2010年2月25日 (木) 掲載

◎稜北高3年池田ひとみさん、“生きた証し”に「特別校長賞」

 函館稜北高3年の池田ひとみさんが昨年5月15日、がんのため死去した。18歳だった。骨肉腫で右足を失っても決してめげず、闘病しながら学業や部活、修学旅行など学校生活を明るく、前向きに過ごした。彼女の“生きた証し”を残そうと同高は3月1日の卒業式に両親を招き、池田さんへの「特別校長賞」を手渡す。

 池田さんが発病したのは2006年4月の入学直後。体育の時間に走れないほど関節の痛みを訴え、骨肉腫と判明し、6月には入院のため休学した。人工関節を入れリハビリし、翌07年に再び1年生として通い始めたが、9月に転移が分かり入退院を繰り返した。08年6月には右足を切断。2年生修了間近の09年2月末、さらに転移し闘病生活を続けていたが、5月、函館市内の病院で息を引き取った。

 担任の田中まゆみ教諭(52)が「病気のそぶりは見せず周囲の生徒を明るくさせる子」と話す通り、いつも友達に囲まれていた。「病欠が多い分授業も大変だったと思うが、入院先で勉強するなど努力で補っていた」という。

 退院数日後には登校し、吹奏楽局の練習にも必ず顔を出した。顧問の佐々木幸治さん(59)は「面倒見が良く、仲間のまとめ役だった」と語る。足の切断手術後の08年10月には、野球の新人戦全道大会の応援演奏のため札幌に足を運び、同月末には義足をはいて修学旅行にも参加した。

 池田さんは入院を機に管理栄養士の夢を抱き、市内の病院でインターンシップも体験。同級生の女子生徒(18)は「人一倍努力し、文句一つ言わない。人の役に立つ行動をするすごい友達」と振り返り、「私も栄養士を目指している。ひとみが果たせなかった夢をかなえたい」と話している。

 同高は葬儀後、両親からの寄付金を活用して図書室に特設コーナーを設置。彼女の愛読書などを並べ、好きだった花にちなみ「ひまわりBOOKS」と名付けた。竹内和男校長は「一生懸命頑張った彼女の足跡を残したい」と話す。

 父の博喜さん(61)は「多くの人の世話になって生きていることを感じた。本人も感謝しながら生きた」とし、母の祥子さん(53)は「皆が認めてくれたことがうれしい」と話している。(新目七恵)



◎道教大の佐々木教授、「日蓮と一遍」出版

 道教育大函館校の佐々木馨教授(63)=日本中世宗教史=が、15冊目の単著となる「日蓮と一遍―予言と遊行の鎌倉新仏教者」を山川出版社から出版した。13世紀後半の蒙古襲来という未曾有の国難に、仏教者の日蓮と一遍がどう対応し、生きたかを解説。日清、日露、太平洋戦争へと突き進んだ20世紀と、蒙古を破った「神風」「神国思想」の関係を詳述している。

 「人を通して時代をよむ」をキーワードに同出版社が高校生以上の一般向けに全100巻を企画。昨秋の「卑弥呼と台与」「坂本龍馬」などに続き3回目の配本。

 日蓮(1222―82年)については、鎌倉幕府に上呈した「立正安国論」の中で日本が外国から侵略されることを予言。しかし、日蓮は幕府の反体制者として佐渡に流罪となり、予言通り蒙古が襲来する。日蓮は、自身がよって立つ「法華経」を幕府が軽視したための惨事であるとした。

 ただ、日蓮は国家や他の仏教各宗を批判しても、平和主義者であったと佐々木教授は語る。「蒙古襲来という時代に生き、法華経の行者としての信仰と実践の中に心の平和を主張した」。

 一遍(1239―89年)は体制でも反体制でもない「超体制仏教者」で、伊予国(愛媛県)の武士出身であることから、蒙古襲来の情報は知りえる立場にあったとみる。しかし、一遍は蒙古襲来前に九州を訪れても、襲来後は決して訪れていないことに注目。「平和主義者で戦争嫌いの一遍は、戦争の悲しさを忘れるために遊行僧(ゆぎょうそう)として狂うように踊り念仏をしたのではないか」とみる。

 佐々木教授は「日蓮、一遍とも戦を回避して安穏の世界を望んだ。21世紀の戦争と平和を考える一助になれば」と話している。

 A5変形判、94ページ、840円。問い合わせは最寄りの書店へ。(高柳 謙)



◎函館圏タクシー特定地域協 減車の数値目標は盛らず

 タクシー台数の供給過剰解消策を検討する「函館交通圏タクシー特定地域協議会」の第2回会合が24日、函館ハイヤー会館(函館市亀田町)で開かれ、需要喚起や労働条件の改善に向けた地域計画の素案が示された。焦点の減車については、その必要性、方向性で合意したが、具体的な数値目標は盛り込まれなかった。

 協議会は昨年10月施行のタクシー事業適正化・活性化特措法で函館(旧南茅部町を除く)、北斗両市、七飯町の同交通圏が供給過剰で改善策が必要な「特定地域」に指定されたことを受け、昨年12月に発足。この日は事業者や行政機関、労組など12機関の委員13人が出席した。

 会合は非公開で行われ、函館運輸支局によると、席上で輸送人員の減少や車両数の増加、労働環境の悪化など管内タクシー業界の厳しい現状を説明。ただ、減車については事業者間で数値を決めると独禁法に抵触する恐れがあり、「関係者は供給過剰な状態の解消に努めるべきだ」との表現にとどまった。

 函館交通圏の法人タクシー台数は昨年9月末現在で953台。同支局は昨年の初会合で、実車率30―35%の場合、適性台数は現在より2、3割少ない669―780台とする試算を示し、今回の素案にも盛り込んだ。今後の減車は各事業者の自主判断に委ねられ、強制力もないため、実現性は不透明だ。

 このほか、素案では公共交通機関としてのタクシーの役割を再確認し、新たな需要喚起策としてバリアフリーの車両導入などで高齢者や障害者が利用しやすいサービス向上を図ることなどを明示した。地域計画は3月下旬の3回目の会合で承認、決定される見通し。(森健太郎)


◎函館市議会定例会26日に開会

 函館市議会の議会運営委員会(松尾正寿委員長)が24日開かれ、市の新年度予算案などを審議する第1回定例会の日程を26日開会、会期を3月26日までの29日間とすることを決めた。

 初日に西尾正範市長が市政執行方針、多賀谷智教育長が教育行政執行方針を述べる。委員11人による予算特別委員会を設置し、2010年度各会計予算案などを審議する。

 定例会への提出議案は、雇用・経済対策や西尾市長の公約などを盛り込んだ総額1275億円の一般会計予算案をはじめ、特別職「理事」の廃止や交通局長を一般職の部長職とする条例改正案など68件。5会派の代表質問を3月3、4日に実施、引き続き10日まで19人が個人質問を行う。常任委員会は同12日。

 予算特別委員会は17―19日と23日の計4日間開く。委員は新生クラブと民主・市民ネットが各3人、市民クラブと公明党が各2人、共産党が1人。

 議運委ではこのほか、市と韓国・高陽(コヤン)市との姉妹都市提携に関する決議案を提出することを決定。昨年12月の定例会で阿部善一氏(民主・市民ネット)が一般質問を取り下げたことに関し、阿部氏や会派に謝罪を求める内容の陳情を同委員会に付託することも決めた。(千葉卓陽)

 


◎【企画・わたし学びますB本間淳一さん】分かる喜び 一人でも多く

 「グットモーニング ミスター グリーン」「ハウ アー ユー?」―。

 2月上旬に行われた民間運営の自主夜間中学「函館遠友塾」(今西隆人代表)の英語の時間。CDから聞こえる声に合わせて、50人の大人たちが繰り返す。流ちょうな発音の人もいれば、片言で恥ずかしげな人も。手にしているのは中学校の教科書だ。

 「何度でも聞かせるよ」と声を掛けるのは元教員の本間淳一さん(63)。「カタカナ英語より、もうちょっと格好良く言ってみよう」。冗談を交えて塾生を盛り上げる。授業案は練りに練り、さりげなく教える。36年間の教員生活で培った流儀を、ここでも実践している。

 ◆3期生として入学した函館ラ・サール高校で、熱意あふれる教師の姿に刺激を受けた。「学校の先生になろう」。そう考えていた高3の秋、大学出願のために健康診断を受けたら結核と診断され、即入院した。当時「国民病」ともいわれた大病に「何を考えたらいいかわからなかった」と振り返る。病院と自宅で2年間の療養生活を送り、20歳で道教大函館校に進んだ。卒業後、教員になり、八雲町の山越小を皮切りに道南の9校に赴任した。特に30代前後、函館亀田小や旭岡小では先輩教員とともに指導技術を磨いた。木古内町鶴岡小で校長を務め、2007年3月に定年退職した。

 退職後、函館市東川児童館館長として勤める中で遠友塾の開校を知り、「今までのノウハウが役立てば」と申し込んだ。楽しかった現役時代の思い出が背中を押した。

 いざ始まり、集まった塾生の多さに驚いた。「年長者はお袋と同じ年。よく頑張るな、えらいと感心した」という。

 専門は社会科だが、人数不足の英語科に回った。それが苦労の始まりだった。

 国、数、社、理。他の4教科に比べ、英語は抵抗感のある塾生が多い。アルファベットが初めての人も少なくなかった。「ゼロからの発進。授業は大変さは半端でない」と笑う。

 授業を担当し始めた昨年6月、ローマ字で名前や住所を書くことから始めた。「これさえできれば外国で行き倒れになっても大丈夫」。苦手な人も楽しめるよう、ユーモアを織り交ぜてゆっくり進める。

 「最初に分からないのは子どもも大人も当たり前。どう教えるかが学校の先生の役目」。教員になりたての当時は1クラス45人だった。50人の塾生を見渡す余裕はちゃんとある。

 12月、塾生に初めて教科書が配られた。「うれしい」「欲しかったの」。真新しい教科書を大事そうに抱える塾生の姿が胸に残った。「条件さえ整えばいくつになっても学習の成果は出る」

 新年度は社会科も担当しようと考えている。1人でも多くの人に「分かる喜び」を感じてもらいたいから。(新目七恵)