2010年7月31日 (土) 掲載

◎奉行所核にまちづくり オープン記念で講演会とフォーラム

 国の特別史跡・五稜郭跡内で140年ぶりに復元された、箱館奉行所のオープンを記念した講演会とフォーラムが30日、函館市五稜郭町の市中央図書館で開かれた。復元に携わった有識者の講演やディスカッションを通じ、奉行所を核とした五稜郭地区のまちづくりについて考えた。

 同地区の各種団体など、官民一体で企画、運営している「箱館奉行所 復活祭」の一環として開催され、約150人が集まった。

 最初に、昭和女子大国際文化研究所顧問の平井聖氏が「建築史から見た奉行所の存在意義」と題して講演。往時の雰囲気を再現するため「コンピューターを使い、4色ある瓦をいかにでたらめに配置するか考えた」と明かす一方、今回の復元が以前の3分の1に当たる約1000平方メートルにとどまった点から「第2、第3の工事に期待したい」と述べた。

 続いて行われたフォーラムでは、道立函館美術館の中江修館長、市芸術ホールの市川須磨子館長、市中央図書館の長谷部一弘館長、市北洋資料館の遠山孝一館長と、新都心五稜郭協議会の中野豊会長がパネリストとして参加。

 各施設それぞれの現状と今後の展望を話す一方、五稜郭地区の課題として「駐車場が少なく、ゴールデンウイークはホールの使用に空きが出ている。企業の駐車場など、時間を区切って利用できないか考えている」(市川氏)「各施設でイベントがバッティングしないよう、早めの情報交換が必要」(長谷部氏)などの意見が上がっていた。(千葉卓陽)



◎山中で不明小型機発見 乗員2人が死亡 胴体折ればらばら

 【知内】中日本航空(愛知県豊山町)の2人が乗った小型飛行機(セスナ206式)が28日、知内町付近上空で不明になった事故で、30日午前11時45分ごろ、捜索中の航空自衛隊のヘリコプターが同町と福島町の境界付近の山中に墜落している同機を発見。空自隊員が小型機の乗員2人を収容し、函館空港経由で函館市内の病院に搬送したが、同日午後1時41分、ともに死亡を確認した。

 道警によると、死亡したのは同社社員でパイロット秦功さん(46)=愛知県あま市=と、カメラマン古田昭二さん(60)=同県江南市=で、家族が身元を確認した。

 道警などによると、機体が見つかったのは、知内町内の燈明岳(577メートル)の山頂から南南西約3キロの地点。機体は胴体部分が折れ、ばらばらの状態という。発見後、空自隊員が付近に降下し、同日午後零時20分ごろ、心肺停止状態の男性2人を見つけ、同零時40分に収容を完了、函館に向かった。

 同日午後1時50分ごろには、ハンター同行の道警の捜査員ら計16人が現場状況を確認するため、道の駅「しりうち」(知内町湯の里48)南側の旧町営牧場に向かう林道から入山を開始。山道を車と徒歩で2時間半かけて進み、地上から目視で機体の右翼部分や散乱する部品を確認。切り立った急な斜面に阻まれたため、同日午後5時半ごろ、下山した。

 また、国土交通省運輸安全委員会は30日、航空事故調査官3人の派遣を決め、同日夕、函館空港から現地に向かった。31日から事故原因の調査に当たる。

 道警などのこれまでの調べでは、秦さんら2人が乗った小型機は28日午前、新潟空港から丘珠空港に向けて出発。同日午前10時半ごろ、青森県竜飛岬通過の交信を最後に連絡が途絶え、予定時刻の同日午後零時49分を過ぎても到着しなかった。

 道警や自衛隊、第一管区海上保安本部などが同日午後から、レーダーから機影が消えた地点や携帯電話の衛星利用測位システム(GPS)の位置情報などから、知内町南西部の山中や飛行ルート付近海上などの捜索を開始。29日は悪天候のために作業が難航したが、30日早朝に上空からの捜索を再開していた。

 道警は今後、秦さんら2人の遺体を札幌市内で司法解剖し、詳しい死因を調べる方針。また、31日以降、現場手前の斜面を登るための資器材を整えて、墜落現場での本格的捜査に乗り出す。



◎珠算能力検定 成田さん2級、干場さん3級満点

 日本商工会議所主催の第189回珠算能力検定試験(6月27日開催)で、函館駒場小学校6年の成田茉里香さん(12)が2級、函館北美原小学校5年の干場菜々香さん(10)が3級で満点合格を果たした。

 成田さんは、友達に誘われて小学2年生からそろばん教室に通い始めた。昨年11月に2級を受験する予定だったが風邪で断念。6月の試験では準1級と同時受験し、両方合格した。満点合格は初めてという成田さんは「満点を取れてびっくり。ライバルに負けたくない気持ちで頑張った」と笑顔を見せる。

 干場さんは、小学4年生から珠算を習い始め、10級、9級の試験でも満点だった。6月の試験に向け、毎日1時間、練習を欠かさなかったという。干場さんは「あまり自信はなかったけど、練習したかいがあって満点を取れてうれしかった」と喜ぶ。

 今回の受験者数は全体で128人。このうち2級は29人、3級は34人が受験し、満点だったのは成田さんと干場さんの2人だけ。種目は見取り算、掛け算、割り算で300点満点。1つ10点10問の見取り算は高得点につながりやすく、2人とも得意種目にしているという。成田さんは「そろばんは点数が伸びた時が面白い。次は1級に合格し、段も取りたいので中学生になっても続けたい」と話し、干場さんも「目標は10段。計算が楽しいのでこれからもそろばんを頑張りたい」と意気込んでいた。(宮木佳奈美)



◎【煙のゆくえ・2】職場、家族がリスク管理を

 喫煙と嫌煙という双方の立場が妥協案としている分煙≠フ現状はどうか。厚生労働省が2002年にまとめた分煙をめぐる報告書は「ガス成分の除去は不十分」として喫煙場所の換気を求める。だが設備などを設けるには経済的負担が大きい。自治体や飲食店が「分煙をやりたくてもできない」と尻込みする理由だ。しかし、たばこを吸わない人にも健康へのリスクをもたらす受動喫煙をこのまま放置してよいのか。

 たばこの害で最も深刻なのは、時に非喫煙者の数十倍にもなる喉頭がんや肺がんのリスクだ。数十年来の愛煙家である市立函館病院の木村純院長は「他人に危険を及ぼす権利はない。受動喫煙は絶対にいけない」と強く訴える。全国的にも病院や診療所の禁煙化が進み、地域がん診療連携拠点病院である同院も04年、敷地内を原則として全面禁煙とした。木村院長は「公共の場は原則禁煙が必要。誰がどのように分煙を進めるのかもっと明確にすべき」と語る。

 「経済的負担から分煙が難しければ禁煙にすべき」と主張するのは、湯の川女性クリニック(函館市湯川町2)で、禁煙外来も担当する産婦人科医の小葉松洋子院長だ。「がんの3割はたばこが原因。たばこの煙は毒ガスだ」と力説する。喫煙者には「危険な煙を他人に吸わせるべきではない」とくぎを刺す。小葉松院長は、たばこの先端から生じる副流煙による最大の被害者は「喫煙者の家族」という。たばこが身近にある家庭では、喫煙の習慣が親から子に受け継がれる場合も。「吸わない人を守ってください。吸い始めないためには子どもの時からの教育が必要」と繰り返し訴える。

 函館の女性の喫煙率は17.5%(06年度)と、全国平均10.0%に比べ格段に高い。函館中央病院には道南で唯一、胎児の発育不全や低体重などハイリスク出産を扱う「総合周産期母子医療センター」がある。木田毅センター長(小児科部門)は、多くの症例から「母親が喫煙者の場合、胎児が十分に発育せずに出産を迎える確率は高まる」とする。知能や精神発達への影響もあるといい、女児の場合は成長後に不妊の確率が高まることも。たばこの害は世代を超えて負の連鎖をもたらす。

 胎児にとって妊娠の初期に当たる第10週(約2カ月半)までは、脳、心臓、肺といった器官が形作られる大切な時期だが、この期間に妊娠に気付かない女性も多い。木田センター長は「この時期の喫煙は奇形や発育不全などのリスクを高める。受動喫煙の恐れがある場所にも行かないほうがいい」とし、妊婦本人だけでなく職場や家族ぐるみでリスク管理する必要性を説く。(小泉まや)



◎桧山観光客110万人 減少に歯止めかからず

 【江差】桧山支庁が発表した昨年度の管内観光客入り込み状況によると、客数は110万6300人(前年比0.8%減)で、観光客の減少傾向に歯止めが掛からない現状が浮き彫りになった。同局は「景気低迷や新型インフルエンザの流行、夏季の悪天候が影響した」と分析している。

 内訳は、道内客89万9800人(同0.7%増)、道外客20万6500人(同6.6%減)。日帰り客は96万5600人(同0.5%増)、宿泊客14万700人(同8.4%減)で、道外客と宿泊客の減少が目立った。桧山7町の入り込み客数は、05年度の144万4800人をピークに減少傾向が続いている。

 町別の客数は、江差町37万9000人(同6.1%減)、上ノ国町9万7600人(同6.7%増)、厚沢部町13万7800人(同2.8%増)、乙部町14万700人(同0.7%減)、奥尻町3万9000人(同5.6%減)、今金町6万4100人(同3・.%減)、せたな町24万8100人(同5.1%増)。

 上ノ国町は、昨年6月にオープンした物産センターの入り込みが好調で、温泉施設の利用客も伸ばした。厚沢部町も道の駅の入り込みが好調だった。せたな町は、高速道路の料金割引などの影響で自家用車による観光客が増加した。

 一方、江差町は4―9月の上期の入り込みが低迷。旅館の廃業や老朽化が響き、宿泊客は対前年比25.4%減と大幅ダウン。乙部町と今金町は、夏場の天候不順でイベントや行楽客が減少。奥尻町はフェリー料金の補助制度などを導入したが、通年では04年から続く観光客の減少に歯止めがかからなかった。(松浦 純)