2008年1月1日(火)掲載

◎鉢巻き締めて猛勉強…学習塾で特訓講座
 入試を間近に控えた小中学生が通う学習塾では、年の瀬にもかかわらず受験対策講座が開かれている。北大学力増進会は31日、3日間にわたる「正月特訓講座」をスタート。道南の4会場では約250人の小中学生が、最後の追い込みに懸命だ。

 函館市本町の五稜郭本部では、9日の函館ラ・サール中学校、10日の教育大学附属函館中学校の入試を控えた約30人の小学生が参加した。附属函館中を目指すクラスには20人が集まり、「必勝・合格」と書かれた鉢巻きをきりりと締め、予想問題を中心にした演習に取り組んだ。

 附属函館中を受験する函館中の沢小学校6年の吉田龍世君は、5年生の時から受験のために頑張ってきた。「もうすぐなのでどきどきしている。社会の歴史をもっと覚えて合格したい」と張り切っていた。(小泉まや)


◎ひと足先に初詣で
 大みそかの31日、函館市内の各神社では、ひと足早い“初詣で”を済ませようと午前中から参拝に訪れる人たちの姿が目についた。

 八幡町の亀田八幡宮(藤山豊昭宮司)では、社務所内で破魔矢やおみくじ、お札などを販売。朝から参拝者らが訪れ、来年の干支(えと)であるネズミをかたどった土鈴や絵馬などの縁起物に人気が集まっていた。

 小雪がちらつく中、参拝を済ませた小林雅人さん(同市昭和町)は「毎年、人の混まないこの時間に参拝し、三が日は亀田港町の実家でのんびり過ごす。今年も家族が無事で過ごせたことを感謝しつつ、来年はさらにいい年になるように願った」と話していた。

 同八幡宮では正月三が日で約4万人の参拝者を予想している。(小川俊之)


◎石田さん、ラージボール卓球で元気に
 卓球のボールを軽く、大きくしたラージボール卓球が誕生して20年。函館市内でも高齢者の生涯スポーツとして普及する一方、健康のため取り組む人も多い。同市大森町のサン・リフレ函館で開かれているサークル「ラージボール健康卓球会」(明石一道会長)では、難病のメニエール病を抱える同市北美原の石田学さん(36)が約1年半のプレーを通じ、少しずつ体が楽になってきているという。「病があっても引きこもりにならず、外に出て良かった。きれいな練習場、良い指導者のおかげ」と喜び、懸命にボールを打ち返している。

 幼いころから体が弱かった学さんは通信制高校を卒業後、手に職をつけようと陶芸の修業などを続けたが、2005年、具合が悪くなりメニエール病と診断された。回転性のめまいが激しく、午前中起きられない生活が続き、通院で平衡感覚を養うリハビリをした。

 06年秋、母和子さん(67)は体の都合で室内でしか運動できない学さんに、サン・リフレ函館で開かれているラージボール卓球講座を勧め、親子で講座に入ることが決まった。ただ、「病を持ち、周りの人と同じように動けるか」という不安が2人にはあった。

 学さんを迎えた講師の笹浪博義さん(68)は卓球指導歴約40年のベテラン。学さんについて「しゃべり方から、何かの病を持っていると思った。最初は何を教えても、うんとうなづくだけだった」と振り返る。まずは学さんに無理をかけず、技術より楽しむことを教えた。学さんは「自分に合った指導を丁寧にしてくれる人がいることがうれしかった」と話す。

 講座は毎週1回2時間。高齢者を中心に約40人が汗を流す。学さんは「これまで人の輪に触れる機会が少なく。大勢の人と活動することが楽しかった」と話す。ラージボールは球の速度が遅く、ラリーが簡単で、脳に与える刺激も学さんに良い快感を与えた。

 また、球を追う若干の首の運動はリハビリと同じような動きで、さらに良い効果となった。3カ月目ぐらいから全時間ラリーを展開できるようになり、周囲からも「上手くなったね」と言われるように。笹浪さんの指導にも「はい」と大きな声で応え始めた。

 講座は06年秋に続き、07年春、同秋の3回通った。3回目の講座終了後に参加者に行ったアンケートで、学さんは初めて自分がメニエール病であり、ラージボールのおかげで体が楽になったことを打ち明けた。笹浪さんは「高齢者にとって卓球は脳神経を刺激し、ぼけ防止につながることは医学会や卓球協会も研究しており、肩こりやぜんそくも治ったという話を聞いたことがあるが、こうした難病から回復する話は初めて」と驚く。

 今は笹浪さんが講師を務め、同講座出身者が結成した同サークルに通う。「自分に合った運動、指導は必ずある。閉じ込まらないで。外に出ると道は開ける」と、親子は声をそろえる。(山崎純一)


◎宗教が仲良く暮らす街…平和と共存、世界に発信
 和洋さまざまな宗教建築物が立ち並ぶ函館市の西部地区。特に元町の一角には、ハリストス正教会、カトリック元町教会、聖ヨハネ教会の3教会、そして、仏教寺院の東本願寺函館別院がある。世界では宗教の対立がもたらす争いが絶えない。函館のように、異なる宗派が街の一角に集まり、仲良く共生しているのは珍しいとされる。こうした状況を生かし、「平和と友好」を象徴する場所として、観光資源やまちづくりへの活用を提起する声が上がっている。

 元町で生まれ育った評論家、亀井勝一郎(1907―66年)が「世界中の宗教が私の家を中心に集まっていた」と述懐した文章が、カトリック元町教会の前にある碑文に記されている。 函館大谷短大の福島憲成学長は「キリスト教の歴史から、対立しているロシア正教会とカトリック教会が並んで建つことは普通では考えられない」と述べ、異なる宗派の建築物が一角に集まることの“希少価値”を強調する。

 函館市も宗教施設群に注目している。西尾正範市長はかねてから、外国人の訪問を受けると「函館は世界中の宗教が仲良く暮らすまち」と紹介している。市長は「まちの個性ということで発信していく価値がある。多様な宗教と民族が共存するのが人類のテーマで、これだけの宗教が共存していることは、函館をPRする大きな財産」と語る。

 1853年のペリー来航を経て開国。箱館は59年に国際貿易港して開港した。諸外国の要人も箱館入りし、宣教師たちも布教活動を行った。

 開港の年、初代ロシア領事ゴシケビッチがチャチャ登の通りに領事館付属聖堂を建てた。ハリストス正教会の前身で、火災などを経て1916(大正5)年に現在の聖堂が建てられた。83年に国の重要文化財に指定されている。

 同教会から下って大三坂へと入ると、左手に元町カトリック教会がある。1877年に初代聖堂が建てられたが、その前からフランス人宣教師が仮聖堂を建て布教活動を行っていた。

 1878年には、ハリストス正教会の斜め向かいにイギリス人宣教師がプロテスタント系の函館聖ヨハネ教会を建てた。福島学長は「開国したばかりで、この地域にしか建てる場所がなかったというのが当時の実情」としながらも、「函館が国際的なまちだったことがうかがえる」と指摘する。

 1915(大正4)年には、東本願寺函館別院が再建された。防火のために全国で初めてコンクリートで造られた寺院として知られ、昨年12月には国の重要文化財に指定された。

 この一角から少し離れた所にはアメリカ系、メソジスト系の日本基督教団函館教会もあり、元町に限らず、西部地区には函館八幡宮や護国神社、道教の流れをくむ函館中華会館もある。船見町には浄土宗称名寺や日c」宗実行寺、曹洞宗高龍寺の名刹(めいさつ)が並び、各宗派の中核寺院でもある。「国際観光都市」と言われるゆえんを、宗教建築群からも垣間見ることができる。

 さらに旧函館区公会堂や太刀川家住宅といった国の重要文化財もあり、多彩な建築様式が混在し、異国情緒が漂う観光名所としての価値は高い。

 福島学長や西尾市長が指摘する「函館の財産」として歴史的、文化的な価値を掘り下げ、平和・友好を発信することができれば、国際観光都市としての魅力は一層深まる。(鈴木 潤)