2009年7月23日 (木) 掲載

◎道南でも部分日食 児童ら天体ショー楽しむ

 【函館、七飯】道南では曇り空の切れ目から「部分日食」が観測でき、各地で天体ショーを楽しむ姿が見られた。朝から雲で覆われた函館市内では、午前10時半ごろから太陽が欠けた状態でうっすらと姿を現し、同11時10分ごろ、最大の約55%が欠けた状態になった。

 七飯大沼小学校(和高敏明校長、児童81人)では、晴れ間がのぞいた午前11時すぎ、教員が太陽が欠けている様子を確認すると、授業中だった児童に呼び掛け、天体ショーを楽しんだ。子どもたちは校庭に出て観察用のめがねを通して太陽を眺めながら「見えた!」と歓声を上げていた。2年の白石輝翔君は日食を見て「お月さまのようだった」と笑顔で話していた。

 【七飯】観察用めがねを手に観察する大沼小の児童(午前11時10分ごろ)



◎道南経済「大きな可能性」 金融経済懇談会

 日本銀行の山口広秀副総裁が22日、函館市内のホテルで開かれた金融経済懇談会に出席するため函館入りし、地元政財界の代表らと意見交換した。山口副総裁は道南経済について「交通の要衝、物流の拠点として高い潜在能力があり、大きな可能性を秘めている」と再生への期待感を示した。

 懇談会は地方経済の現状を把握し、地域の声を日銀の金融政策などに反映させる狙いで全国各地で開かれている。函館開催は2007年5月以来で、地元側からは谷沢広函館市副市長、函館商工会議所の正副会頭、道南の金融機関、業界団体の代表ら15人が出席した。

 懇談会では冒頭、山口副総裁が国内経済の現状や先行きなどについて説明。出席者からは雇用情勢の悪化や消費低迷で「道南の景気は下げ止まりどころか、むしろ厳しさを増している」との指摘も。政府の経済対策についても「先行き不安を解消するまでには至っていない」などの声が上がった。

 懇談会後の記者会見で、山口副総裁は「今後の金融政策運営に大変有益な情報を得られた」と語り、6年後に迫った北海道新幹線新函館駅開業は「好機ととらえ、地域経済の活性化にいかにつなげていくかが重要なポイント」と述べた。開港150周年にちなみ、国際水産海洋都市構想など地域の特性を生かした取り組みにもエールを送った。



◎<企画>8区決戦へ 衆院解散夏の陣② 佐藤健治氏(無所属・新)

 衆院解散の報は関係なく、佐藤健治氏(51)は支持者回りに明け暮れた。「支持者の声を聞き、国政に届けるのが国会議員の務め」と3度目の衆院選に無所属で挑む。

 過去2回は自民党公認。1回目の2003年は父・佐藤孝行氏の地盤を引き継いで出馬したが、自民党森派の支援を受けた前田一男氏(現松前町長)も出馬したため、保守分裂を招いて敗戦。前回05年は表面上、保守一本化が図られ11万4000票を獲得したが、民主党の金田誠一氏に2万票を離され、涙をのんだ。

 以来4年間。北朝鮮の拉致被害者問題に取り組む「救う会道南」の代表として、毎週末の街頭演説を続け、平日は農漁村部までくまなく歩き、地域の声を受け止めてきた。

 「次も出るのか」―。関係者が真意を測りかねる中で、本人も寡黙を貫いた。8区の保守分裂を打開しようと、2007年の道議選では自民党筋から出馬の打診もあったが、佐藤氏は断った。そして麻生政権が誕生した昨年9月、3度目の出馬を表明した。ただ、具体的な公約は発表しておらず、週末の街頭演説では、拉致被害者救出を変わらず呼び掛けている。

 今回は自民党という組織を失ったが、佐藤氏は「民主のオルグ(組織)に比べたら、前回の組織力は10分の1もなかった」と、党の影響力や力を否定する。陣営幹部も「周囲は佐藤を保守とみているが保守じゃない。民主でもない。道南の“市民党”として支持を呼び掛ける」と「草の根選挙」に徹する構え。「この選挙は、勝つ。勝算がなければ出馬しない」とも。

 孝行氏の時代からの支持者の結束は固い。ある関係者は「『孝行さんや健治さんに恥をかかせられない』と、懸命に運動している。後援会の活動は自民党の福島啓史郎さんよりも熱心」と指摘する。保守政界関係者も「健治氏の週末の演説は誰も聞いていないようでいて、実はボディーブローのような効き目がある。相当(票を)取るよ」。

 「自民に不満、民主に不安」とされる有権者の心理。地元出身者で一定の知名度もあることから、浮動票を大きく取り込む可能性もある。

 事務所開きは27日。日焼けした顔で、佐藤氏はかつてこう語った。「道南には本当に人が住んでいるのかと思われるほど衰退している所がある。仕事が無いから若者も外に出る。このままでは地域社会が維持できない。そんな不満は山ほど聞いてきた」―。誰よりも8区の実情を知っているという自負をのぞかせる。



◎肝炎対策基本法廃案 道南の患者に失望感

 衆議院が21日解散されたことを受け、すべてのウイルス肝炎患者を救済する肝炎対策基本法案が廃案となり、道南の肝炎患者からは「政争に振り回された」「残念」などの声が聞かれ、国政に対する不信感や失望感が募っている。

 衆院が解散され、万歳三唱する国会議員を見て、函館市内に住むC型肝炎の主婦(73)は「腹立たしい気持ちになった」。30代のとき、輸血が原因で感染。現在、症状は落ち着いたが、入退院を繰り返し「子供たちに迷惑をかけた」と振り返る。抗ウイルス剤を服用し、医療費が夫の収入の半分を占めたこともあった。「せめて治療費だけでも支援する制度ができてほしい」と切望する。

 ウイルス性肝炎感染者は国内で約350万人と推定されていて、多くは輸血や注射の回し打ちから感染する医原病とされている。

 同法案は解散前の国会に与党、野党からそれぞれ提出されていた。どちらも患者の治療費負担を軽減する内容が盛り込まれているが、野党案が感染を国の責任と明記したのに対し、与党案は明記しなかった。法案は与野党の案を一本化して審議し採決する流れだったが、衆院解散をめぐる与野党の攻防が激化し、一本化できないまま廃案となった。約30万人分の署名が国会に提出されていた。

 B型肝炎訴訟北海道原告団の一員の男性(50)は「(廃案は)残念でならない。命を大切する政治をしてほしい」と次期政権に訴える。

 2008年1月、薬害肝炎患者を救済する薬害肝炎救済法が成立。だが、救済されるのは、カルテなどが残されている一部のC型肝炎患者だけで、B型肝炎も含めたすべての肝炎患者を救済される法律が望まれている。

 道南の肝炎患者の会、北海道肝炎友の会「はまなす会」の川上博史会長(56)は「政争に振り回された感があり遺憾」と述べ、肝炎患者の治療にも都市と地方の格差がある。すべての肝炎患者が救済される体制ができるまで活動を続ける」と決意を見せた。


◎JAL函館―東京線20歳 道産牛乳プレゼント

 日本航空(JAL)の函館―東京線が22日で就航20周年を迎えたのを記念し、同社函館支店の社員らが、函館空港で同路線の搭乗客に記念品の道産牛乳を手渡した。同支店は8月末まで、空港カウンターに20年の足跡をたどる写真パネルも展示している。

 JALの函館―東京線は1989年7月22日、270人乗りのボーイング767機で就航。ピーク時は一日5往復だったが、現在は就航当時と同じ3往復運航している。同支店によると、20年間の搭乗者数は延べ約1065万5000人に上るという。

 この日は函館空港発着の計6便のうち4便の搭乗客を対象に、搭乗ゲート付近で200ミリリットル「入りのパック牛乳を計1000個配布。20周年記念や函館開港150周年をPRするシールも張り、就航当時の制服を着用した空港スタッフや現役パイロットら6人がプレゼントした。

 同支店の田口創一郎支店長は「地域の皆さまに支えられ丸20年を迎えることができた。これまで以上に地域に密着し、より多くの方に利用してもらいたい」と話している。JALの函館―東京線の年間旅客数はピーク時の2002年に約72万6000人だったが、08年には約48万3000人と低迷している。