者や市職員への支援活動を行う予定だ。

 4チーム目となる佐藤さんの活動期間は、22日から27日までの6日間。大きな被害を受けた柏崎市で、被災者の健康管理や市職員への支援活動を行う。

 現地では、避難生活に伴うストレス、炊き出しによる食事、自宅から薬を持ち出せなかったなどの原因で、体調不良を訴えたり、持病を悪化させたりする被災者も多い。中越地震に続く2度目の被災によるショックも、住民や市職員の健康に大きな影を落としているという。

 佐藤さんは2000年の有珠山噴火、05年の新潟県中越地震でも被災地入り。「災害直後は救命や医療のニーズが圧倒的です。避難所生活が始まると集団生活に伴う感染症防止、排せつ、被災者の心のケア、高齢者介護など幅広い問題が生じます。さまざまな専門知識や機関との調整能力を持った保健師の支援が重要になります」と語る。

 地震発生から1カ月が過ぎた被災地では、仮設住宅への入居や復旧が進む自宅への帰宅が始まったばかり。佐藤さんは「避難所が縮小される中で仮設入居者や帰宅者の健康管理に重点が移ってきます。現地の保健師は、被災者支援のため、日常的な健診などの業務には手が回らない時期なのでサポートが必要。災害対策や苦情対応に当たる市職員の疲労蓄積も表面化してくるので健康面での支援も大切になります」と語る。

 厚生労働省によると、新潟県中越地震(05年)では、ピーク時には1日140人の保健師が被災地で活動。全国各地からの派遣人数は延べ5500人に上った。新潟県中越沖地震でも国と自治体の調整で、前回を上回る規模で派遣が続いているといい、道も9月上旬までベテラン保健師を中心に合計7チームまでの派遣継続を決定している。(松浦 純)


◎企画・この道を選んで(4)…主夫 吉田定雄さん(43)格好つけて育てられない
 吉田定雄さん(43)=函館市西旭岡町3=の一日は、家族の朝食の支度から始まる。教員の妻千賀子さん(42)、長男朝登君(14)、二男泰登君(12)の4人家族。妻の第二子出産を機に専業主夫の道を選んだ。妻が家計を、夫が家事や育児をこなして生活を支える。

 二男が誕生する前、吉田さんは木古内町の土木会社に勤めていた。自宅から約2時間かけて通勤する毎日。早朝に家を出て帰りは午後11時を過ぎることも。心労が重なり、1994年の夏に体を壊した。

 当時は1歳の朝登君を保育園に預けて共働き。木古内町に住む妻の母親の支援もあったが、自宅との距離があり、物理的に頻繁に頼ることができない状況だった。「このままでは妻や子どもたちと共倒れする」。気持ちを切り替えて自分が家庭に集中しようと考えた。

 「女性が一度仕事を辞めてしまったら再就職は難しいでしょう」。主夫になろうと決意したが、親族の大反対に遭う。「実は妻も本当は賛成ではない。でも子どもを曲げないよう親が責任持って育てないといけないと思って」と話す。

 二男が誕生し、幼い2人の子育てを一手に引き受けたが、子育て支援事業などの知識もなく、とにかく自己流。当時の記憶があいまいなほど忙殺されたという。世間の目が気になり、「公園デビューができない…」という悩みも。「あのころは男女共同参画の意識もないから、周りから失業したと思われるのが嫌で、恥ずかしくて子どもを公園で遊ばせたり、買い物に行ったりできなかった」と振り返る。

 長男の小学校入学を境に吉田さんはPTA活動を通じ、他の母親や地域の人と積極的にかかわるように。「格好つけて子どもは育てられない。子育ては1回限りだから」。進んで学校やPTAと接点を持つことが子どもの環境を良くすることになり、親同士の輪を広げていった。子どもが大人へと成長していく大事な時期に目をかけ、手をかけられるのが主夫の原動力だ。

 「やるからにはほかのお母さんたちに負けられない」と料理は本を見て研究し、冷蔵庫にある食材でアレンジ。手作りにこだわり、栄養バランスに気を使うが節約にも抜かりない。でも刺しゅうができる高性能ミシンだけは妻に頼んで何とか買ってもらった。

 「子どもの手が離れたら悠々自適にミシンでの物作りや園芸を楽しみたいね」と屈託がない。(宮木佳奈美)


◎市立函館高の新校舎で授業スタート
市立函館高校(森武校長、生徒1114人)は17日、夏休み明け最初の登校日を迎え、函館市柳町の旧函館東高を改装した校舎で初めて授業を受けた。校舎内は4カ月ぶりに生徒たちのにぎわいが戻った。

 旧函館東・北高校を統合したが、旧東の校舎を改装する間、プレハブなどで増設した旧北の仮校舎を使用していた。新校舎はエレベーターなどを設置してバリアフリーとし、カメラを整備するなど防犯面にも配慮。

 各クラスの清掃後に行われた全校集会で森校長は「この日を迎えるまでの道のりは長かった」と仮校舎での苦労をねぎらい、「この学校で勉強、生活してよかったと思えるような学校を作ってほしい」と呼び掛けた。

 生徒会の早川裕香会長(旧東3年)は「明るい雰囲気になった」と歓迎。小林茉莉花会長(旧北3年)は「廊下は広く、憩いの場があるのでうれしい」と気に入った様子だった。(小泉まや)