2010年12月19日 (日) 掲載

三度目の正直 念願かなう はこだて検定 小学生初合格者の渡部君

 あっぱれ—。函館商工会議所が11月に実施した、第5回函館歴史文化観光検定(はこだて検定)で、小学生初の初級合格を果たした渡部響君(11)=函館あさひ小6年=が18日、「言葉にできないほどうれしい」と喜びを語った。大好きな幕末の志士・土方歳三をきっかけに興味を持ち、3度目の挑戦で念願の合格を果たした渡部君。「検定テキストが僕の愛読書。来年は上級に挑戦します」と、意欲を新たにしている。

 今年の検定(初級)は384人が受験し、115人(29・9%)が合格。合格者の最年少記録は第1回試験の14歳(中学生)から一気に3歳更新された。同会議所によると、小学生の受験は渡部君1人だけだった。

 渡部君は「最後まで(幕府に)忠誠を尽くして戦った生きざまが好き。お墓(最期の地碑)に行くと何回もお参りしてしまう」という大の土方ファン。小学2年生のころ、母親の容子さん(36)が購入した検定テキストで土方について学ぶうち、ほかのページも徐々に読み始めるように。学校にも持ち込み「休み時間の合間に読んだ。読み過ぎて、表紙が破れかけた」と話す。

 「どんどん知識を吸収していっている。受けてみたら」との容子さんの勧めもあって、小4で検定初挑戦。過去2回は合格点にあと一歩のところで涙をのんだが、容子さんのアドバイスを受けて過去問題をインターネットで調べたり、苦手だった経済や観光ガイドの心得の設問にも、新聞を読むなどして取り組んだことが功を奏した。

 函館には4年前に移住し、「歴史があり、建物がきれいなのが好き」とすっかり気に入った。将来は人の役に立ち、函館に関する仕事をしたいという。

 「まちのことを勉強するのは面白い」と来年の上級挑戦に意欲を示す一方で、まだ受験経験のない容子さんと一緒に受験し、ともに合格することをささやかに願っている。(千葉卓陽)



大妻高の「西川ピアノ」来歴判明

 函館市柳町の函館大妻高校(池田延己校長)で昨年11月に完全修復された、明治年間製造の「西川ピアノ」は、同校の初代校長、外山ハツさんの大学時代の同窓で、1973年まで同校で被服学を教えていた神田マスコさんが、山口県の生家から寄贈したものであることが、このほど、分かった。ピアノの来歴を調べていた池田校長は「2人の魂が込められているピアノを通じ、歴史ある学校の伝統をしっかり生徒に語り継いでいきたい」と気持ちを新たにしている。

 西川ピアノは、国内ピアノの製造元祖とされる職人西川虎吉が初めて国産したとされる。同校にあるのは大量生産前の1886—90年に作られた試作品とみられ、1924(大正13)年の開校時から昭和30年代まで使われていた。3年前に旧校舎で見つかり、専門家の調査で文化的価値の高さが判明。故外山茂樹前校長の意向で原型通りに復元されたが、その来歴は分からず、池田校長が同校沿革や会議録、卒業生らから聞き取りするなどして調べていた。

 今年11月末、1929(昭和4)年当時、高砂町(現若松町)にあった同校に通っていたという関本トキさん=函館在住=から池田校長に連絡があり、神田さんのピアノであると証言。神田さんは、ハツさんと大妻女子技芸学校高等科(現大妻女子大学)で共に勉学に励んだ間柄。池田校長は「大地主の家に生まれた神田さんが、私学女子高を創立しようとしていたハツさんの力になろうとピアノを譲ったのかもしれない。陸路、海路とあらゆる手配をして函館まで運んでくれたのは大変な苦労だったと思う」と話す。

 開校時から学校の経営管理をしていた神田さんは、専門の被服学だけでなく、自らピアノ伴奏もして唱歌や校歌を伝えた。同校は松風町、高砂町、現在の柳町と開校から校舎を移転、神田さんは亡くなるまでの約50年間、教壇に立ち続けた。

 69年に同校に赴任した池田校長は「お金がなく、女子教育に批判的だった時代にあって、神田さんは建学の精神を絶やすことのなかったハツさんを、物と心の両面から支えた。厳しさの裏で情が深く、誰からも慕われた人だった」と振り返る。

 昨年から同校では、このピアノを使った演奏会が年に1回開かれるほか、普段は女生徒が自由に弾くなどし明治の音色≠楽しむ。今月22日には同校の歴史と伝統を受け継ぐ3年生を対象に、「卒業記念メモリアルピアノ演奏会」を開く予定だ。(長内 健)



新雪にシュプール「函館七飯スノーパーク」オープン

 【七飯】七飯町東大沼666のスキー場「函館七飯スノーパーク」(佐川孝義支配人)が18日、道南のトップを切ってオープンした。開場を待ちわびた愛好者が訪れ、スキーやスノーボードの初滑りを楽しんだ。

 11月下旬から人工降雪機をフル稼働させてゲレンデの整備を進めたが、降雪不足で雪が足りず、当初の予定(11日)より1週間遅れのオープンとなった。17日夜から断続的に雪が降ったこともあり、ゲレンデの積雪は山頂付近が約40センチ、山ろくが約30センチとなり、全8コースのうち小沼コース1コースが開放された。

 午前9時に営業をスタートし、カラフルなスキーウエアーを着た若者のグループや個人客が早速、新雪にシュプールを描いていた。土曜日とあって家族連れも目立ち、元気いっぱいに滑降する小学生も見られた。

 7年ほど前からスキーを始めたという七飯町軍川の吉原章夫さん(69)は「気持ち良く滑れた。今年はシーズン券を買ったので毎日通ってもっとうまくなりたい」と話していた。

 同スキー場は小学生以下は無料開放。ナイター営業は22日スタート予定。今年は休憩施設に幼児向けのキッズルームを新設した。同スキー場の岸泰彦副支配人は「たくさんの人に来場してもらえるよう、スタッフ一同明るく、お迎えしたい」と話している。(鈴木 潤)


ウキウキ!サル山にXマス

 サル山にも、メリークリスマス—。函館市営熱帯植物園(湯川町3)は18日、来園者がサル山に大好物のリンゴやパンをクリスマスプレゼントとして投げ入れるイベントを実施した。サルたちはごちそうを温泉に入りながら堪能。至福の時を過ごしていた。

 現在、同園のサル山では94匹が飼育されており、今月から露天温泉に漬かりながら、愛らしい表情を見せ、市民や観光客の目を楽しませている。えさの投げ入れは通常、係員が行うが、子どもたちも手伝えるとあって、毎年好評を得ている。

 食べやすいように細かく刻まれた果物など約20キロが用意され、来場者が一斉に投げ入れると、サルは歓喜の雄叫びを上げながら、おいしそうにほお張っていた。横浜から観光で両親と訪れた、双子の岡沢悠信くん、美悠ちゃん(4)きょうだいは「取り合ってけんかしているサルもいたけど、えさをあげることが出来て楽しかった」と笑顔だった。

 このイベントは19、24、25、26日(いずれも午前11半から)も行われる。(小杉貴洋)


【北海道新幹線・新青森駅開業に学ぶ(中)】駅前閑散 開発進まず

 近未来を感じさせるガラス張りの開放的な外観が特徴の新青森駅。盛り上がりを見せる開業フィーバーの陰で、青森の新たな玄関口となる新駅前には砂利のままの更地が広がり、「売地」と大書きした立て看板が目立つ。

 「きのう(4日)の人出はどこに行った、という感じ。率直に寂しい印象は受けた」。開業翌日の5日、現地の様子を視察した北斗市新幹線対策課の森井聡主査(30)は、5年後の新函館駅(仮称)前の青写真を描きながら、複雑な思いを口にした。

 青森市は2002年度から180億円かけて駅周辺46ヘクタールを区画整理した。だが、市が08年2月から売り出した18区画(3・9ヘクタール)のうち、これまでに売れたのはレンタカー店とオフィスビルの2区画だけ。全体の8割が売れ残り、駅に降り立つと閑散とした感は否めない。

 売却が進まない背景について、市都市整備部石江区画整理事務所の桜庭信也所長(56)は「一昨年の世界同時不況の影響が大きかった。企業の投資マインドが急激に冷え込み、開業後の人の流れを見極めようとする様子見の状態が続いているのでは」と外的要因を強調する。

 その一方で、市はあくまで新駅と4キロ離れた青森駅前を核とする「コンパクトシティ構想」を掲げる。新青森駅前にある小売店はコンビニエンスストア1軒ぐらい。「中心市街地と競合するような施設は誘導しない」(桜庭所長)前提で、大型商業施設の出店を規制する。いわば「ほどほどのにぎわい」を目指す構えだ。

 しかし、市が10月から始めた8回目の募集も県内外から引き合いこそあるものの、新たな応募はゼロ。出店規制の緩和や販売価格の引き下げなどは当面行わない方針だ。桜庭所長は「現状を肯定はしない。でも、それなりの規模の発展が難しい」。

 新函館駅が誕生する北斗市にも危機感が漂い始めた。市は今年9月、新駅前への企業誘致を進めるためのパンフレットを1000部作製。高速道路・フェリー・空港などの交通結節機能を強調し、首都圏の企業を中心に既に8割を配り終えた。

 市が駅前に整備する区画は13・5ヘクタール。規模は新青森の3分の1だが、市新幹線対策課の渡辺武美課長は「最大の売りは駅前の土地の価格。もともと農地だっただけに全国の新幹線駅前と比べても安い」と自信をにじませる。区画1平方メートル当たりの地価は新青森が8万円台からに対し、新函館は2万円台からある。 ただ、誘致先の企業には「5年後に会社がどうなってるかも分からない」と慎重な見方も少なくない。商業ゾーンとなる13区画(7・4ヘクタール)の開発も縮小傾向にあり、渡辺課長は「ビジネスホテルや土産店など必要最小限でいい。駅前だけが売り物じゃない」と青森のスタンスに一定の理解を示す。

 日本政策投資銀行の藻谷浩介参事役は、七飯町内で10月に開かれたフォーラムで、新幹線の駅前整備について新大阪駅を例に出張者や観光客の多くが中心街に泊まると指摘。「利用者にとって新幹線駅は空港と同種の施設。駅前が『街の顔』になる必要はまったくない」と過度な期待や発展にくぎを刺した。(森健太郎)