2010年7月30日 (金) 掲載

◎箱館奉行所オープン 待ちわびた市民1245人【函館】

 国の特別史跡・五稜郭跡内で函館市が復元工事を進めていた「箱館奉行所」が29日、一般公開された。雨模様のあいにくの天気となったが、開館前には待ちわびた市民の長い列ができるなど、初日は1245人が入場した。これに先立ち、同奉行所大広間で開かれた記念式典には、西尾正範函館市長や高橋はるみ道知事など関係者ら約100人が出席。140年ぶりに当時と同じ場所、工法で忠実に再現した同奉行所のオープンを祝った。

 記念式典は江戸時代さながらの雰囲気で、出席者が大広間に座って行われた。西尾市長は「箱館奉行所が起点となり地域文化の振興発展、国際観光都市函館の発展につながるものと確信している」と式辞を述べた。終了後に内覧した高橋知事は「瓦にさまざまの色を使っており、復元の努力を感じた。函館の魅力ある歴史が、アジアから道南への観光客誘致につながれば」と話していた。続いて、玄関でテープカットを行った後、和太鼓による演舞が披露され祝いムードを盛り上げた。

 午前11時半のオープン前には約350人の行列ができた。ピーク時には同奉行所前広場から藤の棚付近まで達し、混雑に対応するため約30人ごとに入場調整を行った。

 来場者は72畳の備後畳が敷き詰められた一之間から四之間からなる大広間や、屋根裏の伝統的な小屋組を天井板を外して公開しているコーナーに目を奪われていた。大広間では「木の香りがいい」「新しい畳は気持ちいい、畳の作りも違う」などと話しながらすり足で歩き、畳の感触を確かめる人や、壁に手を当て感触を確かめる人もいた。

 祖父が五稜郭公園の管理員をしていたという市内の主婦北島光子さん(80)は「祖父が住んでいた管理事務所は、箱館奉行所の廃材を使ったものと聞いていたのでとても懐かしい思いで見物できた」と感慨深げ。青森市の無職西田雄平さん(71)は「青函の観光交流にいい影響を与えてくれると思う」と展示物に見入っていた。

 同奉行所は1864(元治元)年に北方警備の拠点として設置され、後に箱館戦争の舞台となった。旧幕軍降伏後の71(明治4)年に解体された。復元工事は2006年から4年の工期をかけ、6月30日に完了。総工費は約28億円。幕末当時、約2700平方bあった同奉行所の3分の1に当たる、約1000平方bを復元。残りの部分は、建物が存在した部分の地面に線を引き当時の規模を表した。

 内部は大広間などの「再現ゾーン」や奉行所と五稜郭の歴史をパネルなどで紹介するほか、天井板を外して伝統的な小屋組を見せる「歴史発見ゾーン」など、それぞれ見どころの違う5ゾーンに分かれる。開館時間は午前9時―午後6時(11月から3月は午後5時まで)。入場料は大人500円、学生や生徒、児童は250円。(山田孝人)



◎小型機不明 捜索難航 有力な手がかりなし

 【木古内、知内】青森県竜飛岬上空通過の交信を最後に28日午前から連絡が途絶えている中日本航空(愛知県豊山町)の小型飛行機(セスナ206式)の捜索は2日目の29日、早朝から知内町上雷南側の山間部を中心に活動を再開した。断続的に強い雨が降り続ける中で、上空、地上からの作業はともに難航し、有力な手がかりがないまま、午後3時半までにすべての活動が一時、中断となった。

 この日の活動は午前5時すぎに再開。警察や自衛隊、第1管区海上保安本部など総勢約300人を超える規模となった。これまでに寄せられた住民からの情報やレーダー分析、捜索関係者によると、小型機は同町湯の里の青函トンネル道内出入り口沿いの山並みを、役場がある市街地方向へ低空飛行した模様が濃厚という。

 上空からは、自衛隊と道警の航空機が区域を分担して捜索したが、悪天候のために作業開始から約1時間ほどで撤収し、この日、再開することはできなかった。地上からの捜索も難航。知内町役場や道警の捜索班が車両や徒歩で燈明岳につながる林道付近に入った。道警は午後11時半ごろ、林道からの捜索を試みたが、雨による地盤の悪化や覆い茂った草木の影響などで、進むことが困難となり約50分後には引き返し、同町内での待機を余儀なくされた。

 同日午後には、陸上自衛隊第28普通科連隊の隊員ら64人が現地入り。町役場で関係機関と会議を重ねたが、午後3時にこの日の活動終了を決めた。木古内署の高橋範光次長は「乗員を救出するために無理をしてでも(地上から)入りたいが、機体の場所が特定できない中での捜索は危険。雨の影響で地盤がぬかるんでいるため30日も厳しい捜索になるだろう」と話した。

 また、同日午後1時ごろ、中日本航空の幹部社員らが木古内署の現地対策本部を訪れ、同3時半ごろまで事情聴取が続いた。報道陣の問いかけに対し「(28日に)本社で開いた記者会見の内容について説明した。捜索が続いている中で、話すことはない」と言葉少なに同署を後にした。

 30日も引き続き、燈明岳周辺を中心に捜索活動を実施する。同日午前3時に海上自衛隊がヘリコプター飛行の可否を判断し、上空からの捜索を続け、地上からの捜索班の展開を検討する。



◎道南大雨、土砂崩れも せたなで避難勧告、「引き続き警戒を」

 道南地域は気圧の谷の影響で、29日未明から大雨に見舞われた。せたな町では河川氾濫の恐れのため、215世帯523人に避難勧告が出された。また土砂崩れや冠水などで、国道2路線と道道9区間が29日午後9時現在も通行止めとなっている。函館海洋気象台では大雨のピークは過ぎたとみているが、引き続き土砂災害などの警戒を呼び掛けている。

 同気象台によると29日午後7時までの24時間降水量は、奥尻町で観測史上最大の122ミリ、せたな町で111ミリ、長万部町で83ミリ、函館市で42.5ミリなどとなっている。

 せたな町北桧山区では、利別目名川が危険水域を超えたため、午前11時半に丹羽地区、真駒内川が危険水域を超えたため、午後零時10分に徳島・北桧山地区に避難勧告を出した。

 同日午後9時現在で通行止めとなっているのは、国道が277号の八雲町雲石峠―鉛川間、229号のせたな町瀬棚区三本杉―島牧村茂津多トンネル間。道道は上ノ国町石崎―早川間、松前町高野―上川間、今金町の島牧美利河線、せたな町の北桧山大成線の一部2カ所、今金町の旭台―白石間、美利河二股自然休養村線、せたな町小倉山丹羽停車場線、長万部町大峯双葉線。

 また、同日午後3時20分ごろ、JR函館線の池田園駅―流山温泉駅間で、函館発長万部行き普通列車(乗客37人)の運転士が線路上に倒木を発見し停止。撤去後の同4時ごろに運行を再開した。乗客と運転士ともにけがはなかった。JR北海道では倒木の原因を調べている。



◎和洋折衷、歴史薫る 遺愛女子、旧宣教師館を一般公開

 函館市杉並町23の遺愛女子中学・高校(福島基輝学校長)の敷地内にある旧宣教師館(通称・ホワイトハウス)の一般公開が29日、始まった。あいにくの雨模様となったが、初日から観光客らが見物に訪れていた。31日まで。

 ホワイトハウスは米国人宣教師の住居として、1909(明治42)年に本館と同時期に建設された。洋館に和館を併設し、和と洋の要素が合わさった建築様式が特徴。2001年に国の重要文化財に指定され、年1回、一般公開している。

 館内には使用されていた当時の家具や調度品がそのまま残されており、来場者の目を引いている。一般公開を目当てに函館を訪れた東京都、会社員伊藤洋さん(42)は「全国各地の宣教師館を見ているが、押し入れなど和の要素や住んでいた人が使っていた物がそのまま置いてあるのは珍しい」と興味深げに見入っていた。

 公開時間は午前10時から午後2時まで。入場無料で事前の申し込み不要。問い合わせは同校TEL0138-51-0418。(宮木佳奈美)



◎食中毒警報、例年より早いペース 湿度にも警戒を

 暑い日が続き、道南でも食中毒警報の発令が相次いでいる。29日、市立函館保健所はことし5回目、渡島保健所は同6回目となる警報を発令した。両保健所は「例年より早いペースで回数も多い」として、食品を扱う際の衛生管理の徹底を呼び掛けている。

 函館市内の警報発令は、2006年度が12回(27日間)、07年度は10回(22日間)と比較的多かったが、過去2年間は08年度3回(7日間)、09年度2回(6日間)と少なく推移。各年の最初の発令日は、早い年でも7月下旬からで、多くは8月に入ってからだった。

 ところがことし、状況は一変。最初の発令が比較的早い5日だったうえに、7月だけで5回(14日間)の高頻度で発令し、06年度以降では極めて食中毒の危険が高い状況となった。市立函館保健所は「気温が高い日が続き、発令基準の一つ『最高気温が28度を超える』を満たした日が多かった」と説明。渡島保健所も同様の状況で、例年より頻度が高いことから、いつも以上の注意を促している。

 29日に発令した警報は、函館市内と渡島管内全域が対象。期間は同日午後1時から8月2日午後1時まで。今回の発令理由はこれまでと異なり、雨天の影響から、湿度が85%以上となる場合に該当した。

 市立函館保健所は「気温があまり上がらなくても、高湿は細菌にとって絶好の繁殖環境。細菌の毒素は加熱しても消えないので注意して」と、調理前や食事前にきちんと手を洗ったり、食べる前の加熱や保存時の冷却などに気を使うよう求めている。(小泉まや)