2011年10月22日 (土) 掲載

◎「イカール星人」カレンダーでも登場

 企業のPRにいか≠ェ—。函館市本通1の企画会社シンプルウェイ(阪口あき子社長)は、函館の観光PRキャラクター「イカール星人」をあしらった来年のカレンダーを初めて作製した。受注した地元の会社名を入れ、函館観光とともに企業の売り込みを図る。

 市の公式観光CMとしてインターネットの動画サイトで人気のイカール星人を活用し、地元企業のPRに役立ててもらおうと、同社が初めて企画。B2判(縦72・8センチ、横51・5センチ)1枚に12カ月分を掲載した。

 地元の企業が対象で、1口100枚単位で受け付け、カレンダーの最下部に企業名が入る。阪口社長は「地元企業に参画してもらう初の試み。知名度がついてきたイカール星人を使って、企業とおもしろい相乗効果が生まれれば」と説明する。

 デザインは函館山の夜景をバックに、イカール星人をはじめ、タワーロボやイカボー、中空土偶など動画に登場するキャラクターが全員集合。「ハコダテ観光ガイド イカール星人襲来中!」の文字も入る。イラストはカラーで、企業名はモノクロ。

 料金は1口2万1000円(印刷代、税込み)。原則として1業種1社の先着順で、30口(3000枚)の限定生産となる。申し込み締め切りは28日で、納品は11月下旬の予定。申し込み、問い合わせは同社電話0138・86・7601。(森健太郎)



◎函館の震災支援活用で初 日本アレフが工場新設

 電子部品製造の日本アレフ(東京、堀之内英社長)が、函館市の工業団地「函館テクノパーク」(桔梗町)に工場を新設することが決まった。10年間土地を無償貸与するなど東日本大震災の被災企業への市の支援策を活用した工場進出としては初めて。製造ラインのリスク分散に向けて来年早々に工場2棟を建設し、函館の水産資源を活用した新規事業にも乗り出す。

 同社はセンサーやスイッチなどの電子機器メーカーで、2010年12月期の売上高は約70億円。神奈川や宮城、福島、兵庫のほか、中国に生産拠点があり、函館が国内5カ所目の工場となる。昨年4月には函館テクノパーク内に研究所を開設している。

 新工場はテクノパーク内の工業用地3区画計約6000平方メートルに7〜9億円かけて建設。震災で一部被災した仙台と会津工場で生産する防犯センサーやプラスチックの成型加工品などの一部工程を移管するほか、産学連携によるホタテやコンブなどを活用した調味料や添加物の製品化も目指す。

 市は6月から、災害救助法が適用された地域に事業所を置く企業などを対象に市内3カ所の工業団地の土地を10年間無償で貸与する制度を設け、今回が適用第1号となる。減免額は年間200万円以上となる見通し。早ければ年明けに着工し、来年度には稼働する予定。

 市によると、今回の工場進出で新たに約30人の雇用が見込まれるという。片岡格副市長は「地域資源を活用した新規事業に市としても期待している。地域の研究機関と連携した取り組みを進めてもらい、地域振興やさらなる雇用につながれば」としている。

 同社は新工場でセンサー関連では年間5億円の生産額を目標とし、水産関連の食品分野でも年間5億円の売り上げを目指す考え。同社は「市の支援制度はありがたい内容で、函館の地域活性化にとどまらず、函館発のものづくり技術を世界に発信したい」(社長室)と話している。(森健太郎)



◎七飯産リンゴ期待の星=uななみつき」デビュー

 【七飯】七飯町果樹組合(成田悌一組合長、34戸)は今年から、町内で生産するリンゴの品種「ぐんま名月(めいげつ)」を「ななみつき」のブランド名で売り出す。既に商標登録も済ませ、七飯産リンゴの期待の星≠ニしてデビューする。甘みが強く食味も極めて良好。成田さん(60)は「次代のエース品種。大きな柱に育ってほしい」と期待を込める。

 「ぐんま名月」は、群馬県園芸試験場で「あかぎ」と「ふじ」を掛け合わせてできた黄色品種。中央農業試験場(空知管内長沼町)から紹介があったこと、かつて七飯町が黄色品種で名をはせたこともあり、町内では早い人で7年ほど前に苗木を導入した。

 実に赤みが差し、甘くて果汁が多く、みつ入りが多いのが特長。棚持ちも良い。色がきれいにつくようにするための葉とり作業を必要とせず、栽培の省力化を図ることができる。

 約160本を栽培する成田さんは今年の作柄について「例年になく赤色も入り、おいしく仕上がっている」と自信たっぷり。収穫は11月5日ごろ始まるという。

 これまでも「ぐんま名月」の名で販売され、顧客の評判も上々。成田さんは「今後、栽培本数を200本ぐらいに増やしたい」と意欲を見せる。

 同町農林水産課によると、町内の「ななみつき」栽培面積は現在、約1ヘクタール(1000本強)で、リンゴ全体に占める割合は1・5%ほど。町は「リンゴ農家は後継者不足に直面しており、新ブランドが若者を呼び込む起爆剤となってくれれば」(同課)とし、七飯産リンゴの代表格としてアピールする考えだ。(山崎大和)


◎エゾシカ肉普及へ函館初の料理教室 来月14日に

 函館産のエゾシカ肉を活用した料理教室が11月14日午前10時半から、清尚学院高校(函館市亀田本町5)で開かれる。函館にはなじみが薄いジビエ(狩猟で食材用に捕獲された野生の鳥獣)料理を楽しんでもらう教室で、主催者は一般市民20人の参加を募っている。

 エゾシカの駆除を強化している道が資源としての有効活用を目的に実施する。昨年10月からはPRの一環として毎月第4火曜日を「シカの日」に設定。趣旨に賛同する全道各地の68店舗(8月末現在)が加盟し、エゾシカ協会(札幌)が推奨する食肉処理工場の製品を使い、独自の料理を提供している。

 今回の料理教室は「『シカの日』運動推進事務局」(札幌)が事業を委託し、全道13カ所で初開催。函館教室は、函館市梁川町のフレンチレストラン「ル・プティ・コション」のオーナー、坂田敏二シェフ(49)が講師を務め、シカ肉のストロガノフ(煮込み料理)をメーンに作る。材料は、亀田本町の「北海道産ファーム」(渋田孝社長)が提供する。

 道南では同レストランを含む函館、七飯の13店舗が「シカの日」に加盟、または加盟する予定といい、坂田シェフは「函館産のシカもおいしい。市民にしっかりなじんでもらえるような教室にしたい」と意気込む。同事務局コーディネーターの深江園子さんも「食べ慣れないため悪いイメージを持ちがちなシカ肉への先入観を払拭(ふっしょく)する機会になれば。気軽に参加を」と呼び掛けている。

 参加無料。応募は電話で11月4日まで。申し込みは同事務局電話011・611・8861。(長内 健)


◎森町大火あす50年 前消防団長・阿部さん振り返る

 【森】1961年10月、当時の市街地の約3分の1を焼失した「森町大火」から、23日で50年を迎える。幸いにも死者はなかったが、2238人の被災者を出し、住宅や商店など554棟、4万4664平方メートルが焼失。損害額は22億円を超え、戦後の道内では岩内大火(後志管内岩内町、54年)に次ぐ大惨事となった。当時を知る前消防団長の阿部邦夫さん(70)=御幸町=は「火災はすべてを持っていき、大きな不幸に陥ることを目の当たりにした」と振り返った。

 阿部さんは当時、家業の古物商に従事。深夜の火災にもサイレンの音で早い段階に気が付いた。「火元近くの町立病院に親類が入院中で、助けようと様子を見に行った。その時は遠くの火事という気持ちだったが、次第に強風で火の勢いが増したので、慌てて帰った」と話す。

 一家は、小型トラックに家財道具を積み込み、数百b離れた新川町の倉庫へ避難。2度目の荷物を積んでいる最中に自宅付近にも火の手が迫り、倉庫も危険と判断し、家族と荷物を載せ、尾白内の親族宅へ身を寄せた。多くの住民も着の身着のまま、リヤカーなどに荷物を載せて、燃えさかる町を逃げ回った。

 自宅も倉庫も全焼し、見渡す限りの焼け野原となった。阿部さんは「目標物もないので自宅の場所も分からず、後片付けの必要がないほど。がく然とした」と語る。

 阿部さん一家は、2週間後には倉庫跡地に仮設の家を建て、翌年には自宅を再建。上台町や常盤町には仮設住宅が建てられ、にぎわいを見せた町の中心街は様変わりした。多くの町民が町の再生に情熱を注ぎ、大火の3年後には復興記念行事が行われた。「若い世代も多く、愛着のある森町をみんなで何とかしようという機運があった」。

 大火から3年後、消防団に入団。火災の怖さを知る一人として、数多くの現場へと足を運んだ。2003年から消防団長を務め、今年3月に勇退した。阿部さんは「復興を支えたのは町の大先輩たち。この50年で、世の中も変化し、厳しい状況だが、今、頑張っている世代には森町を元気のある町にしていってもらいたい」と期待を込める。

森町消防本部は23日午後2時から、森町消防防災センターでセレモニー「森町大火から50年を迎えて」を開き、防火、防災への誓いを新たにする。

 ◆森町大火◆ 1961年10月23日午後11時45分ごろ、森町本町の商店街付近から出火。24日午前2時35分には瞬間最大風速15・8メートルを記録するなど、西からの強風にあおられて、一挙に市街地へと拡大した。当時の消防体制は職員18人、消防団員93人、車両6台と可搬動力ポンプ4台。消火活動は難航し、隣接する砂原や八雲、遠くは函館、上磯、長万部など10市町村から車両23台、約230人が応援に駆けつけ、24日午前7時になって鎮火した。

 この大火で、消火活動中の消防団員2人が重傷を負い、軽傷者78人を出した。焼け出された住民の多くは森小学校で避難生活を送り、全国各地から救援物資や義援金が届けられた。(今井正一)