2009年3月15日(日)掲載

◎函館市立日吉幼稚園、36年の歴史に幕

 函館市立日吉幼稚園(外山信子園長、園児10人)の第36回保育修了式と閉園式が14日、同市日吉町4の同園で行われた。最後の修了児として10人を送り出し、36年間、地域の子どもたちの成長を見守ってきた園の歴史に幕を下ろした。

 保護者や卒園生、歴代の園長、職員ら120人が出席。全員で園歌を斉唱した後、園児たちは外山園長から修了証書を受け取り、1人ずつ新入学への抱負を述べた。吉田伊吹ちゃん(6)は「字がきれいに書ける1年生になります」と元気いっぱいだった。

 式辞で外山園長は「愛情いっぱいに育ててくれたお父さん、お母さんにお礼の気持ちを伝えて」と話し、園児1人1人の名前を呼んで「自分らしい素敵な花を咲かせ、元気いっぱい明るく過してくれるのが楽しみ」と語りかけた。

 父母と先生の会から園児にアルバムが贈呈され、市立幼稚園教諭らがお祝いの歌を披露した後、園児と卒園生の児童が壇上で「36年間ありがとう。日吉幼稚園さようなら」とあいさつした。

 「お別れの言葉」では、園児が幼稚園の思い出の場面を描いた絵を壇上で見せ、「もちつきで砂糖しょう油のおもちおいしかった」「お母さんおいしいお弁当ありがとう」などと振り返り、先生や幼稚園に感謝の言葉を述べた。

 同園は1973年に開園し、本年度を含むこれまでの修了生の数は2331人に上る。少子化に伴う入園者数の減少で市立万年橋幼稚園とともに本年度末で閉園する。同園2代目(78―87年度)の園長を務めた田井中和子さん(78)は「当時は入園希望者がたくさんいて抽選になり気の毒だったが、今は子どもの数が少なくなり閉園は残念。園歌を聴いて胸がいっぱいになった」と話していた。(宮木佳奈美)



◎【インサイド】支庁再編修正案は示したが…組織機能 慎重な議論を

 【江差】高橋はるみ知事が13日、支庁再編条例の修正に踏み切る方針を示したが、法的位置付けが「支庁」に戻る振興局の組織機能の検討や条例修正の進め方をめぐり、慎重な議論を求める道町村会や江差町との認識は食い違っている。新たな混乱の火種になりそうだ。(松浦 純)

 道議会は昨年6月、振興局の位置付けを地方自治法上の「支庁出張所」とする支庁再編条例を可決した。だが、公職選挙法は、道議会議員の選挙区を都市と14支庁ごとに定めている。支庁が無くなる檜山などの選挙区を維持するには、公選法に「支庁出張所」を盛り込む必要があった。だが、支庁再編が地方衰退につながると訴える道町村会は、条例施行に欠かせない公選法の“改正阻止”を掲げて抵抗。政府与党に“待った”をかけられた知事は、施行前の条例を修正する事態に追い込まれた。

 急浮上した再編条例の修正について、濱谷一治江差町長は「振興局の具体像を示した上で修正するのが筋道だ。道は何も学んでいない」とし、議案提出を急ぐ知事の姿勢を批判。町幹部も「道が振興局の組織機能を約束しなければ、住民の不安や反発は解消しない」と漏らす。

 道町村会長の寺島光一郎乙部町長も「総合振興局と振興局の位置付けを並列にするなら、14支庁には同等の権限や機能を与えるべき」と主張。条例の修正よりも先に道が支庁改革の指針とする「新しい支庁の姿(修正案)」を抜本的に見直すことが先決との認識だ。

 しかし、道は新年度に修正条例を施行してから、振興局から総合振興局に移す広域的事務などの具体案を道町村会など地方4団体と詰めたい考え。知事権限で行う毎年の機構改革で、支庁の縮小を進める方針も変えていない。条例修正の進め方や振興局の在り方をめぐっては、道と町村会などの認識はことごとく食い違っている。

  修正案を提示された議会側でも「全般にわたる議論が必要。審議日程に無理がある」「議会も市町村も納得しなければ再び禍根を残す」と議論百出の状態。知事与党の自民党でさえ、修正の是非をめぐり会派は四分五裂の混乱が続く。「年度末が迫り会期延長は困難。提案しても継続審議になる」(議会関係者)との見方も広がる。

 迷走を続ける支庁再編をめぐる議論。その末に生み出されようとしている振興局の姿は、知事が固執した窓口機関ではなく、町村会が求める14支庁でもない。ましてや住民が渇望する地域密着の出先機関でもない。改革のスピードよりも地域との対話が何よりも欠かせないはずだ。



◎バトン・PL北海道第三MBAの3人が全日本選手権出場

 このほど旭川市で行われた第34回全日本バトントワリング選手権北海道ブロック大会(北海道スポーツバトン協会主催)に出場した、PL北海道第三MBA(前島寛二理事長)の3人が上位入賞を果たし、全日本選手権(日本スポーツバトン協会主催)の出場権を獲得した。メンバーはさらなる飛躍を目指して、練習に励んでいる。

 出場を決めたのは、函館商業高2年の浅川未知有さん(17)、同吉田彩有さん(17)、函館西高校3年の黒田弥里さん(18)。

 浅川さんは4年連続5回目の出場で、ソロストラットで3位に入った。道大会での演技にはミスもあり不満の残る出来だったという。「全国大会では、結果を求めるよりも納得できる演技をしたい」と話している。

 吉田さんも4年連続5回目の出場。ダンストワールで3位に食い込み、出場権を獲得した。周囲の選手の技術に多少気後れしたというが、堂々とした演技を披露した。迫る本番について「緊張はない。審査員にアピールできるような“魅”せる舞をする」と力を込める。

 黒田さんは2年連続2回目の出場。ソロトワール、トゥーバトンの2種目で2位に輝いた。昨年は4位に終わったソロで大きく順位を上げるなど、満足のいく結果を収めた。「もっと練習を重ねたい。全国でも両種目を一生懸命に演技する」とさらなるレベルアップを誓う。

 同MBAの今村丸指導員(22)は「みんな全日本選手権に出場したいという気持ちを強く持っていた」と、精神面で大きく成長した道大会を振り返る。全日本選手権は27日から29日まで、大阪府で行われる。(山田孝人)



◎19日から岩田治子さんの油絵チャリティー展

 展覧会の売り上げを函館市に寄付し、美術品の収蔵庫建設につなげる運動が、同市内で始まる。函館出身で東京在往の画家岩田治子さん(81)の小品を販売する「美術品収蔵庫建設基金づくり 岩田治子花と果実油絵チャリティー展」(19―24日、いしい画廊?本町31)。同展実行委代表の関輝夫さん(83)は「美術品を後世に伝えるために収蔵庫の建設を願う。今回の活動がそのきっかけになってくれれば。岩田さんの名品を格安で手にできる機会なので、ぜひ来場してほしい」と話している。

 函館市民会館初代館長や函館文化会会長を務めた関さんはこれまで、岩田さんの父で、函館の洋画発展の礎を作った故佐野忠吉さんなどの作品を市立函館博物館などに寄付してきた。一部の施設では寒暖の差が激しい場所に絵が展示されて変色するなど、保存状態は良い状態ではなく、自ら出費し寄付した作品を修復したこともある。「時世がら美術館の建設は難しいが、収蔵庫があれば市内各地から美術品が集まり、良い状態で保存でき、市にとって大きな財産となる」と話す。市が収蔵庫建設基金として寄付を受けることを承諾し、今回のチャリティーを企画した。「寄付を受けることで、今後に(建設の)期待ができる」と笑顔。

 岩田さんは1927年函館市で生まれ、洋裁や服飾の仕事の傍ら、50年代後半から油彩画の制作を始めた。第一美術協会に作品を出展。繊細でみずみずしさがあふれる写実的な絵を次々に発表し、現在も同会会員として活躍する。

 出展されるのはサムホールから10号までの小品約50点。中心は3号(3万5000円)、4号(4万5000円)。描かれているシャクヤク、シクラメンなどの花や洋ナシ、桃などの果物は遠近や陰影が鮮やかで、美しく細密に描写されている。制作年は主に80年代半ばから90年代後半にかけてのもの。60歳を超えてからも意欲的に取り組む情熱を感じさせる。

 関さんは「函館は古くから、経済人が教育、文化を支えてきたほか、目前にある古いものを理解し、進んで大切にしてきた。いわば、協働の精神に満ちあふれていた。現代になって忘れかけているこの函館人気質をよみがえさせる契機にもなってほしい」と話している。

 同展は入場無料。午前10時から午後6時(24日は同5時)まで。問い合わせは函館文化会事務局TEL0138・54・8987)(山崎純一)



◎【企画・ステップ!新天地へ羽ばたく高校生】(4)
 ●西 純さん(18) ロボット技術の第一人者に

 中学生のころ、テレビに写った二足歩行ロボットに目を奪われた。「ロボット技術にかかわりたい」。その思いを実現するため、4月から茨城県にある日立製作所の機械研究所に就職する。目指すは「技術も知識も世界に通用するレベル」だ。

 函館市出身。小学生のころから「自分の思い通りに物を作ることが好き」で、ダンボールでパズルを作ったり、プラスチック容器で遊び道具を考えることに熱中した。

 ものづくりへの強い興味から函館工業高校に進み、電子機械科で機械の基礎知識などを学んだ。特に好きなのは、円柱状の工作物を回転させて加工する「旋盤」など機械加工実習。「専門的な内容が面白くてやる気がどんどんわいた」という。

 「受験の勉強が将来の役に立てば」と多くの資格取得にも挑戦し、ボイラー技士や危険物取扱者乙種全類、第2種電気工事士など10種類以上を獲得した。中学1年から始めたサッカーを高校3年間続けたのも自信の一つ。練習と講習との両立も大変だったが、「精神的に強くなった。苦しい時もあったけど、今は仲間や同級生の大切さが身にしみる」と振り返る。

 入社後2年間は基礎的勉強や販売実習に取り組み、その後日立工業専門学院で技術研さんに励む。研究職の同期は大卒者など年上ばかり。初めて親元を離れ寮生活となるため、不安もある。

 それでも「好きなことを学べるので期待の方が大きい」と力強い。会社訪問で研究現場を実際に目にし、「1台の機械にどれだけの技術や人がかかわっているか実感した。早く行きたい」と前を見据える。「将来はロボット技術の第一人者に」。大きな夢に向け、着実に歩み出す。(新目七恵)