2010年3月1日 (月) 掲載

◎北斗市長に高谷氏

 【北斗】任期満了に伴う北斗市長選挙は28日、投票が行われ、即日開票の結果、無所属の新人で、前副市長の高谷寿峰氏(58)が1万4959票を獲得し、初当選を果たした。無所属の新人で前市議の山本正宏氏(65)に圧勝した。旧上磯町地域にとっては35年ぶりの新しい首長誕生となる。投票率は60・65%で、2006年の前回選挙と比べ8・16ポイント下回った。

 旧上磯町時代も含め9期35年にわたり首長を務めた現職の海老沢順三氏(78)が昨年11月、今期限りでの引退を表明。06年の合併による市誕生から2度目の選挙は、海老沢氏から後継指名を受けて市政の継承、発展を掲げた高谷氏と、市政刷新を訴えた山本氏の新人同士による一騎打ちとなった。

 高谷氏は市役所OBや出身校の大野農業高の同窓生らで後援会組織を立ち上げた。市職労や企業など約90団体から推薦を受け、手堅く組織票を固めたほか、25人の市議の半数以上が支援に回り、優位に選挙戦を展開した。

 「合併後、海老沢氏が築いた市政の基盤をさらに発展させることができるかが問われる選挙だ」と主張。基幹産業の農業、漁業と商工業のバランスのとれた田園工業都市を将来像に掲げ、子供医療費の無料化の高校生までの拡大や本町商店街地区を対象にした新規開業補助制度の創設などを公約に掲げた。

 市職員、副市長として約40年の行政経験を訴えたほか、健全財政で安定した市政運営を行ってきた海老沢氏の知名度、功績をアピールしながら支持の拡大を図った。

 山本氏は前回選挙の後援会を基盤に、組織や団体に頼らない「草の根選挙」を展開。北海道新幹線を見据え、市を軸とした観光拠点都市構想を掲げ、一次産業のブランド化やごみの分別の簡素化、児童手当の助成などを公約に掲げた。

 「流れを変えよう」をスローガンに旧上磯町時代から続く海老沢氏の長期政権を批判し、批判票の取り込みを図ったが、浸透せず、8572票にとどまった。

 当日有権者数は3万9175人(男性1万8223人、女性2万952人)。期日前投票は3623人だった。(市長選挙取材班)



◎チリ大地震で津波警報 道南3市町で一時避難勧告

 日本時間27日にチリ中部沿岸で発生した大地震の影響で28日午前、道南の太平洋沿岸部に津波警報が発令された。函館港でも午後6時26分に50センチが観測され、自治体や住民に緊張が走った。函館市のほか北斗市、鹿部町で避難勧告が出されたが、午後9時13分に津波警報が注意報に切り替わったのを受け、3市町は避難勧告を解除した。

 函館市は午後零時に海岸部の2万2831世帯、約4万5000人に対し避難勧告を発令。ホテル4カ所を含む34カ所に避難所を設けて対応し、午後2時半の段階で327人が避難した。市消防本部のほか警察など計37台の車両が避難を呼びかけたり、海面監視に当たった。

 北斗市では午前9時40分に1850世帯、約4100人に対し避難勧告が出された。28カ所の避難所中13カ所は、この日行われた市長選挙の投票所と同じ建物のため、投票を終えた市民がそのまま避難所にとどまる姿も目立った。同市によると、避難所を利用したのは91人だった。

 鹿部町では午後零時50分に657世帯、1920人に避難勧告が出され、2カ所に61人が避難した。このほか木古内、知内、八雲、長万部の各町で計110人が自主避難した。

 漁業者も警戒を強め、椴法華港では午後零時すぎ、船が陸に打ち上げられるのを避けるため、漁船約40隻が沖合に避難した。

 またJR北海道は午後10時現在、函館発着の特急スーパー北斗など、全道で合わせて177本を運休または部分運休するなど、交通機関にも大きな乱れが生じた。



◎津波警報に住民緊張

 「海に近寄らないで」―。チリ中部沿岸で発生した大地震のため28日、津波警報や注意報が発令された道南では、自治体や関係機関が住民に避難や注意を呼びかけた。奥尻町だけで200人を超す津波犠牲者を出した1993年の北海道南西沖地震での悪夢が脳裏をかすめ、テレビ情報にくぎ付けとなった住民も多かった。

 旧4町村地区を中心に一時327人が避難した函館市。避難所のうち、最も東側の椴法華総合センターは午前9時50分ごろから開放され、集まってきた住民が津波情報を伝えるテレビに見入った。坂本文江さん(79)は「家の前がすぐ海なので怖くて避難した」。

 漁業者も警戒を強めた。戸井地区の瀬田来町に住む長谷川正章さん(75)はタコ漁用の磯船を陸揚げし「油断できない」と深刻な表情で話した。汐首漁港で開かれた「お魚感謝Day」では、午前10時の開会式で主催者の戸井漁協が津波警報の発令を来場者に伝え、「買い求めた後はできるだけ早く帰って、海に近寄らないで」と呼び掛けた。

 市内のベイエリアでは日曜日とあって多くの観光客が訪れたが、周辺の観光施設は万が一に備え、午後2時までに相次いで営業を終了。入り口に土のうを積む姿が見られたほか、消防や警察に促されて海岸沿いから離れる人も目立った。青森県から観光で訪れた女性(33)は「地震は知っていたが、ニュースは詳しく見ていなかった」と話し、せっかくの旅行に水を差されたことを残念がった。

 北斗市の七重浜住民センターに夫とともに避難した女性(79)は「夫が病気のためすぐには逃げられないため、大事を取って避難した」と語った。

 JR函館駅は列車の運休が始まった正午過ぎから、指定席の変更や翌日の列車の切符を買い求める人たちでごった返し、職員に説明を求める客も相次いだ。親族の結婚式のため訪れていた札幌市の女性(62)は「特急の時間を変更したが、キャンセルして高速バスで帰る。天災ばかりは仕方がない」とあきらめ顔で話した。

 森町赤井川のグリーンピア大沼で開かれた綱引き大会では、同町の消防署員などが出場を予定していたが、警報を受けて取りやめた。

 桧山沿岸の日本海では津波注意報が発令され、桧山支庁では防災担当の職員が庁舎に待機して、管内7町の情報収集に当たった。上ノ国町は全世帯に設置している防災行政無線で注意を呼び掛けた。江差町では町の防災スピーカーで「今後の情報に注意してください」との放送をした。


◎「勇気もらった」…100人が「アキラ」コール 佐々木選手男子回転18位

 【北斗】「アキラ!アキラ!アキラ!」―。バンクーバー五輪アルペンスキー男子回転、佐々木明選手を応援するパブリックビューイング(スクリーン観戦)は27日夜から28日早朝まで続き、約100人のアキラコールが巻き起こった。市民の期待を一身に背負い3度目の五輪に挑戦した“道南の雄”に、熱い声援と温かい拍手が送られた。

 2本目が始まる直前に佐々木選手の祖母2人が、会場の市スポーツセンターに到着。日の丸の旗を振り、目を細めて見守った。佐々木タマさん(86)は「どきどきしたけど、無事に頑張りましたね。ゴールしてよかった」とにっこり。田辺カヨさん(90)も「ほっとした。ご苦労さま。楽しませてくれてありがとう」と感謝していた。

 レース終了後、佐々木選手の兄・智明さん(37)の妻・敬子さん(39)の携帯電話に現地で観戦した父・悦郎さん(61)から「いい滑りだった。集中してよく頑張っていた」と連絡が入ったという。

 小学1年から4年まで佐々木選手が所属していた大野ジュニアレーシングチームでコーチとして指導した松本俊さん(67)は、鉢巻きをつけるなど気合を入れて応援した。「結果は残念だったが、完走してくれたことにありがとうと言いたい。また4年後の五輪も目指してほしい」、後援会事務局長の三澤功一さん(61)も「2本ともに完走したのでよかった。よくここまで頑張った。少しは応援が届いたと思う」とねぎらった。

 子どもたちも必死に声を出し続け、スクリーンに映し出された姿を目に焼き付けた。全国中学スキー大会に出場するなど、アキラトップチームに所属して活躍している富田悠紀さん(遺愛女子中2年)は「ガンガン攻める滑りを見て、自分も頑張らなければという気持ちになった。勇気ももらった」と感激。同チームの古明地綾音さん(附属小4年)は「滑っている姿がすごくかっこよかった。私もオリンピックに出られるように、たくさん練習したい」と興奮した様子だった。(小林省悟、後藤 真)