2010年4月11日 (日) 掲載

◎和光デパートに鉄道記念館オープン

 函館市若松町20の和光デパート6階に10日、「北海道鉄道博物館」がオープンした。鉄道の関連資料約500点が展示された「鉄道博物館」など3部構成のフロアには、開店と同時に多くの家族連れが詰めかけ“鉄道ワールド”に魅了されていた。

 鉄道グッズの買い取り・販売店「カラマツトレイン函館店」が移転し、MEGA函館などを新たに加え、スケールアップして誕生。アミューズメント性も高まり、鉄道ファンのみならず、老若男女が楽しめる空間となっている。

 レトロな街並みに鉄道模型や駄菓子約2万点を販売し、フードパークなども完備した「MEGA函館」では、ジオラマを使って鉄道を走らせるNケージレイアウト体験(200円)が人気を集めていた。家族連れに好評だったのが約50年前のトロッコをモチーフに製作され、4ステージを探検する「炭鉱トロッコ鉄道」。乗車した子どもたちは笑顔で約8分の“夢の旅”を楽しんでいた。

 博物館はトロッコともに大人500円、子ども250円(共通割引あり)。営業時間は午前10時―午後7時(トロッコ乗車は午後6時半まで)。第3水曜日定休。TEL0138・26・8228。(小杉貴洋)



◎ナイスショット! 快音響く 市営PG場オープン

 函館市内の市営パークゴルフ場4施設が10日、今季の営業を一斉に始めた。小雨が時折降るあいにくの天候にもかかわらず、多くの愛好家が仲間との久しぶりのラウンドを楽しんだ。

 オープンしたのはすずらんの丘公園(滝沢町93)と白石公園(白石町208)、空港緑地志海苔ふれあい広場(志海苔町294)、恵山シーサイド(高岱町59)。3月の降雪量が多く、オープン時期の遅れが心配されたが、例年通りの運びとなった。

 すずらんの丘公園では午前9時の開場前から愛好者が詰め掛け、午前中だけで130人が訪れた。2―4人に分かれたグループ客は仲間との会話を楽しみ、芝生の感触を確かめながら一打一打に真剣。快音が響くために「ナイスショット」と声があちこちから聞こえた。

 岩田忠義さん(59)は「芝生の感触が久しぶりで楽しい。天気がよければもっと良かった」と話し、夫婦で訪れていた伊藤礼子さん(73)は「オープンまで体がうずいて仕方なかった。とても楽しい」と笑顔で語った。このほか白石公園や恵山シーサイドなど3施設でも、シーズンの到来を待ちわびた大勢の愛好家が訪れた。(黒田 寛)



◎函館の地酒製造目指し市が酒米を試験栽培事業

 函館市は緊急雇用対策の一環として、同市亀尾地区の休耕田約4000平方メートル(0・4ヘクタール)を利用して、酒米の試験栽培を始める。市農務課によると、市内で酒米栽培をしている農家はなく、市でも初めての事業。収穫した酒米を使った地酒の製造を目指すという。同課は「農家の所得向上につながる事業になれば」と話している。

 市は同事業に900万円を計上。農業に関心を持つ人をハローワークを通じて3人を新規で雇用する。ブランド価値を持つ加工米の製造と同時に、新規就農者の確保や市内に約40ヘクタール以上あるという耕作放棄地の有効利用につなげたい考え。

 事業は亀尾ふれあいの里の指定管理者でNPO法人の「亀尾年輪の会」(田村富作会長)に委託。同会員が指導を行い、雇用された3人が作業にあたる。5月から田の整備や田植えを行い、10月に収穫する予定。道内で広く生産されている酒米「吟風(ぎんぷう)」を育て、初年度は約500キロの収穫を見込む。

 収穫した米は、道南に醸造メーカーがないため、来年度にも道央などの製造会社に日本酒などの試作を依頼する予定。同時に、酒米から米粉を作る計画も進めており、販路などは今後検討していくという。市内の観光関係者は「観光客からも『函館に地酒はないのか』と問い合わせはよくある。ニーズに合致しているし、酒はお土産としても売れ筋の商品」と期待を寄せる。

 道南では北斗市の新函館農協が、「ふっくりんこ」を使った地酒を販売している例がある。

 同課は「酒米を作って食用米と同じくらいの採算が取れるとなれば、参入する農家も出てくるのでは」とし、「米粉も含めて軌道に乗せ、将来的には農家とメーカーが直接契約して栽培できる体制に持っていければ」と意気込む。問い合わせは同課TEL0138・21・3341。(山田孝人)


◎瀬田来部落会議録を発見

 函館市瀬田来町会(細田レイ子会長)でこのほど、1951年当時の会議録が発見された。2004年12月1日に合併した旧戸井町の町史にも記されていない記述もあり、研究家は「当時の日常を知ることができる貴重な資料」と驚いている。

 会議録は、代々次の会長へと渡されてきた。存在は日の目を見ることはなかったが、旧戸井町の町史を研究している函館市戸井支所の松澤ゆかりさん(51)が、細田会長の自宅を訪問した時に見つけた。「戸井町の資料はあまり残っておらず、見た瞬間に貴重なものだと思った」と松澤さんは話す。

 会議録は、1951年2月に、瀬田来部落会の結成を機に作られた。中学校の運動場の地ならしのために出た道からの補助金の使い道や、昆布の繁殖のために海に投石を行う段取りなどを、会議で決定していたことがうかがえる。また、54年8月に昭和天皇が行幸で函館を訪れた際の記述や、同年9月に洞爺丸台風のとき、瀬田来地区が被った影響なども細かくつづられている。

 市立函館博物館(青柳町17)の佐藤智雄主任学芸員(51)は「部落会が行政の根幹を担ってきたという事実が良く分かる。『自分たちのことは自分たちでやる』という強い自負があったのでは」と分析。「歴史の年表に記述される出来事ではないのかもしれないが、この会議録は瀬田来地区の歴史の証人。ぜひ残すべき」と訴える。

 松澤さんは「まだ知られていない戸井町の歴史に光を当てることができる。普段の仕事でも瀬田来の情報を提供することに活用したい」と語っている。(黒田 寛)


◎金剛像と仁王門修復作業始まる

 【木古内】町鶴岡の曹洞宗禅燈寺(好野秀哲住職)の仁王門(山門)と金剛像の修復作業が10日、始まった。金剛像が造られた当時、100年ほど前の写真も関係者から届けられ、写真をもとに京都で修復が行われる予定だ。好野住職(47)は「当時の写真が残っているとは思わなかった。写真の通りに修復してもらえれば」と話している。

 同寺は、鶴岡地区に入植した旧山形鶴岡藩士らの要請によって1902(明治35)年に本堂が建てられた。仁王門は17(大正7)年に完成。2階建てで高さ9・5メートル、幅は10・6メートルあり、2階は鐘つき堂となっている。93年の北海道南西沖地震の影響で仁王門の壁がひび割れるなどしていた。

 2体の金剛像は高さ2・4メートルで、明治から大正時代にかけて松前、函館市内に工房を構え活躍していた仏師、初代風間壮慶(1860―1919)の作。

 仁王門と金剛像の修復を行うことを決めた直後の昨年秋、後志管内岩内町在住の三代目風間壮慶さん(76)の関係者が「初代風間壮慶の作品はないか」と同寺に照会したことをきっかけに、三代目から当時の写真が提供された。写真には初代風間壮慶と2体の金剛像が写っており、「木古内村禅燈寺」とある。

 同寺総代会総代長の佐藤悟さんは「風間壮慶の作とは聞いていたが、寺には古い文献や資料などがなく、はっきりしたことがこれまで分からなかった」と喜ぶ。

 金剛像は昭和に入ってから表面の色を塗り直した形跡もあり、好野住職は「今とはまるで違う表情をしている。写真を見たときは驚いた」と話す。写真の提供を受けたことについても「不思議な縁を感じる。これも仏縁でしょうか」と語っている。

 6日には魂抜きと工事の安全を祈願する法要が行われ、檀家や工事関係者らが工事の無事を祈った。10日は修復にあたる京都の仏具製造業者らが同寺を訪れ、仁王門から2体の像を慎重に運び出した。

 金剛像と仁王門の修復は今年10月いっぱいまでかかる見通しで、11月に開眼法要が執り行われる予定となっている。(松宮一郎)