2009年7月13日 (月) 掲載

◎コウホネ咲き誇る 大沼

 【七飯】大沼国定公園内の大沼、小沼の湖畔では、スイレン科の「コウホネ」の花が咲き誇っており、訪れた観光客らは、水中から飛び出る丸く黄色い姿に見入っている。

 コウホネは日本原産で、全国各地の広い地域にわたって自生する。地下茎が白骨のように見えるので「河骨」と付けられた。

 大沼や小沼では水面から大きな葉を空中に広げるものと、葉が水面に浮くだけの「ネムロコウホネ」がある。ネムロコウホネはコウホネより花はやや小さい。



◎土地の含み損増える 旧ドック跡地除き14億円

 函館市土地開発公社が所有する土地の簿価(購入価格と借入金の金利)に対し時価(実勢価格)が下落し、含み損が出ている。不況や不動産市況の冷え込みが原因。市財務部によると、旧函館ドック跡地を除いた公社所有の土地12件の簿価が約30億3000万円に対し、路線価を参考にした時価は約15億8000万円で、実勢価格が約14億5000万円下回っている。

 土地開発公社は、工業団地造成や区画整理事業など、市の重要政策を進める上で必要な土地を先行取得し、市はのちに簿価に関連事務費を加えた額で買い戻す。土地は上がり続けるという“神話”があったため、安いうちに用地を確保し、事業開始時のコストを抑える目的がある。しかし“土地神話”が崩壊し、バブル期などに購入した土地が大幅に下落した結果、巨額の含み損を抱えるケースが全国の自治体で出ている。

 1996年に購入した、JR函館駅前の土地区画整理事業地(約6300平方メートル)は、簿価が約19億円に対し、時価は概算で5億円という。購入価格は約17億円だが、金融機関から借りた購入費の金利が2億円ほどあり、簿価が膨らんでいる。

 85年に取得した同駅周辺の若松地区緑地用地(約1500平方メートル)も簿価が約5億5000万円に対し、時価は約1億3000万円で、約4億2000万円の含み損がある。

 2004年に北海道振興から1億円で購入した旧函館ドック跡地(一部売却し約10万平方メートル)は、建物解体費などを加えた簿価が2億6600万円に膨らんだが、実勢価格は約18億1000万円と高い。安い買い物をしたとみることができるが、市は今後、同跡地に国際水産・海洋総合研究センターを整備するため大きな事業費がかかる。

 同部は「地価の下落で台帳価格と実勢価格に大きな差が生じている。長期借入金の利息の増加も懸念されるため、公社は経費節減などの経営努力をし、市も今後の事業の実施方向を定め、計画的に買い戻していく必要がある」と話している。



◎100年前の旧家が社務所客殿に 高穂神社

 函館市上湯川町2の高穂神社(澤口廣宮司)では、2010年の神社創建30周年を記念し、今年10月の完成を目指し社務所客殿を建設中で、約100年前に建てられ旧家が解体された際に発生した木材を使用し「移設復元工事」としている。澤口宮司(58)は「神道の理念はよみがえることにある。古い物を生かして建てるのは大きな意義がある」と話している。

 同神社は1911(明治44)年開基、80年に創建され、記念事業実行委が中心となり、社務所客殿、鳥居の建設などを進めている。

 使われていた旧家は、日魯漁業創業者の平塚常次郎氏の養女・千鶴子さん(95、東京在往)が住んでいたもので、同じく創業者の堤清六氏が松前町で漁師が使っていたものを購入し、大正初期に同市湯川町に移築させた。数年前に解体の依頼を受けた市内の宮大工・原田組の原田徹社長(49)が「建物を支えているヒバやカツラなどはまだ使える。何とかして残したい」と、当時から社務所建設を予定した同神社や関係者に相談し、再利用することが決まった。

 復元を前提に解体作業は慎重に行われた。木材はしばらくの間、原田社長が管理し、今年4月に着工、6月中旬に上棟式を行った。2階建てで延べ床面積は約318平方メートル。原型、間取りはほとんど同じで、かもいや敷居もそのまま使われている。梁(はり)の太さは約40センチもある大木で、それぞれが黒光りし、歴史の息遣いを感じさせている。

 澤口宮司は「エコの時代である中、素晴らしい建物を後世に残せることができ、うれしい」と話し、作業を見守っている。



◎「I―K」「m○ka(モカ)」優勝者 函館ヒーローズ

 地元のヒーロー・ヒロインになるミュージシャンを発掘するコンテスト「函館ヒーローズ2009」(実行委主催)の決勝となるファイナルライブが12日、函館市内の金森ホールで開かれた。18組が出場し、観客127人による投票でギターの男性デュオ「I―K(アイケイ)」が45票、ピアノ弾き語りの女性シンガー「m○ka(モカ)」が37票を獲得し、2組の優勝者が決定した。

 道南から輩出したミュージシャンのオリジナルソングを大ヒットにつなげ、まちおこしを目指す試み。飲食店やライブハウスなどの音楽関係者らが「音楽サポーター」となって実行委を立ち上げ、今年初めて企画した。

 18組はデモテープなどの1次審査を経て、3―5月に3回行われたエントリーライブに出場。決勝では150人以上の観客の前で、それぞれ1、2曲(6分以内)披露し、人気投票で優勝者が決まった。会場を訪れた市内人見町の川村早苗さん(51)は「歌詞やメロディーが分かりやすくて感動できた。皆上手だった」と話していた。

 優勝した2組は函館開港150周年記念事業メーンイベント内で開催される音楽ステージに出演できる。このほか全国PR用のCD作成、1年間、有償でのライブ機会の提供などの特典がある。

 優勝以外の受賞者は次の通り(敬称略)。

 ▽審査員特別賞=梅澤光国、黒丸▽作曲賞=佐藤圭太▽作詞賞=ウチヤマキノコ▽歌唱賞=78▽ベストプレイヤー賞=わじまゆういちwithNao―P13、高島ユータ▽ベストパフォーマンス賞=瞬慶バンド



◎企画「記憶をたずねて」ルポ函館空襲4 鈴木美枝子さん、木村美保子さん〈上〉

 海を見下ろす函館最西端の魚見坂の中腹に旧函館西小学校舎(現・弥生小)がたたずむ。かつてここは「駒止町」と呼ばれた住宅街だった。「大好きだった駒止町は一瞬で焼けてしまった」。住民だった木村美保子さん(72)=弁天町在住=と鈴木(旧姓・伊藤)美枝子さん(71)=美原在住=は空襲で消えた町・駒止町があった場所を案内してくれた。

 「この辺には子どもがたくさんいて大きい子も小さい子も一緒になって遊んでた」。坂を上りながら久々に再会した2人は思い出話が弾む。楽しそうな会話からは、ここが惨状の現場だったとは想像できなかった。

 駒止町はたった3ブロックの小さな町。1945年7月14日、3発の爆弾が落とされ、丸焼けになった。2人とも避難場所に指定されていた高龍寺にいて助かった。鈴木さんの母・伊藤ミネさん(当時47)は逃げる際に撃たれ、足の肉が垂れ下がるほどの瀕死(ひんし)の状態で市立函館病院に運ばれた。面会できたのは5日後。「美枝子がけがしなくてよかった」。そう言ってこの日のうちに亡くなったという。

 「自分の家がどこにあったのかも分からなくなっていて、外はきな臭いにおいが立ち込めていた」。当時、木村さんが目にしたのは見渡す限りの焼け野原。頭のない赤ん坊の遺体を見つけたという衝撃的な話からも幼心に受けた心の傷は計り知れない。家に残っていた祖母・タケヨさん(当時56)、きょうだいの中で、たった1人の男の子だった弟・武弘ちゃん(当時2)を亡くした。遺骨はすっかり焼けてどちらのものか分からない状態になっていたという。

 空襲は大切な家族とともに生まれ育った町を跡形もなく消し去った。「家がなくなって穴の中にすっぽり入ってしまった」と鈴木さんは町の様子をこう表現した。引き取り手のない遺体もあったようで、まともに葬式もできなかった当時の混乱ぶりが伝わった。

 駒止町の面影は今もうどこにもなく、小学校の向かいにある「駒止保育園」の名称に残されているだけ。校舎の前で2人は「ここは特別な場所」と口をそろえる。確かに駒止町は存在していた。その事実を一市民として忘れてはいけないと感じた。