2009年12月13日 (日) 掲載

◎来年は夢へ寅愛…梅谷さん 干支の創作たこ

 函館市山の手在往で、日本凧(たこ)の会会員の梅谷利治さん(80)は、恒例となった干支(えと)のたこを完成させた。来年は「寅(とら)」年。夢に挑戦する気持ちを込め「夢寅愛」(夢トライ)とした平面たこの連結や連だこ、獅子舞のような立体の「開運寅舞(とらまい)」などで、来年1月5日午前11時から同市大町の緑の島で揚げる予定。

 梅谷さんは元函館東高校美術教諭で、創作たこ暦は40年以上。今年春にはイタリア・ローマの日本文化会館で作品が展示され、大好評を得た。干支のたこ作りは35作目を迎え、デザインから仕上げまでほぼ一年を費やす。「毎年、新しいデザインを追求するのは我流転生と言われるかもしれないが、私は一層きれいな表現で作り続ける。遊び足りない証拠かな」と笑顔。

 そんな言葉通り「夢寅愛」は、過去2回作ったトラとは違う愛きょうにあふれた顔だ。夢に挑む気持ちを神にささげるため、目は上向きにした。版画のシルクスクリーン技法で緑やオレンジ色で仕上げ、丸の形が立体的に輝く折り紙を切り抜き、目に張った。「空に揚がってまで獣の顔ではなく、輝く瞳にさせてあげたい」と話す。

 一枚は30センチ四方。紙製のものを16枚連結させた1辺1メートル35センチのダイヤ形や、ナイロン製を60枚をつなげて長さ90メートルとした連だこ、横に10枚以上つなげた横連だこの3種類を仕上げた。「開運寅舞」は、獅子舞からヒント得て昨年も制作した立体たこ。24年前に作ったトラの顔を改良し、唐草文様の胴体を付け、2種類を作った。

 傘寿となっても、来年以降の制作や発表に意欲を燃やす。「自分のように新しい夢を持って進む大切さを、教え子や若い世代に伝えたい。たこを揚げる糸を引っ張ってもらい感じてほしい」と新春たこ揚げの来場を呼び掛けている。

 梅谷さんは「たこの嫁ぎ先を探したい」として、作品を数量限定で予約販売する。「夢寅愛」は3500円、「開運寅舞」の頭部は1万円。問い合わせ、申し込みは梅谷さんTEL0138・52・4532。(山崎純一)



◎七飯リンゴ栽培史完成

 【七飯】町本町のリンゴ園「成田園」の前代表で、七飯のリンゴ栽培史の研究に力を注いだ故成田宏一さん(享年85)が生前、執筆を手掛けていた七飯リンゴの栽培史「成田園語り」がこのほど、完成した。成田さんの遺志を継いだ有志が死後、執筆や編集をした。七飯リンゴの栽培の歩みや成田さんの足跡がまとめられた1冊となっている。13日に町文化センターで開かれる成田さんをしのぶ会で出版報告をする。

 成田さんは1925(大正14)年、山形県鶴岡市生まれ。49年、実母の親類で、七飯町でリンゴ園を営んでいた成田萬次郎、やすえ夫妻の後継者としてリンゴ栽培に従事した。

 戦後の七飯果樹組合の創設に携わり、町内の栽培技術の主流となっている「矮性(わいしょう)台木育苗」の普及にも先駆けて取り組んだ。リンゴ栽培の研究に人一倍熱心で、栽培の歴史にも詳しく町内外で講演する機会も多かった。近年、七飯リンゴの栽培史の執筆に取り組んでいたが、今年8月、病気で亡くなった。

 その後、成田さんと親交のあった町歴史館のボランティアグループ「歴史館友の会」の三浦亜男会長や元町教委職員の冬野赳史さん、同館の山田央学芸員が編集や校正、史実の考証を手掛け、同会の会員も手伝った。約200部を発行した。

 三浦会長は「家族のおかげで今の自分があると言い続けてきたのが印象的」と振り返り、冬野さんは「果樹栽培にすべてをささげた人。著書の編集では成田さんの表現方法を生かすようにした」と語る。

 長男の悌一さん(58)は「とてもすばらしい著書を作っていただき感謝の気持ちでいっぱい」と話している。

 A4判56ページ、非売品。(鈴木 潤)



◎山本氏が正式に出馬表明…北斗市長選

 【北斗】北斗市議の山本正宏氏(65)は12日、任期満了に伴う来年2月の北斗市長選挙に無所属で立候補することを正式に表明した。

 自宅で開いた連合後援会の役員会後の記者会見で、海老沢順三市長が後継指名した高谷寿峰副市長(57)が出馬をする意思を固めていることから「現路線と対峙する。争点は“行政の刷新か守旧か”、もしくは“政治のスペシャリストか、行政のスペシャリスト”になる」と述べた。

 北海道新幹線開業に伴う並行在来線の問題について「通勤、通学の足の確保を重視して最善策を考えるべき」とし、財政運営については「財政力がある今からチェック機能を強化する。不採算事業や団体への補助金で無駄がないか再度見直す」と考えを示した。

 山本氏は「全人生、身命を賭して市民にささげる。今の後援会を核に支持を広げたい」と抱負を述べた。前回の市長選に続き、梶田文弥氏(81)が後援会長を務める。

 山本氏は旧上磯町生まれ。国会議員の秘書を経て1978年に旧上磯町議に初当選。99年と2003年4月の同町長選挙、旧大野町との合併で新市誕生に伴う06年3月の市長選挙に立候補したが、いずれも落選した。(鈴木 潤)


◎市民スケート場がオープン

 函館市民スケート場(金堀町10、函館競輪場内)が12日、今冬の営業を開始した。初日はあいにくの雨となったが、シーズン到来を待ちわびた小中学生らが訪れ、初滑りを楽しんだ。

 同スケート場は1991年1月から冬期間、同所で営業している。この日は管理、運営する市文化・スポーツ振興財団の金山正智理事長が「冬の寒さに負けない体を作れるようにスケート場を利用してほしい」とあいさつし、リンクが開放された。

 氷上には来場者の姿が写るような水たまりが残る中、スケートに慣れている子供たちは氷の状態の場所を探しながら滑走し、歓声を上げていた。市内湯川地区から友達5人で来たという小学生は「今日は雨で残念だけど、これから毎週のように滑りに来たい」と話していた。同場は「市内の中心にあり、容易に足を運べる冬の屋外スポーツ施設。貸し靴もあるので気軽に利用し、健康増進に役立ててほしい」と来場を呼び掛けている。

 営業は、平日は正午から午後7時まで、土、日、祝日と小中学校の冬休み期間(25日―来年1月18日)は午前10時から午後7時まで。12月31日と1月1日は休場。問い合わせは同場TEL0138・54・5233。(山崎純一)


◎<企画・下>親父を追いかけて…渡邉正博、正一さん

 「父親は親方であり職人の先輩」。渡邉板金工業(函館市中道)の渡邉正一さん(40)は、高校卒業と同時に、父・正博さん(67)の下で修業を積み、ともに働く。祖父の代から続く同社の創業は昭和20年代後半。正博さんも父親の跡を継いでこの道に入った。幼い時から父親の仕事場について行き、手伝いもしていた正一さんは「板金職人になるのは自然の流れだった」という。

 仕事は屋根の取り付けが主体。形あるものに材料を合わせ、取り付けていく作業だけに、腕が問われる。「取り付け屋ではなく、お前は職人」が親方、正博さんの口癖だ。「材料を持っていったら、そこに合わなくても合わせるのが職人」と言い切る。息子が同じ職業を選んだことをうれしく思う半面、「ほかの従業員の手前、人の倍努力しないといけないから大変だろう」。厳しい職人の世界を知っているからこそ、複雑な思いもある。

 「自分が半日かかってやる仕事を30分ぐらいで簡単にやってしまう父親との距離は縮まらない」と正一さん。職人の道を歩んで20年が過ぎても父親から学ぶことは多い。一方、正博さんは「年齢とともに責任感が強くなり、社交性もあるからお客さんの対応もうまい。いずれ譲っていくから頼りにしている」と期待をかける。

 親子ともに一級建築板金技能士の資格を持ち、正一さんはトタン防水技術を習得し、仕事の幅を広げた。「お客さんに喜んでもらい、数年後にまた仕事を依頼してもらえたらうれしい」。祖父や父が手掛けてきた屋根飾りなどの細工物の技術の習得にも意欲を見せる。(宮木佳奈美)