2008年8月18日(月)掲載

◎企画【市立函館図書館80年の歩み・上】/生涯をかけた岡田健蔵
 1日当たりの平均来館者数は約2500人(函館市中央図書館のみ)。子どもから高齢者まで幅広い市民でにぎわう函館市の市立図書館の歴史は1906(明治39)年、新聞投稿者で組織する「函館毎日新聞緑叢(りょくそう)会」の設立から始まった。その歴史は、岡田健蔵(1883―1944年)の名前をなくして語れない。

 岡田はろうそく製造・販売業を営むかたわら、自宅の一部を開放して1907年、同会の図書室を現在の入舟町に開設。だが同年の大火で蔵書の大半が焼失してしまう。これを教訓に、岡田の生涯をかけた図書館づくりが始まった。

 16(大正5)年、青柳町の函館公園内に鉄筋コンクリート5階建ての耐火書庫を建造。国の重要文化財に指定された「大谷派本願寺函館別院」(元町)がしゅん工した翌年で、資金は豪商・初代相馬哲平が負担した。「蔵をそのまま大きくしたような造り」(中山公子函館市中央図書館長)で、当時の技術の粋を集めて作られた函館の耐火建築の先駆け的存在だ。

 28(昭和3)年、耐火書庫や蔵書は函館市に移管され、市立函館図書館本館が建造された。漁業経営などで財を成した小熊幸一郎に寄付を募り、市議になった岡田の強力な働きかけで鉄筋コンクリート造りが実現した。

 以来80年―。岡田の長女で、後に同本館の館長を務めた岡田弘子さん(83)は「当時のお金持ちの人がお金を出してくれたからこそ今の図書館がある。貴重書も寄付をしてくれたからこそ持てている」と市民の力に感謝する。

 岡田がこだわった耐火能力は、くしくも34(昭和9)年の函館大火で立証される。このとき岡田は迫る炎を前に書庫の扉を厳重に閉ざし、扉にかぶせた敷物に水を掛け続けて貴重な図書を守ったとされる。当時函館山に避難していた弘子さんは「家は丸焼けでミシンの足しか残っていなかった。あの状況で父はよく生き残ったと思う」と回想。寝る間も惜しんで図書館づくりに明け暮れた岡田の熱い思いがうかがえる。

 岡田が命をかけて守った耐火書庫は、現在も残る。本館の閉館により現在は空だが、ケヤキの一枚板で作られた棚は今も狂いなく整然と並び、各階を結ぶ階段との間も遮断できる分厚いコンクリートの扉はいつでも閉められるようになっている。岡田の熱意と歳月の重みが伝わってくるようだ。

 函館市の図書館が1928(昭和3)年に市立化されてから7月17日で80年を迎えた。市立図書館の歩みを概観し今後の展望などを探る。(小泉まや)



◎SL函館大沼号が今季ラストラン
 JR北海道が春の大型連休中と夏休み期間に函館―森間を運行してきた「SL函館大沼号」が17日、今シーズンの運行を終えた。最終日も家族連れを中心に大勢の乗客でにぎわい、駒ケ岳や大沼公園の晩夏の風景を楽しんだ。函館駅到着後は、帰省のUターン客もSLをバックに記念写真を撮影していた。

 蒸気機関車C11形がレトロな客車をけん引して走るSL函館大沼号は、ことし4月26日に運行開始。7月は19日からの週末と、8月9日から運転。往路は森町の赤井川経由から森に向かい、折り返しの復路は同町の砂原経由で1日1往復してきた。

 好天に恵まれたラストランは、定刻の午後3時20分に函館に到着。車窓から大沼国定公園などの自然を楽しんだ子どもたちは下車後、SLの運転席に座る記念撮影のサービスに大喜び。宮城県色麻町から両親と乗車した澤田ひよりさん(9)は「車内から聞こえる『シュ、シュ』という音を出しながら、自然の中を駆け抜けて面白かった」と笑顔を見せていた。

 運行期間中、レトロなハイカラ衣装を着て客室乗務員を務めた同社の小川友希さん(29)は「(SL大沼号では)初めて乗務員を務め、最初は緊張したが、子どものお客様との触れ合いがとても楽しかった」と話していた。(山崎純一)


◎Uターン始まる
 お盆休みを道南の故郷や行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュが17日、ピークを迎えた。函館空港やJR駅では、両手にたくさんの荷物を持ち、本州や札幌方面へ向かう人たちで終日ごった返した。

 JR函館駅では、東京方面に向かう新幹線に接続する八戸行きの特急が朝から、札幌行きの特急は午後から満席状態になった。札幌から本州へ向かうため乗り換える乗客の中で、座席指定券を持っていない人たちは大急ぎで自由席車両に駆け込んでいた。

 ことしの春から東京で一人暮らしをして大学に通う七飯町大中山の佐伯美友里さん(19)は「実家で1週間過ごしたが、故郷の大切さがよく分かった。帰るのがつらい」と話していた。岡山の転勤先に戻るという函館市湯川町の佐々木章仁さん(44)は「昨年は北海道で有名なお菓子が賞味期限を改ざんし、販売中止になっていたが、ことしは無事、仲間に買っていける」と話していた。

 交通機関の混雑は週明けも続き、航空各社によると、本州方面は18日まで、JRは八戸行き特急が日中を中心に20日まで満席の便があるという。(山崎純一)


◎湯の川温泉いさり火まつり最終日
 函館市内の湯の川温泉街を舞台にした「第43回はこだて湯の川温泉いさり火まつり」(実行委主催)は17日、最終日を迎え、温泉を湯倉神社(同市湯川町2)に奉納する恒例の「献湯行列」が行われた。市内外から集まった担ぎ手が、温泉街に威勢の良い掛け声を響かせた。

 献湯行列は、温泉の恵みに感謝する湯の川地区の伝統行事。各温泉やホテルなどでくみ上げた湯をみこしに乗せ、地域の鎮守、湯倉神社まで運ぶ儀式だ。

 函館湯の川割烹(かっぽう)旅館若松(同町1、中澤美樹社長)で開かれた採湯式では、実行委の大桃泰行委員長が「若さと迫力を発揮し、道中けがのないようよろしくお願いします」とあいさつ。神事を執り行った後、同旅館の源泉をみこしに積んだ。

 法被姿の約40人がみこしを担ぎ出発。温泉街で営業するホテルなどを経由し、同神社まで約1時間半かけて練り歩いた。

 みこしの後ろには、コンテストを兼ねた仮装行列の参加グループ9組31人が続き、人気キャラクターの着ぐるみや青森ねぶたの跳人(はねと)姿などをして沿道の観客を楽しませた。

 息子4人とともにイカやスキューバーダイビングの格好で行列に参加した滝沢町の若山恵美さん(33)は「案を練るのが大変。皆と一緒に仮装して歩くのは楽しい」と話し、初めてみこし担ぎに参加した大竹充さん(23)と石戸涼太さん(19)=ともに湯の川グランドホテル社員=は「とにかく一生懸命やろうと思い担ぎ手に参加した。無我夢中だった」と振り返っていた。

 この日は、湯浜公園(同町2)で旬の農産物や魚介類などを販売する味覚市や、同神社では音楽ライブも行われた。(鈴木 潤)