2008年5月22日(木)掲載

◎【企画・映画と私の物語】第3部「渡り鳥シリーズ」(3)…堀、谷口さん
 七飯町大沼のほとり。草木が無造作に生える荒れ地に、かつて地元の夢と希望が詰まった宿泊施設「大沼ヘルスセンター」はあった。

 「(センターの)大浴場での撮影はファンが取り巻いてすごかった」。幼なじみの大沼観光協会会長、堀元さん(56)と共に跡地を訪れた同町のレストラン「ランバーハウス」経営、谷口進康さん(52)は、「渡り鳥」シリーズ第8作「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の撮影をこう振り返る。

 大沼を“第二の軽井沢”に―。1958年の国定公園指定で、大沼観光は一気に地域の注目を集めた。地元経済界の後押しもあり、同センターは観光事業の中核施設に位置づけられ、建設費約1億5000万円を投じて61年に開業した。「北帰行より」の撮影はオープンの翌年。真新しい施設の雰囲気が今でもフィルムに残っている。

 9歳だった堀さんは、父の故・義蔵さんを通じて、スタッフから子役のエキストラ出演を依頼された。「おじさん大丈夫?」と小林旭に言うセリフまで用意され、練習した覚えもある。

 ところが撮影当日、現場に現れたのは当時5歳の谷口さんだった。撮影が学校の授業時間と重なることを知った義蔵さんが息子の出演を断り、「代役に」と近所に住む谷口さんの手を引いたのだ。

 「何だかよく分からなかったけど、(エキストラの)知らないおじさんと一緒にジュースとアイスを食べた」と谷口さん。事情を飲み込めぬまま、小林旭の左後ろのテーブルに座っている様子が一瞬スクリーンに映る。

 「あれは俺のはずだったんだぞ!」―。家族でこの映画を観る度に、堀さんは決まってそう冗談交じりに笑い飛ばす。

 同センターの支配人を務めた同町大沼の宮川勇一さん(77)は撮影時、見物人の整理係として駆り出された。控え室から出てきた小林旭の颯爽(さっそう)とした姿は忘れられない。「撮影はあっという間。職場がロケ地になったのがうれしかった」と目を細める。同センターは観光客や地元住民から親しまれたが、建物の老朽化などで92年、解体を余儀なくされた。跡地にはセンター前のロータリーの痕跡があるだけだ。

 谷口さんは大沼の湖畔に店を構え、大沼牛のこだわりステーキを提供している。堀さんは今、大沼が誕生の地とされるヒット曲「千の風になって」での地域活性化に取り組む。一度は上京し、それぞれの事情から故郷に戻った2人の胸には、撮影当時のにぎわいが、せつないほど強く残っている。(新目七恵) 


◎2次救急病院、来月から受け入れ制限拡大
 函館市を中心とする南渡島医療圏(2市7町)の2次救急病院が、夜間のウオークイン(重症以外の患者)受け入れ制限を3時間前倒しし、午後5時からとする6月1日まで、あと10日に迫った。これに伴い、1次医療機関の函館市夜間急病センター(白鳥町)は開業時間を30分早めて午後7時半からの対応となる。この受け入れ制限の開始を目前に控え、市立函館保健所はホームページ(HP)などを通じて、夜間診療を実施する医療機関の情報を市民に発信する準備を進めている。

 同圏の2次救急病院は市立函館病院、函館中央病院など函館市内の9病院。医療現場では、患者の増加と医師不足によって勤務医の加重労働が問題化となっており、夜間救命救急の当番体制の維持も厳しい状況だ。

 こうした事態を打開しようと、函館市医師会などが協議し、2次救急病院の夜間のウオークイン受け入れを制限することを決定。4月から夜間急病センターの開業時間帯と同じ午後8時―午前零時、6月からはさらに3時間前倒しし、午後5時―午前零時は原則受け入れないことにした。

 このため、午後5時から同センターが開業する午後7時半までの2時間半の「空白の時間帯」に治療を必要とする患者が困らないように、市立函館保健所は同医師会と協力しながら夜間診療を行う医療機関の情報を集め、市のHPにリンクした同保健所のHPで紹介する。6月のスタートに合わせて情報を公開したい考え。さらに、チラシを作成して市内全戸に配布する。

 4月からのウオークイン受け入れの制限で、診療時間外に2次救急病院に来院するケースは減少しており、市立函館病院では救急搬送、ウオークインを含めた救急患者の数が昨年4月の1738人から、今年は760人に半減した。

 夜間急病センターの4月の1日平均患者数は2006年が31人、07年が39人に対し、今年は42人と利用が増えており、同保健所は「制限した効果の表れと受け止める。1次、2次病院の適正な利用をさらに啓発していきたい」としている。(鈴木 潤)


◎「承認必要」の通達全廃…イカゴロ問題で道
 【乙部】道は21日までに、乙部町豊かな浜づくり協議会(会長・寺島光一郎町長)によるイカゴロ(イカ内臓)の海中還元試験をめぐり、試験には道の承認が必要とする1992年の通達が国の法解釈に反するとして、この通達を全廃した。新たに行政指導の範囲内で事前協議を行い、試験実施を容認するとした要綱を制定した。

 漁業目的で行う海中還元試験は、環境省が2005年1月、海洋汚染防止法による規制が適用されないとの判断を示しており、この解釈を逸脱した道の通達が3年ぶりに解消された。

 山本邦彦副知事と武内良雄水産林務部長が20日、萬木英雄副町長を訪ね、通達が国の法解釈に反することを認め、通達に基づき3月31日に試験の中止を求めた檜山支庁の文書を撤回、道の対応に非があったとして全面的に謝罪した。試験が「違法」とした佐藤俊夫副知事の発言も不適切と認めた。

 水産林務・環境生活両部が19日付で制定した要綱は、イカゴロなどを活用した試験について、実施主体が(1)漁協(2)市町村(3)地元関係者の協議会―である場合に限り、支庁との事前協議で試験実施を容認するほか、方法に問題があれば行政指導の範囲内で計画変更を要請するとした。

 また、檜山沿岸で行うイカゴロの海中還元試験に限り、2006年から上ノ国町で実施した試験の結果、油膜拡散や水質汚濁などの悪影響が認められず、試験海域に魚が集まるなどの効果も確認されているため、支庁との事前協議を省略。届け出制による試験を認める独自の基準も設けた。(松浦 純)


◎函館地裁玄関前にカウントダウン看板…裁判員制度まで1年
 一般市民が刑事事件の審理に参加する裁判員制度の開始まで、ちょうど1年となった21日、函館地裁(上垣猛所長)は制度を広くPRしようと、同地裁正面玄関前に看板を設置した。導入までの残り日数を告げるカウントダウンが始まり、参加に消極的な人が多い道南でも新制度の周知に関係者は躍起となっている。

 看板は昨年4月に設置されたものに、開始日までのカウントダウンと、キャッチフレーズ「もうすぐそこに」を付け加えてリニューアル。アルミ複合金製で、縦1・2メートル、横2・4メートル、高さ1・9メートル。同地裁が独自に考案した広報キャラクター「ほーふくん」と「裁判員制度」の文字を大きくあしらった。

 この日は、同地裁の上垣所長と函館地検の中屋利洋検事正、函館弁護士会の前田健三会長の法曹三者のトップが、スタートまで「365」日を知らせるプレートを1けたずつ差し入れ、カウントダウンを開始。同地裁1階ロビーには制度の仕組みや選任手続きの流れを解説したコーナーも新設された。

 看板設置後、同地裁で記者会見した上垣所長は「裁判員制度は国民の意思が直接反映される画期的な制度であり、国民の参加なくしては成り立たない。今後も分かりやすい裁判を目指し、参加しやすい制度運営に取り組みたい」と抱負を語った。

 最高裁が今年1、2月に実施した意識調査で、同地裁管内(渡島・檜山と後志管内の一部)では「義務でも参加したくない」と答えた人が49・5%に上り、全国で3番目に多い結果となっている。 (森健太郎)


◎仏軍艦 函館港に入港
 フランス海軍の試験・測定艦「デュプイ・ド・ローム」(4500トン)が21日、函館港の港町ふ頭に寄港した。仏軍艦の訪日は1961年から通算50回目、函館入港は2006年5月以来4回目。海上自衛隊函館基地隊と函館日仏協会(関口昭平会長)による入港式典がふ頭で開かれ、艦長のアンリ・ダグラン海軍中佐ら乗組員約100人を歓迎した。一方で、非核・平和函館市民条例を実現する会など市民団体や労組関係者ら約50人が、岸壁ゲート付近で函館港の軍港化を危ぐする反対集会を開いたほか、艦長あてに抗議文を提出した。

 入港式典で関口会長は「市民も歓迎している。リラックスして楽しんでほしい」と述べ、ダグラン艦長は「日本の地を踏むことができてうれしい。(1855年のシビル号事件では)函館の人に親切にしてもらった。長い時間はたっているが仏海軍は忘れてはいない」とあいさつした。

 一方、市民団体の反対集会には民主党の道議らも参加。連合函館地区連合会の渡部正一郎会長は「歴史と伝統のある函館港は市民の誇り。戦争の道具となるのは断じて許し難い」と訴えた。実現する会の徳永好治共同代表も「市民感情を逆なでする行為。平和な函館港を守る」などと抗議。参加者らは「軍艦による親善はまやかしだ」「函館から出て行け」などとシュプレヒコールを上げた。

 港湾管理者の函館市は、高橋良弘港湾空港部長が「核兵器廃絶平和都市宣言文」を手渡して趣旨を説明。ダグラン艦長は「(宣言文には)正当性があり、日本が経験した苦しい歴史の果実であると考える。仏海軍の意向は世界の恒久平和に貢献することだ」と述べた。同日午後、市役所で西尾正範市長と懇談したダグラン艦長は、同艦の装備には、自艦を防衛する以外の兵器は搭載していないことを明言した。

 同艦は25日午前10時まで滞在を予定。乗員らは外国人墓地訪問やスポーツ交流などを予定している。警備上の問題から、一般市民は岸壁に近づくことはできない。(今井正一)


◎頂狼飯店の花田さん・青年調理士中国料理コンで優勝
 中国料理店「頂狼(ちょうろう)飯店」(函館市山の手2)のオーナーシェフ花田勝彦さん(33)が、このほど東京で開かれた「第7回青年調理士のための全日本中国料理コンクール決勝大会」(日本中国料理協会主催)の熱菜・畜禽(ちくきん)部門で優勝した。函館からの出場者としては初の快挙で、花田さんは「手ぶらで帰る訳にはいかないと思っていたが、念願だった金メダルという最高の結果を残せた」と、受賞の喜びをかみしめている。

 同コンクールは40歳未満の調理人を対象に、2年に1度開催される国内最大規模の大会。料理別で5部門に分かれ、応募総数368点の中から書類審査を通過した各部門10人が決勝に臨んだ。

 花田さんの作品は「龍の目に見立てた焼葱(ねぎ)入り鴨(かも)ロールとフォアグラ入り鴨団子の大根詰め蒸し―大輪の花仕立て―」。本番の1週間ほど前から本格的な練習に取り掛かり、制限時間の1時間で料理を仕上げられるようにタイムを計りながら、深夜まで特訓を繰り返した。

 大会当日は、「練習以上の成果を出せた」との言葉通り、終了の3分ほど前には料理が完成。大輪の花をモチーフにしたデザインだけでなく、カモ肉の触感や味覚などは加熱度合いで微妙に変化するため、究極を求めた強いこだわりが高い評価を受けたと見られる。

 花田さんはこれまで、第3回の熱菜・畜禽で銅メダル、第4回の熱菜・魚介で銀メダルを獲得。次回は2部門制覇に期待が掛かるが、10月に北京で4年に1度開催の世界大会への出場が内定していることから、「このままの勢いで世界に挑めるよう、高いモチベーションを維持していきたい」と気を引き締めている。

 同店では、6月に金賞を受賞した料理を楽しめるコースや賞味会を予定している。(浜田孝輔)


◎「多様な新聞、言論が大切」…読売新聞・朝倉論説委員長が講義
 道教育大の市民開放型特別講義「戦後政治史と新聞の社説」が21日、同大函館校で開かれ、函館出身で読売新聞東京本社論説委員長の朝倉敏夫氏が講義した。朝倉氏はわが国の二大新聞である読売と朝日の社説や社論の違いを比較し、「それぞれの視点や論点を持つが、読売として自信の上に立って主張している。マスコミの数や言論の数は多い方が良いという考えに変わりはない」と述べた。

 朝倉氏は同大特任教授で、昨年に続き2回目の講義。市民や学生ら約100人が聴講した。朝倉氏は、新聞社には事実を伝える報道機関(編集局)と言論機関(論説委員会)の機能があることを紹介。事実についてどう考えるべきか、どうあるべきかを主張するのが論説委員会の社説であるとした。

 読売は改憲、朝日は護憲を主張し、日の丸・君が代、愛国心、太平洋戦争末期の沖縄の集団自決問題などでも両社の主張や視点は違っている。その違いの大きな分岐点は、日本の主権が回復した1952年のサンフランシスコ講和条約に向けた両社の姿勢の違いだった、と指摘。「朝日は旧ソ連・東欧諸国、中国を含めた全面講和を、読売は西側重視でまずは独立を目指すことを求めた」と説明した。

 敗戦後、新聞社は言論の自由を確保したと思われがちだが、実際はGHQ(連合国軍総司令部)の厳しい言論統制があり、GHQの検閲があること自体、国民に知らされていなかったことも紹介した。昨年秋に表面化した自民党と民主党の大連立構想についても語り、参加者の質問に気さくに答えた。 (高柳 謙)