2010年7月15日 (木) 掲載

◎「水産業や雇用の振興を」 横山氏参院選当選に地元期待【函館】

 11日投開票の参院選で、比例代表に出馬し初当選した横山信一氏(50)=公明党=に対し、地元政界や経済界から期待の声が高まっている。市や高等教育機関、地元経済界が一体となって進める「函館国際水産・海洋都市構想」の推進や、昨年の事業仕分けでの廃止判定から復活した「函館マリンバイオクラスター」の発展振興、雇用の促進などの面で、水産業への見識が深い横山氏による後押しを望む声が強くなっている。

 函館・道南を地盤とする国会議員は、民主党の逢坂誠二衆院議員(51)に続き、2人目。参院議員は1980年から2期12年務めた田中正巳氏(自民党、故人)以来となる。

 函館市の西尾正範市長は「国のためだけではなく、地域のためにも働いてくれるはず。国際水産・海洋都市構想を前進させる上でも、大きく貢献していただけるのでは」、函館国際水産・海洋都市推進機構の伏谷伸宏機構長も「これまでも支援してもらったが、今後の機構発展に欠かせない人。元気のない函館を盛り上げてほしい」と話す。

 横山氏が水産学博士号を取得し、道立函館水産試験場などに勤務した経験があることから、研究者としての側面からも期待が強い。北大大学院水産科学研究院の原彰彦教授は「水産の現場を知る人が、国政の舞台に立ってもらえるのは心強い。日本の水産業全体も考えてほしいし、10年、20年先を見据えて、後継者や資源の問題にできることから取り組んでほしい」。

 市内の経済関係者は、低迷が続く雇用や福祉の充実、北海道新幹線の早期開業を求める。「函館は全国的にみても、経済基盤の回復が遅い。福祉政策も先が見えない中で、地元から直接お願いできるだけに大きな存在になる」と語る。

 また、道南の海洋、水産関係企業で組織する「函館国際水産海洋都市を考える会」の須田新輔会長は、「昨年政府の事業仕分けで知的クラスター創成事業が廃止判定された際に、横山氏に間に入ってもらい、平野博文官房長官(当時)に署名を直接渡すことができ、復活につながった」と振り返り、「水産畑を歩いた地元の参院議員は初めて。相当頑張ってくれると思う」と期待している。(千葉卓陽)

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 横山信一氏が14日、函館新聞社を訪れた。国会議員唯一の水産学博士として、水産業を成長産業に変えていく決意や、海岸線の長い日本の特徴を生かした国家戦略、景気対策などを語った。

 新人として厳しい戦いながら、比例代表3位の成績を収めたことについて「疲弊した地域経済の実情と景気対策の必要性を一貫して訴えたことが有権者に通じた」と述べ、党派を超えて支援を受けたことにも重ねて謝意を示した。 日本が世界6番目の排他的経済水域(EEZ)を持つ優位性を挙げ、水産業だけでなく物流や観光、地下資源開発などの可能性を秘めた海洋国家であることを指摘。「東アジアの人々は日本の品質の高い水産物を求めており、水産業を食料産業として構築していくことが必要。海産物の有効成分や未利用資源を生かしたサプリメントの開発なども将来性がある」と説いた。

 経済の立て直しや地域振興に向け、北海道新幹線や高速道路の建設促進、観光振興などに全力であたる決意を述べた。(高柳 謙)



◎本年度の益田喜頓賞に「R dance company」

 函館市文化・スポーツ振興財団(金山正智理事長)が優れた舞台芸術活動を行った団体・個人に贈る本年度の「益田喜頓賞」に、函館市末広町のダンススタジオ「R dance company」(アール・ダンス・カンパニー)=山崎理恵代表=が選ばれた。山崎代表は「10年間頑張ってきたことに対する素晴らしい評価をいただき、大変うれしく思う」と喜んでいる。

 同賞は、函館出身の喜劇役者、故益田喜頓さんの功績にちなんで、1999年度に創設。過去1年間に市民会館、市芸術ホールで公演された舞台が対象で、昨年度まで9団体・個人が受賞している。

 同スタジオはジャズダンス指導者の山崎さんが、1999年10月に設立。今回受賞対象となった公演は、2009年10月に函館市民会館で行われた10周年記念公演“宇宙(そら)へ”。小学生から一般まで約90人によるクロスオーバーダンスなど、これまでにない規模の「映像と踊りとのコラボレーション」が繰り広げられ、地域の舞台芸術活性化につながる意欲的な取り組みとして高く評価された。

 山崎代表は「今回の受賞はこれまで支えてくれたみなさんのおかげ。これからもおごることなく、謙虚な気持ちで頑張っていきたい」と話している。

 表彰式は11月に開催される函館市民文化祭の期間中に予定されている。(小川俊之)



◎故平沼さんの功績心に焼き付けて 函館最後の船大工 17、18日に資料展

 昨年4月に亡くなった函館最後の船大工、平石健悦さん(享年80)の功績などを紹介する資料・映像展「記憶に残したい最後の船大工平石健悦」(函館探検隊主催)が17日から2日間、函館市入舟町の平石造船所で開かれる。同探検隊の井上清美代表は「現存数の少ない木造船の歩みを記憶にとどめてほしい」と入場を呼び掛けている。

 平石さんは高校卒業後から伯父の手伝いで造船業に従事。25歳から8年間、蟹工船の船大工としてアラスカで勤務した。帰国後に平石造船所を開き、亡くなるまでの55年間で仕上げた磯舟などは500隻を数える。平石さん製作の船は現在、市内には宝船一隻しかなく、ほかに確認されているものは青森の資料館や東京都台場、フランスにしかないという。

 同探検隊は平石さんと以前から交流のあった市民約10人で構成。「造船所があるうちに写真展を開きたい」との声が上がり、5月ごろから準備を進めてきた。平石さんの妻敏子さん(75)は「真面目一筋で仕事に取り組んできた夫だった。仕事を評価してもらい天国で喜んでいると思う」と笑顔を見せる。

 同展では、平石さんの秘蔵写真や映像を公開するほか、道具や宝船も展示。また、明治期に行われた函館港改良工事の様子や北洋漁業で栄えた昭和初期の入船漁港の貴重な写真を並べる。17日午前10時からは、新島襄海外渡航の地碑前(大町11)で函館水産高生による脱国シーンの寸劇も披露される。

 17日は午前11時―午後4時。18日は午前10時―午後2時。入場無料。問い合わせは井上さんTEL090-4878-4158。(小杉貴洋)



◎函館空襲慰霊祭で犠牲者の冥福祈る 遺族ら称名寺に参列

 1945年7月14、15の両日に起きた函館空襲の犠牲者を追悼する慰霊祭が14日、函館市船見町の称名寺境内で開かれた。遺族ら約20人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 函館空襲では米軍機によって市街地や青函連絡船などが大きな被害を受け、多くの死傷者が出た。慰霊祭は函館空襲に関する詳細な記録を調査し、惨事を風化させないようにと活動している市民団体「函館空襲を記録する会」(浅利政俊代表)が1989年から毎年実施し、今年で22回目となる。

 称名寺の須藤隆仙住職が慰霊碑前で読経する中、参列者が順番に焼香をした。須藤住職は「ここには、日本人の犠牲者を追悼する碑と合わせて、米軍兵士の慰霊碑も並べられている。戦争中の敵、味方に関係なく、双方の冥福を祈ることが恒久的な平和につながる」と話した。

 浅利代表は「函館空襲の被害の実態については、現在も不明な部分が多い。また、地元の人たちの中には函館空襲があった事実さえ知らない人も増えている。函館空襲という出来事をしっかりと伝えていくことが私たちの使命」と訴えた。(小川俊之)



◎サハリン航空 函館−ユジノのチャーター便が今月から運休

 ロシアのサハリン航空が運航する函館―ユジノサハリンスク線のチャーター便が7月から運休することが14日までに分かった。サハリンで石油・天然ガス開発を手掛ける米大手石油会社が利用を取りやめたため。昨年4月から定期便も休止していて、函館とロシアを結ぶ空路が当面姿を消す。

 サハリン航空日本地区総販売代理店UTSエアサービス(札幌市)などによると、現在のチャーター便は米エクソンモービルの関連会社が社員向けに2002年から法人契約し、毎月1―4往復していた。一般客は利用できない。社員らはビザの更新や休暇などで函館を訪れていたという。

 同路線は1994年に国内初のサハリン路線として運航を開始し、ピーク時の2006年には年間4000人以上の利用があった。昨年は32往復運航し、乗降客は625人。搭乗率は2―3割台と低迷していた。

 近年は現地の石油開発事業が一段落したことや、今年3月に別の航空会社が成田―ユジノ線を開設した影響などで利用が落ち込んでいた。UTSエアサービスは「再びチャーター便の依頼があれば運航する」としているが、定期便も昨年4月から運休していて、再開のめどは立っていない。

 函館市港湾空港振興課は「サハリン航空から路線を廃止するとは聞いていないが、地域経済にとっては少なからずマイナス。函館は歴史的にもロシアとのかかわりが深く、今後も定期便の運航再開を求めていきたい」としている。(森健太郎、千葉卓陽)