2008年2月7日(木)掲載

◎企画 映画と私の物語【居酒屋兆治編】ラーメン「青龍」の亀谷さん…カウンターが「指定席」
 「いらっしゃい!」  函館市宝来町の小路にあるラーメン店「青龍」。戸を開けると、厨房(ちゅうぼう)を囲むようにズラリと並ぶ20枚ほどの色紙が目に飛び込んでくる。その中には「五十八年夏 居酒屋兆治」と書かれた田中邦衛さんや高倉健さんのサインもある。店主の亀谷龍夫さん(68)は「健さんは10回以上来てくれたなあ」と笑顔を見せる。

 同店は1973年にオープン。函館生まれの亀谷さんは東京で電気系の技術を学び、22歳のころに帰郷した。その後、テレビ修理の仕事を10年ほど続けていたが、ある日、札幌の「青龍」で食べたラーメンのおいしさにほれ込んで転職を決意。経営者の家に押し掛けて弟子入りし、3カ月の修行を経て33歳のとき、地元で開業した。

 札幌仕込みのみそ味は「とろみ」がこだわり。当時は周辺にラーメン専門店も少なく、評判が広まって一日500人が訪れたこともあった。

 店に俳優や芸能人が訪れるようになったのは数年後。「きっかけはよく分からない。業界に友達がいるわけでもないんだけどね」。1人につき色紙3枚を渡してサインをもらい、記念に店内に飾るようになった。

 1983年の映画「居酒屋兆治」の撮影時、高倉健さんは何度も来店した。共演の田中邦衛さん、小林稔侍さんと3人で訪れたこともある。

 「邦衛さんはテレビや映画と同じく明るかった。健さんもジョークを交えて話したり、テレビの話題で盛り上がったり、意外と気さくな感じだった」。亀谷さんの記憶は色あせない。

 店内に張っていた函館の観光ポスターを高倉健さんが気に入り、「良かったら、居酒屋の雰囲気を出すのに撮影で使いたい」と頼まれた。渡したポスターは本当にセットの一部として使われ、スクリーンに映った。

 前年の82年に撮影された東宝映画「海峡」を含め、数年にわたって同店を訪れた高倉健さんは、決まって玄関正面のカウンターに座った。

 「野球帽を深くかぶってほおづえをつくと、店の客は誰も健さんだと気付かないんだよ。邦衛さんはすぐにばれちゃうんだけどね」。亀谷さんは楽しそうに話す。高倉健さんが書いた「居酒屋兆治」のサイン色紙は、来店客に熱心なファンがいて3枚とも渡したという。

 カウンター7席に4人掛けテーブルが4つの店内は当時と同じ。亀谷さんは「しょう油の製法が変わって、ラーメンも以前ほどのうまみが出せなくなった。先代の“うまさ”を目指し、試行錯誤の毎日だ」と話している。(新目七恵)

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 「網走番外地」や「日本侠客伝」「昭和残侠伝」などのシリーズで人気を博し、その後も「幸福の黄色いハンカチ」「南極物語」「鉄道員」などに出演、日本を代表する映画スターとして知られる高倉健さんが主演した「居酒屋兆治」。1983(昭和58)年当時、赤レンガ倉庫街や朝市、十字街など函館市内各所で撮影され、エキストラで参加した住民も多かった。「映画大好き」の記者が函館ロケの映画をめぐり、関係者や当時を知る人を訪ねる「映画と私の物語」。「硝子のジョニー」に続く第2弾は、この「居酒屋兆治」にスポットを当てた。



◎仲間作り 積極的に…移住者交流会
 本年度2回目の移住者交流会(函館市、北海道コンシェルジュ主催)が6日、市地域交流まちづくりセンターで開かれた。函館に移り住んだ人と、移住者を支援する市民ら約50人が出席し、函館の印象や長所、短所などについて自由に意見交換。移住者の受け入れ態勢整備や、移り住んだ人は地域行事などへ積極的に参加することが大切であることを確認した。

 5班に分かれ、移住アドバイザーと市、コンシェルジュの職員が進行役を務めた。移住した市民が、実際の生活で感じたこととして「都会と違い何事も緩やかな街で、高齢の身には過ごしやすい」「車の運転マナーの悪さは問題」などの意見が相次いだ。

 移住後に友人や知人を作ることに苦労した体験談も多かった。ある女性は「高齢者大学で思い切って隣の人に話しかけたら、偶然にも仲良くなれた。その方は今では私の席まで用意してくれている」と述べた。

 これを受け、移住アドバイザーの男性は「函館市民はもともと口が重いところがある。ただ、さまざまな人との出会いがあり、自分から積極的に行動しないと溶け込めない」とアドバイスした。

 函館出身で、東京から戻って15年以上たつ80歳の女性は「自分は函館人。とてもいい街で、移り住んだ人が何かで困ったとき、人の輪で助けることが大切」と述べた。

 こうした声に対応し、市とコンシェルジュは、今回の参加者に移住アドバイザーになってもらいたい考え。市の定住促進事業を担当する藤田秀樹企画部参事が就任を要請し、「函館のPRや移住希望者との相談、移住後の支援などをお願いしたい」と述べた。(高柳 謙)


◎桧山スケトウダラ漁終了…前年並みの水準に
 【江差】昨年11月に解禁された桧山沿岸海域のスケトウダラ漁は、11月からの累計漁獲量が4932トン(対前年比6・5%減)、水揚げ額は11億1508万円(同5・5%減)と、2006年度とほぼ同水準の漁獲を確保して今季の漁を終えた。桧山支庁がこのほど実績をまとめた。

 桧山沿岸では資源減少や海水温上昇などの影響で、ストソウダラの漁獲量減少が続いてる。本年度は解禁以降、低調な漁模様が続いたが、12月下旬から乙部町を中心に漁獲が回復した。しかし、1月以降は再び落ち込み、過去20年間で最低の漁獲だった06年度を上回ることができなかった。

 実績をひやま漁協(乙部町)の支所別にみると、管内最多の漁獲がある乙部は2448トン(同6・8%減)、5億7496万円(同6・6%減)で、当初の目標としていた5億円台を確保した。熊石(八雲町)は1123トン(同6・7%減)、2億6335万円(同3・7%減)だった。

 江差は767トン(同26・6%減)、1億5516万円(同27%減)と、量・金額ともに大きく減らした。上ノ国は592トン(同48・7%増)、1億2161万円(同54・8%増)で、4支所の中で唯一漁獲を伸ばした。上ノ国沖では、例年を大きく上回る規模で魚群が分布したことが要因で、漁業関係者は分布の変化に注目している。

 今季の1キロ当たりの平均価格は226円(同1・06%増)で、ほぼ前年並み。一方で1月下旬の平均単価は183円(同40・2%減)と大きく値を下げた。生鮮出荷は、総水揚げの約34%に当たる1691トン(同1・2%増)が韓国などに輸出され、国内向けは4・2トン(同51%減)だった。(松浦 純)


◎管理職など再就職先公表…函館市が要綱制定
 函館市は、特別職や管理職以上の職員が退職後に再就職した場合、再就職先を公表する取扱要綱を制定した。行政の透明性や公平性を確保するための措置で、道や札幌市などがすでに同様の要綱を定めている。本年度内に離職した職員から適用とし、再就職後に任意で報告を受け、毎年7月1日までに、市のホームページなどで公表する。

 市職員の再就職先の公表制度については、昨年11月の市議会決算特別委員会で、市が要綱制定を検討するとしていた。西尾正範市長も1月31日の記者会見で「高級官僚の天下りのケースとは違うが、企業などから良い人材はいないかと照会してくる場合もある。透明性を保つため公表していきたい」との考えを示していた。

 対象となるのは、2007年4月1日以降に退職した職員のうち、公選の特別職や医師職などを除く特別職や管理職以上の職員で、離職2年後までに再就職した場合に市長あてに報告書を提出。氏名、離職時の職名、再就職先の名称や所在地、役職名などを公表する。

 国家公務員の場合は、在職時の職務に関連する団体への再就職は禁じられているが、市の要綱には禁止事項や罰則はない。また、市が直接、再就職先をあっせんするケースはないが、市人事課は「制限については、地方公務員法改正の動きをみて対応したい」としている。(今井正一)


◎函大有斗・特進11.2倍…函館市内私立高出願状況
 函館市内の私立高校は6日、2008年度入学願書の受け付けを締め切った。函館ラ・サール高校を除く7校合わせた出願者総数は2974人(前年度比71人増)。総定員に対する平均倍率は2・1倍(同0・05ポイント増)。学科、コース別では函大附属有斗の特別進学コースが11・2倍と最も高かった。

 本年度の定員は、前年度と同じ1441人。このうち推薦入試で313人が既に合格している。このため、一般入試の実質平均倍率は2・4倍となっている。

 学校別の倍率は、遺愛女子の特別進学コースが前年度と同じ3・8倍、同英語コースが前年度より0・2ポイント高い2・5倍に。函館白百合学園のLB(特進)コースは同0・4ポイント高い2・3倍、看護・医療系進学コースは逆に同0・4ポイント低い2・2倍となった。

 函館ラ・サールは郵送でも願書を受け付けており、出願状況は後日発表する。函館市内の私立高校の一般入試は14日に行い、合否は21日に判明する。(小泉まや)