2010年2月10日 (水) 掲載

◎函館市、北ふ頭の整備を国に要望

 函館市は、老朽化が著しい函館港北ふ頭(浅野町)の耐震整備に着手する方針を明らかにした。函館港港湾計画に基づき、2011年度の国直轄港湾整備事業として優先的に進める考え。市は以前から若松地区旅客船ふ頭の整備を国に要望してきたが、高速道路料金割引の影響などで青函航路の需要が高まり、北ふ頭を利用する事業者が船舶の大型化を計画している点などを踏まえ、方針を変更する。

 日に開かれた市議会経済建設委員会(佐々木信夫委員長)の委員協議会で、高橋良弘港湾空港部長が明らかにした。

 同ふ頭整備の背景には、2005年度から国に行ってきた若松ふ頭の整備要望が許可されない点に加え、国が直轄事業の重点配分に向け、現在103港ある重要港湾の中から「重点港湾」として約40港を絞り込むとする方針がある。市は今年1月に民主党などに対し、同ふ頭の整備とともに、函館港を重点港湾に加えるよう要望している。

 北ふ頭は現在、共栄運輸と北日本海運の2社が「青函フェリー」として青森―函館間航路を運航している。だが、フェリー専用の係留施設がなく、岸壁に船を縦付けしていることから横風の影響を受けやすく、海上保安部からはたびたび改善要請を受けているという。

 計画では北ふ頭の正面護岸に、L字型の岸壁を新設。水深6.5メートル、総延長190メートルとしてフェリーの大型化に対応するとともに、函館港唯一の耐震岸壁として防災機能強化につなげる。11年度に採択されれば、13年度から一部供用を開始する予定。

 青函航路は昨年3月から実施された高速道路の休日割引の影響で、利用する車両数が好調に推移。09年の同港全体での自動車利用は前年比3%増の40万3216台(速報値)、貨物量も同8.1%増の2403万8245トン(同)と増加傾向にある。

 青函フェリーも09年の船送車両数が同13%増と好調だが、共栄運輸の兵頭法史社長は「昨夏は満車状態が続き、目当ての便に乗れない車もあった」と話す。

 同社は数年後の船舶更新にあたり、需要増に対応するため現行の「はやぶさ」(1777トン、定員80人、搭載車数57台)を大型化し「新はやぶさ」(約3000トン、同200人、同100台)とする計画がある。兵頭社長は「青森―室蘭航路が廃止になったこともあり、青函航路への期待は大きい。需要に応えられるよう大型化に踏み切りたいが、現状の港ではこれ以上の大型化は不可能」と整備を訴えている。

 市は今後、北ふ頭整備の進ちょく状況を見極めながら、改めて若松ふ頭の整備も国に要望する。北ふ頭整備の採択可否は年末に、重点港湾選定については夏ごろに明らかになる見込み。(山田孝人)



◎歴風文化賞に「阿さ利本店」「物史証邸」「大村俊博邸」「函館山ロープウェイ」

 函館の歴史的風土を守る会(落合治彦会長)は9日、2009年度の「歴風文化賞」を発表した。保存建造物には「阿さ利本店(あさりほんてん)」(函館市宝来町10の11)と「物史証(ものふみ あかし)邸」(同栄町11の15)、再生保存建築物には「大村俊博(おおむら としひろ)邸」(北斗市本町66)、原風景には「函館山ロープウェイ」(函館市)の4件が選ばれた。表彰式は19日午後6時半から、函館市末広町の五島軒本店で開かれる。

 同賞は函館市内・近郊の歴史ある建造物などを後世に残そうと、1984年に創設され、今回が27回目。建造物の貴重性、持ち主の保存に対する努力、景観への寄与などを選考基準に同会会員が審議し決定した。

 阿さ利本店は34(昭和9)年に木造2階建ての店舗兼住宅として建てられた純和風の建築物。すき焼きと精肉の老舗の同店は、明治中期に青森県野辺地に建てられた別荘を移築。軸組に明治期のヒノキが使われ、現在も建物の狂いはほとんどない。市街地にありながら創建時の姿で大切に保存されていて、昭和初期の函館の店舗兼住宅の歴史を知る上で貴重な建物。

 物史証邸は36(昭和11)年に木造平屋の専用住宅として建築。外壁と玄関脇の応接間は洋風、他の6室は和室となっている。外壁はドイツ壁と呼ばれるモルタル仕上げで重厚な雰囲気。和室は欄間、床の間などが美しい姿をとどめ、四季折々に移り変わる中庭の景色を窓越しに楽しむことができる。明治中期に立てられた住宅に付属する瓦ぶきの蔵は、3回の大火に耐えて現在にその姿を伝える。

 大村俊博邸は34(昭和9)年に木造2階の住宅として建てられた純和風の建築物。2008年から09年にかけ外観、室内を創建当時の姿のままによみがえらせ、後世に伝える忠実な再現が行われた。下見板張りと漆喰(しっくい)塗りの外壁、細部の意匠などがしっかりと再生され、室内も居間と茶の間を囲む1枚ものの太いカツラの梁(はり)や欄間、建具、囲炉裏などから懐かしい雰囲気が漂っている。

 函館山の山ろくと山頂駅を結ぶ函館山ロープウェイは、1958(昭和33)年、31人乗りのゴンドラにより運転開始。半世紀以上にわたり函館山の四季折々の景色と一体になったロープウェイの姿は多くの人々に親しまれてきた。現在は125人乗りのゴンドラから多くの市民、観光客が3分間の空中散歩を楽しみ、美しい景色と夜景を堪能している。(小川俊之)



◎江差なべまつり 「るもい萌え鍋」が参戦

 【江差、留萌】20、21の両日に開かれる「第10回 冬江差“美味百彩”なべまつり」(江差観光コンベンション協会主催)に、留萌土木現業所や留萌支庁の職員有志で結成した「萌留(もえる)B級グルメ研究会」と、地元の郷土料理研究会「おいしんぼクラブ」(佐藤信子代表)が駆け付け、留萌産の農水産物を生かした鍋料理やシーフードカレーを出品する。

 2007年5月まで桧山支庁地域振興部主幹として勤務し、現在は留萌土現企画調整室長の郷康則さん(52)が仕掛け人となり、桧山と留萌の間で“食”を通じた交流の輪を広げることを目標に掲げている。

 郷さんは札幌の道庁を経て、昨年4月に留萌土現に転勤。着任直後の昨年5月には、土現や支庁職員と手を結び「留萌らしいベスト(BEST)なグルメ」を探究する“B級グルメ研究会”を立ち上げ、地元の農水産物を生かしたメニューを考案。市内のホテルなどでメニュー化が実現したものもあるという。

 なべまつりでは、地場産のエビをトマトを使ったスープで味付けした「るもい萌え鍋」を出品する。味付けは市内でレストランを経営する同クラブの佐藤代表が、道内で活躍するフード・ディレクターの貫田桂一シェフと共同開発した「オロロンラーメン」がヒントになった。

 研究会メンバーの「スープは鍋料理にも合う」との声を受けてメニュー化した。今年に入って市内で開いた試食会では「参加者にはとても好評だった。桧山の皆さんにも味わってもらうことができれば」(郷さん)。当日は留萌産の海産物をふんだんに使った「オロロンカレー」もPRするという。

 転勤後も、江差追分全国大会への出場など、桧山とのきずなを大切にする郷さんは「転勤族として全道で勤務する道職員が地域を結ぶ懸け橋になれれば。桧山と留萌は同じ日本海に面した地域。食文化を通じて、地域を愛する住民同士の交流を盛り上げていきたい」と語る。

 なべまつりは、町内の旧生涯学習センター体育館(本町271)で開催。クジラ汁やゴッコ汁など約40種類の鍋料理を1杯300円で提供する。20日は午後4時から7時、21日は午前11時から午後2時まで。問い合わせは同協会TEL0139-52-4815へ。(松浦 純)


◎「来年 磨光小との統合を」木直小PTA、市教委に要望

 函館木直小学校(野呂孝俊校長、児童60人)のPTA(小田原一二三会長)は9日、函館市教委に対し、隣の磨光小学校(須藤由司校長、児童137人)と来年4月に統合するよう要望した。児童数減少に伴う教育環境の悪化が懸念されることを理由に挙げており、通学用スクールバスの運行なども求めた。これを受け、多賀谷智教育長は前向きに検討する考えを示した。

 木直小は1881(明治14)年開設。旧南茅部町時代の1960(昭和35)年には児童数約430人を数えたが、過疎化や少子化の影響で年々児童が減少、本年度からは2、3年生が複式学級となっている。

 市教委や同小PTAによると、昨年3月に市教委が小中学校再編に関する指針を策定し、南茅部地区で説明した際に統合の話が持ち上がったという。PTAは昨年12月、両校統合に関して未就学児童の保護者も含めた意識調査を行ったほか、今年1月にはアンケート調査を実施、約9割の保護者が賛同した。この結果を踏まえ、今月2日に開いた保護者会で統合への意思を確認した。

 PTAは多賀谷教育長に要望書を提出。磨光小児童が中心となっている野球、サッカーなどの少年団活動に木直小児童も多数参加し、保護者の送迎が負担となっている実態などを説明。少年団活動に対応するスクールバスの運行を求めた。多賀谷教育長は「子どもの選択の幅が広がる統合が望ましい。十分尊重しながら進めたい」と述べた。

 小田原会長は「南茅部町時代(04年)に尾札部保育園と木直保育園が統合したころから、次は小学校が対象になるとの意識があった。PTA内部では統合を進めていこうという機運は以前からあった」と話している。

 学校を統合する場合、市教委は第三者機関の学校教育審議会への諮問と答申が必要となる。(千葉卓陽)


◎プロの技 目の前で 桐花中で宮大工菊池さん実演

 函館桐花中学校(阿部憲司校長、生徒351人)で9日、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演した宮大工、菊池恭二さん(57)=岩手在住=が講演した。2年生100人に「仕事は人のまねをして覚えるもの。そのうち自分なりの考えが持ち味や技術になる」と働く心構えを語った。

 道の「ものづくりの楽しさを伝える北の匠(たくみ)派遣事業」の一環として道内で唯一実施した。菊池さんは15歳で大工の道に入り、21歳で法隆寺宮大工棟梁に弟子入り。宮大工となって80以上の寺社を建立・修復し、国の特別史跡の修復にも携わり、国の「現代の名工」に選ばれた。

 講演は職業体験学習の一環として実施。菊池さんはまず、江戸時代まで使われた古代の工具「やりかんな」を使ってヒノキを削る実演を披露。阿部校長や生徒3人も挑戦し、難しさを実感した。

 続いて菊池さんは大工を志した経緯を「技能を持てばどこでも食えるという理由で父が勧めた」と説明。掃除や簡単な作業に励んだ当初を振り返り、「痛い思いをして仕事を覚えるのはどの職業でも同じ。仕事を覚える中で分からない部分を忘れないのが大事」と話した。40年間大工として働き続けた今の心境を「大工になって良かった。若い時の仕事が残っているのはものづくりの喜び」と語った。(新目七恵)