2008年12月28日(日)掲載

◎浅利さんにレイモンさんの娘から手紙

 函館市でハム・ソーセージ製造に尽力したカール・レイモンさん(1894―1987)や、北斗市本郷に跡地が残る大野工場などの調査をしている元小学校教諭、浅利政俊さん(77)=七飯町在住=のもとに、レイモンさんの一人娘フランチェスカ・シュペートさん(73)=ドイツ在住=から日本語のクリスマスカードが届いた。カードにはクマやライオンと過ごした大野村(現北斗市)での幼少期や、戦時中の動物たちの記憶をつづっている。浅利さんは当時を知る重要な資料として保管、コピーを北斗市郷土資料館に寄贈した。。

 浅利さんは10月、リポート「戦時下、猛獣処分で犠牲になった動物たち」をまとめた後、地方新聞などで調査を進め、レイモンさんが函館市へと贈ったライオンなど猛獣の行方を追った。だが、記述は見あたらずあきらめかけたとき、調査のため連絡を取っていたフランチェスカさんから直筆のカードが届いた。フランチェスカさんは東京の大学を卒業後、ドイツ人の夫と結婚するまで日本にいた。。

 クリスマスツリーが描かれた美しいカードには、幼少期の大野村で動物たちと過ごしたことや函館公園に移動した動物たちに両親とともに会いに行った思い出がつづられていた。函館市に寄贈後、名前を公募したライオン夫婦「猛夫とレイ子」もフランチェスカさんにとっては「ネロとマウッイ」。サルのグレーテルとの交流も紹介されていた。。

 函館公園にいた猛獣たちの戦時中については『いつの頃からか、函館公園の動物たちの居るあたりが、さむざむとして、ライオンのネロがお腹のあたりをすっかり、凹まして行ったり来たりして居るのを覚えて居ります』とし、『その頃は、お腹をすかして居るとは両親は私に話して居りませんでしたが、私が大人になってから、お腹をすかして亡くなったと話して心を痛めて居た様です』と続け、戦中のエサ不足での死亡について明らかにしている。。

 浅利さんは「日本で戦争体験したフランチェスカさんが平和を真剣に考えてくれた」と喜ぶ。そして、日中戦争の長期化により、レイモンさん一家は大野工場での原料の仕入れや、販売する自由を奪われた時代背景を説明。「ドイツに暮らすフランチェスカさんに学び、『地球的規模で地球的課題をとらえ、足元から考えること、行動すること』を両国の人々で考え、理解し合うきっかけにつなげたい」と話している。。

 2009年はカール・レイモンさんの生誕115周年。浅利さんの調査・研究は続く。(笠原郁実)



◎関東の小中学生が大沼でワカサギ釣り体験

 【七飯】関東から寝台特急で道南を訪れ、冬の北海道の暮らしを体験している小中学生23人が27日、七飯町の大沼国定公園でワカサギ釣りなどを体験した。子どもたちは季節の風物詩を楽しみ、ワカサギの大漁に大喜びした。

 札幌のNPO法人ねおすが主催した「北斗星で行く 冬休み子ども長期自然体験」の一環で、今年の夏に続いて2回目の開催。今回の参加者は東京、神奈川の小学4年から中学2年までの23人で、25日夜上野発のJR寝台特急北斗星に乗り、26日朝に大沼へ到着した。流山温泉で30日までキャンプを行い、まき割りから炭づくりのほか、野菜の収穫と保存方法の学習などを通し、北国の人たちの暮らしの知恵を体得する。

 27日は午前10時に、大沼公園広場横にある釣り場を訪れた。前日からの冷え込みで湖面は凍っているものの氷上釣りをするまでの厚さはなく、通路に人数分の穴を空け、糸を垂らした。ワカサギは体長8センチクラスが続々と上がり、子どもたちは寒さを忘れて「大漁だ」と大喜び。この後、大沼で漁をする人から漁業について学んだ。

 横浜の小学6年生の男児(12)は「横浜は港があるけど釣りができる場所はなく、千葉にいる友人のところまで行って釣りをしているが、ここは大自然の中で生活と釣りができてすごい場所だと思う」と話していた。(山崎純一)



◎小学生がオオワシとオジロワシ観察

 【八雲】八雲町の遊楽部川流域で27日、小学生を対象とした、天然記念物のオオワシとオジロワシの観察会が行われた。荒れ模様の天候の中、数多くのワシが空を飛び回る勇壮な姿を、子どもたちは望遠鏡などを使って熱心に観察していた。

 函館のNPO法人「なちゅらす」(赤石哲明代表)が4年前から実施している全3回の自然体験型環境教育プログラムで、今回が本年度の2回目。11月の1回目では産卵を終えて息絶えたサケ(ほっちゃれ)を観察し、2回目はほっちゃれを餌として越冬するワシの生態を探った。来年3月の3回目には新たな命を授かり海へ下っていくサケの稚魚の姿を確認することで、川を舞台に自然生物の命が循環する仕組みを学んでいく。

 この日は函館とその近郊の小学1年生から5年生まで10人が参加。サケ・マス研究の第一人者である北大の帰山雅秀教授と野鳥研究を専門とする松本経研究員の案内で、国内でも有数のオオワシとオジロワシの生息地である遊楽川とその支流に入った。

 この日は雪のために視界が遮られる悪条件だったが、餌を求めて川原に降り立つオジロワシや、群れをなして悠々と大空を飛び回るオオワシの姿を数多く確認することができた。子どもたちは望遠鏡を使って熱心に観察を行っていた。2年連続の参加となる柳元I?シさん(函館青柳小4年)は「寒かったけれど前回よりもたくさんのワシを見ることができてうれしかった。来年もまた参加したい」と話していた。 (小川俊之)


◎1月1日「笑福七福神祭」

 新年の幕開けを盛大に祝うイベント「2009笑福七福神祭」(同実行委など主催)が1月1日、函館市弁天町2の骨董品店「函館大正古楽堂」などを会場に開かれる。木造宝船「七福神丸」が除夜の鐘とともに近隣を巡行し、まちの活性化や1年間の安全に願いを込める。

 西部地区の町おこしにボランティアで取り組む笑福七福神祭実行委員会(井上清美委員長)や、ちんどん屋グループ「遊源会社大黒笑事」(嶋崎正雄代表)などの地元有志らによる恒例行事で、今回で7回目。

 当日は午前零時から、大黒神など七福神に扮(ふん)した参加者が台車のついた七福神丸に乗って、平石造船所(入舟町4)を出発。約30分かけて和太鼓をたたきながら弁天町の大黒通りなどを練り歩く。古楽堂前では約200人分の雑煮やぜんざい、大入袋200枚を振る舞う。

 また、実行委は当日に弁財天を除く七福神の衣装をまとって七福神丸に乗る参加者6人を募集している。井上委員長(57)は「前回、弁才天の衣装を着て参加した小学生がバドミントンの地区大会で優勝し、夢だった全国大会への出場が決まった。今回も合格祈願や商売繁盛など、願い事がある人はぜひ応募して」と話し、大勢の来場も呼びかけている。電話での先着順。問い合わせは井上委員長TEL090・4878・4158。(長内 健)


◎記者回顧(7) 函稜北高野球部を追い

 函館稜北高野球部が秋季大会で初の支部代表をつかみ、初の道大会を経験した。6月の夏季大会準決勝では、函館商を相手に8回まで5―3とリードしたが、土壇場で5失点を喫して敗退。3年生が引退し、新チームはわずか12人。雪辱を胸に約3カ月後、大きく成長した姿を見せた。

 秋季大会直前、先輩記者が言った。「函館稜北が支部代表の有力候補だ」。この一言で同高へ向かった。サッカー部、ラグビー部は何度も道大会に出場経験がある名門校。しかし、野球部は1度も経験がなかった。秋季大会は2年生バッテリーの小原典士投手と菅原拓捕手など、夏の主力メンバーの2年生が多かった。脇澤潤一監督も「十分にチャンスがある」と自信をのぞかせた。

 雪辱戦となる小原投手は夏季大会よりも球に切れが増し、エースとして貫録があった。2回戦の松前戦は3失点したものの、15奪三振に鳥肌が立った。快進撃は続き、準決勝では函大柏稜を9―4で破り、決勝へ。初の支部代表権へ胸が高鳴った。  決勝は函館高専。小原投手は幾度もピンチは迎えながらも必死に耐えた。延長10回表、チャンスは訪れた。先頭の小原投手が3塁打を放つと、勢いに乗りこの回一気に5得点。函館高専には申し訳ないが、カメラマン席で自然に「よし!」と、声が出てしまった。念願の代表をつかんだ脇澤監督と笑顔で握手を交わしたことがうれしかった。

 道大会は10月1日の北見柏陽戦。入社後初の出張となった。「うまく仕事を果たせるだろうか」。もともと弱気な記者の心は不安でいっぱいだった。札幌市内のホテル到着後、“決戦”に備えてすぐに就寝。早起きして到着した円山球場で驚いたのは、グラウンドの中にカメラマン席があったことだった。スタンドの中にある千代台公園のオーシャンスタジアムと勝手が違い、試合中は身動きが取れない。まさに“アウエー”だった。

 午前8時に試合開始。「なるようになるはず」と開き直り、カメラを構えて躍動する選手たちを追った。6回までに9―4と打線が爆発。うれしくてスコアブックを書く手が震えながら勝利を願った。しかし、7、8回に悪夢のような6失点。道大会で勝つ難しさを知った瞬間だった。脇澤監督の「勝ちたかった」の一言には目頭が熱くなった。

 ずっと追い続けてきただけに帰りは落ち込んだ。しかし取材ができたことにすごく感謝している。来春もはつらつとプレーする選手たちを追い続けたい―と、意欲がわいた。(小林省悟)


◎鏡もち製造ピーク

 函館市内の和菓子店やもち店では正月にお供えする鏡もちと、のしもち作りが真っ盛り。もちを製造する業者にとって最も忙しい時期で、ふかしたもち米の香りが立ちこめる中、職人たちが急ピッチで作業を進めている。

 1905(明治38)年創業の老舗店「弁慶力餅三晃堂」(野路邦英社長)の大門店(松風町4)は、21日から正月用のもちの注文を受け付け、26日から本格的に作り始めた。

 機械でついたもちを職人たちが素早く手でこねたり、丸めたりしながら鏡もちの形を作っていく。冷めると固くなったり、ひび割れしやすくなるため、熱いうちに素早くきれいに仕上げるよう心掛けている。出来立ての鏡もちなどは店頭でも販売している。

 連日午前4時ごろから作業を始めており、大みそかの31日までピークは続く。野路社長(73)は「この10日間で1カ月分の製造量を作る。良質なもち米を使った本物の味を1人でも多く食べてほしい」と話していた。 (鈴木 潤)