2008年4月9日(水)掲載

◎水コンブ 風にゆらり…小安町で水揚げ作業
 函館市小安町の沖合では真コンブより3カ月ほど早く、「水コンブ」の水揚げ作業が行われている。軒先には、採ったばかりの黒光りするコンブがズラリとつるされ、春風に吹かれている。

 水コンブは早い時期に採る1年目のコンブを呼び、厚みが薄い分柔らかく、みずみずしいのが特徴。コンブ巻きや煮物のほか、サラダや天ぷらでもおいしく味わえる。戸井漁協では小安支所のみで養殖を行っており、3月中旬過ぎから漁師が天候の良い日を見計らって水揚げしている。

 同町の漁業佐藤紀元さん(65)は8日早朝、約500メートルの沖合で約1時間掛けて10キロ以上を水揚げした。1枚の長さは3―5メートルあり、自宅横にある物干し場で、妻のテツ子さん(62)と1枚1枚手際よく干していた。コンブは日光と風に当てた後、機械で乾燥させ、同漁協を通じて出荷される。佐藤さんは「ことしの水揚げはほぼ終わり。次は真コンブの水揚げが始まる」と話していた。(新目七恵)


◎きょう湊町長を聴取…森町不正入札で道警
 森町が2005年に発注した消防防災センターの建設工事の入札をめぐる官製談合疑惑で、道警捜査二課は8日、偽計入札妨害の疑いで、同町の前建設課長(60)=定年退職=や、工事を落札した共同企業体(JV)の町内最大手の建設会社社長(55)ら関係者の事情聴取を行った。関係者らは談合をほのめかす供述をしているとみられ、道警は容疑が固まり次第、逮捕するとともに、事件に関与した疑いもあるとして、9日にも湊美喜夫町長(79)から事情を聴く方針だ。

 道警の調べなどによると、前建設課長は05年9月下旬に行われた同センターの建設工事の指名競争入札で、町内の建設会社と東京に本社を置く準大手のゼネコンが組んだJVが落札できるように、入札参加業者の選定に便宜を図り、建設会社社長はこの入札に参加した町内の業者とともに談合し、落札した疑いが持たれている。

 問題の入札には、同JVの2社を含め計14社が5つのJVを組んで参加。同センターの予定価格が5億4190万5000円だったのに対し、同JVの2社は予定価格に極めて近い5億570万円で落札した。

 この落札率は98%で、ほかの参加業者も入札率の差が1%未満となっているため、談合による不正があった疑いが指摘されている。

 これまでの調べで、同建設会社は当初、町内の別の中小建設会社とJVを組む予定だったが、入札直前になって同ゼネコンとのJVに組み替えたり、JVを組んだ2社の出資割合を入れ替えたりするなどした疑惑が浮上している。

 道警は同JVが落札できるよう「天の声」があった町主導の官製談合の可能性が強いとみて慎重に調べを進めている。

  森町発注の消防防災センター建設工事の入札をめぐる官製談合疑惑。入札直前まで地元最大手の建設会社と共同企業体(JV)を組んでいた同町内の中小建設会社は函館新聞の取材に対し、「突然、(大手建設会社から)JVの組み直しを求められた」と話した上で、JVの組み替えや選定に町幹部が関与していた可能性を指摘した。道警は8日から、町内最大級の公共工事をめぐり、町側、業者側の双方の思惑が複雑に絡み合った疑惑の解明に向け、本格的な捜査に乗り出した。

 「JVを組んでいた町内大手建設会社は当初、うちを含め地元業者2社とJVを組んで入札に参加しようとしていた。それなのに入札直前に突然、この大手建設会社からJVの組み替えを一方的に言い渡された」。急きょJVから外されることになった町内の中小建設会社の社長は淡々と漏らした。

 さらに、「過去10年では最大規模の公共工事で、公表された予定価格も高かった。うちは入札参加資格のランクが低いためだったと理解し、組み替えを承諾した」と話す。この建設会社は結局、ほかの町内の建設会社と計3社でJVを組んで同センターの入札に参加したが、落札できなかった。

 地元関係者によると、同センターの建設工事を落札したJVは、入札前まで地元建設会社が出資比率が高かったが、入札時にはゼネコンがメーン、地元建設会社がサブへと入れ替わっていたという。町内の建設関係者は「出資割合が途中で変わることはまれで、不自然と言わざるを得ない。当時から不正があったとの憶測が飛び交っていた」と話していた。

 道警は8日午前、道警本部や道警函館方面本部から派遣された捜査員数人が町役場などを訪れ、副町長や現建設課長らの事情聴取を開始。町側には建設関係の資料の提出を求めたという。この日は関与の疑いも浮上している湊町長への聴取はなかったが、町長は終日、町長室にこもったままで、出勤、退庁時にも終始無言だった。

 同町の阿部眞次副町長は同日午後、報道陣を前に「町長の体調が十分ではなく、昨年1月にも倒れたばかりで再発したら命取りになる」として過剰な取材の自粛を要請。その上で「談合の事実関係も含め、町長からの指示や関与は一切ない」とあらためて疑惑について全面否定した。



◎【キラリ!道南】(7) 牧場経営 小国美仁さん(34)
 「牛はおれの行動を常に見ている。正直に向き合えば必ず応えてくれる」。牛を見つめる眼差しは愛情にあふれている。

 きじひき高原のすそ野、北斗市市渡で「おぐに牧場」を営む。牧場直販型の肉牛生産を目指し、黒毛和牛を中心に約80頭を飼育。自然の恵みを素材とする飼料を与え1頭ずつ手塩に掛けて育てる。転機は22歳だった。2年間の期限付きで米国アイダホ州の牧場で働いた。カウボーイにあこがれていただけだったが、家族や郷土を愛しながら仕事に打ち込むボス(牧場主)の生き方に触れ、進む道を決めた。

 帰国して5年後の2001年8月、牧場を開いた。直後に発生した牛海綿状脳症(BSE)問題で、牛肉に対する消費者の信用が失墜し苦境に立たされた。「牛や自然と向き合い、自分が納得する肉を作ろう」。前向きに考える中で、ゆるぎない信念が芽生えた。06年6月、直営店を開店、健やかに成長した和牛肉は着実に固定客を増やしている。

 「感謝の気持ちをしっかり伝えたい」と対面販売にこだわる。目指すは全国ブランドとは違う、地元密着の“ノーネームブランド”。「焼肉や鍋を囲んで会話が弾む、家庭の食卓に親しまれる肉を」。きょうも牛に寄り添う。(鈴木 潤)


◎函館駅の人間模様そっと見つめる…玉川和子さん笑顔で接客13年
 「ただ今、八戸行きスーパー白鳥の改札中です」「ご乗車のお客様は7番線乗り場にお急ぎ下さい…」―。アナウンスが響き、観光客や学生らが行き交うJR函館駅。ここで13年間、駅弁販売に励む女性がいる。函館市の玉川和子さん(60)。出会いや別れ、旅立ち、出発…。さまざまな人生の“分岐点”となる場所で、客との触れ合いを大切にしながら弁当を手渡してきた。あす10日は「駅弁の日」。

 「いらっしゃい!駅弁いかがですか」

 駅1階中央の販売店「みかど」。多彩な駅弁が並ぶショーケースを挟み、店内から人一倍明るい声と笑顔を振りまくのが玉川さんだ。

 1995年から同店販売員として勤めている。当時は鉄筋コンクリート2階建ての旧駅舎。建物正面の大時計がシンボルで、「哀愁のある雰囲気」だった。「客や利用者も今より何となくのんびりしていた」と振り返る。

 市内で10年ほど喫茶店を経営した経験を持ち、「友達感覚」の接客が親しまれている。常連客の中には立ち話をしてから買う人も多く、脳梗塞(のうこうそく)で倒れた夫の介護を続ける女性の言葉に涙したことや、台湾人留学生が数年後に再び買いに来てくれたこともあった。「顔なじみの客は買う駅弁の種類もすぐ分かる」と笑う。

 「駅は人間ドラマがある場所」と玉川さん。正月の改札口は帰省した家族連れの楽しげな姿であふれ、今の時期には仲間の万歳三唱に送られて転勤先に向かう会社員の姿がある。「子供が泣きながら離れ離れになる母を見送る姿を見たときは胸が詰まった」。さまざまな人生の節目となる光景が胸に残っている。

 近年は売り上げの伸び悩みなど大変なことも多いが、「弁当売りは楽しい。『また来るよ』の言葉を励みに、これからも頑張りたい」と話している。

 「駅弁の日」は93年、社団法人日本鉄道構内営業中央会(東京)が定めた。(新目七恵)


◎入園者11年ぶりに12万人突破…熱帯植物園
 函館市営熱帯植物園(湯川町3)の2007年度の入園者数が12万314人に達し、11年ぶりに12万人を突破した。園内改修工事後の“リニューアル元年”となり、新たなイベントを企画するなどソフト、ハードの両面を充実させたことが奏功した。

 同園は1970年7月に開園。入園者は74年度に最多の23万7403人を記録したが、その後は減少傾向となり、89年度には初めて10万人を割った。「水の広場」が開設された95年度、翌96年度の2年間は12万人を超えたが、2002年度から再び10万人を下回った。07年度は12月で6年ぶりに10万人を達成し、3月末までに11万人を見込んでいたが、予想を1万人も上回った。

 同園改修工事は06年9月から07年4月に掛けて実施。温室に展望台を設置し、花の種類を増やしたほか、屋外の敷地内に足湯も新設した。同園を管理・運営するNPO法人函館エコロジークラブも新たなイベントや体験会を企画し、魅力ある植物園づくりに力を入れた。昨年4月に初めて実施した「花と緑の市」には1日で3000人以上が訪れ、イベント時の入園が好調だったほか、クワガタ・カブトムシの飼育体験会が子供たちの人気を集めた。

 本年度は国内最大級のチョウといわれる「オオゴマダラ」の飼育、温室でのセキセイインコの放し飼いなどを計画。同法人植物園担当の坂井正治さん(70)は「入園者10万人台の維持を目指し、訪れる人がいつも新しいことを学べる植物園でありたい」と話している。(宮木佳奈美)