2009年7月25日 (土) 掲載

◎6都市の「自慢」大集結 大門横丁で屋台村サミット きょうまで

 函館市松風町の屋台村「大門横丁」で24日、全国各地の屋台村が自慢の味を提供する「全国屋台村サミットinはこだて」が始まった。函館を含む6都市の“ご当地グルメ”が並び、大勢の市民や観光客らでにぎわった。25日まで。

 市や函館商工会議所などでつくる実行委の主催。全国屋台村連絡協議会(事務局・八戸)に加盟する「屋台横丁」(宇都宮)、「こらんしょ横丁」(福島)、「みろく横丁」(八戸)、「かだれ横丁」(弘前)、「北の屋台」(帯広)の5都市の屋台村から各1店が集結した。

 会場では宇都宮のギョーザや八戸のせんべい汁など各地の名物料理を提供。帯広から出店した「オーブン料理と石焼ピザ サムの店」は持ち込んだ石窯で焼くこだわりで、来店客は店内や屋外、歩行者天国に用意されたテーブルで次々とはしを進めていた。

 友人と2人で訪れた市内青柳町の和田喜美江さん(75)は「普段食べられない料理が一度に味わえ、まるで新幹線で各地を次々とグルメ旅行している気分」と“はしご”を楽しんでいた。期間中は大門横丁の各店でもお薦めの酒と料理が提供され、音楽演奏や特産物の販売コーナーもある。屋台村サミットは午後5時―同10時。(森健太郎)

 【写真】大勢の市民や観光客らでにぎわう屋台村サミット(24日午後8時50分ごろ、大門横丁)



◎8区決戦へ④ 議席奪還へ変革訴える 福島啓史郎氏(自民・新) 逆風下、道南活性化に全力

 衆院解散時は、空路で東京へ向かっていた。自民党党本部で麻生総裁から公認証書を受け取り、福島啓史郎氏(63)は8区の議席奪還に決意を新たにした。元農水官僚で、前参院議員。「疲弊した道南地域を元気にするためには、即戦力と実現力が期待できる自民党の代議士が必要。今こそ道南を“チェンジ”しなければならない」と力強く訴える。

 福島氏が言う「チェンジ」には、自民党の議席奪還のほか、保守勢力の一本化の意味が込められている。1996年の小選挙区移行後、8区自民党は民主党に4連敗中。自民にとって、議席奪還は至上課題で、その地平を開くのが保守一本化だ。

 しかし、事態は容易ではない。佐藤健治氏が退任後、2006年9月、新たな8区支部長に就いた弁護士の中村勉氏は、保守勢力の融和がかなわず08年3月に辞任。その半年後、福島氏が新支部長に決まったが、すぐさま佐藤氏が出馬表明し、再び分裂劇を招いた。

 福島氏は「自民党公認候補は私。有権者の願いを誰が一番実現していく力があるか、考えてほしい」と語る。党道連も「道南は第一次産業が重要な経済基盤であり、元農水官僚の福島氏の実力が発揮できる場所」と、適材であることをアピールする。

 出馬表明が遅れたが、10カ月間で建設関係や中小企業、一次産業を中心に支持基盤を固めてきた。6月には連合後援会を発足させ、渡島管内漁業協同組合組合長会の山崎博康会長を会長に迎えた。自民党の中川秀直元幹事長、石破茂農水相らを招いて函館で政経セミナーを開くなど、大物議員とのパイプの太さもアピールしている。

 選対関係者は「これまで11回も選挙スケジュールを書き直してきたが、ようやく本番が訪れ、ほっとしている。蓄えてきたエネルギーを一気に噴出させたい」と意気込む。

 一方で、公明党との連携に不安材料がある。8区の公明党幹部は「道本部への報告で、自民党の現職議員がいる選挙区では連携が取れているが、新人のところではあまりうまく進んでいないという報告があった」と、呼吸が合っていないことを暗に認める。「まずは自民党側から非公式にでも協力要請を打診するのが筋だが、それがないようだ」との声もある。

 逆風の中で厳しい戦いを覚悟しているが、福島氏は「道南地域には潜在的な保守票が埋もれているはず。第一次産業の充実と、新幹線や高速道路などのインフラ整備の双方を進めれば、道南は必ず元気になる」と力を込める。(衆院選取材班)(おわり)



◎さぁ夏休み!市内で終業式

 函館市内の公立小、中学校計75校を含む渡島管内の多くの学校で24日、1学期の終業式が行われた。子どもたちは夏休みへの期待を胸に、通信表を受け取った。

 函館港小学校(田野中敏校長、児童469人)で行われた終業式では、3年生の乗田麻乃さん(9)と5年生の川内谷快人君(11)が「頑張ったのはわからないことを先生に聞いたこと」「バスケットクラブの活動が一番楽しかった」などと1学期を振り返る作文をそれぞれ発表。田野中校長は「夏休みは海や川、自転車の事故に気をつけ、普段できないことに挑戦して」と呼び掛けた。

 続いて子どもたちは教室に移動。1年1組では担任教諭が児童33人に1人ずつ通信表を手渡し、「漢字を頑張ったね」「2学期に会いましょう」などと声を掛けていた。福島陽生君(6)は「プールに入ってたくさんクロールの練習をしたい」と張り切っていた。

 多くの学校は8月19日に2学期の始業式を行う予定。(新目七恵)



◎田中佐吉の貴重な写真発見 大正から昭和 函館邦楽界の第一人者

 大正から昭和にかけ、函館や道内外でお囃子(はやし)の指導者として活躍した元函館邦楽舞踊協会会長、田中佐吉(1899―1976年、本名・金田芳太郎)の舞台写真など150枚余りがこのほど、函館市内の家族の家で発見された。昭和20年代の函館の芸者や演舞風景が多く写っているほか、函館開港100年祭の写真もあり、当時の邦楽界や函館の風俗の有り様が分かる貴重な資料ばかり。田中佐吉の孫で、函館に住むパフォーマー道産子かおりさん(30)は「祖父の偉大さを初めて知った」と話している。

 写真は5月下旬、田中佐吉の三女でかおりさんの母親が、自宅の押し入れを整理した際に見つけた。各地で行った演奏会の集合写真や演舞する役者、田中が演奏する様子を写したものなど大量にある。田中が指導した芸者が映っている写真も多く、当時の華やかな街の様子もうかがえる。

 函館市民会館の初代館長を務め、演奏会などで田中とかかわった社団法人函館文化会顧問の関輝夫さん(84)は「田中先生は函館の邦楽舞踊界の頂点にあり、道内の邦楽舞踊の発展にも寄与した大事な人。現存する写真は少なく、大変貴重といえる」と語る。

 かおりさんは祖父の他界後に生まれたため、生前の祖父の記憶はない。家族からは「鼓をやっていた」という程度しか聞いておらず、写真の発見を機に祖父について調べ始め、祖父の功績や人柄を初めて知ったという。

 かおりさん自身、歌や踊りなどを自由に表現するパフォーマーとして市内で活動しており、「音楽に携わる血筋を感じ、自分を見つめ直す機会にもなった」と感慨深げ。近く、祖父を知る人を集めて「田中佐吉をしのぶ会」を催す計画で、「何か知っている人がいればぜひ連絡してほしい」と話している。

 問い合わせはかおりさんTEL080・1862・3064。(新目七恵)

 【プロフィル】1899(明治32)年に東京の足袋問屋に生まれた。15歳で長唄の修業を始め、17歳の時に鳴り物に転向。25歳でお囃子の師匠に。関東大震災の被災後1923年、函館に定住し、当時の蓬菜町などにけいこ所を開いた。けいこは厳格だが懇切で情に厚く、子弟に敬愛され、各地で出張けいこをするようになった。「青鳥会」を主宰して芸の向上に励み、函館邦楽舞踊協会や全道の芸能文化の発展に貢献。51年に第2回函館文化賞を受賞。76年、脳軟化症のため77歳で亡くなった。


◎函館市、JSTの事業に名乗り 海洋構想の補助狙う

 函館市は24日、国が実施するJST(独立行政法人科学技術振興機構)の「地域産学官共同研究拠点整備事業」に名乗りを上げた。提案内容は、国際水産・海洋都市構想の研究拠点エリアで予定している施設整備で、採用されれば施工費用などで最大30億円が補助される。各都道府県から1件のみ採用されるため、道は8月上旬までに道内候補の選定委員会を実施する予定。24日までに4件の提案が出されている。

 同事業の補助金は全国で695億円、各都道府県につき1件、数億円から最大30億円の幅で助成する。インフラ整備された土地を産学官で構成する団体が用意し、人件費を含む施設運営・維持管理費は団体が負担することなどが条件。設計や研究設備を含む施工などの費用が助成対象となる。

 同市では、4月に産学官で「函館国際水産・海洋都市推進機構」を設立。合併特例債を利用し、弁天町の旧ドック跡地に30億円規模の研究施設建設を予定している。同事業の補助金に対し市は、「施設を必要としている計画に合致する」(企画部)と判断し、提案することに。「函館にはこれまで蓄積してきた実績がある」としており、国際的な学術研究の拠点として日本の技術をリードすることや、地域経済の活性化を図ることなどをアピールする。(小泉まや)