2009年12月11日 (金) 掲載

◎カフェ・ギャラリー「三日月工房」12日オープン

 函館市弥生町23に明治期の蔵などを利用したギャラリー・カフェ「三日月」(池井一季代表)が12日、オープンする。かつて質店が営まれていた空き家の蔵と店舗兼住宅を、建築士の池井さん(38)が自ら修復。古い建物の風情を生かしたアート空間として息を吹き返す。(宮木佳奈美)

 池井さんによると、土蔵造りの蔵は明治中期、コンクリートブロック造の店舗と木造住宅は増改築がされていて大正から昭和初期ごろに建築された。建物全体の広さは約500平方㍍で、蔵と住宅部分は2階建て。10年前まで質店を営んでいた宮田商店が廃業してからは空き家で、所有者が取り壊しも検討していたという。

 池井さんが、西部地区の古い建物を設計事務所にしようと探していて、この物件に出合った。妻・希代美さん(32)と市内で営んでいる雑貨店とカフェも併設できると考えて7月に借りた。8月にはカフェや商店街、空き店舗に芸術作品を並べるイベント「アートフェスハコトリ」の会場にも使われた。

 外観は崩れていた屋根を修復し、外壁を塗装。内装は、和室の畳を外して木の床にするなどの改装を自前で行った。池井さんは「派手な装飾はないが良質の材木が使われ、磨けば光るものばかり。手入れをすればよみがえるのでやりがいがあった」と建物の魅力を語る。

 蔵はギャラリー、住居部分の1階はカフェ、2階が設計事務所と古い建物の再利用を進めるNPOの拠点、店舗部分は手作り雑貨店「みかづき工房」。玄関付近は土間で、蔵の入り口には重厚な扉、カフェには格子が入ったうるし塗りの建具が引き立ち、レトロな雰囲気をかもし出す。カフェ営業は展示がある期間だけだが、池井さんは「ギャラリーにもテーブルといすを置いたので、ゆっくり作品を見ながら過してもらいたい」と話す。

 ギャラリーでは2月28日まで、展示空間全体を作品とするインスタレーション展「時の魚・浮遊する水紋 小宮伸二展」が開かれる。入場無料。午前11時―午後5時。木曜定休。



◎明治の音色再び…大妻高が「西川ピアノ」修復

 函館大妻高校(池田延己校長)はこのほど、1924(大正13)年の開校時から昭和初期まで使っていた「西川ピアノ」を完全修復した。関係者によると、国内でも希少価値は極めて高い。8月に急逝した前校長を偲んで「外山茂樹メモリアルピアノ」と名付け、10日には函館市柳町の同校で報道関係者に公開された。

 ピアノは2007年、食物健康科棟新築の際に旧校舎で見つかった。昔の学校の写真から使用時期が判明し、文化的価値も高いことが分かったため、6月に東京の斉藤ピアノ調律所に修復を依頼した。外山前校長は「学校の歴史の生き証人」として原型通りの復元を希望し、当時の部品などを使って約5か月間掛けて完成した。

 西川ピアノは、西洋楽器の製造元祖と呼ばれる千葉県出身の三味線職人・西川虎吉が初めて国産したとされるピアノの呼び名。横浜市歴史博物館に大妻高と同じアップライトピアノがあるが、製造番号から量産時代のものと考えられている。一方、今回大妻高で発見されたのは製造番号がなく、構造面などから考えて量産される以前の1886―96年に作られた試作の可能性が高いという。

 この日、市内で古いピアノの調査を続けている函館短大保育学科の佐々木茂学科長は由来を解説し、「函館にある古いピアノは外国製ばかりで、日本製は初めて」と説明。ヤマハ函館店の調律師上出幹夫さんは「一番大事な響板はそのまま使っており、当時の音を再現できた」と話していた。

 ピアノでショパンの「子犬のワルツ」を試演した同短大の高実希子非常勤講師は「グランドピアノのような音の幅がある」と感想を話し、池田校長は「おばあちゃん子だった外山前校長は祖母のハツ初代校長の使ったピアノが直るのを一番楽しみにしていた」と語っていた。15日には学校関係者を招いた演奏会を開く予定。(新目七恵)



◎新行修者に久保田さん…木古内のみそぎ祭り

 【木古内】佐女川神社で来年1月13日―15日に行われる180回目の「寒中みそぎ祭り」の新しい行修者が、町出身で函館の高校に通う久保田翔さん(17)に決まった。10日に開かれた同神社の会議で正式に選ばれた。今後4年間にわたって行修者を務め、祭典の期間中は豊作、豊漁を願い、水ごりの荒行を行う。

 久保田さんは、函大有斗高の3年生で、4月からは札幌の専門学校に通うことが決まっている。高校ではバスケットボールを続けた。

 久保田さんは「昔からみそぎ祭りを見ていたので、行修者をやってみたい気持ちはあった」と話す一方、「行修者の話が来たときは、やるかどうか真剣に迷ったが、やると決めたからには4年間やり遂げてみせる」と張り切っている。

 友人からも激励を受けている。「部活を引退してからは体を動かしていなかったので、現在は筋トレをこなしている」と語り、祭り本番に向け準備を整えているという。

 母親の恵子さんは「光栄なこと。最後まで頑張ってほしい」と期待する。

 久保田さん以外の行修者は大学生の平野嘉栄さん(22)、専門学校生の村上駿弥さん(19)、竹田峻輔さん(20)。(松宮一郎)


◎濱谷江差町長が3選出馬を正式表明

 【江差】濱谷一治江差町長(64)は10日の第4回定例町議会で、2010年7月に行われる次期町長選で3選を目指して出馬する意向を正式表明した。

 町政与党会派の萩原徹氏(協政会)の一般質問に答えた。濱谷氏は「就任以来の課題である財政再建は、起債残高が目標である70億円が間近だ。支庁再編問題など町政上の課題は多いが、確実な成果を生み出し、将来にわたり間違いのない方向性を示すため、町長選に三たび挑戦したい」と述べ、3選出馬への決意を示した。

 次期町長選をめぐっては、これまでのところ濱谷氏以外に出馬に向けた動きは無い。

 濱谷氏は上ノ国町出身。江差高卒。1964年に町役場入り。商工観光課長、保健衛生課長、町議会事務局長、檜山広域行政組合総務課長、保健福祉課長を経て、2002年の町長選では、町政刷新とともに、不透明な経営実態が判明した、風力発電事業を行う町の第3セクター・江差ウインドパワーの経営透明化を訴え、現職の若山昭夫氏を328票差で破り初当選。1期目はウ社に対する町の債務保証解消や民間への経営権移譲といった風力問題の処理に力を注いだ。

 06年の前回選挙は無投票。2期目は農漁業振興や道の支庁制度改革に伴う檜山支庁存続運動をはじめ、町長として培った人脈を生かしながら、トヨタグループなど大手企業へのトップセールスを自ら進め、企業誘致や地場産品の販路拡大など、町内産業の活性化対策にも取り組んできた。(松浦 純)


◎<企画・上>親父を追いかけて…遠藤正司、直樹さん

 【江差】14日に江差町で開かれる支庁再編に関する公開協議に、高橋はるみ知事が出席することが正式決定した。道市長会や道町村会など地方4団体との合意順守を求める桧山支庁管内町村会(会長・寺島光一郎乙部町長)は、桧山など5振興局で予定している広域事務の統廃合を見直すよう求める方針だが、知事サイドは再編案の見直しには応じない構えを崩していない。妥協点を見いだせない両者が“直接対決”する公開協議は、早くも決裂含みの展開が予想される。

 「やっぱり左官をやりたくて」。函館市内の大学を卒業後、1年間、事務職として市内の病院に勤めた遠藤直樹さん(31)は23歳の時、父・正司さん(62)が経営する遠藤工業(高丘町)に入社した。「小さいころから、仕事をしている様子をいつも傍で見ていて興味があった」と、同じ道を選んだ。

 同社は、室蘭出身の正司さんが函館の左官会社に就職後、32年前に独立開業した。正司さんの実家の家業も左官業で祖父、父親ともに左官職人。正司さんは函館に来てまもなく左官技能士の資格を取得。現在は函館技能士会の会長も務める。「左官はやる気があれば誰でもできるが、一人前の職人になるまでに10年はかかる。きつい、汚いと言われる職業だけになり手が少ない中、跡を継いでくれるのはありがたい」と直樹さんに感謝する。

 モルタル、漆喰(しっくい)塗り、タイル張り…。左官の仕事は幅広く、多様な技術とセンスが求められる。先輩職人たちが簡単にこなしているように見える作業も、初めは苦労の連続だった。直樹さんは「とにかく毎日一生懸命やるしかない。いろんな仕事に対応できるオールマイティーな職人になりたい」と腕を磨く。4年前には2級左官技能士を取得した。

 正司さんは「一生懸命まじめにやっている。お客さんに丁寧に対応できる職人になってもらいたい」と期待を込める。直樹さんは、仕事に対する真剣な姿勢と従業員である職人を大切にする父親を尊敬する。「目指すのは親父のような職人」。父親の背中を追い続ける。

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 建設業を下支えする確かな技術と感性を備えた職人たち。そんな職人である父にあこがれ、同じ道を選んだ後継者たちが第一線で活躍している。「函館技能士会」に所属し、父でもある親方の下で腕を磨く左官、表具、板金の若手技能士を紹介する。(宮木佳奈美)