2008年10月6日(月)掲載

◎門番所の礎石出土…五稜郭跡
 箱館奉行所復元工事が進む国の特別史跡「五稜郭跡」で、発掘作業中に正門の門番所の礎石が発見された。場所は正面入り口の本塁石垣の間で、1874(明治7)年の図面通りの場所に7つ埋まっていた。保存方針などは今後、文化庁と協議して決める。また、門番所の敷地内だったと思われる場所から、箱館戦争(68―69年)で新政府軍が函館湾から放ったと見られる大砲の先端部が見つかった。

 五稜郭跡の発掘は、正門と門番所の約40平方?や、市立函館博物館分館の約380平方?の範囲で9月上旬から10月下旬にかけて行われている。門番所の礎石は、福井で多く産出した笏谷(しゃくだに)石だった。30センチ角で約50センチの深さに、1間(約1・8メートル)間隔で一列に埋まっていた。平行にもう一列あるはずの礎石は、後にツツジを植栽した時に取り去られたとみられる。

 正門は外堀(二の橋)を渡った部分から門番所までの数十メートルのどこかにあったとされるが、場所は特定されていない。フジ棚の西側、本塁石垣間の約8メートル四方で9月下旬から調査を始めたが、まだ柱後などの痕跡は出土していない。しかし函館市教育委員会文化財課の田原良信課長は「門番所礎石の発見は門の存在を裏付けた」と判断している。

 砲弾は、図面によると門番所の縁があった場所から出土した。新政府軍が戊辰戦争に投入し函館湾から五稜郭に砲弾を撃ち込んだ軍艦「甲鉄」に積み込まれていた70ポンド砲の先端と見られる。田原課長は「箱館戦争を終わらせた砲弾の一つと考えられる」と話し、市の施設で資料として展示する考えだ。(小泉まや)


◎3年ぶりにウラジオストク訪問団出発
 西尾正範市長ら13人で構成する函館市のロシア・ウラジオストク公式訪問団が5日、函館空港で出発式を開き、ウラジオストク市に向けて出発した。函館からの公式訪問は2005年7月以来3年ぶりで、9日帰国する。

 滞在中、今年5月に当選したプリカリョフ・セルゲエヴッチ市長やロシア極東国立総合大学、ウラジオストク航空などを訪問する予定で、西尾市長とプリカリョフ市長が今後の姉妹都市交流について新しい覚書を交わすほか、極東地域の経済情勢を視察する。

 出発式で西尾市長は今回の訪問の目的を述べた後「短い日程で過密スケジュールだが、十分体調に気をつけ、元気に活動していきましょう」とあいさつ。阿部善一市議会議長、函館商工会議所の森川基嗣副会頭もそれぞれ抱負を述べた。

 一行は韓国・ソウルを経由し、6日午後にウラジオストク入りする予定。(鈴木 潤)


◎恵風の「舟形足湯」好評
 函館市恵山岬町のホテル恵風(けいぷ)が前庭に設置した舟形足湯が、恵山の登山客や観光客らに好評だ。源泉かけ流しの温泉を楽しめるとあって、週末ともなると人々が詰め掛ける。

 利用客増につなげようと、地元の漁師から譲り受けた古い磯舟を加工し、恵山岬灯台や噴火湾、恵山が一望できる小高い場所に設置。炭酸水素塩泉を、ろ過しない源泉のまま流している。

 考案した西巻勝幸支配人は「地元の人や子どもも楽しみに来てくれます」と喜ぶ。日没後には灯台の方角から上る月を楽しめる。無料で24時間入浴できるが、照明は10時まで。かけ流しの足湯をあなたも体験しては。


◎連絡船の思い出語る…歴史講座
 函館市中央図書館(五稜郭町26)で5日、本年度第3回の歴史講座が開かれた。講師には、1988年3月13日に函館から青函連絡船の最終便となった羊蹄丸で事務長を勤めた藤沢増一さん(73)が招かれ、かつての思い出を熱く語った。

 講演のテーマは「青函連絡船終航20年・最終運航の日」。藤沢さんは、国鉄へ入社早々に洞爺丸台風で行方不明になった人の捜索を担ったことや、船上結婚式が行われたことなどのエピソードを披露し、「悲喜こもごもの歴史を連絡船が生み出したのは、函館市民の宝」と述べた。

 最終運航時の心境については「最後の思い出を作ろうとする乗客に、精一杯のサービスを提供するため、思いにふけっていられなかった」と説明。会場に詰め掛けた約90人の受講者に対し「青函連絡船が80年間にわたって刻んできた産業遺産を語り継ぐため、若い人に伝えてほしい」と呼び掛けた。

 講演後には、羊蹄丸が最後の航海をした時の映像が流され、受講者は懐かしい姿を感慨深げに見つめていた。(浜田孝輔)


◎精神障がい者回復者クラブ「和の会」設立10周年記念講演会
 【七飯】精神障がい者回復者クラブ「和(より)の会」の設立10周年記念講演会が4日、七飯文化センター(七飯町本町)で開かれた。日高管内浦河町から浦河赤十字病院の川村敏明医師と、同町の回復者施設「べてるの家」のメンバーを招き、講演とシンポジウムなどが行われた。

 和の会は、七飯町地域支援センター(七飯町本町)で毎週活動を行っている回復者クラブで、今回の10周年記念講演会には、設立30周年を迎えた「べてるの家」とその活動を支えている川村医師をゲストに招いた。

 川村医師は「物事を決める時は当事者も一緒になって話合うことが大切。べてるの家ではミーティングに重点を置き、当事者が自分の考えを伝えることができる環境作りを心がけている」と話した。

 また、べてるの家と和の会のメンバー6人によるシンポジウムでは、当事者が「学生時代は不満が爆発すると、家族に暴力を振るってしまった」「つらいことがあると自分を傷つける行為を繰り返していた」と過去の症状を率直に語り、「友人も増えて仕事にもやりがいが出てきた」「離れてみて、初めて両親の大切さを感じた」など、現在の回復状況を報告。最後はメンバー同士がエールを交換しながら、会を締めくくった。

 川村医師は「和の会も10周年を迎え、これからさらに飛躍してほしい」と話していた。(小川俊之)