2007年8月24日(金)掲載

◎高速フェリー・内覧&特別試乗会…東日本フェリー
 函館と青森を結ぶ高速フェリー「ナッチャンRera(レラ)」が9月1日に就航するのに先駆け、来賓や報道関係者を対象にした同船の内覧・特別試乗会が23日に開かれ、ゆとりある空間と豪華さなどを売りにした船内が初公開された。波を切り裂くような高速航行で、参加者は快適な乗り心地を楽しんでいた。

 同船は、東日本フェリー(古閑信二社長)が社運をかけて導入する2隻のうちの1隻目で、建造先のオーストラリアから17日に函館初入港。同区間での試験航行などを済ませ、就航を前に地元政財界などから約340人を来賓として招き、事前周知に努めた。

 この日がプレデビューとなる女性の客室乗務員「キャビンアテンダント」が乗船者を出迎え、座席案内や設備の説明に当たった。同船は、津軽海峡で約1時間のクルージングをし、4機のウオータージェット推進器をフル稼働させると、最大時速約74キロを記録し、揺れの少ない安定航行を実証した。

 市内の会社員佐々木敏さん(58)は「実際の速さを感じないほど静かで揺れもなかった。運航時間が短縮され、設備もきれいにそろっているので、また乗ってみたいという気になった」と、満足げに話していた。(浜田孝輔)


◎「法令違反」職員が通報…函館市「職場の倫理ホットライン」
 函館市は、職員の法令違反やその恐れがあった場合、職員が通報できる「職場倫理ホットライン」の整備を急いでいる。西尾正範市長の公約で、庁内の窓口のほか、外部にも通報機関を設け、職員が安心して通報、相談できる仕組みを作る。

 6月定例市議会の代表質問で西尾市長が、公平・公正な市政執行や職場のモラル向上に向け、相談窓口の設置が必要との考えを示した。法令や倫理に反する行為を見かけたり、その恐れがあると思ったりした場合の通報窓口で、外部の窓口は「弁護士などを想定している」と述べた。

 市人事課によると、通報は電話ではなく、告発者の実名を明かした手紙や電子メールなどが考えられるという。国が示したガイドラインも「内部の通報窓口に加え、外部にも弁護士等を配置した窓口を設置することが望ましい」としている。

 公益通報者保護法では刑罰規定に違反する事例が対象だが、市はそれ以外にも疑わしい事例や倫理的な内容を受け付け、同法で規定されている内部告発者の保護にも万全を期す。自治体により条例や要綱を定めているところがあり、市は要綱で通報のルール作りをする考え。

 同課は「一般的に内部告発の場合、不利益を被る恐れから見て見ぬふりをするケースがあるが、告発者の保護を図っていくことも欠かせない」と話す。

 ミートホープの食肉偽装や石屋製菓の賞味期限改ざんなど、企業のコンプライアンス(法令順守)の強化が大きな課題となっている。行政機関についても同様で、市の通報窓口の設置は職員の不正を抑止する面でも効果があるとみられる。(高柳 謙)


◎空ビル社長に木村氏就任…泉氏は会長に
 函館市や経済界が出資する第三セクターの函館空港ビルデングは23日、函館市内のホテルで取締役会を開き、同日付で泉清治代表取締役社長(75)が退任し、後任に木村孝男専務(66)を昇格させる人事を決めた。泉氏は代表権を持たない取締役会長に就任した。木村氏は元函館市助役で、市や市議会をはじめ経済界にも豊富な人脈を持つ。

 就任した木村氏は「泉社長の実績を引き継ぎ、揺るぎない経営基盤を確立し、函館市をはじめ関係機関と力を合わせ、観光振興や定期航空路線の開設、チャーター便増大などに尽力したい」と話している。

 同社は自治体や航空会社、経済界が出資して、1970年に設立。筆頭株主は函館市で、市出身の社長は矢野康氏(就任期間83年8月―87年8月)に続き2人目。

 木村氏は市の収入役と助役を各1期務め、助役時代に空ビルの非常勤取締役にも就任。昨年3月に助役を退任し、同5月に空ビル常勤取締役から専務に昇格した。

 泉氏は97年8月、生え抜き社員として初の社長に就いた。在任中に約90億円をかけて国内線旅客ターミナルビルの増改築を行い、2005年12月に全面オープンした。01年11月から函館商工会議所副会頭。

 また、新任の非常勤取締役として市の谷沢広副市長ら3人が就任した。

 取締役会に先立ち定時株主総会を開き、昨年度の事業や収支決算を報告、承認された。07年5月期決算の純利益は3億8300万円で、前期の2・8倍となった。(高柳 謙)


◎後志利別川が全国1位…一級河川水質ランキング
 国土交通省の一級河川の水質ランキングで、桧山管内のせたな、今金両町を流れる後志利別川(しりべしとしべつがわ、全長80キロ)が、道内の他の3河川とともに全国1位に輝いた。同河川の「清流日本一」は2年連続10回目。同省が別の調査基準で判断する、人との親水性や豊かな生態系についての調査でも高いランクを獲得した。

 水質ランキングは同省が全国166河川を対象に実施。水中有機物をバクテリアが分解するのに必要な酸素量であるBOD(生物化学的酸素要求量)の昨年1年間の測定平均値を比較して決定。BODは1リットル当たり1ミリグラム以下だと、一般に人的汚染のない河川とされる。

 後志利別川のBODは、測定した住吉(今金町)、今金橋(同)、兜野橋(せたな町)の3地点の平均値が1リットル当たり0・5ミリグラム。100ミリリットル中の糞(ふん)便性大腸菌群数の数も、全地点で、海水浴場の判定基準では「適」となる1000個未満だった。

 また、流域3地点で実施した、水のにおいや川底の感触などで人との親水性を判断する調査では、2地点で4段階中最高位のAランク、1地点で2番目のBランクだった。水生生物の生息状況で判断する調査では、3地点とも「生物の生息・生育・繁殖環境として非常に良好」とする最高位のAランクを達成した。

 同ランキングは1987年から実施。後志利別川のほか、後志管内の尻別川、日高管内の鵡川と沙流川が並んで1位だった。(原山知寿子)


◎函館市「知恵の予算」活用始まる
 函館の市立学校長の裁量で特色ある教育を進める「知恵の予算」の活用が始まった。23日には函館桐花中学校(生徒365人)が、市内出身で筑波大附属視覚特別支援学校高等部音楽家2年、池田サラジェーンさんのミニコンサートを開催。今後、芸術や体験などの分野で各校独自に知恵を絞った事業が展開される。

 西尾正範市長が掲げる目玉事業の一つで、学校規模に応じて100、80、60万円を配分。総額は5600万円に上る。

 事業決定に当たり各校は、職員会議で検討を重ねたり、保護者や地域住民の意見を集めたりした。函館桐花中の場合、7月に意見を募集。PTAとの会合などで、さまざまな要望が寄せられた。これを受けて職員会議を開き、「一人一人の心を豊かにする環境づくり」をテーマに決めた。

 具体的には、芸術や文化にふれる行事として、コンサートや講演会を企画。例年、市芸術ホールを会場に行う文化祭の会場費用としても利用する。大川冨美男校長は「勉強以外に、思いやりの心や協調性、豊かな心を育てることも大切」と、こうした学習機会の意義を説く。知恵の予算については「出演料が発生するためにこれまで不可能だった人や講師も呼べるようになった」と歓迎する。

 関心が高まる英語活動に力を入れる学校も。函館上湯川小学校(外館守校長、児童188人)は、これまで高学年だけで行ってきた外部講師を招いた英語活動を全学年に広げる。このほか、学年単位の体験学習や、防犯ベストの購入なども予定。外館校長は「保護者から問い合わせがあるなど、学校への関心は確実に高まっている」という。

 地域住民との接点も拡大しそうだ。函館金堀小学校(藤川隆校長、児童269人)は、校舎周辺に各児童が置くプランターの整備を充実させ、児童玄関を活用した「花いっぱいコンサート」を計画。10月下旬の予定で、地域住民を招待するという。

 函館尾札部中学校(青木昌史校長、生徒124人)は、修学旅行を活用して地域をPRする。28日に仙台市内の商店街で南茅部地区の自然や歴史、文化を紹介し、名産品のコンブの試食を行う予定。函館の知名度アップにも一役買いそうだ。(小泉まや)


◎「戦争は悲惨なもの」…石川慎三さん、シベリア抑留の経験語る
 旧日本陸軍兵士として太平洋戦争で千島列島の防衛に従事し、シベリア抑留の経験を持つ函館市松蔭町の元美術教室主宰、石川慎三さん(87)が22日夜、市港町会館で開かれた市議会議員の市政報告会の中で講演した。1945年8月15日の終戦後も続いた千島列島最北端の占守(シムシュ)島での旧ソ連軍との戦闘や、シベリア抑留時の強制労働の様子を語り、「殺人や放火、占領や略奪などわたしもすべて経験した。悪いことの極限が日常的になってしまうのが戦争。非常に悲惨な経験だった」などとした。

 石川さんは開戦当初、アリューシャン列島でアッツ島の奪回作戦などに就き、その後、千島列島北端で前線防衛に当たった。44年になると米軍の攻撃も激しくなり、食料の調達もままならなくなったという。山菜の根っこや流れコンブで飢えをしのぎ、「食べ物がないほどつらいことはなかった」と振り返った。

 45年8月15日、「帰れると内心喜んだ」と思ったのもつかの間で、旧ソ連軍は千島列島への攻撃を継続。石川さんの上官も「日本は負けてもわれわれは負けていない」と一度埋めた武器を掘り返し、戦闘を続けた。石川さんのいた占守島では1週間、千島列島全体では9月初旬まで戦闘が繰り返された。停戦直前、石川さんの部隊は目前にいたソ連兵と対峙(たいじ)し、「のどはからからで、心臓が早鐘を打ち、敵にその音が聞こえるのではないかと思った」と話した。

 その後は、シベリアで4年間の抑留経験。零下30度を下回る寒さの中、貨物列車から50トンの石炭をわずか2人で降ろす作業や、飢えや重労働で命を落とした仲間のため、毎日墓堀りをした体験を挙げ、「戦争は悲惨なもの。世界平和のために何が何でも(この体験を)語り継いでいかなければならない」と結んだ。(今井正一)