2009年7月30日 (木) 掲載

◎中世の人骨が出土/勝山館跡で町教委が発掘調査

 【上ノ国】上ノ国町教委が国指定史跡・勝山館跡で進めている本年度の発掘調査で、中世の和人のものとみられる土葬墓と、ほぼ完全な人骨1体が発掘された。人骨は来月にも札幌医大に送り、性別、年齢、死因など詳しい分析を進める方針という。

 勝山館は1470年前後、松前氏の祖先に当たる武田信広が築いた山城。1520年ごろが最盛期とみられる。土葬墓は、昨年度から発掘を進めている、勝山館北東側斜面にあった空堀を埋没した深さ50センチほどの土中から見付かった。墓は長さ85センチ、幅60センチほどの長方形。遺体を木棺に納めて埋葬したものとみられる。

 副葬品とみられる銅銭約30枚も出土。銅銭は、中国の唐の時代に作られた開元通寳(かいげんつうほう)など3種類の渡来銭とともに、リング状の輪銭(わぜに)と呼ばれる銅銭約25枚も出土した。銅銭の下からは袋の痕跡も見付かった。町教委は、墓の形状や副葬品の特徴などから和人の墓と推定している。

 人骨は成人のものとみられ、頭部を南の方角に向けて埋葬されていた。これまで勝山館で発掘された和人の墓は、仏教信仰の影響から大半が北側に頭を向けていた。町教委の塚田直哉学芸員は「頭位が南向きというケースはまれだ。輪銭が副葬された例も数少ない」としている。

 勝山館の背後にある夷王山東斜面では、約600基もの和人やアイヌの墓が密集している「夷王山墳墓群」がある。しかし、昨年度からは勝山館正面に当たる北東側斜面でも、中世から江戸時代に作られた墓が複数見付かっている。塚田学芸員は「墓地は裏山に当たる夷王山に集中していると考えられていた。北東側にも多くの墓が分布していることは予想外。勝山館の成り立ちを考える上で重要な発見ではないか」としている。

 町教委は8月4日から勝山館ガイダンス施設で、今回見付かった銅銭などの出土品を一般公開する速報展を開く。問い合わせは町教委TEL0139・55・2230。(松浦 純)



◎大妻高生がケニアの子支援で甚平製作

 函館大妻高校(外山茂樹校長)の家政科生徒が、ケニアで洋裁の専門学校や子どもの診療所を運営し、貧困層支援に取り組む卒業生、塩尻美智子さん=ケニア在住=の活動に協力しようと、乳幼児向け「甚平」の製作ボランティアに取り組んでいる。目標は100着。8月3日には七飯町に住む塩尻さんの妹白木厚子さんに手渡す予定で、生徒は真心を込めてミシンを動かしている。

 塩尻さんは1970年に同校を卒業。90年に家族とケニアに移住後、高校で学んだ裁縫技術を生かしてミシン教室を開き、自動車整備なども学べる技術専門学校にまで発展させたほか、子どもの診療所なども始めた。

 塩尻さんは5月、約40年ぶりに母校を訪問。その際、診療所で使う乳幼児用衣類が不足し困っていることを話しており、今回家政科の技術を生かすボランティア活動として甚平製作を企画した。

 型紙は塩尻さんが持ってきた甚平を参考に同校教員が作成。花柄や果物の絵柄がついた華やかな布地を用意し、夏休み前に家政科の2、3年生が襟付けなどの作業を行った。

 夏休みの作業は27日からスタート。1年生を含む同科の有志24人が参加し、袖付けやひも付けなどの作業を進めている。

 3年生の中島愛也佳さん(17)は「裁縫が好きなので参加した。学校で身に付けた技術を生かした先輩はすごいと思う」、2年生の岡村美沙さん(16)は「ケニアの人に少しでも役立てれば。きれいに完成するよう心掛けている」と話している。(新目七恵)



◎企画「ドリームボックス150直前リポート」①/はこだて国際民俗おやつキャンプ

 地元の子供たちが、はこだて国際民俗芸術祭に参加する外国人と菓子作りを通して交流する。小中学生を対象にした社会教育事業を行うNPO法人「なちゅらす」が企画、運営し、8月11、12の両日、会場内のリトルガーデンで開く。赤石哲明代表(32)は「市民として函館開港150周年事業に参画したかった」と意欲を語る。

 おやつキャンプを企画したのは、昨年8月の同芸術祭に協力したのがきっかけ。ニュージーランドからの参加者と交友する中で、子供たちにも国際交流活動を経験させたいと考えた。今年の芸術祭開催に合わせて、アーティストの空き時間におやつキャンプへ参加してもらうよう、主催者に協力を求め、実現した。

 11日は、ブリヤート(ロシア)の「ガンビル」と呼ばれる焼き菓子を、12日はインドネシアの「ピサン・ゴレン(揚げバナナ)」作りを体験する。2日間で幼児から中学生まで計60人が参加する予定。参加者の募集は締め切ったが、見学は可能。

 赤石代表は「函館は開港によって外国人との交流が盛んになった。開港当時の人たちは言葉が通じなくても何かを一緒にすることで気持ちを通じ合っていたと思う」と想像する。

 なちゅらすは2002年に設立し、06年にNPO法人化。自然体験や社会体験を通して青少年育成活動を続けてきたが、外国人との交流は初めて。準備もほぼ整い、本番を待つだけ。赤石代表は「会話はできなくても一緒に作業しながらコミュニケーションを深めてほしい」と期待を寄せている。

 8月8日から16日まで函館港「緑の島」で函館開港150周年記念事業のメーンイベント「ドリームボックス150」が開かれる。本番を前にイベントの準備、運営に当たる人たちの表情や意気込みを伝える。



◎6月の道南 有効求人倍率0・30倍

 函館公共職業安定所は29日、6月の渡島・桧山管内の雇用失業情勢を発表した。仕事を求めている人1人に対する求人数を示す有効求人倍率は、前年同月を0・15ポイント下回る0・30倍に落ち込み、24カ月連続の前年割れとなった。同職安は情勢判断を前月(5月)に続いて「一段と厳しい状況にある」としている。

 0・30倍はITバブル不況に見舞われた2000年1月の0・28倍に次ぐ低水準。24カ月連続で前年同月を割り込んだのは、現在の職安管内で比較可能な統計が残る98年4月以降では最長で、今年1月からワースト記録を更新し続けている。

 有効求職者は前年同月比17・9%増の1万2071人で、景気悪化が鮮明さを増した昨年秋以降、増加傾向にある。一方、企業からの有効求人は3635人と前年同月と比べ21・5%減の大幅な落ち込みで、求人と求職者数の乖離(かいり)が続いている。

 雇用の先行指標となる新規求人倍率は同0・31ポイント低下の0・54倍となり、15カ月連続で前年同月を下回った。新規求職者は同12・3%増だった半面、新規求人が同28・2%減と、前月(同27・1%減)に続いて大幅に落ち込んだ。事業主都合による離職者も同28・8%増の661人と増加傾向が続く。

 産業別の新規求人では経営破たんしたナルミ(乙部町)関連の緊急雇用対策で「公務・その他」が同5・5倍と急増した以外は、軒並み前年を下回る低調ぶりが目立った。同職安は「丸井今井の再編やスーパーの閉店など数字の押し下げ要因が多く、当面は楽観できない状況」としている。(森健太郎)


◎函館税関/引き揚げ者の通貨や証券…思い出お返しします

 8月15日の終戦記念日を前に、函館税関は終戦後に海外から引き揚げた人が、日本への上陸時に税関などに預けた通貨や証券の返還を進めている。昨年12月末現在、人数にして約3割しか返還されておらず、同税関は「心当たりがある人はまず照会を」と呼び掛けている。

 同税関で保管しているのは、樺太(サハリン)や旧満州(現中国北東部)からの引き揚げ者が預けたロシア・中国の通貨や国債などの証券類など。連合国軍総司令部(GHQ)が当時、インフレ防止策の一環で、国内への持ち込みに一定の制限を掛けたため預託されていた。

 返還を始めた1953年時点で、同税関管内(道内と青森、秋田、岩手の東北3県)で保管していたのは約10万3200件。その後、所有者が名乗り出るなど一部の返還が進んだが、返還率は保管件数でわずか18・4%。昨年も照会があった172人のうち23人に返還したが、依然として約1万9000人分、約8万4200件が引き取り手がないままだ。

 今年で戦後64年がたつため預けた本人の記憶が薄れ、近年の返還者は年間150人前後にとどまっている。当時の預かり証がなくても、引き揚げ船の船名や入港時期が分かれば返還でき、本人以外の親族でも可能だ。

 同税関は「通貨や証券類に金銭的な価値はないかもしれないが、それぞれに詰まった思い出をお返しします」と話している。問い合わせは同税関監視部統括監視官部門TEL0138・40・4244。(森健太郎)