2008年1月14日(月)掲載

◎【映画企画(5)・硝子のジョニー】鍛治さん
 「黒い面影 夜霧に濡れて ギターも泣いている ジョニーよどこに いつかは消えてゆく 恋の夢よ」

 映画のタイトルにもなったアイ・ジョージさんのヒット曲「硝子のジョニー」。

 「当時すごく流行ったよ。自分もあの歌は好きだったね」と話すのは函館市の鍛治修司さん(71)。撮影当時は市営函館競輪場(函館市金堀町)に準職員として勤めており、関係先に配られた招待券で市内の映画館に観に行ったという。

 鍛治さんは市立函館東高校(現・市立函館高)に在学中から市内の久野珠算教室に通い、将来はそろばんで生計を立てようと考えていた。しかし、周囲の勧めやそろばんが下火になったことなどから59年、23歳の時に函館競輪場に臨時職員として就職した。そろばん1級の腕を生かし、売り上げの集計や車券販売のパート職員のまとめ役として働いた。

 素人が参加する「足じまんレース」(57年)や女子競輪(64年に廃止)など、当時は華やかな催しも盛んで、場内は活気にあふれていた。

 「競輪人気が全国的に出始め、熱くなった客の争いや暴動も他の競輪場ではあったようだ。函館はそんな事例はなかったけれど、とにかく人は多かった」と振り返る。

 62年当時の函館競輪場の年間売上げは、場外車券売場などを含めて約12億円。平日でも入場者は数千人に上り、仕事も多忙を極めた。

 「レースの確定順位が出る前に1レースごとの売上げや配当金を計算しなければならず、仕事は時間との戦い。11月の最終日には、1日の売り上げが3億円になったこともあった」と語る。

 場内での撮影は仕事中で実際に見ることはできなかったが、職場でも主演の芦川いづみさんの美しさなどが評判になったという。

 スクリーンで鑑賞した時は、函館競輪場が何度か登場したことと、アイ・ジョージさんの歌声が印象に残っている。鍛治さんは「情緒のある歌い方が好きだった。カラオケで歌ったこともあるよ」と笑顔を見せる。

 撮影の翌年、鍛治さんは同じ職場で働いていたフミさんと結婚。98年の定年退職まで市教委や市立函館保健所、市立函館病院などに勤めた。函館競輪場は勤続期間で最も長い約13年間を過ごした。

 撮影時の場内は、土の広場に木のベンチが並ぶ殺風景な場所。宍戸錠さんが競輪予想を披露したり、芦川さんが1人で広場に残されるシーンでも、当時の風景が背景に刻まれている。

 「雨をしのぐ屋根もなく、風が吹けば相当寒かったと思うが、お客さんは文句も言わずに通ってくれた。今振り返ると頭の下がる思い」。鍛治さんは懐かしそうに話した。(新目七恵)


◎寒中みそぎ 水ごり始まる
 【木古内】木古内町の佐女川神社(野村豊秋宮司)に1831(天保2)年から伝わる神事「寒中みそぎ祭り」が13日午後6時、若者4人の行修者が神社にこもることを神前に報告する参篭(さんろう)祭で開幕。氏子や町民らが訪れ、玉ぐしをささげるなどし、豊漁や豊作、地域安全などを祈願した。

 ことしの行修者はいずれも町内出身の齋藤竜二さん(19)=会社員=、戸澤拓也さん(18)=専門学校2年=、平野嘉栄さん(20)=大学2年=、村上駿弥さん(17)=高校3年=の4人で、下帯にずきん姿のいでたちで境内に登場。祭り最終日の15日まで、何度も水ごりを繰り返し体を清める。

 函館海洋気象台によると、最初の水ごりが始まった午後7時ごろの木古内町の気温は氷点下4・5度。身の凍るような寒さの中、口に布をくわえ歯を食いしばり、「行くぞ!」「おう!」と威勢よく声を挙げ、冷水を浴びせ合った。その勇ましい姿を見ようと町内外から約100人の観衆が駆け付け、カメラのフラッシュが盛んにたかれていた。

 みそぎ祭りはことしで178回目。14日は午後5時45分から町国保病院横のみそぎ広場から同神社まで町民がちょうちんなどを手に練り歩く「みそぎ行列」をして、境内で「もちまき」などを行う。15日は午前10時から同広場でホタテや和牛などの木古内特産物が並ぶ「みそぎ物産フェア」、同11時50分から国道228号沿いのみそぎ浜で行修者4人が4つのご神体を抱え海へ飛び込む「海中みそぎ」でクライマックスを迎える。(田中陽介)


◎犬のふんに憤慨/雪でふんを隠す飼い主
 函館市内は6日から毎日降雪を記録し、街は白く覆われているが、雪が解け始めると中から犬のふんが現れ、不衛生な様子に変わってくる所が見られる。今冬も雪が解けた昨年12月中旬に見られ、中にはふんを入れた袋もあった。野犬が残したのか、マナーの悪い飼い主が残したのか、雪で隠すことに市民から嘆きや怒りの声が聞かれる。

 函館市弥生町のペリー広場(市立函館病院跡地)には、犬の放し飼いをやめるように呼び掛ける看板があるが、一部で守られていないようだ。近くに住む男性(66)は「夜になると車で来た人が犬を放し、ドッグランのように犬が走り回り、しゃがんで用をたすのを見かける」と話す。日中は近くの子供たちが雪遊びで歓声を上げており、ふんを踏むなどの恐れがあるという。

 同市栄町のさかえ通(グリーンベルト)付近では、雪が解けると通りの中央や電信柱の周辺に現れる。近くに住む主婦(71)は「犬が怖いので注意できない」と話す。また、同市富岡町の女性(28)は「家の敷地内にふんを入れた袋を捨てた人を注意したら、『うちの犬のふんはきれいよ』と投げつけられた」と怒り顔。持ち帰りを呼びかける看板を建てたが、何者かによって壊されたという。

 市立函館保健所ではホームページで、放し飼いをしないことや、ふんの始末は飼い主の義務であることを呼びかけている。2005年の大雪の時、ふんの被害が多かった千代台公園。寒さに負けずジョギングしている男性(51)は「犬の飼い主がふんの放置をする場面を見かけたら注意する。公園の管理者や市だけでは監視の手が回らず、ふんの置き去りは地域で取り組む問題かもしれない」と話す。

 同市の五稜郭公園で毎日犬の散歩に訪れるという同市中道の女性(33)は「堀の周囲以外の雪が多いところで犬がふんをした後、飼い主が足でふんを隠すのを見かける。出掛ける前に排せつは済ませてくるべきだ」と説く。

 白銀の世界は見る人の心を癒やすが、春になっても美しさを保つには飼い主のモラル向上が必要のようだ。(山崎純一)


◎7月のサミット、函館市は露、仏の首脳訪問希望
 7月の北海道洞爺湖サミットに向け、サミット道民会議(会長・高橋はるみ知事)と道が募集した各国首脳と道内自治体との交流プログラムに、函館市など20市町村から提案が寄せられた。函館市はロシアとフランスの首脳訪問を希望しており、市国際課は「函館との歴史的なつながりや友好関係を案内できれば」と話している。

 合計27件の交流プログラム案が寄せられたが、具体的な交流事業は「要人警護などの観点から公表していない」(道)という。道南からは唯一、函館市が提案し、地元の洞爺湖町や壮瞥町をはじめ札幌、根室、帯広、伊達などが招致を希望した。

 函館市は1859年の開港以来、諸外国との交流や歴史的な友好関係が豊か。首脳などの訪問を希望したロシアとは、日本で最初のロシア領事館やハリストス正教会が開設された。ウラジオストク、ユジノサハリンスクの2市と姉妹都市提携し、ロシア極東大函館校や在札幌ロシア総領事館などもある。

 フランスとは鎖国時の1855年、仏軍艦シビル号の傷病兵約100人の上陸を箱館奉行が人道的な見地から許可。市内にはトラピスチヌ修道院や元町カトリック教会などフランスゆかりの建物があり、函館野外劇は同国ルピディフ市の野外劇と姉妹提携している。

 道は現在、各市町村から提案があった交流プログラムを各国大使館などに伝えており、今後、高橋知事も各国大使らに訪問の要請をしていく。ただ、訪問するかどうかは各国の判断によるため、実現を保証しているものではないという。

 そうした事情を理解した上で、市は「実現できれば函館を世界にアピールし、国際観光都市を知ってもらう好機となる」と期待している。(高柳 謙)


◎函館市少年少女下の句かるた大会
 函館かるた協会(山本融会長)の「第48回函館市少年少女下の句かるた大会」が13日、函館市民体育館(同市湯川町)で行われた。市内の小学生96人が参加し、日ごろの練習成果を発揮しようと真剣な表情で競技に挑んだ。

 小学生の冬休み期間を利用し、日本古来の百人一首を通じて児童同士の親ぼくを深め、健全育成を進めようと毎年、開催。ことしは一般をはじめ市内の町内会やスポーツ、学童クラブの小学生が3人1組(32組)で出場し、各組のチームワークの良さを見せ付けた。

 開会式では山本会長が「優勝という大きな目標に向けて精いっぱい頑張りましょう」とあいさつ。競技では会員が「乙女のすがた〜」「みかさのやまに〜」などの百人一首の下の句を読み上げ、児童たちが素早く上の句の札を取った。

 会場には威勢のよい児童の掛け声が飛び交い、中には敗退に悔し涙を流す児童の姿も。約5時間の試合で見事、優勝に輝いた「風の子・台風」のメンバーは「昨年は準優勝だったが、助け合おうというチームワークのよさが優勝につながった」と笑顔で話していた。

 結果は次の通り。(敬称略)

 優勝=「風の子・台風」(細川寧乃、山石朋実、中田祐樹)▽準優勝=「わんぱく・嵐」(福田望、辻晴香、後藤碧)▽三位=「ポプラ・青龍」(田中瑠奈、小嶋美咲、三浦朱理)▽四位=「ポプラ・隼」(山内美幸、斉藤瑠奈、佐々木悠理)

(小橋優子)