2009年8月4日 (火) 掲載

◎市函高生が開港150周年記念し張り絵壁画

 市立函館高校(日向稔校長、生徒954人)の全校生徒が、函館開港150周年を記念し、張り絵の巨大壁画を制作した。解体された函館どつくの大型クレーンや市電、函館山など市民になじみのある風景を描いた力作。1日から7日まで、函館市五稜郭町の五稜郭タワーに展示される。

 壁画制作は同校の学祭に合わせて生徒会が企画。開港150周年を迎えた現在の街の様子を残そうと絵柄を考えた。下絵を描いた模造紙を25枚に分割し、全24クラスが各1枚、実行委が残りの1枚を担当。生徒らは絵に合わせて細かくした折り紙を張り合わせ、約1週間掛けて完成させた。

 作品は、函館山を背景に旧函館区公会堂やハリストス正教会など西部地区の歴史的建造物が多く盛り込まれ、金森倉庫や石川啄木像、五稜郭タワーなど市内の観光地がカラフルに浮かび上がる。大きさはたて6メートル、横7メートル。

 2年生の末永和則君(17)は「苦労した分、張り合わせて完成した時は感動した」、3年生の早坂駿一君(17)も「函館の歴史を感じてほしい」と話す。デザインを担当した三浦薫教諭は「思ったより良く出来上がった。多くの人に見てほしい」と喜ぶ。

 同校ではタワーでの展示後、作品を掲示する場所を探している。問い合わせは同校TEL0138・52・0099。(新目七恵)



◎「函館丸井今井」誕生

 経営再建中の道内老舗百貨店「丸井今井」(札幌市)は31日、スポンサーの三越伊勢丹ホールディングス(HD、東京)が設立した子会社「札幌丸井今井」(札幌市)と「函館丸井今井」(函館市本町32)に、札幌本店と函館店の事業をそれぞれ譲渡した。函館店も創業以来、1世紀以上続いた地元資本の経営に終止符を打ち、8月1日から同HD傘下の新体制で再出発を図る。

 函館丸井今井の社長兼店長には、丸井今井の執行役員経営政策部長の菊地敏郎(としお)氏(55)が1日付で就任。従業員は契約社員やパートを含め161人。資本金は5000万円に増資した。初年度の売り上げ目標は70億円。

 菊地社長と函館丸井今井の取締役営業統括部長に就任する橋本弘昭氏(44)は31日、函館商工会議所で記者会見し、菊地社長は「お客さまに愛され、満足を超える感動を提供できるよう、社員一丸となって商品やサービス、店舗で函館の一番店を目指したい」と抱負を述べた。

 今後の店舗運営については「函館単独での黒字化を図り、利益を上げる体質をつくらなければ」とし、新たに仕入れと販売を統括するセールスディレクター(SD)を配置。70人余りの人員削減で懸念されるサービスの低下には「営業時間の短縮で従業員のシフト勤務を廃止するなど業務改善を進めたい」と語った。

 商品展開については「地域のお客さまのニーズをできる限り受け止めたい」として低価格商品の導入なども今後検討する方針を示した。初勤務となる函館については「楽観できる経済状況ではないが、110年余りの歴史とご愛顧に感謝し、新しい丸井今井としてスタートしたい」と話した。

 札幌丸井今井の社長には、伊勢丹出身で丸井今井専務の関根純氏(62)が1日付で就任する。

 1日からの営業時間は午前10時から午後7時まで。初日は2000円以上購入した先着300人にまんじゅうのプレゼントもある。(森健太郎)



◎藤野さんの短編小説が佳作に

 七飯町に住む看護学生、藤野良太さん(20)が、東京の出版社が企画した短編小説のコンテスト、第2回「もののあはれ恋物語賞」で佳作に選ばれた。道南からの受賞者は藤野さんのみ。秋には入賞作品をまとめた本が全国出版される予定で、藤野さんは「書籍化は初めて。これからも小説を書き続けたい」と喜んでいる。

 入賞した藤野さんの作品は「145系統のバスにて」。同じバスに乗り合わせた女性に淡い恋心を抱く男性の揺れ動く心情を、400字詰め原稿用紙6枚の分量に描いた。ペンネーム名は荒武歩菖。佳作は大賞、審査員特別賞に次ぐ賞で、全国で34作品が受賞。全国から1739件の応募があり、道内からは3作品が入賞した。

 藤野さんは七飯町出身。幼いころから話を考えるのが好きで、中学生くらいのころから作文を書いていたという。これまで書いた作品は50以上に上り、コンクールにも数回応募したことはあったが、受賞作品が書籍になるのは初めて。「読んでもらえるだけでうれしい」と喜び、「読者が想像力を働かせられる作品にも挑戦したい。もし本を見つけたら手にとってほしい」と話している。(新目七恵)



◎不況で「ハローポテトカーニバル」今年は中止

 ジャガイモの無料配布や花火の打ち上げなど、函館市美原地区の夏の恒例イベント「ハローポテトカーニバル」(市亀田商工会、実行委主催)が、今年は中止されることが明らかになった。不況の影響で企業からの協賛金が見込めないためで、地元からは「夏の風物詩がなくなるのはさみしい」との声も上がっている。

 同イベントは1986年に同商工会青年部が企画した子ども向け綱引き大会「ハローポテトタウンヘルシーカーニバル」が始まり。年々規模は拡大し、近年は地元産の男爵イモ約2トン分を振る舞ったり、約400発の花火を打ち上げたりと、昨年夏まで23年にわたり地域で親しまれてきた。

 運営費として地元企業などから約400万円の協賛金が必要だが、昨年秋以降の急速な景気悪化の影響で集めるのは困難と判断した。加えて同商工会も会員企業の減少で財務状況が逼迫(ひっぱく)していて、例年は6月下旬から7月中旬にかけて行われる協賛金の募集自体を取りやめた。

 また、イベント会場となる函館亀田中学校周辺の道路や住宅の整備が進み、安全面の確保が難しくなっていることも理由。マンネリ化したステージショーなどプログラムも見直す時期にあったという。同実行委は「23年間一度も中止することなく続けてきただけに苦渋の決断だった」とこぼす。

 亀田中の蓮本裕一教頭も「生徒も野菜販売などに参加し、毎年楽しみにしていた。地域からにぎわいが失われるのはさみしい」と残念がる。同商工会は「復活を望む声も多く、これを機に地域の実情に合った手作りの祭りを育てたい」と新たな事業計画を模索している。(森健太郎)


◎礎石調査「館城」解明に期待

 【厚沢部】町教委は館城跡(国指定史跡)で行っている本年度の発掘調査の一環として、建物の礎石とみられる石列の分布調査を進めている。古文書などによると城内には本丸御殿など複数の建物があり、来年度以降の調査では石列の調査を通じて、城内の詳しい構造が解明されることも期待される。

 館城跡では以前から、建物の土台を支えた礎石とみられ岩が露出。1964年には測量調査も行われた。町教委は、来年度以降の調査に備えて石列の分布状況を調べている。城の南西部には、複数の場所で長径40~50センチの石が分布。長さ40メートルの範囲に数10個の石が並んでいる様子も浮かび上がってきた。町教委の石井淳平学芸員は「記録と礎石の配置を照らし合わせることで、建物の配置など館城の詳細な構造を解明できる可能性がある」と話している。

 館城は松前藩の新たな拠点として1868(明治元)年9月に築城を開始。箱館戦争の戦火が迫る10月末に棟上式が行われたが、11月15日に旧幕府軍の攻撃で炎上した。城の詳しい構造が分かる絵図面などは残っていない。松前藩の役人などを務めた増田伝左衛門幹通が記した「増田家文書」は、藩主が政務を執る表御殿、生活の場だった奥御殿などを記録している。明治維新以後、国内では洋風建築が主流を占め、江戸時代に確立された御殿形式の建物は、皇居などを除けば、館城が最後のケースになるという。

 現地を視察した、館城跡発掘調査検討委員会(藤沼邦彦委員長)は、石列の分布、建築に伴う盛土などの痕跡、築城前の原地形などを調べることで、館城の構造を解明する手掛かりが得られるとし、来年以降の全面発掘も提言している。検討委メンバーで日本の城郭史に詳しい、奈良大学文学部文化財学科の千田嘉博教授は「確認された石列だけでも、長さ40メートルを超える巨大な本丸御殿があった可能性を示している」とし、来年度以降の発掘調査に期待を示す。(松浦 純)