2011年12月22日 (木) 掲載

◎函館市が函館—新函館の経営分離同意

 北海道新幹線札幌延伸に伴い、JR北海道が函館駅—新函館駅(仮称)間(17・9キロ)を並行在来線として経営分離する問題で、函館市の工藤寿樹市長は21日午前、市役所で会見し、経営分離に同意したことを明らかにした。JRが分離方針を示している函館—小樽間(253キロ)の全15の沿線自治体が同意したことで整備新幹線着工の条件をクリアする足並みがそろい、新函館—札幌間は来年度にも着工する見通しとなった。工藤市長は「市民の思いとオール北海道で延伸を求めるはざ間の中で、熟慮に熟慮を重ねた上で市長として判断した」と述べた。

  工藤市長は同日午前、高井修副知事に経営分離への同意を電話で伝えたと報告した。

 函館—新函館経営分離をめぐり、道とJRは今月13日、@第3セクター設立と運営に関して道が主体的な役割を担い、最大限の努力をするAJRは新函館開業時に同区間を電化し、札幌開業時に運行を受託する—などの条件を提示していた。同市長は経営分離受け入れの理由として「知事の決意も直接聞き、全国の3セクにない具体的内容を伴った提案」と評価、「これ以上の支援、協力が難しい中で一定の評価に値する」と話した。

 市は昨年、西尾正範前市長が経営分離に猛反発。函館商工会議所、函館市町会連合会などと合同で11万人の署名を集め、JRの経営継続を求めてきた。

 今年4月に就任した工藤市長は前市長の方針から一転し、「運営主体は別として、鉄路維持」と柔軟な考えで対応してきた。道やJRの提案が示され、18日の高橋はるみ知事との直接会談を受けて市民理解を得ようと、19、20日に市内の約100団体に説明に回ったが、商工会議所を中心に反対論が根強かった中で同意に至った。

 同市長はオール北海道で延伸を求めてきた状況からの判断とし、「今後、道が設置する協議会などを通じて具体的内容を協議し、観光都市函館へのアクセス路線として、将来にわたる安定的、充実した鉄道輸送を、地域の皆さんとともに確立してまいる所存」と述べ、決断に対する理解を求めた。

 政府は整備新幹線着工の条件として@安定財源の確保A収支採算性B時短などの投資効果CJRの同意D並行在来線の経営分離への地元自治体の同意—の5点を求めている。道新幹線の経営分離をめぐっては地元の反発が根強い中、函館市だけ回答を保留していた。

 高橋はるみ知事は「それぞれの自治体でさまざまな課題を抱える中、判断いただいた市長、町長のご尽力に改めて敬意と感謝を申し上げる。長年にわたる道民の悲願であり、本道活性化に大きく寄与する北海道新幹線の認可・着工が一日も早く決定されることを期待している」とコメントした。(千葉卓陽)



◎工藤市長 説明と一問一答…函館市 在来線分離同意

 函館—新函館間経営分離の同意に関する工藤市長の説明と、報道陣との主なやりとりは次の通り。

 (冒頭)経営分離に当たって道とJR北海道から示された支援協力の内容は、道が自ら第3セクター設立、運営の主体的な役割を担い、負担についても他県の先行事例を十分考慮し、最大限の努力をするとしている。道知事からも直接、第3セクターの設立やその負担について主体的な役割を担うという決意が示された。

 JR北海道は4年後の新函館開業時にこの区間の電化や新幹線ダイヤに合わせた快足列車を導入、加えて札幌開業時にはその列車の運行を担い、さらに全国のJR各社との円滑な乗り継ぎが可能となる発券システム導入など、経営分離以前と同等の利便性・サービスを維持するとしている。これらは並行在来線として位置づけられた全国の第3セクター鉄道の事例にない具体的な内容を伴った提案で、これ以上の支援協力が難しい中、一定の評価に値すると受け止めた。

 北海道新幹線については地域としてさまざまな経緯があったが、1973年の整備新幹線計画決定以来、長年の道民の悲願としてオール北海道で取り組んできた。こうした中、新函館駅—現函館駅間についてJR北海道からの経営分離について、同意するとの判断に至った。

 この間、JRによる経営継続を求める11万人の市民の署名もあったところであり、長らく国鉄・青函連絡船があった街としては、その歴史からJRへの思いが市民にはあると思っている。そうした中、オール北海道の観点で多くの方から札幌延伸を強く求める声があり、そのはざまの中であらゆる事柄について総合的に熟慮に熟慮を重ねた中で、市長として最終的に判断した。

 今後は20年、25年後と言われる札幌開業までに道が設置する協議会の場などを通じ、関係者間でさらに具体的な内容について、精力的な検討協議を進めたい。観光交流都市函館の重要なアクセス路線である新函館駅・現函館駅間の将来にわたる安定的で充実した鉄道輸送を、地域とともに確立していく決意である。  ——同意の意向はすでに道へ伝えていたか。

 会見の直前に電話で高井(修)副知事に伝えた。

 ——これから各団体から様々な意見が出てくると思うが、どのような説明をしていくか。

 反対していた団体の気持ちは変わらないと思うが、私が判断したことに対してご理解をいただけるよう努力していきたい。

 ——100団体に行った経過説明で、各団体は理解できたと思うか。

 とても難しい問題。中には詳しい団体もあったが、団体によってさまざまだと思う。

 ——道からの提案内容で、これ以上具体的に提案を求めることは。

 知事がわざわざ函館に来たことで、今までのように内々的なものだったり、事務レベルではないと重く受け止めた。これがスタートラインなので、示されたものを函館のために充実させ、なるべく早い段階で具体的なものになるよう努力していきたい。

 ——経営分離されることで大門地区の活性化に影響が出ると言われているが。

 他地域は新幹線ができることによって在来線の乗客が大幅に減ることが想定されるが、函館はそういう路線ではない。新幹線が通ることで今まで以上に利用客が増える可能性があり、運営も実質的にJRが行う。そのようなことから、大門再生を辞める考えも、降ろす考えもない。

 ——路線が赤字になって、地元の財政負担が増える懸念もあるが。

 電化をすることによって負担は少なくなると予測している。JRからも黒字でやると伝わっていて、道や市に毎年の赤字を補ってもらうことは考えないという。札幌からの客はある程度予想できるが、道外からの客がどの程度増えるかは、4年後の函館開業を見ないと今の時点では想定できない。

 ——決断に当たって重点に置いたことは。

 JRとの信頼関係を大切にしたいということ。私の誠意に対しJRは精いっぱいの案を示してきたので、この案で同意すべきではないかという考えを持っていた。



◎経済界に落胆広がる…函館市 在来線分離同意

 JR函館駅—新函館駅(仮称)間の経営分離に函館市の工藤寿樹市長が同意したことを受けて21日、これまで意見を表明してきた函館市内の各団体にはそれぞれの立場での思いが交錯した。結論を受け止め今後に期待する声が上がる一方、経営分離反対を強力に主張してきた函館商工会議所は大きく落胆。松本栄一会頭は「札幌中心の議論に巻き込まれた」とし、札幌本位ととれる道や関係者の姿勢を批判した。

 工藤市長はこの日、同意表明の直前に同会議所を訪問。正副会頭らと約45分間会談し、決断に理解を求めた。これに松本会頭は「ここで反対したら歴史に残る市長になれる。同意したら多くの市民から石を投げられる」と不同意を迫った。同意の報を聞き「断腸の思い。限られた時間の中で結論を出すべきではなかった」と批判。市長との今後については「従来通り是々非々の立場を貫く」とした。

 同じく不同意を貫いた函館朝市協同組合連合会の井上敏広理事長は「将来が非常に不安」としながらも、「ここまで人を呼び込むために、より魅力的な朝市を作る」と毅然と話した。函館都心商店街振興組合の渡辺良三理事長は「まちづくりにきちんと取り組んで」と話すにとどめた。

 函館市町会連合会の奥野秀雄会長は「意に沿わない結果で大変残念」と語り、「JRや道の提案には、11万人もの署名者の不安を払拭(ふっしょく)する材料がないことに変わりはない。赤字など次世代に負担を残さないよう、JRと道、市には最大限の努力を求める」と注文をつけた。

 市議会の能登谷公議長は「賛成会派にも反対意見があり、数の理論だけでは判断できない難しさがあった」とし、「議員にも今後、市民に今回の判断を説明する責務がある。市長の気持ちと決断を尊重し、決断した以上は協力しなければならない」と述べた。

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 一方で函館駅前の商業者らの反応はやや冷静。居酒屋いか太郎(若松町)の佐々木まこと店長は「札幌延伸すると逆に人が流れてくるのではないか。3セクの赤字も本当に必要なら構わない」との考え。富士メガネ函館駅前店(同)の増田晃副店長は「乗り継ぎをスムーズにすれば現駅前に人は流れる」とする。

 WAKOビルなどを運営するNAアーバンデベロップメント(同)の布村隆二社長は「20年後よりも、客足がない今の状況の解決が先。3セクの列車を魅力あるものとするなど、これからどうすべきかに精力を傾けるといい」とした。(小泉まや、長内 健)


◎企画・回顧@…東日本大震災 地域に広がる自主防災

 「津波が来るぞ。早く逃げろ!」。3月11日午後9時ごろ、函館朝市。消防署員の怒号が響く周辺は押し寄せた海水が川のように流れ、既に人けは絶えていた。「現場を押さえなければ」。無我夢中で駆けつけたが、カメラを構える手はただただ震えていた。

 東北3県を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。震度4を観測し、2・4メートルもの津波が襲った函館も、朝市やベイエリアが冠水した。地震発生時、沿岸部の市民が早くから避難所へ走った一方、住吉漁港周辺には何十人もの市民が集まっていた。「津波がきても大丈夫」。私自身も含め、この認識が大きな誤りであることを知る由もなく─。

 以降、函館の町会では自主防災組織の動きが活発化している。有事に際し消防などの救助活動は、交通まひや建物の損壊で十分手が届かない可能性がある。ならば地域の防災力で乗り切ろう、そんな取り組みだ。

 避難マップを作る町会が増えた一方、印象深かったのが杉並、松陰など4町会が立ち上げた防災組織。貯水庫や防災機材が保管できる倉庫も備える遺愛学院で10月、大地震発生を想定した初の合同訓練を行った。注目すべきは単町会の枠を超えていること。周辺と連携して意識を共有しようという試みが少ないだけに、他町会へのモデルケースにもなろう。

 だが、ふたを開ければ参加者は111人。1600枚のチラシを配った関係者は「ある程度予想通りの人数」と評したものの、この数字は4町会加入世帯の4%にも満たない。「震災から半年がたった。津波対策訓練でも人は集まったかどうか…」。防災意識を「どう高めるか」の難しさにあえぐ関係者。月日とともに、市民の危機感は薄らぎつつあるのだろうか。

 ここに、一枚の写真がある。

 膝上まで冠水した函館。思わず息をのんだ光景。過去で終わらせてはいけない教訓を、今一度かみしめよう。

 家族や隣人と手を携え、知恵を出し合おう。自然の猛威は、いつ訪れるとも知れないのだから。(長内 健)

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 2011年もあと10日を切った。道南各市町の話題やニュースをさまざまな切り口で伝えてきた現場記者が、取材当時に感じた思い、体験を基に、この一年を振り返る。

 


◎森田監督死去 函館でも功績惜しむ声

 「海猫」「わたし出すわ」など、函館を舞台にした作品を多く制作した映画監督の森田芳光さんの訃報が流れた21日、函館市内の映画関係者にも衝撃が走り、功績を惜しむ声が聞かれた。

 森田監督の函館初ロケ地作品は「キッチン」(1989年)で、以来、市内でマンションを借り、脚本作りを行っていたこともあるほど函館を愛していた。「函館港イルミナシオン映画祭」ではシナリオ大賞の審査にも携わった。今月開かれた第17回開催(2〜4日)では、監督、脚本を務めた「僕達急行A列車で行こう」(2012年)がオープニング上映作品となり、森田監督はゲストで来場する予定だった。同映画祭実行委の米田哲平委員長は「上映の数日前、体調不良を理由にキャンセルとなった。風邪かと思っていたが、まさかこんな病だったとは。私たちとフランクにお付き合いくださり、感謝の言葉しか出ない」と驚いた様子だった。

 市内で映画などの撮影を支援する「はこだてフィルムコミッション」の広部卓也事務局長は「函館映画を育ててくれた第一人者。来年3月公開予定の新作がシリーズ化した場合、函館でのロケを考えていると心底このまちを好きでいてくれたことにお礼を伝えたい」と話していた。

 「キッチン」以来、撮影関係で親交があるカフェやまじょう(元町)経営の太田誠一さんは「函館に来ると映画監督を目指した学生のころの情熱的な気持ちになると口にしていた。自分にとっては兄のような存在だった」と唇をかむ。南茅部地区が主要ロケ地の「海猫」(04年)で、せりふのなまりや漁業指導をした豊崎町の漁師加我義幸さんは「撮影中は妥協せず真剣そのものだったが、撮影の合間に談笑したりと地元の人を大事にしてくれた」、よく来店していたという谷地頭町の鮨処「江戸松」の松谷敏店主は「ホッキやウニなどをよく注文して、スタッフと仲良くしていた姿が忘れられない」と振り返る。(田中陽介、山崎純一)