2010年3月28日 (日) 掲載

◎マグロ豊漁安全祈願…はえ縄漁業船団

 函館市戸井地区などの漁業者で組織する津軽海峡マグロはえ縄漁業船団(海津千代勝総船団長)は27日、函館市梁川町16の道了寺(武山正温住職)でマグロ供養祭と海上安全、大漁祈願祭を行った。37の漁船に乗る82人が参加し、豊漁、安全を祈った。

 毎年の恒例行事で、今年から湯川町の善宝寺から同寺に本尊薬師如来と、海の神である竜王尊を移し、新たに行われた。武山住職がマグロ供養の祈りをささげた後、船員1人1人が、祭壇に上がり、手を合わせて供養を行った。その後、武山住職が37の船名と船長、乗組員の名前を読みあげ、海上安全と大漁を祈願した。

 海津総船団長は「海上の安全がなければ、漁を続けることはできない。何よりも安全が大切」と強調し、「気持ちを込めて大漁を祈願した」と語った。

 また、25日に閉幕したカタールのドーハで行われていたワシントン条約締約国会議でクロマグロの国際取引禁止が否決されたことについて、「直接的な影響はない」としたうえで、「年々クロマグロの漁獲量が減ってきているのは事実。少ない資源を、どう生かしていくかを考えていかなくては」と話していた。 (黒田 寛)



◎支庁の名前 113年で幕…1日に改正条例施行 「振興局」に

 【江差】4月1日の改正支庁再編条例施行に伴い、渡島支庁は渡島総合振興局、桧山支庁は桧山振興局に名称を変更する。支庁制度が発足した1897年から113年にわたり親しまれた“支庁”の名前が31日で消える。両管内では条例や規則の改正、支庁の名称を冠した団体の名称変更などの作業も本格化する。

 道内では1897年、郡ごとに置かれた郡役所に代わり支庁を設置。道南は函館、亀田、松前の3支庁と桧山支庁が置かれた。函館支庁は、亀田・松前支庁を吸収。道内で市制が施行された1922年には14支庁体制が成立。函館支庁は渡島支庁に改称した。戦後の地方自治法施行後も支庁に名称は引き継がれ、両支庁の所管区域に大きな変化はないが、2005年には八雲町と熊石町が支庁界を超えて合併。旧熊石町を境に、桧山管内は南北に分断された。

 支庁再編に伴い現在の14支庁は、9総合振興局と5振興局になる。08年6月成立の支庁再編条例は、地方自治法上の位置付けを総合振興局を支庁、振興局は支庁出張所に格下げしたが、振興局地域の反発は収まらず、09年3月の条例改正で両局とも支庁の位置付けに戻した。法的には両局は対等だが、組織や権限をめぐる格差が生じたことに桧山・日高地域が反発。大きな火種を残したままだ。

 支庁の名称変更に伴い、渡島・桧山両支庁は、31日までに看板や道路標識などの変更作業を進める。道南18市町でも条例や規則を書き換えなければならない。条例は改正案を議会に提案しなければならない。同様の作業は郵政民営化以来だ。桧山のある町は「変更個所は数百項目。例規集などの書き換えは百万円単位の出費だ。誰のための改革なのか」と首をかしげる。桧山には町村会や議長会など“支庁”の名称を冠した4つの団体があるが「名称変更は今後協議する」(事務局)。同様に民間の企業や団体も約款などの変更が必要だ。また、気象庁は、天気予報、地震や津波情報の地域区分として使用する「渡島支庁」「桧山支庁」などの名称を4月以降は「渡島地方」「桧山地方」に変更。支庁再編で留萌管内幌延町は宗谷管内に移るため、発表区域も宗谷地方に変更する。(松浦 純)



◎新入社員 決意新たに…中小企業13社合同入社式

 道中小企業家同友会函館支部(会員477社)主催の「2010年合同入社式・新入社員研修会」が27日、函館市梁川町のホテルテトラで開催された。運送業や建設業、ホテル業などの13社に入社する23人が参加。出席者を代表し、美容室を展開するアイズで美容師となる井上琴美さん(20)が「1日も早く仕事を覚え、会社や社会のために頑張ります」と決意表明した。

 毎年実施している。近年の参加人数は、04年の64人(19社)以降減少傾向にあり、ことしは前年と比べ参加企業数は同数だったものの、人数は4人少ない。同支部の林洋一支部長は「みなさんの記憶や歴史に刻まれる就職氷河期だった」と厳しい就職状況を振り返り、「会社で大切なのは会話。初心を忘れず、互いに顔を向き合い、意志を伝え、確認して」と述べた。

 紹介で一人一人の社名と名前が呼ばれると、新入社員は「はい!」と元気よく返事をして立ち上がり、「よろしくお願いします」と、出席した事業主らに深々と頭を下げた。

 激励に駆け付けた06年入社の先輩・太田友弘さん(昭和製菓)は「夢や希望を持って仕事に取り組むとチャンスが訪れる」などとアドバイス。このほか「報告・連絡・相談は必ずしよう」と題した講演や、執務姿勢とビジネス電話について学ぶ研修会が行われた。(小泉まや)


◎タイの若手作家・ウティットさん講演

 タイの現代文学若手作家、ウティット・ヘーマムーンさんの講演会が27日、函館市大森町のサン・リフレ函館で行われた。全国4カ所をめぐる第19回開高健記念アジア作家講演会の最終会場。ウティットさんは「(芸術への)空腹感が原動力になり、創作の満足感に導いてくれた」と芸術や文学への思いを語った。

 講演会は国際交流基金が主催。1989年に亡くなった作家、開高健の遺族の志をもとに90年から始まり、毎年アジアの文学関係者を日本に招いている。ウティットさんは芸術大で絵画を学び、映画や音楽制作を経て2009年に発表した3作目の長編小説「ラップレー、ケンコーイ」が東南アジア文学賞を受賞した。

 講演でウティットさんは生い立ちを振り返り、安定した生活より文学を追究する信念を語った。「芸術を学ぶものは脇見せず道を切り開くべき。己を見詰め、極め、打ち勝つことだけが芸術を極める方法」とし、「執筆活動を続けることは野生動物と親しくなるようなもの。対象によって一定の距離を持つなど細心の注意が必要だ」と持論を展開した。

 最後に「たとえどんなにタイで文学を占める場所が小さく、作家の評価が低くなり、読者の関心が薄くなっても困難を乗り越えるだけのこと。いつか私の作品の心に触れ、理解してくれる人がいれば満足だ」とまとめた。

 会場に集まった市民らはメモを取るなどして、興味深そうに講演に聞き入っていた。(新目七恵)


◎企画「ACTION!北海道新幹線」/第一部・青森はいまD「日常生活」観光資源に

 新幹線駅開業に当たり八戸市は、特別な制度を設けた商業・観光支援は行わなかった。既存の助成制度を最大限活用し、商店会でのイベントや、オリジナル商品の開発などを支援。その成果として、家庭料理「せんべい汁」は全国区のブランドに。飲食施設「厨(くりや)スタジアム」を設置した市場・八食センターには、首都圏からも買い物客が流れ込む。

 同センターでは地場で採れた安価な生鮮食材を販売し、地元市民もが日々の台所用として利用する。開業直後の勢いこそ落ち着いたが、継続して集客する観光施設として市は期待する。

 根本にあるのは「無いものねだりをしない」という考えと、「やる気のある人の足を引っ張らない」という市の姿勢だ。これまで「なんにもない」と思いがちだった地元を見直し、「生活の場」に活路を見いだした。朝市と銭湯が多いことに着目しては、タクシーを利用して朝市・朝風呂をセットで巡るツアーを作った。飲食店経営の20代女性は「八戸市民にとって朝風呂は男女を問わず当たり前のこと。朝市も皆で早起きして行きます」。  市は「これをやったら足りるという事はない。情報がはんらんする中、どう注目してもらうかを考えて発信しなければならない」とPRの難しさを痛感。市職員がインターネットを通じ、個人的に情報発信する場合もあるという。

 八戸中心部では、開業事業実行委(八戸商工会議所や市などで組織)が企画し、開業1カ月前にオープンした「八戸屋台村 みろく横丁」が快進撃を続ける。開業1年目に4億4000万円だった年間売り上げは、6年目は5億6000万円に。客数は28万人となり、客単価は1000円台から約2000円に上昇した。

 せんべい汁やいちご煮など地元料理、沖縄料理やおでんなど多様なメニューの25店が軒を連ねる。運営会社、北のグルメ都市の中居雅博社長は「2―3軒はしごすれば八戸のすべてが分かる」と自負。「継続のためには地元客に愛される必要がある。にぎわっていれば観光客はおのずと来る」との考えで、地元客のニーズを念頭に入居店を選ぶ。

 一方、「繁盛しているのは屋台村周辺だけ」というささやきも聞こえる。JR八戸駅前の八戸駅前商店会(会員数50)では、昼間もシャッターを閉めた店が目立つ。松橋新助会長は「JR貨物などの基地があったおかげで栄えた。新幹線建設時はたくさんの人が泊まり、食べに来てくれた」と振り返る。しかし開業から7年後の今、「状況は以前より悪くなった」。駅構内のすし店で働く高谷政守副会長は「駅の中と外では別世界」とも。

 このような状況に手をこまねいているわけではない。商店会独自で飲食店をはしごするスタンプラリーは継続的に実施。昨年は購入額に合わせて抽選に参加できる「Buyはちのへ」を初開催し、ことしも行う予定だ。民間レベルで生き残りをかけた努力が続いている。(小泉まや)