2008年3月23日(日)掲載

◎函館北高校記念碑除幕式
 函館北高校同窓会(丹羽健三会長)は、函館市日吉町4の同校跡地に記念碑を建立した。22日に除幕式を行い、同校の卒業生や元教員ら大勢の関係者が出席。北高があったことをあらためて確認するとともに記憶にとどめる決意を新たにし、記念碑設置を祝った。

 同校は昨年4月に函館東高校と統合して市立函館高校となった。同夏までは北高校舎を仮校舎として使用していたが、現在は東高校舎に移転。記念碑は、北高校舎が残る跡地の一角に設置した。

 記念碑設置は昨年3月に行った閉校式典の時から決まっており、基金から約500万円をかけて制作した。同校校舎をイメージした長方形の石が3つ並ぶデザイン。それぞれの石には、元北高書道教諭の鈴木孝徳市立函館高校教諭が書いた「ありがとう北高」の文字、北高の11回生で同校で美術講師を務めた荒木孝子さんの学校スケッチ、同窓会員が皆で考えた北高の成り立ちや変遷をたどった文章を刻んだ。

 式典には、函館市教委の多賀谷智教育長や市立函館高の森武校長をはじめ、北高の元教諭、地元の町会長らも出席。丹羽会長は「この記念碑により、歴史に残すことができる。いつまでも北高を愛し、伝え続けていきたい」とあいさつした。

 北高の最後の校長を務めた静内高校の小島修二校長も駆け付け、除幕に加わった。来賓らが紅白の綱を引いて記念碑が見えると、集まった卒業生らは拍手をして祝福し、それぞれのカメラで記念撮影。小島校長は「“閉校”ではなく“ありがとう”と言うことでこれからも北高は心に残る」と感慨深く見つめた。

 3年生の時に市立函館高校に移行した中村和史君(17)は、「北高最後のイベントだから」と、同窓生2人を伴って来場。「北高で部活などを頑張ったことを思い出しました。自分にとって母校は2つある」と話していた。 (小泉まや)


◎勝山館跡出土品921点を重文指定へ
 【上ノ国】文化審議会(石澤良昭会長)は21日、上ノ国町の国指定史跡「上之国勝山館跡(かみのくにかつやまだてあと)」で発掘された出土品921点を重要文化財に指定するよう、渡海紀三朗文部科学相に答申した。本州をはじめ朝鮮半島や中国の陶磁器類、和鏡や装身具などの金属製品などで、近く官報で告示され正式登録される。

 勝山館は松前氏の祖・武田信広が15世紀後半に築いた山城。16世紀末まで武田・蛎崎両氏の居館となっていた。町教委は1979年から発掘調査を進め、国内外の陶磁器や金属製品、木製品など10万点を超える出土品や建物、井戸、空壕などの遺構が確認されている。

 「北海道上之国勝山館跡出土品」として、重要文化財に一括指定されるのは、こうした出土品のうち、本州、中国、朝鮮半島で生産された陶磁器をはじめ土器、土製品など313、ガラス製品17、木製品129、漆器10、石製品46、和鏡や装身具などの金属製品338、漁労具などの骨角製品65、繊維製品3の計921点。いずれも町が所有・管理している。

 同審議会は「北海道南部における当時の生活や、本州と北海道の交易・物資の流通、アイヌの人々との関係等を解明するうえで欠かせない資料」と高く評価している。

 檜山管内ではこれまで、江差町の「旧中村家住宅」、今金町の旧ピリカ遺跡から出土した石器類163点からなる「美利河遺跡出土品」のほか、上ノ国町の「旧笹浪家住宅」「上國寺本堂」が重要文化財となっており、管内で4件目、上ノ国町でも3件目の指定となる。 (松浦 純)


◎市政はこだて、宅配業者を1社に
 函館市は新年度から、新聞折り込み業者2社に委託している広報誌「市政はこだて」の配布業務を、1社にして重複配布を防ぐ。効率的に全戸配布することで、市広報課は「300万円以上の経費節減が図られる見通し」と話している。

 市が委託している折り込み業者は、道内紙中心の業者と全国紙・函館新聞の業者の2社。チラシなどと一緒に入れているが、道内紙と全国紙などを購読している場合、市政はこだてが2部以上配られる家庭もある。新聞を購読していない世帯には道内紙折り込み業者の子会社が宅配している。

 同課は「市民から配布漏れの連絡のほか、重複配布は経費の無駄、との指摘がある」と説明する。配布漏れは表札のない二世帯住宅や、配布は不要と連絡していたアパートの住民が転居し、新たな住民に届けられなかったケースなどさまざま。

 市内にはフリーペーパーを全戸配布する業者も育ち、市のごみカレンダーなどの刊行物配布を受託している。入札で配布業者を選定する環境が整ったことから、市政はこだても入札した結果、道内紙の折り込み業者が落札したという。チラシなどと一緒に織り込まず、新聞に添える形で配布する。新聞を取っていない世帯には、業者の子会社と連携する予定。

 市政はこだては3月号で13万5000部を発行。旧市内は12万4600部、旧4町村が約6000部で、残りは本庁舎や支所をはじめ公共施設に置いている。旧4町村は町内会で配っている。旧市内も配布が始まった1950年には町会で担っていたが、55年から徐々に新聞折り込みに移行したという。 (高柳 謙)


◎タイヤ交換、今週末から来週末ピーク
 連日のぽかぽか陽気で函館市内近郊の雪はすっかり姿を消し、タイヤ交換に踏み切るドライバーが増えている。毎年この時期は、まとまった降雪に見舞われる可能性があるが、札幌管区気象台による函館の1カ月予報によると、今後も4月にかけて気温が高めに推移するとされ、今週末から来週末にかけてがタイヤ交換のピークになるとみられる。

 函館では今シーズンの降雪量が平年より大幅に少かったこともあり、3月11日から積雪ゼロの状態が続いている。昨年も顕著な暖冬のため3月初旬まではほとんど積雪がなかったが、同6日からの断続的な降雪により、同中旬には20?を超える積雪を記録。同市港町の会社員、大中直樹さん(31)のように「昨年は3月に入りすぐにタイヤ交換をしたが、中旬にあわてて冬タイヤに戻した」などと天候に翻弄(ほんろう)されたドライバーが多かった。

 しかし今年は3月中旬(11―20日)の平均気温が4月上旬並みの4・6度と高い状態が続いており、これまで慎重に様子をうかがっていたドライバーも、さすがに冬に逆戻りする心配はないと判断し、一気にタイヤ交換に踏み切ったようだ。

 北海道エネルギー函館本通サービスステーション(SS)=函館市本通1=では、22日は約30台の交換作業に追われた。同SSによると「例年は4月に入ってから交換作業が本格化するので、この時期に集中するのは珍しい。市外に遠出をする予定がなければ、夏タイヤに交換したほうが燃費も良く経済的」と話している。 (小川俊之、山崎純一)


◎函館と鉄筋コンクリート造建築テーマに講演
 NPO法人はこだて街なかプロジェクト(山内一男理事長)は22日、函館市内の歴史的建築物の在り方を考えるシンポジウムを市内末広町の地域交流まちづくりセンターで開いた。函館をはじめとする道内の近代建築物についての著作がある北大大学院工学研究科の角幸博教授が「函館と鉄筋コンクリート(RC)造建築」をテーマに講演。度重なる大火を経て、明治、大正、昭和初期にかけて市内で建設された多くのRC造建物を取りあげ、往時の技術力や関係者の英知について解説した。

 山内理事長は「函館の文化や歴史を線としてつなげる点となる建物がなくなっている。なんとか建物を語り部として函館の奥行きを広げていきたい」とあいさつした。

 講演では、国の重要文化財に指定された東本願寺函館別院や旧丸井今井などの設計施工を手がけた木田保造を中心に、モダン建築の設計で知られる関根要太郎や、学校の不燃化構造の普及を提唱した岡田健蔵、市の課長として大火の復興に尽力した小南武一らの功績や建物を紹介。角教授は当時の図面について「ロマンチックすぎるかも知れないが、それぞれの建築家や技術者の思いが線に表れている」とし、建築史を語る上で欠かせない資料であると述べた。

 このうち、1934(昭和9)年の大火後の38年に、木造からRC造の校舎として完成した弥生小について「教室が広く、子どもたちの教育空間として相当考えてつくられている」とし、大火復興都市計画の中でつくられた「記念碑」のひとつであるとした。

 結びに「当時の技術は評価されるべきもの。単なる歴史的建物というだけではなく、RC構造や技術そのものを意識して位置付けする必要がある」と語った。 (今井正一)