2008年5月10日(土)掲載

◎企画【ありがとう 母の日に寄せて】(3)
100歳を迎えた 村上ハルさん、母・故 ミンさん
 「母親と過ごした日々の記憶はあまり覚えていない。でも自分を産んでくれたことに感謝したい」。1908年に小谷石村(現知内町小谷石地区)に生まれ、ことしの4月6日で100歳を迎えた。

 母親のミンさんは家族に優しく、近所でも有名な働き者だったが、ハルさんが4歳のときに弟の難産が原因で亡くなった。

 「母親がいなくて、寂しくて寂しくて、神棚にいつも手を合わせて泣いていた」と切ない思い出がよみがえる。

 「後ろに手を組んで、畑に向かう後ろ姿が忘れられない」と語り、「だから自分も歩くときはいつも後ろに手を組んでまねするようになった」と母親の在りし日の姿に自分を重ねる。

 母親を亡くしてからは、兄弟や親戚の子守りにいそしんだ。読み書きを身につけようと家の仕事の合間を縫いながら学校にも通った。

 「小さな子どもをおんぶして、教室にいくものだから、子どもが泣くと先生に怒られて大変だった。『泣ぐな』といくら言っても赤ちゃんだから泣ぐんだ」。それでも、持ち前の根気強さで必死に勉強した。

 18歳のときに地元漁師の卯三郎さんと結婚。最盛期だったイカ漁で生計を立て、息子3人を自立させ、孫とひ孫は計23人と大家族に恵まれた。

 「自分が経験した母親がいない寂しい思いを家族にさせまいと健康だけには気をつけてきた」と長寿を振り返る。

 家族に元気な姿を見せようと、日記を書くのが日課。薬局からもらう薬袋とカレンダーの裏面をノートにする「うだこ(詩集)」には、お気に入りの歌がびっしり並ぶ。

 「毎日書いて歌っていれば楽しい。天国にいる母親にも自分の元気な姿を見せたい」と張りのある声が響いた。(田中陽介)


◎企画【サイベ沢の贈り物(下)】地域の歴史 次世代へ
 国内を代表する縄文遺跡、三内丸山遺跡(青森)は野球場造成に伴う事前調査で、大規模集落跡として広く認知され、後に国の特別史跡となった。毎年、全国各地で数多くの遺跡が調査発掘されているが、史跡などとして遺跡そのものが保存されるケースはごく一部だ。函館市内でも、函館空港そばの中野A、B遺跡のように、遺跡が存在したことを記録保存した後、滑走路工事でその痕跡がなくなった例もある。

 サイベ沢遺跡は市街化調整区域内にあり、農地として利用されているため、現在まで失われることがなかった。全体像を知るような調査は行われていないが、「保存」という観点からは現状が望ましい。市教委の田原良信文化財課長は「1949年の調査の精度は、現在と比べれば決して高くはないはずだが、遺跡としての評価は揺るぎない。しっかりとした調査を行う価値があり、環境を整えることも必要」とする。

 ただ、規模が大きすぎるため、数年で全容が解明できる遺跡ではない。やみくもに発掘するのではなく長い年月を掛けて、持続的に調査を続けるには史跡指定が理想的とされる。これまでの発掘で判明しているサイベ沢の広さや時間的継続性、出土品の密度の濃さなどから、その可能性をうかがわせる。

 仮に国指定の史跡となれば、用地取得や発掘にかかわる費用の大半を国からの補助で賄うことも可能。そのためには遺跡の範囲を確定することが必要だが、市内では南茅部地区の史跡・大船遺跡や垣の島遺跡など、他の緊急度の高い遺跡の発掘調査や整備が進められている。当面、大規模な開発が進む恐れが少ないサイベ沢の順番はまだまだ先とみられる。

 将来の発掘調査で三内丸山遺跡をはじめとする北東北地方の遺跡との関連性など、新たな事実が発見されれば、函館から全国へ縄文時代の情報を発信する機会も増える。49年の発掘に協力した多くの中学生、高校生のように、地域の子どもたちに「生きた教材」も提供できる。文化財的価値だけではなく、教育的価値、観光資源としての潜在力も見えてくる。

 海や山の恵みを受け、自然と共生を続けた縄文時代の人々の生き方からは、学ぶことも多い。サイベ沢だけではなく、地域には多くの縄文時代の遺跡群が広がり、はるか昔から贈られた大切な資源が多く眠っている。こうした“贈り物”を失うことなく、次世代につないでいくため、いま一度、地域の歴史に目を向ける必要がありそうだ。(今井正一)


◎森町官製談合疑惑、町議会で町長「真相は全く違う」
 【森】森町が2005年に発注した消防防災センター建設工事の入札をめぐる官製談合疑惑に絡み、9日に開かれた第2回臨時町議会で、湊美喜夫町長が疑惑が表面化して以降、初めて公の場で発言した。湊町長は「(報道されている事実と)真相は全く違う」と自身の潔白を訴え、あらためて疑惑を否定した。

 臨時議会の冒頭、黒田勝幸町議が緊急質問。黒田氏は一連の疑惑について、町民の心配や不安の声、職員の業務への支障を懸念し、「捜査に協力し、一日も早く解決してはどうか。町長の現在の心境を問いたい」と質疑。湊町長は「言いたいことはたくさんあるが、取り調べが終わるまでは話すことはできない。一日も早く捜査が終わり、清々として町民に発表したい」と述べ、疑惑について明言を避けた。

 閉会後、質問に立った黒田氏は「町民もこの件に対して怒りや不安がピークに達している。町長の説明には物足りなさを感じた」と話した。この日の臨時議会は、「議会に緊張感がはしり、本来の答弁や議員活動ができなくなる恐れがある」(長岡輝仁議長)として、テレビ局のカメラ撮影を完全シャットアウトした。

 これまでの調べで、同工事の入札直前に、落札したJV(共同企業体)の組み替えがあったり、最終的にJVを組んだ2社の出資割合を入れ替えたりするなど不自然な動きがあったことが判明。道警は町幹部が主導したとされる談合の背景に湊町長の意向が働いた可能性もあるとみて、偽計入札妨害の疑いで捜査を進めている。


◎世界的ピアニスト、ジョン・カミツカさん24日公演
 世界的なピアノ奏者ジョン・カミツカさん(米国)が、函館で進められている出版活動を支援する。24日午後2時から函館市民会館(湯川町1)大ホールで開かれる「平和ピアノリサイタル」に出演し、収益金は第2次世界大戦末期の沖縄戦を主題にした絵本「おきなわ 島のこえ」(小峰書店=東京)の英訳本出版支援として送られる。同リサイタルには函館音楽協会会長でマリンバ奏者の市川須磨子さんらも共演する。

 このリサイタルは、函館ラ・サール中学・高校のカナダ人教師ピーター・ハウレットさんらで作る同本出版プロジェクトが主催。「おきなわ 島のこえ」は、丸木俊、位里夫妻(ともに故人)が沖縄の人たちの視点で第二次世界大戦の沖縄戦を書いたもの。同プロジェクトは同絵本を英訳本にし、米国など英語圏の平和団体に寄付することを目指している。

 カミツカさんは日系3世、2―9歳を札幌で過ごした。現在はニューヨークのカーネギー・ホールで20年連続リサイタルを開くなど米国が誇る演奏家。ハウレットさんとは幼なじみの仲だが、今回のリサイタルは函館のピアノ奏者吉田淳子さんが同プロジェクトの運動に共感し、日本ショパン協会の活動で縁があったカミツカさんに本を紹介して出演を依頼した。カミツカさんは「沖縄の人が信じ難い苦難を負っていることを知った。この本は過去の惨劇を忘れず、戦争を繰り返さない平和教育に用いられるべき」と快諾。吉田さんは「カミツカさんは名声ではなく良い演奏の機会を求める人。これまでも函館で公演はあるが、まったく違うものになる」と話す。

 カミツカさんは演奏曲にバッハの「コンチェルト ニ短調 BWV1052」を選ぶ際、吉田さんと縁のある市川さん共演を求めた。市川さんは「偉大なピアノ奏者がマリンバに興味を持ってくれ光栄」と喜び、引き受けた。同じく市内のマリンバ奏者三浦浩平さんも出演する。「初めての曲だが、ピアノソロにマリンバの伴奏をするのは例がないのでは。貴重なリサイタルになる」と市川さん。

 ハウレットさんは「音楽と友情が一つになり、この本を世界に送り出してくれると思う」と期待を話している。入場料は大人2000円、65歳以上1500円、小中高生は500円。チケットは市民会館、市芸術ホール、松柏堂各店などで発売中。公演の問い合わせは同プロジェクト事務局TEL080・5595・2917。(山崎純一)


◎オランダ全権公使が函館市長を訪問
 駐日オランダ大使館のマッタイス・ファンボンゼル全権公使と妻のクリスティナさんが9日、函館市役所の西尾正範市長を表敬訪問した。西尾市長が「オランダは経済が大変厳しかった時、賃金を下げて仕事を分け合うワークシェアリングを実践し、世界のモデルとなった」と賞賛。ファンボンゼル全権公使も「私たちも日本から多くを学んでいる。首都圏の公共交通整備は素晴らしい」と述べた。

 「函館・江差・オランダ交流友の会」の森川基嗣会長と須田新輔副会長も同席。森川会長や西尾市長は、同大使館からチューリップの球根寄贈を受けていることに謝意を伝え、ファンボンゼル全権公使も「友好の証しとして、毎年咲き続けるよう願います」と述べた。

 全権公使は同日、函館白百合学園で開かれたEU(欧州連合)創立記念行事「EUがあなたの学校にやってくる」で講師を務め、EUの成り立ちや、鎖国時代の日本とオランダの交流などについて生徒に語った。

 同日夜には市内のホテルで開かれた交流友の会の総会と懇親会に出席し、友好を一層深めた。(高柳 謙)