2010年3月22日 (月) 掲載

◎七飯町長に中宮氏再選

 【七飯】任期満了に伴う七飯町長選は21日、投票が行われ、即日開票の結果、無所属で現職の中宮安一氏(55)が無所属の新人で元町職員の石田広紀氏(61)を小差で破り、2選を果たした。投票率は67.29%で、2006年の前回選挙より0.34ポイント上回った。

 中宮氏が8013票、石田氏が7749票。

 現職対新人の一騎打ちは2002年以来8年ぶり。元町職員同士の争いとなった選挙戦は、大沼の観光振興や5年後に開業する北海道新幹線を見据えたまちづくりなど将来ビジョンを問うとともに、中宮町政1期4年の審判を仰ぐ戦いとなった。

 中宮氏は昨年9月の町議会定例会で出馬表明。1期目からの後援会組織を基盤に、連合渡島や企業など約30団体の推薦を受けたほか、町議のほぼ半数が支持した。町内会連合会や老人クラブなど地域団体の幹部が後援会の役員を務め、支持層を広げた。

 選挙戦では「住みたいまち住み続けたいまち七飯町」をスローガンに、子育て支援を政策の要に据え、1期目の充実、発展を訴えた。まちづくり基本条例の制定や中学生までの子ども医療費無料化など、健全財政を堅持しながら実現させた1期目の実績を強調。2期目は子育て支援センターを本町、大沼地区に設置するほか、民間資金を活用した図書館整備、一層の農業振興などに努めるとした。

 石田氏は昨年10月、中学校の同窓生や知人を中心に後援会を設立し、出馬表明した。特定の政党、団体の推薦を受けない「草の根」運動を展開し、選挙戦では「七飯で働き、七飯で暮らす」を合言葉に、情報公開を進めた透明性の高い町政実現を訴えた。高校までの医療費無料化や企業誘致の推進による雇用拡大、町長公用車の廃止などを政策に掲げたが、あと一歩及ばなかった。

 当日有権者数は2万3594人(男性1万682人、女性1万2912人)。期日前投票は2373人だった。 (鈴木 潤)



◎春の嵐が連休直撃 強風で屋根や交通機関に影響

 急速に発達した低気圧が通過した影響で、道南では21日、日本海側を中心に風速20bを超す強風が吹き荒れるなど大荒れの天気となった。函館市内では民家のトタン屋根がはがれる被害が出たほか、函館と各地を結ぶ交通機関も乱れた。

 函館海洋気象台によると、道南では午前中を中心に暴風に見舞われ、同日午後4時までの各地の最大瞬間風速は、奥尻30.9メートル、江差30.8メートル、函館26.2メートル。午後からは冬型の気圧配置が強まり、吹雪となった地域もあった。

 函館市によると、市内では同日早朝から正午までに民家のトタン屋根が飛ぶなどの報告が24件寄せられた。湯川町1では電柱が傾いたほか、戸井地区の浜町では隣家から飛んできたトタン屋根で民家のガラスが割れる被害もあった。市内でけが人などは確認されていない。

 空の便では、日本航空(JAL)と北海道国際航空(エア・ドゥ)の函館―羽田間がそれぞれ1往復2便欠航し、約600人に影響。北海道エアシステム(HAC)の函館―丘珠便も丘珠の強風で函館を離陸後に引き返すなどして1往復2便が欠航し、約30人に影響した。

 函館空港では、カウンターで手続きを待つ人らで混雑した。連休中に市内の親類宅を訪れ、東京に帰る途中の男性は「天気に文句を言っても仕方がないが、キャンセル待ちも疲れた。あしたの便を待つしかない」とあきらめ顔だった。

 JRは、函館と札幌を結ぶ特急北斗とスーパー北斗の計4本に最大1時間10分の遅れ。函館と八戸を結ぶスーパー白鳥も2本が運休し、ほかの便でも30分ほどの遅れが出た。フェリーは、江差―奥尻間の全2便、函館―大間間の3便、函館―青森間の2便がしけのため欠航し、合わせて約170人に影響した。

 函館山ロープウェイは同日午前10時の始発便から運行を一時取りやめ、午後2時50分から通常営業を始めた。同社は「20日も強風で最終便の時間を繰り上げた。3連休の集客を見込んでいただけに残念」と話していた。



◎夜景がテーマの「はこだて娘」も 来月初開催「すし祭」

 函館鮨同業会(豊田隆夫会長)が4月18日に函館国際ホテルで初開催する「函館すし祭」では、函館夜景が題材の巻きずし「はこだて娘」も登場する。食べ放題に、逸品に合う日本酒などをそろえ、同鮨同業会は祭典の成功に向けて意気込んでいる。

 ホクレン函館支所や函館米穀なども全面的に協力。年々人気の道南産米「函館育ちふっくりんこ」をしゃりに使用する。

 彩りも美しい「はこだて娘」は、イカ、サーモン、カニを巻く同鮨同業会独自の巻きずし。イクラも輝き、「当日は名脇役として期待している」と同会は胸を張る。

 豊田会長(66)は「『魚』『コメ』『酒』と北海道は食の宝庫。不景気で、みんな大変だがいまこそ結束が必要」と語り、「正直、利益は度外視だが、大盤振る舞いで日ごろの感謝を伝えたい。これで少しでもまちが元気になればいい」。

 チケットは昼の部(正午―午後2時)3500円、夜の部(同6時―同8時)は5000円で各200枚。豪華景品の抽選会も行われる。販売先は「鶴寿司」(柏木町)、「すし屋のよいしょ」(桔梗)、「祐鮨本店」(宝来町)、棒二森屋、函館米穀、「山松 前鮮魚店」「佐藤商店」(ともに自由市場)、函館国際ホテルなど。

 問い合わせは豊田会長(鶴寿司)TEL0138-55-6677、齊藤範明さん(すし屋のよいしょ)TEL同47-1420。(田中陽介)


◎函館大火 風化させぬ 77回忌慰霊法要

 函館大火殉難者77回忌慰霊法要(函館市仏教会主催)が21日、函館大火慰霊堂(大森町33)で行われた。犠牲者の遺族や大火経験者、消防署員、市職員ら計53人が参列。読経と焼香で犠牲者の冥福を祈るとともに、歴史的な惨事を後世に伝え、防火・防災に努める決意を新たにした。

 函館大火は、1934(昭和9)年3月21日午後6時53分に、市内住吉町から出火。最大瞬間風速30メートル以上の猛烈な風で、すぐさま火は広がり、当時の市内の3分の1を焼き尽くした。

 翌22日午前6時ごろに鎮火したものの、死者2166人、行方不明者662人、負傷者9485人を出す惨劇となった。死者のうち身元不明は679人に上り、無縁仏として函館大火慰霊堂に納骨されている。

 法要では市仏教会の僧侶が読経する中、参列者が焼香。犠牲者への思いを胸に、手を合わせた。会場には、大火直後撮影の写真も。函館駅前付近の焼け跡、焼け落ちた大森橋、避難先・安否の掲示場となった交番…。惨事に見舞われた市民の姿が時を経て、教訓となり、未来に生きる人々に防火の心構えを伝えた。

 9歳のときに旭町で被災し、母親を亡くした高盛町在住の近藤幸治さん(86)は「けさの強い風はあのときとそっくりで、大火を思い出し、何とも言えない気持ちになった。亡くなったみんなの冥福をこれからも祈りたい」と涙で話していた。

 法要後に予定されていた、市消防本部や消防団員、地域住民(町会)による火災消防訓練は、荒天のため中止となった。

 函館大火慰霊堂は、大火発生年の9月21日、全国からの義援金で現在地に仮堂を建立。翌年3月21日に市主催の「焼死者慰霊祭」が開かれ、38年9月に現在の慰霊堂(鉄筋コンクリート造り)が建立された。


◎市交通局展示披露会 超低床電車に興味津々

 函館市交通局は21日、超低床電車「9602号車」の展示披露会を駒場町の駒場車庫構内で開いた。市民ら約100人が来場し、初めて一般に公開された真新しい車両内部を興味深そうに見学した。25日から営業運行する。

 「9602号車」は交通局が3年ぶりに導入した超低床電車で、現行のらっくる号と同型。障害者だけでなく、幼児から高齢者までが利用しやすいユニバーサルデザインが特徴だ。

 参加者は同車庫構内に留置された同車両の中に入り、いすに座って内部を眺めたり運行中は触れない機材に触れたりしたほか、車内や外観をバックに記念撮影をするなどして思い思いに楽しんでいた。車内に常駐していた係員の機材説明にも、多くの参加者が集まった。また会場で特別販売された、同車両仕様のぜんまい式ミニカーはほぼ完売するなど人気を集めていた。

 市内に住む祖母と来場した岩谷駿来君(9)は「とてもおもしろかった。運転席の機材がかっこいいと思った」と目を輝かせ、妹の茉宥さん(4)は「電車がもっと好きになった」と笑顔で話していた。(山田孝人)