2008年2月9日(土)掲載

◎企画 映画と私の物語【居酒屋兆治編】(3)望月さん親子 葬列先導 坂道をゆく
 「今は松の枝で海がよく見えないけど、当時はもっと見晴らしが良かった。撮影は夏の昼間で暑かった」。函館市船見町にある実行寺の住職、望月一正さん(74)は、函館市斎場に向かう外国人墓地の坂道を歩きながら懐かしむ。1983年の映画「居酒屋兆治」の後半、高倉健さんや左とん平さんらが葬列を組み火葬場に向かうシーンで、長男伸泰さん(49)と本業の住職役で登場、“親子共演”を果たした。

 撮影現場は同寺から車で数分の場所。望月さんは紫、伸泰さんは白色の五条袈裟(げさ)を羽織って列の先頭に立った。

 「覚えているのは、小松政夫さんが『暑い暑い』と話していたことと、ちあきなおみさんがきれいだったことぐらいかな」と話す望月さんに対し、伸泰さんは「助監督に依頼され、父は昔の葬列の並び方を指示していた。撮影は坂を歩く様子を2回ほど撮って15分程度で終了。でも、背景に船を入れたいとの監督の意向で、船が通るのを40分ほど待った」と振り返る。高倉健さん、田中邦衛さんと一緒の控え室も用意され、“船待ち”の間、2人と会話したことも覚えている。外では、伸泰さんが休憩中の小松政夫さんに「地元では、女性を誘う時何て言うの?」と質問された。事情を教え、映画を見たら、女好きのタクシー運転手を演じる小松政夫さんのセリフ「彼女、函館山行かない?」に生かされていたという。

 実行寺は1655(明暦元)年に草創。もとは堀江町(現末広町)にあったが、数回の大火に見舞われ、1881年に現在地に移転した。1854年のペリー来函時には一行の写真家が泊まったり、1858年にはロシア領事館の仮止宿所に利用されるなど、函館史とも深くかかわる。

 望月さんは1934年、山梨県生まれ。祖父は日蓮宗の総本山、同県身延山久遠寺の第83世を務めた。父の故・徳英さんが実行寺を継ぐことになり、37年に一家で移住。望月さんは81年に第25世の住職となった。

 車修理など機械いじりが好きで一時はほかの職業も考えたが、周囲の助言などから親と同じ道を歩んだ。「声の良しあしではなく、集中しなければお経は伝わらない。一生懸命お勤めをしてきたが、神仏に通じているか定かではない。自分の死後に結果が出るだろう」。仏道に生きた歳月をひょうひょうと振り返る。

 函館生まれの伸泰さんは東京の立正大在学中、飲食関係や土木などいろいろな仕事に挑戦。身延山で修行し、撮影があった83年に帰郷した。現在、父の一番弟子として檀家(だんか)先の月忌回りなどに励む。

 原作の小説含め山口瞳さんの愛読者で、高倉健さんも東映時代から好きだったという。ことし、撮影時の父親と同じ年齢になった。「ワンカットの裏にスクリーンには見えない多くの努力があった。少しでも参加できてうれしかった」と笑う。

 スクリーンに写るのは一瞬でも、その思い出は一生続く。(新目七恵)


◎1月末現在の住基台帳、函館市の人口29万人割れ
 函館市が8日までにまとめた今年1月末現在の住民基本台帳に基づく人口(外国人登録を除く)は、前月比336人減の28万9804人で、ついに29万人の大台を割り込んだ。戸籍の回復などその他の増減で30人増。転出入の差で算出する社会動態は163人減、出生と死亡の差で割り出す自然動態は203人減で、引き続き、道外を中心とした転出が目立つ。

 国勢調査に基づく、現在の函館市域の人口をみると、1950年に28万6075人、55年には30万6459人となり、順調に人口が増加。ピーク時の80年には34万5165人だった。住基台帳上でも、2004年12月の合併直後の29万9612人と比較して約9800人が減少したことになる。

 市が昨年策定した総合計画では、16年の将来人口を、推計値で26万5000人とし、国際水産・海洋都市構想の実現や新幹線開業など、まちづくり施策の効果を見込んで28万人と設定した。市企画部では「06、07年は、計画より速いペースで減少した」とする。2年連続で3000人を上回るペースの人口減少はまさしく、“待ったなし”の状態。子育て支援や労働基盤整備など、流出を抑える対策が急がれている。(今井正一)


◎函館市自治基本条例策定に向け、25、26日に旧4町村でワークショップ
 函館市の自治基本条例策定に向け、市民から自由に意見を寄せてもらうワークショップが順調に進んでいる。1月から始まったテーマごとのワークショップは、18日に5回目の最終回を迎える。各種団体や合併地域の声も大切で、7日に町会連合会を対象に開いたほか、25、26日には旧4町村の住民を対象に開催する。市は大勢の参加を呼び掛けている。

 市民参加や市民協働を基本とする自治体運営のルールとして、同条例を定める。ワークショップで函館の長所や短所、市役所や議会に望むこと、市民ができることなどを挙げてもらい、条例の素案づくりの参考とする。

 1月から始まったテーマごとのワークショップでは、1回当たり20―40人台の市民が参加。同条例策定検討委員会のメンバーや市の若手職員で組織するプロジェクトチームも加わり、テーブルリーダーなどの役割を果たしている。

 これまでの意見交換では、函館の強みは自然や観光、豊かな人情、新幹線の開業など、弱みは雇用の場の少なさ、少子高齢化、人口減少、景気低迷などが多かった。

 各種団体を対象にしたワークショップも予定。旧4町村地域では、椴法華・南茅部地区を対象に25日午後6時から同7時半まで南茅部公民館で、恵山・戸井地区を対象に26日午後6時半から同8時まで戸井生涯学習センターで開く。テーマはともに「函館の強み、弱み」。

 市行政改革課は「住み良いまちづくりに向け、自由な雰囲気の中で遠慮のない意見をお願いしたい」と話し、参加を呼び掛けている。申し込みは各支所の地域振興課か同課TEL0138・21・3668。

 このほか市女性会議、函館青年会議所、市立函館高校での開催も予定し、日程を調整している。(高柳 謙)


◎江差信金「2008年の経営見通し」調査、景気や業況「悪い」7割超
 江差信金(江差町本町、渡辺捷美理事長)はこのほど、渡島・桧山管内の取引先企業60社を対象に実施した、「2008年の経営見通し」に関する調査結果をまとめた。国内の景気や自社の業況を悪いとみる企業がともに7割を超えており、その理由として地域間や企業規模などでの格差を列挙。首都圏の経済成長とは相反する地方での長引く不況を脱するまでには、まだ時間を要しそうだ。

 ことしの日本の景気について、「やや悪い」(46・6%)「悪い」(21・7%)「非常に悪い」(5%)を合わせると7割強。「やや良い」(3・3%)「非常に良い」(1・7%)の合計5%を大きく上回った。

 企業での業況についても同様の傾向で、「やや悪い」が51・6%、「悪い」が18・3%、「非常に悪い」が5%に対し、「やや良い」は11・7%、「非常に良い」は1・7%にとどまっている。

 前年と比較した今年の売上高の伸び率は、「10%未満の減少」が38・3%で最多。このほか、「10―19%の減少」が21・7%、「変わらない」が18・3%、「10%未満の増加」と「10―19%の増加」がともに8・3%だった。

 業況が上向く転換期をいつごろと見ているのかは、「改善の見通しが立たない」が35%、「1年後」が16・6%。「すでに上向いている」は、「2年後」とともに11・7%だった。

 また、規制緩和などの経済成長を重視した構造改革路線の政策によって生じた変化について(3つ以内で選択)は、「地域間での格差が拡大した」が34%、「企業規模での格差が拡大した」が27・3%、「業種での格差が拡大した」が24・7%と続いた。

 同信金は「首都圏では景気の上向きが続いているようだが、地方では依然厳しい状況で、先行きについても楽観的には考えていないようだ。各企業が業績転換を図れるよう、的確な資金支援に努めていきたい」と話している。(浜田孝輔)


◎せたな学校職員殺害 福士容疑者「校長も殺すつもりだった」
 【せたな】せたな町立島歌小で、同町瀬棚区島歌、同校臨時公務補田村亜衣子さん(24)が殺害された事件で、殺人容疑で逮捕された同町瀬棚区本町、同校臨時職員福士昌容疑者(21)が「田村さんを殺害後、校長も自殺に見せかけて殺すつもりだった」と供述していることが8日、分かった。校長室のパソコンからは同容疑者が偽造したとみられる校長名の遺書が見つかり、せたな署などは計画的な犯行だった可能性もあるとみて調べている。

 これまでの調べで、校長室のパソコンから「着服したのは自分だ。死んでおわびしたい」などと書かれた文書が見つかったことが判明。遺書には校長の名前が記されていて、同容疑者が犯行前に作成したとみられる。

 福士容疑者は逮捕当初、「田村さんに着服を疑われ、カッとなって刺した」などと供述し、突発的な犯行を示唆していた。同署などは同容疑者の供述に変遷が見られることから、田村さんの殺害と着服の罪を校長にかぶせようとした可能性もあるとみて慎重に調べを進めている。