2009年9月20日 (日) 掲載

◎日本ハム少年野球教室、基本動作学ぶ

 【北斗】元プロ野球選手が子どもたちを指導する「日本ハムファイターズ少年野球教室」(魚長主催)が19日、北斗市運動公園野球場(押上1)で開かれた。参加者は、走塁やキャッチボールなどの基本動作を中心に約2時間にわたって学んだ。

 同教室は、日ハムOBで構成する「日本ハムファイターズフィールドクラブ」のメンバーが、全道各地で実施。今回は1996年まで野手として活躍した森範行さんと、2007年まで投手として活躍した立石尚行さんを講師に迎え、函館市内の少年野球9チームから約80人が参加した。

 森さんは「日本ハムの選手は凡打でも全力疾走するから他のチームより強い。みんなもしっかり見習ってほしい」と走塁の大切さを強調。選手一人一人のベースランニングを細かくチェックした。立石さんはキャッチボールの基本の握り方などを、分かりやすく指導した。

 少年野球チームではキャッチャーを務める中谷直人君(函館市えさん小6年)は「全力でプレーすることの大切さが良く分かった。今後の練習や試合でも心がけたい」と話していた。

 この日は父兄を対象にして「食育指導教室」も開かれ、日ハム専属管理栄養士の佐々木法子さんが、ファイターズの選手の食事や栄養バランスなどを紹介し、これに基づいた子どもたちの「食育」指導法を伝授した。(小川俊之)



◎被弾船の惨劇…後世に、浅利さんが調査

 「函館空襲を記録する会」代表の浅利政俊さん(78)はこのほど、1945年7月14日の函館空襲で、米軍機から爆撃を受けた青函連絡船「松前丸」(3485トン)乗組員の大半を救助した木造運搬船「第37蘭丸」(100トン)について調査した文献をまとめた。戦災から62年後の2007年、助けた人と助けられた人の偶然の出会いがあり、調査できたという。浅利さんは「救助劇や調査は偶然と奇跡のおかげだが、戦争は絶対あってはならないこと」と話している。

 浅利さんは3年前、戸井地区や恵山沖の空襲を調査中に、青函連絡船の戦災について疑問を持った。「死者数ぐらいしか分からない。その現場で何が起こったのかを明らかにしたい」と人命救助劇があった松前丸の調査を決意した。

 浅利さんの調べによると、松前丸は1945年7月14日早朝、貨物列車の積み込み中に空襲警報が鳴り、函館山穴澗沖方面に避難しようと移動したがグラマン機の攻撃を受けた。その後、七重浜沖で座礁するまでにも被弾し火災が発生。22人が死亡し、73人が救助された。ただ、逃げ場のない船上の惨劇、人命救助がどのように行われたかは不明だった。

 浅利さんは4年前の新聞から、助けられた松前丸乗組員の一人が函館在往の餌取利男さん(82)であることを知った。浅利さんは餌取さんの所在を調べ、今年8月に会って話を聞いた。そんな中で2007年7月、餌取さんは市内青柳町で開かれた青函連絡船殉職者法要に参列した際、隣に座っていた男性から声を掛けられた。「わたしは函館空襲の日、七重浜の沖で松前丸の船長や乗組員を救助した第37蘭丸の船長だった甲谷保蔵です。どなたか松前丸の乗組員の方を知りませんか」。神仏の引き合わせに二人は驚いたという。浅利さんは松前在往の甲谷さん(97)を訪れ、救助の様子を詳しく調査することができた。

 第37蘭丸は空襲警報が鳴った時、北ふ頭から穴澗沖に避難する際、偶然に松前丸の近くを航行した。松前丸の被弾を見たとき、船と乗組員の安全を考えて松前丸から離れたが、船員から「船長、助けるべ」と言われ、救助に向かった。高さが違う大きな船に横付けし、すべり台のようなものを付けて乗組員を移動させた。大やけどを負って海中に飛び込んだ船員を引っ張り上げた際、やけどで水ぶくれになっていた皮膚が抜け落ちた人もいたという。

 第37蘭丸は同年11月、運輸省から人命救助の尽力が認められ、船員勤労賞状が贈られた。賞状は甲谷さんが所蔵しており、これまで知られなかった事が形として残っていた。浅利さんは「戦争当時から終戦時は、緘口(かんこう)令などの理由で事実を話すことができない人が多かった。ようやく打ち明けてくれる人が多く現れ、それをまとめ、後世に伝えることができるのは、戦没者への本当の供養になると思う」と話す。

 七重浜から函館港を眺める浅利さんは「今年は函館開港150年という節目。この開かれた港で起こった事実を今後、平和に生かしてもらえれば。でも、わたしの調査は小さな点。点が線になるよう、多くの調査をしていきたい」と決意していた。(山崎純一)



◎水土里の路ウォーキング、実りに囲まれて

 【北斗】田んぼや農業水路を巡りながら、実りの秋を楽しむ「第4回水土里(みどり)の路ウォーキング~ふっくりんこの里を訪ねてin田んぼの整備~」(渡島支庁主催)が19日、北斗市農業振興センター(東前74)を発着地点に行われた。子どもから高齢者まで125人が参加し、黄金色に輝く稲穂の中での散策を楽しんだ。

 この日はふっくりんこが実る同市東開発地区と豊田地区、農地整備が進められている豊田南部地区の約5・0キロのコースを2グループに分かれて歩いた。途中、にわか雨に遭遇する場面もあったが、さわやかに吹き渡る秋風を浴びながら、参加者は心地よい汗を流していた。

 約1時間の散策を終え同センターに戻った参加者は、農産物の直売や、新米ふっくりんこが当る抽選会などを楽しんだ。初参加という北斗市の物野加代子さん(58)は「いつもふっくりんこを食べているが、今日はどのように作られているか直接見ることができてよかった。機会があれば来年も参加したい」と話していた。(小川俊之)


◎函館市、市放牧場廃止へ

 函館市は、乳牛育成用に開場した市放牧場(鉄山町185)を本年度末で廃止する方針を固めた。市内の酪農業の衰退とともにて放牧場使用も減少傾向が続いているためで、市は早ければ12月の市議会定例会に廃止条例案を提案する。

 同放牧場は酪農家の乳用牛を中心とした規模拡大を進める目的で1970年に開場し、広さは約190ヘクタール。使用期間は毎年5月15日から10月末までで、現在、新函館農協が指定管理者として管理している。

 市農林水産部によると、放牧場の使用状況は1990年代前半をピークに年々減少傾向となっており、乳用牛の年間実績は、92年の延べ2万5317頭(実数197頭)から、08年度は6729頭(同51頭)。本年度7月現在では、実数で乳牛が4戸31頭、肉用牛が2戸9頭、馬が4戸62頭となってる。管理委託など約1300万円の経費に対し牧場利使用料の収入は約200万円にとどまり、市の負担も増えている。

 市内の酪農業は60、70年代に牛の頭数を増やしながら規模拡大を図り、1戸当たりの所有頭数は増加したが、一方で乳価の下落などで経営安定が図られず酪農業から撤退する戸数も増え、放牧場の利用も落ち込んだ。

 こうした状況を受け、市は本年度に入り廃止する方向で市内の酪農家と協議。生産コストを抑え収益性の向上を目指した酪農転換が必要との認識で一致し、廃止については各農家の理解を得ているという。今後、牧草の採取地などの活用を検討する考え。

 同部は「新たな酪農振興策を考えていく。共同利用施設の整備や共同運営構築などの取り組みに支援していきたい」と話している。(鈴木 潤)


◎【企画】なぜ低い 投票率!?・上

 12回連続最下位―。先の衆院選で、函館市は道内35市における国政選挙の投票率でこんな不名誉な記録を更新した。市を除く道選管渡島支所管内も、5回連続で14支所のワースト。なぜ、投票率が低いのか。まずは投票しなかった市民の意見に耳を傾けた。

 過去の国政選挙で最も投票率が低いのは「20―24歳」。函館市内の専門学校に通う男子学生(20)は投票権を持つ初めての選挙を「棄権」した。理由は「当日用事があったから」。「今回はニュースで民主が勝つことは分かっていた。自分の1票で何も変わらないと思う」と淡々と話す。

 ほかの20歳学生からは「親に『必ずしも行かなくて良い』と言われて遊びに行った」「まだ学生だから誰が選ばれても自分に影響はない」との声も。

 一方、20代の男性会社員からは「休みの日に行くのが嫌だった。期日前投票所がもっと多く、仕事帰りに立ち寄れれば行った」(24歳男性)、「携帯電話やインターネットでできれば必ず投票する」(23歳男性)との意見があった。

 子育てが理由で行けなかった人もいる。北斗市の主婦(31)は「行こうと思っていたが生後3カ月の子どもに手が掛かった。インフルエンザが流行し、子を人込みに連れて行くのが嫌だったし預けられる人もいなかった」と説明する。また、函館市の女性会社員(30)は「誰が当選しても何も変わらない気がする。『この人なら何かを変えてくれる』と思える候補者が現れたら行く」ときっぱり。

 地方特有の悩みを抱える人もいた。渡島管内のある町に住む飲食店勤務の28歳女性は「投票所で知り合いに会うのがおっくう。地方は役場や近所の人が投票所で仕事しているので会いたくない人と出くわす確率も多い」と打ち明ける。

 「選挙の大切さを感じない」というのは、夫が転勤族という函館市の主婦(28)。「夫も選挙に行くのは投票を頼まれた時だけ」と明かす。函館市の83歳無職男性は「風邪で行けず、申し訳ない気持ちで開票速報を見ていた」と説明し、「選挙は国民の義務ではなく権利。この権利を獲得するまでの苦労を学校や親、マスコミは若い世代に伝えているのか。報道機関は『投票権の大切さ』をもっと訴えるべきでは」と語った。

 行かない理由は千差万別。どうすることもできないケースもある一方で、理由にならない意見も少なくなかった。後者の意識をどう変えるのか。マスコミを含め、関係機関に課せられた課題だ。