2009年5月14日 (木) 掲載

◎カトリック元町教会でウコン桜満開

 今年、宣教150周年を迎えた函館カトリック元町教会(元町15)で、サトザクラのウコン(鬱金)が満開となり、観光客や修学旅行生らが淡黄色の花と荘厳な六角屋根の教会をバックに記念写真を楽しんでいる。

 ウコンの木は43年前、信徒から寄贈されたもので、数年前は害虫による被害で傷みがひどかったが、昨年、七飯町の桜研究家浅利政俊さんと函館市のやながわ苑芸が大掛かりな治療をし、今年は例年より早めに、大輪の花を咲かせている。浅利さんは「市内のウコンの中では美しい木。絶好のロケーションにあり、花見を楽しんでみては」と話す。

 同教会は見ごろは今週末までと話している。(山崎純一)



◎市立函館保健所、はしかの予防接種率9割

 はしかの流行を受けた国の「麻疹(ましん=はしか)の排除計画」に基づき、全国で実施されている無料の予防接種で、昨年度の函館市の接種率が全国・全道比でも高く、国の定めた目標値の95%に近づいた。対象となる中学1年生と高校3年生の接種率は、中1は92・6%、高3は85・9%。市立函館保健所は、目標達成を目指し、本年度も昨年同様の方法での接種を開始した。

 過去の流行時に感染した世代と、ワクチン2回接種が一般的となった世代の谷間の世代の抗体保有率を高めようと、2008度から5年の計画で実施している。

 多くの自治体が医療機関などでの個別接種を採用しているのに対し、函館市は、中学生は学校の協力を得て校内で実施。高校生は同保健所での集団接種を行う日を通知し、来所してもらった結果、中1は対象者2473人中2290人が、高3は2863人中2460人が接種した。

 さらに事前に予定していた接種日程を終えた昨年12月に追加接種の機会を設け、対象者となる約1150人の自宅に通知を出すなどして周知を図ったところ、同月末現在の接種率は、中1が全国平均約66%、全道平均約65%に対し、函館は約90%に。高3は全国平均約58%、全道平均約64%に対し、函館は約82%にまで上昇した。全国や全道の最終的な接種率はまだまとまっていないが、関係者は12月末の数値と大きな変化はないと予想する。

 八雲町も函館市と同様、効率的な接種を目的に、学校や町の保健施設を会場にした集団接種の方法を採用した。昨年度の接種率は、中1が96・1%と目標を達成し、高3でも93・6%と高かった。同町保健福祉課は「効果がある」として今後もこの方法を採る考えだ。

 接種率について道健康増進課は、「道内では集団接種を採用している自治体は少なくないと聞いている。接種率は、自治体の周知方法や保護者の認識などによって異なるのではないか」と話している。 (小泉まや)



◎新社会人応援企画(6)…地域の営みに責任持って・知内秋元水産社長 秋元利広さん(78)

 「就職したころは目の前の生活で精一杯。働いて生活資金を稼ぐ大変さを知った」。行商で知内―函館間を行き来した20代を思い出す。

 知内村(現知内町)出身。19歳で終戦を迎えた。横須賀の海軍に入隊する2週間前だった。「戦争が終わり、ほっとしたが、これからどうやってご飯を食べていくか悩んだ」。漁業と実家の食料品店の手伝いにいそしむことにした。

 23歳から10年間、前浜で魚を捕り、函館で野菜や衣服を仕入れる行商をした。毎日午前2時半に起床。「冬は寒い上、大雪。車は無く、そりに荷物を積み引っ張って駅まで歩いた。まるで自分が馬のようだった」と振り返る。

 正午ごろ知内に戻ると、店頭でいつも多くの住民が帰りを待っていた。「地域の暮らしを支えているんだなと、仕事の責任の重さを感じた」

 33―60歳まで、5―9月は北洋漁業に従事。幼い子ども3人と離れる日々に寂しさを募らせながらも、「いつか家族と一緒にずっと暮らしたい。そのためには今の仕事を頑張ろう」と汗を流した。

 43歳で町内に水産加工場を設立。遠洋で培ったスジコやイクラづくりの経験を生かした。中でもイクラづくりは鮮やかな色と味の良さが評判で、1977年東京築地の品評会で日本一に輝いた。

 現在は、自宅店舗と市街地に特売所を構える。買い物客に「これもサービス。また来てちょうだい」と無邪気な表情を見せる。店舗の経営は軌道に乗ったが、「まだまだこれからが勝負。一生現役でいたい。若い人には負けてられないよ」と張りのある声を響かせる。 (田中陽介)



◎大妻高卒業生の塩尻さんケニアに洋裁学校、40年ぶりに来校に

 函館大妻高校で学んだ縫製技術を生かし、ケニアで貧困層の若者らに洋裁を教える専門学校を創設した塩尻美智子さん(57)=ケニア在住=が13日、約40年ぶりに母校を訪れた。当時の担任教諭とも再会した塩尻さんは「学校の経験がきっかけ」と懐かしみ、「技術を身に付け頑張ってほしい」と後輩たちへの激励の思いを語った。

 塩尻さんは函館出身。花嫁修業にと同校家政科に進学した。23歳の時受けた右また関節の手術で医師から再発の可能性を告げられ、「これまでの健康に感謝し、今後は人の喜ぶことに足をささげよう」と決意。1990年に夫、5人の子とケニアに移住し、NGOアフリカ児童教育基金の会設立メンバーとして現地事務所の立ち上げに尽力した。

 95年、子育てが一段落したのを機にミシン教室を始めたところ、エンブ市から土地提供を受け、本格的な洋裁教室に発展。現地の要望で自動車整備や塗装などコースも増やした結果、現在は全国国家試験指定校のエンブ技術専門学校として約150人の生徒を抱えるまでになった。

 また、移住した年に9歳だった長女をマラリアで亡くした悲しい経験から、子どもの診療所を開設するなど現地の医療環境の改善にも寄与。現在は学校や診療所運営などに携わる傍ら、日本での支援集めや講演活動に励んでいる。

 今回の来校は妹の白木厚子さん(55)=七飯町在住=が知り合いの石川兼司同校元PTA会長を通じて企画した。

 外山茂樹校長らと面会した塩尻さんは「大妻で培った技術があったからケニアで教えることができた」と話し、教え子の中には店を開いたり、洋裁技術を生かして収入を得て家族を支える人がいることを紹介。当時担任だった久保孝夫さん(71)と共に卒業アルバムを見たり、校内を見学するなどして在学時を懐かしんでいた。

 久保さんは「先代の外山ハツ校長の遺志を継ぎ、世界に技術を広めているとは心強い」と感激した様子で、外山校長は「学校としても支援協力したい」と話していた。(新目七恵)


◎沼崎弥太郎さん死去

 函館商工会議所副会頭、函館国際観光コンベンション協会会長で、函館の産業振興に貢献したシステム開発のエスイーシー社長の沼崎弥太郎(ぬまざき・やたろう)さんが12日午後7時20分、急性肺炎のため、函館市内の病院で死去した。79歳。自宅は函館市松陰町6の18。葬儀などの日程は未定。

 1929年函館市生まれ。50年に北大水産学部を卒業し、69年10月に南北海道電子計算センターを設立。76年に本社を現在の函館市末広町22に移転し、92年に社名をエスイーシーに改称した。近年は地域医療連携システムなどが高い評価を受け、昨年、総務省の「u―Japan大賞」を受賞している。

 79年には同会議所の常議員に就き、91年10月から現職。副会頭として観光サービス部会や理財部会を担当し、水産海洋都市構想の推進にも尽力。4月上旬には「函館国際水産・海洋都市推進機構」の代表理事に就任したばかりだった。2002年に函館市功労者表彰、03年に勲五等双光旭日章を受けた。

 函館商工会議所の高野洋蔵会頭は「函館の経済界や地域の振興発展のため、長い間ご尽力いただいた。こんなに早くお亡くなりになり、極めて残念でならない」とコメント。西尾正範函館市長も「函館市政や観光、経済界にとって極めて大きな存在だった。若いころから公私にわたりお世話になり、大事な人を亡くした」と語った。

 函館国際観光コンベンション協会の会長職も93年5月から8期16年間務めていて、同協会の吉田明彦専務理事は「現在の函館観光の発展は会長の熱意や活動のたまもの。入り込み数が減少傾向にある中、海外客の誘致にも積極的で、偉大な人を失ったショックは言葉に表せないほど大きい」と肩を落とした。(森健太郎)