2009年2月26日(木)掲載

◎開のサクラ 門出祝う 自作の屏風絵 卒業式に…港中美術部3年生10人

 函館港中学校(名古屋貞俊校長)美術部の3年生10人が、自分たちで制作した屏風(びょうぶ)絵が飾られる式会場で3月13日に卒業する。仲間と協力して、描き上げた満開のサクラの絵に見送られ、部員たちはこの春、それぞれの道に向かって進んでいく。

 屏風10年ほど前に同校美術部が制作し、保管していたもの。渡辺聖子指導教諭が2007年春に同校に着任した際、黒と紫を基調とした色合いから明るい雰囲気に塗り替えようと再制作を提案。当時の2年生部員が昨年1月から作業を始め、渡辺教諭の描いた下絵を基にアクリル絵の具で色を付けていった。

 絵は約1カ月半で完成。2年生部員にとって初の共同制作で、完成後はメンバーに一体感が生まれたという。同3月の卒業式で初披露されたほか、4月の入学式にも活用され、関係者に喜ばれた。そして今回、絵を描いた部員たちが卒業する年を迎えた。

 渡辺教諭は「1人1人の個性や未来をサクラの花に託し、卒業の門出を祝おうとデザインした。卒業生は志を高く頑張ってほしい」と話す。

 葛西美咲部長(15)は「今まで一緒に頑張った友達と作った作品の前で卒業できてうれしい」とし、今村佳奈さん(15)は「美術部で頑張ったことを進路に生かしたい」と説明。加藤春香さん(15)は「出会いを大切にしたい」、横内若菜さん(14)は「今後も卒業や入学などの舞台で飾ってほしい」と話している。(新目七恵)



◎函館市史ありがとう…菅原さん“完全燃焼” 病魔と闘い命を削り

 病魔と闘いながら、生涯をかけて函館市史の編さん作業に従事した菅原繁昭さんが1月、がんのため亡くなった。享年60。「話し好きで人当たりが良く、責任感や使命感が人一倍強かった」と語る同僚たちは死を悼み、業績を高く評価する。2007年3月、足掛け37年かけて完結した市史は全11巻、菅原さんの“完全燃焼”なくして語れない。

 市史編さんは1970年に始まった。史料編に続き、外部執筆者で通説編第1巻を発行したのは80年3月。これに先立ち、執筆も市職員を中心に進めようと76年8月、大学で歴史を学んだ菅原さん、紺野哲也さん(62)、辻喜久子さん(57)が専任編集員に任命された。

 菅原さんは経済史を担当。文化史を担当した、市健康づくり推進室長の辻さんは「菅原さんは道庁赤れんが庁舎などに眠っていた行政資料を掘り起こした。北大出身で、道史編さんや北大の研究者と太いパイプを持ち、どれだけ教えられたかは語り尽くせない」と回想する。

 「市史は一定の史観の中で大きな流れを作っていかなければならない。彼は非常にバランス感覚に優れ、まとめきれないところを最後に形にした」と、同期入庁で市会計部長の菅原尋美さん(60)は指摘する。

 辻さんによると、菅原繁昭さんは高田屋嘉兵衛に始まる商人の動向を調べ上げ、函館で活躍する商人と経済の関係をさまざまな資料を駆使して書き上げ、国史全体の中に位置づけをした。

 最初の病魔が襲ったのは92年、43歳の冬。知人の医師が開業し、祝いに訪れた際、たまたま最新鋭の超音波診断機(エコー)で冗談半分に診てもらった。そこで見つかったのが腎臓の異常。がんと分かり摘出手術を受ける。

 奇跡的な早期発見。退院して戻った菅原さんに、菅原尋美さんは言った。「お前は生かされている。お前にしかできない仕事がある。それをやり抜け」。それが市史編さんだったと、菅原尋美さんは思う。

 95年4月には市史編集員を兼務し博物館長に栄転。博物館や図書館に眠る貴重な資料を、当時の図書館長の徳田祐二さん(61)らとともに整理し、発表する機会が少なかった学芸員に市史編さん室発行の「地域史研究はこだて」へ論文を執筆させるなど、人材育成に努めた。

 再び病魔が襲ったのは市史編さん室長となって間もない2004年ごろ。再びがんが見つかった。市理事の小柏忠久さん(61)は05年ごろ、市史編さん室がある8階で壁を伝いながら苦しそうに歩いている菅原さんを見た。「無理をするな。早く休んで治療しろ。心配するな」と言ったが、菅原さんはそっと語った。「いま休んだら市史が完成しない」。

 それから1年余り、菅原さんは命を削るように編さんに専念。年表編が発行され、市史は完結した。それをしっかり見届けると定年まで1年を残して退職、10カ月後、亡くなった。同僚たちからは「しのぶ会」を開く声が上がっている。

 「市史は通史であり、個々を掘り下げるのには限界があるが、各分野の研究を始める出発点となる」というのが菅原さんの口癖だった。歴史は現代を知るしるべ。菅原さんが命をかけて見つめてきた函館市の歴史に耳をすませれば、これまで見えなかった「いま」が見えてくるかもしれない。(高柳 謙)



◎有効求人倍率0・36倍…1月の渡島・桧山管内

 函館公共職業安定所は25日、1月の渡島・桧山管内の雇用失業情勢を発表した。仕事を探している人1人に対する求人数を示す有効求人倍率は前年同月を0・16ポイント下回る0・36倍と、19カ月連続の前年割れとなった。現在の職安管内となって最長の記録を更新。派遣切りや雇い止めなど事業主都合の離職者がさらに増え、深刻な経済・雇用情勢となっている。

 有効求人倍率が対前年比を割り込んだのは、1998年4月から99年9月までの18カ月が最長だった。昨年12月の0・41倍からさらに下がり、0・3倍台となったのは2003年5月の0・39倍以来。

 同職安によると、有効求人倍率の低下は求職者が大幅に増えたことが要因。事業主都合での離職者が1月だけで1144人おり、前年同月よりも539人、9割増となった。全道平均の同様の増加率は5割で、同職安は管内の雇用情勢を「厳しさが増しつつある」から「厳しさが増している」に変えた。

 自主都合による離職者も若干増えているほか、函館市や七飯町などが経済・雇用対策で臨時職員の求人を出し、応募者が多かったことも求職者増、有効求人倍率低下となる要因となった。

 雇用の先行指標となる1月の新規求人倍率も同0・19ポイント減の0・50倍で、10カ月連続の前年割れとなった。産業別の新規求人は、バイキングレストランの開店があった飲食店が同113%増の169人、福祉施設の開業があった医療・福祉が同22・5増の446人だった。しかし、全体として求人は減少傾向で、サービス業が25・6%減の256人、情報通信業が同73%減の30人、製造業が同13・2%減の184人と低迷している。

 同職安は「新規求職者は29歳未満の若年者が1019人、30歳以上45歳未満が1253人と多く、派遣切りなどによる離職者もこの年代に多い」と話している。(高柳 謙)


◎「五稜星の夢」壊される…五稜郭公園

 24日午後7時20分ごろ、函館市五稜郭町の五稜郭公園で、通行人の女性が「男2人が堀の電球を壊して歩いている」と警察に通報した。函館中央署によると、同公園で開催中のイベント「五稜星の夢(ほしのゆめ)」(実行委主催)用の電球約160個が割られていたという。同署は器物損壊の疑いで逃げた男の行方を捜している。

 調べによると、現場は同公園東側の内堀沿い約600メートルの区間。女性が男2人が棒のようなもので電球を壊しているのを目撃し、同署に通報した。男らは女性に気付き、その場から立ち去ったという。

 実行委事務局によると、これほど大規模に電球を壊されたのは、イベント開始以来初めてという。同日午後、割れた電球の撤去と、付け替え作業を実施。今季のイベント終了は28日のため、五稜郭タワー展望台から見下ろせる個所の電球のみを交換した。実行委は「毎年、市民が楽しみにしている“夢”を壊された感じがして残念としか言いようがない」と話し、近く、被害届を同署に提出するという。

 同イベントは、五稜郭の形を電球で飾り、冬の函館を盛り上げようと、1989年に始まった。毎年、一口500円の募金を募り、設置や撤去などボランティアで運営している。今シーズンも堀の内周約1・8キロにわたり、2000個の電球が設置され、市民や観光客らを楽しませている。


◎「自己啓発休業を導入」へ…函館市09年度から

 函館市は2009年度、職員が自己啓発などに利用できる長期休業制度を導入する。在職期間が2年以上の正職員が対象で、大学など教育課程の履修や国際協力事業団(JICA)の国際貢献活動などの間、最大3年間無給で休職できる。27日に開会予定の市議会定例会に関係条例案を提案する予定。同市人事課は「職員のスキルアップに活用されることに期待する」と話す。

 国は08年8月に国家公務員の自己啓発等休業に関する法律を施行。これに基づき、全国の地方自治体でも同様の制度を整備する動きが広まっている。函館市によると、道内では道や釧路市が整備済みだ。

 対象となる休業のうち、大学や短大などの課程履修は、専門職に必要な資格取得や、これに限らず担当分野の知識取得などが考えられている。期間は通常2年だが、特に必要な場合は3年まで認められる。国際貢献活動はJICAのみで、最長3年とした。

 手続きとしては、職員が申請し、副市長などで構成する自己啓発等休業審査会が内容を審査する。休業期間中は昇給や勤続年数のカウントが停止するが、職務に特に有用と認められた場合は引き続き勤務したと見なし調整する場合もある。

 同課は「これまでにもこのような制度を望む声はあったので、ある程度活用されるのではないか」と話している。(小泉まや)