2009年7月10日 (金) 掲載

◎牛乳パックボートレースが17年ぶり復活

 函館市豊川町11の金森赤レンガ倉庫BAYはこだて掘割を舞台にした市民参加のイベント「金森ミルクパックボートレース」が8月9日、17年ぶりに復活する。牛乳パックで作るボートを運河に浮かばせ、早さやデザインを競うユニークなレース。31日まで参加者を募っており、運営委員長の笹井完一さんは「家族や友人でぜひ参加し、夏の思い出をつくって」と呼び掛けている。

 このレースは1990年、ヨットや海洋スポーツの愛好者団体などで組織する「函館ボート天国実行協議会」が海を楽しむ催しとして考案した。2回目の91年には70チームが参加するほどの盛り上がりをみせたが、資金難や運営者の負担増などを理由に92年の第3回で幕を閉じた。

 今回、金森商船の社員が自宅のホームビデオで当時の様子を見つけたのを機に、関係者でイベント再開を検討。金森赤レンガ倉庫のリニューアルや函館開港150周年の節目と重なる今年、「家族連れで楽しめる場所を提供したい」と開催を決めた。函館酪農公社や市観光コンベンション協会など市内の9企業・団体で実行委員会を組織し、準備を進めてきた。委員長は渡辺兼一金森商船社長。

 個人、団体自由で、参加無料。ボートの素材は原則牛乳の紙パックだが、構造上の強化のため底面に厚さ5.5ミリ以下のベニヤ板を使用できる。乗員1人当たりの使用量は0.81平方メートル以内。乗員数は自由(小学4年生以上)。参加者には主催者から紙パック120個を用意する。現在9チームが申し込んでおり、中学生の団体もいるという。

 レース会場はBAYはこだて1号館と2号館の間にある運河。船着き場からスタートし、七財橋の手前で折り返す100―150メートルの予定だ。

 17年前のレース開催に中心的に携わっていた同協議会副会長の長谷川克也さん(71)?七飯町在住?は「イベントの復活はうれしい。心から応援したい」と喜ぶ。金森商船企画開発課の笹井さんは「浮いているボートは見た目のインパクトが面白い。できれば毎年続けたい」と話している。

 問い合わせ、申し込みは実行委(金森商船内)TEL0138-23-0350。(新目七恵)



◎新型インフル、管内4人目の感染

 国際交流事業で函館市内と近郊に滞在していたインドネシア人高校生の新型インフルエンザ感染が確認されたのに関連し、同事業に参加していた渡島保健所管内に住む30歳代の日本人女性の感染が9日、確認された。渡島管内での感染は先のインドネシア人高校生3人(いずれも16歳)に次いで4人目で、地元住民では初めて。同保健所は「患者の行動が限られており、さらなる感染拡大の可能性は低い」として、冷静な対応を呼びかけている。

 同保健所によると、女性は4、5の両日、同保健所管内で開かれた国際交流事業に参加し、感染したインドネシア人男子高校生1人と接触。7日午後に38・2度の発熱とせきなどの症状が出たため、8日に同保健所管内の医療機関を受診。簡易検査でA型陽性反応が出ていた。道立衛生研究所(札幌)の検査で、9日夕方に感染を確認。同保健所は「男子高校生から感染した可能性が高い」とみている。

 9日現在、女性の容態は快方に向かっており、自宅で療養している。女性の家族から異常は確認されていないが、同保健所では今後も健康状態を確認するという。

 今回の交流事業で感染が確認された3人はいずれも容態が安定し、8日に帰国の途についている。(千葉卓陽)



◎港まつり、開港メーン事業…総選挙と重なる?

 秒読みとなった衆院解散・総選挙の日程を、夏のイベント関係者も注視している。江差町の姥神大神宮渡御祭(8月9―11日)のほか、函館市では港まつり(同1―5日)に加え、今年は開港150周年記念メーンイベント(同8―16日)がある。投開票日が8月上旬となれば、祭典と選挙の同時執行となり、イベントへの影響を懸念する声もある。

 港まつりは、開港記念150周年記念事業として実施。2、3日のパレード「ワッショイはこだて」では、開港4都市(新潟、横浜、神戸、長崎)と青森市の代表を招待し、新潟下駄踊り、横浜中華獅子舞、青森ねぶたなどの郷土芸能を披露してもらい、祭りに花を添える。

 市観光コンベンション部の鈴木敏博部長は「山車やみこしの製作など準備を進めており、市職員も1000人規模でパレードに参加する」という。しかし、仮に2日投票となれば「投票管理者と従事者に1000人、開票に400人の延べ1400人の市職員が必要」(市選管事務局)となる。

 パレード参加のほか、各地域でイベントを開催する町会はどうか。市町会連合会の敦賀敬之会長は「町会関係への影響はあまりないと思う。期日前投票や当日でも早めの投票をすればいいが、投開票業務で大人数が必要な市職員はパレードに参加できないのではないか」と心配する。

 鈴木部長も「開港各都市の代表を招くため、盛大に開催し150周年を祝いたい。一方で国政選挙も大事。仮に同時執行となっても祭りの日程は変えられないだろうし、職員のパレード参加は大変厳しい」と語る。1週間遅れて8日か9日の投票になっても、開港150周年記念のメーンイベントとぶつかる。

 道内最古の歴史を誇る姥神大神宮渡御祭がある江差町でも同様で、関係者からは「祭礼を中心に1年が回っている町内では選挙どころではないという雰囲気になるのではないか」との声が漏れ、投票率にも影響するという見方もある。(高柳 謙)



◎駅周辺の魅力どうアップ/北斗市新幹線まちづくり市民会議

 【北斗】第6回市新幹線まちづくり市民会議(会長・長野章公立はこだて未来大教授)が9日、市総合文化センターかなでーるで開かれ、2015年に開業する北海道新幹線新函館駅(仮称)周辺の魅力アップに向けて意見を出し合った。

 市は行政と市民が一体となった計画づくりを進める目的で、市民の目線に立ったアドバイスを得ようと07年10月に会議を立ち上げ、年3回開いている。この日は新駅周辺の魅力づくりについて、駅前広場、公園などハード面に加え、「食を前面に打ち出した企画」などソフト面の計10項目で、各委員が以前の会議で提案したアイデアを発表した。

 駅前広場については「北斗市は稲作の発祥地なので、稲穂のモニュメントを設置してみては」といったインパクト重視の意見や、バリアフリーとロードヒーティングの設置など、障害者が利用しやすい施設にするよう求める声も。ソフト面では「温泉トマトを作付けし、地元の農産物をPRしては」「室蘭の焼き鳥のように、北斗ならではの名物料理の開発が必要」などの意見が出された。

 さらに各委員が1人ずつ意見を発表し合い、「市内3つの高校に呼び掛けて、名物料理を作れないか」「観光客だけでなく、市民も駅に行って楽しめる施設がほしい」などと、アイデアを出し合った。

 市は集められた内容を、今月30日に開かれる市空間デザイン審議会に反映する。(千葉卓陽)



◎企画「記憶をたずねて」ルポ函館空襲1・山村ヒサノさん

 「このビルは街一番ののっぽビルだったの」。函館市美原に住む主婦山村(旧姓・湯田)ヒサノさんは、そう言ってレンガ色の建物を指さした。函館市末広町電停の十字路。1945年7月14日、空襲警報を聞き、6歳だったヒサノさんが避難したというビルは、レトロな造りが目を引く立派なホテルになっていた。

 当時、湯田さん一家は末広町で判子屋を営んでいた。ビルの地下室に身重の母と妹と逃げ込んだヒサノさんはひたすらおびえていた。「とにかくすごい爆音。耳をふさぎ震えていた」。記憶がよみがったのか、サイレンの音は今でも嫌、と言って身を震わせた。

 警報が解除され、外に一歩出たヒサノさんの目に飛び込んできた光景は悲惨なものだった。

 「血だらけのけがをした人の行列が、(当時元町にあった)函館病院へ向かってぞろぞろ歩いていた」

 腕が取れた人やタンカで運ばれる人。列は、現在東浜桟橋になっているはしけからビルの横をゆっくり通っていった。今はアスファルト舗装された道路に立ち、「とても見ていられなかったわ」とつらそうに話すヒサノさんのそばを、修学旅行の小学生や幼い子の手を引く若い母親が通り過ぎる。こんなのどかな風景が、惨状の現場だったことがにわかに信じられない。

 空襲では青函連絡船も大きなな被害を受けた。ヒサノさんが同居していた9歳年上の従兄弟も「津軽丸」に駆り出され、そのまま帰らぬ人となった。「まだ中学生だったのに…。父と母が泣いていたのを覚えている」

 戦後生まれの記者にとって、空襲体験は遠い時代の出来事のようだった。ただ、ヒサノさんの力強い語り口から、今でも「あの日」の記憶が幼心に感じた恐怖や不安、悲しみとともに彼女の心に強烈に刻まれていることが伝わってきた。

 ヒサノさんには今、当時の彼女と同じ6歳の孫がいる。「この平和を忘れちゃいけない」。道路に子どもの明るい笑い声が響く。この声がずっと絶やされないように―彼女の言葉をノートに記しながら、そう願わずにいられなかった。(新目七恵)