2008年9月29日(月)掲載

◎サケつかみ捕り「江差町産業まつり」にぎわう
 【江差】町内の産業団体が一堂に会して、新鮮な農水産物や地場産品を手ごろな価格で提供する「第30回江差町産業まつり」(実行委主催)が28日、江差町役場で開かれた。秋サケつかみ捕り体験などが行われ、秋の味覚を買い求める大勢の家族連れでにぎわった。

 会場の町役場駐車場では、ひやま漁協女性部などがサケ、イカ、ホッケなど豊富な海の幸を販売。新函館農協も旬のメークインやアスパラといった新鮮な農産物を提供した。江差土地改良区は昔懐かしい「ポン菓子」の実演で子供たちを楽しませた。

 子供向けの秋サケつかみ捕りも大好評。スタートの合図とともに大勢の子供たちが、計80匹ものサケが放された水槽に飛び込んだ。水槽の中を所狭しと激しく泳ぎ回る秋サケを、子供たちが水しぶきを立てながら元気に追い掛けていた。

 町役場内では江差消費者協会が主催する「第14回えさし・くらしのフェスティバル」も開かれた。リサイクル品を使った手作り小物の販売、食用廃油を利用したせっけん作り体験をはじめ、道立江差病院の職員らによる健康・栄養相談などのイベントも行われた。(松浦 純)


◎09年度・渡島の権限委譲 松前の「文化財保護」など
 渡島支庁はこのほど、2009年度に道から渡島管内の自治体に権限委譲が予定される法令の事務内容を発表した。このうち、松前町には文化財保護法に関する2事務と道文化財保護条例に関する1事務が移譲される予定となっており、同町では「地元で事務手続きができることで、観光振興につながることを期待したい」と話している。(小川俊之)

 道は04年度に、将来の道州制に向けた地域主権型社会の構築を目指し、道が行っている事務や権限約4000条項の中から約2000条項について市町村への移譲対象とする方針を決定。05年度から市町村と協議をスタートし、06年度から毎年段階的に移譲を行っている。

 渡島管内ではこれまで、北斗市と松前町が権限移譲に積極的に取り組んでいる。北斗市は08年度に母子保健法の「低体重時の出生届受理及び未成熟の訪問指導」や公害防止条例の「大気汚染、水質汚濁に関する規制」など13条項を新たに受け入れた。松前町は09年度から文化財保護法の「史跡名勝天然記念物の現状変更の許可等」「重要文化財の現状変更及び公開の許可等」と北海道文化財保護条例の「道指定有形文化財の現状変更の許可等」の権限委譲を予定しており、同町政策推進グループの佐藤久主査は「松前は文化財が多く観光が重要な産業の一つなので、今回の移譲で町が活性化することに期待したい」と話している。

 権限移譲の受入れ体制について自治体間にばらつきがあるのは、人的、財政的負担が大きく影響している。道はこれまで職員の派遣などによるサポート体制を取ってきたが、派遣先の自治体が給与を負担しなければならないためあまり活用されていなかった。そこで道は来年度から、新たに自治体と道の間で職員を相互派遣するシステムを導入することを決定。渡島支庁参事(地域調整)の奥河俊明主査は「住民のサービス向上のためにも各自治体は権限移譲に積極的に取り組んでほしい。来年度からの職員の相互派遣システムが、起爆剤になってくれれば」としている。

 なお、移譲予定条項は、地方自治法に基づく協議を経て、12月に行われる第4回定例道議会に条例改正案が提出され、議決によって正式に決定する。


◎館城跡から多量の炭化コメ
 【厚沢部】140年前の1868(明治元)年、松前藩が築いた館城跡(国指定史跡、厚沢部町城丘)で町教委が進めている発掘調査でこのほど、「米倉跡」とされる地点から多量の焼け焦げたコメが出土した。館城は築城から半月余で旧幕府軍の攻撃で落城しており、町教委は米倉など城内の建物とともにコメも炎上したものとみている。(松浦 純)

 米倉跡は城跡の北東部に位置する。地表から数センチ程度のごく浅い所から、焼け焦げて炭化したコメが多量に出土した。付近では広範囲に土壌も赤く焼けており、石井学芸員は「相当の高温が長時間続いたと考えられる」としている。

 同じ場所では、焼けていない“もみ殻”が付いたままのコメも炭化したコメと重なり合うようにして見つかった。焼失を免れたコメと炭化したコメが同じ場所から出土する理由は分かっていない。石井学芸員は「館城は落城後も20年近く放置されていた。付近では数十年前から多量の米が出てくることが知られていた」とし、出土状況などを詳しく調べている。

 館城は、現在の松前町から厚沢部町に拠点を移した松前藩が1868年9月に築城を開始。箱館戦争の戦火が迫る中で10月25日に完成した。ところが、11月15日には旧幕府軍の攻撃で落城。建物の大半は焼け落ちたという。

 館城跡に関する詳しい史料は残されておらず、町教委は2005年度から、遺構の保存管理計画策定や史跡公園の整備に向けた発掘調査を続けている。本年度の発掘は1500平方メートルが対象。南西側では堀、土塁、柵列などの遺構を確認した。

 28日には町教委主催の現地説明会も開かれ、地域住民ら約20人が参加。箱館戦争当時の激戦を物語る“証し”である炭化したコメの塊などに熱心に見入りながら、わずか75日で落城した、悲運の館城の姿に思いをはせていた。


◎「函中三・三会」同期会、笑顔の再会
 函館中部高校(函館市時任町)を1958(昭和33)年に卒業した同期生でつくる「函中三・三会」の同期会が28日、同校や七飯町のグリーンピア大沼で開かれた。当時の恩師である野田修三郎さん(82)と吉田信一さん(77)を交え、久しぶりの旧友との再会と卒業半世紀の節目を笑顔で祝った。

 同会は札幌や東京、函館で同期会を開き、5年ごとに全国規模での集会を開催。今回の1泊2日の同期会には佐賀県などから70人が集まった。同校の多目的教室で開かれた記念授業には約50人が参加。吉田さんが教壇に立ち、特別講話として当時の思い出話を交えながら自身の半生を語った。

 吉田さんは同校出身で、54年から8年間、同校に英語教師として在任。その後は東京都内で教師などを務め、現在は函館市内で暮らしている。当時、始業のチャイムと同時に教室に登場することから「消防自動車」というあだ名をつけられていた名物教師で、生徒の人気も高かったという。

 講話では「退職後は英語のことはほとんど頭に残っていません」と東京時代の話や近況などを語った。自身が執筆した英語テキストの話題では問題を読み上げ、生徒を指名すると「分かりません」と元気な返事があったりと、笑い声が絶えない授業となった。

 横浜市から参加した水江彰一さんは「吉田先生と同じ大学に進み、英語の教員になったわたしにとって一番の影響を受けた恩師。教えを受けるのは50年ぶりですが、今でも先生は超えられない存在ですね」と話していた。(今井正一)


◎親子で巡る道南神社バスツアー、参拝法学び 雅楽を鑑賞
 函館市や近郊の神社を巡る日帰りバスツアー「親子で巡る道南神社バスツアー」が28日開かれた。参加者は神主らから正しい参拝方法を学んだほか、日本最古の古典音楽「雅楽」の鑑賞などを楽しんだ。

 渡島・桧山と後志管内の神社でつくる北海道神社庁2区教化委員会(加藤清久委員長)の主催。神社の歴史を知ってもらい、子どもたちに身近に感じてもらおうと初めて企画した。この日は市内の親子連れ約50人が参加した。

 ツアーは函館市と七飯町内にある5カ所の神社をバスで巡回。このうち亀田八幡宮(同市八幡町)では、函館楽所のメンバーが「雅楽」の演奏を3曲披露し、参加者は優雅な旋律にうっとり。子どもたちの中には癒やされる余り、うつらうつらとする姿も見られた。

 雅楽の楽器「笙(しょう)」の演奏にも挑戦した函館湯川小3年の伊部瑞葵さん(9)は「指を押さえるところが多くて難しかった。きれいな音だったのでまたやってみたい」と満足げだった。(森健太郎)